EP 4
翌日の昼下がり。
スーパー折原のバックヤードは、むせ返るような熱気と、ピリピリとした異常な緊張感に包まれていた。
原因は、パイプ椅子に向かい合って座る三人の従業員たちである。
「……おい新入りども。昨日からバイトに入ったからって、調子に乗ってんじゃねぇぞ」
竜人のイグニスが、首に巻いたタオルをグイッと引っ張りながら、低い声で威嚇した。彼の手には、リーザのサイン入り特製うちわが握られている。
「俺様はな、このポポロ村でリーザたそがまだパンの耳を齧っていた下積み時代から、彼女を推し続けている『最古参』だ。お前らみたいな、ゴッドチューブでバズったのを見てから群がってきた『にわか』とは、推しに対する覚悟(ランチェスター戦略における局地戦の熱量)が違うんだよ」
対するは、指定の緑色エプロンを不満げに着こなす二人。
一人は、ピンクの芋ジャージにサングラスを頭に乗せた天界の女神、ルチアナ。
もう一人は、ゴシック鎧の上にリーザの顔がプリントされたハッピを羽織ったアバロン魔皇国の魔王、ラスティアだ。
「はぁ? なに古参ぶってマウント取ってんのよ、このトカゲ野郎」
ルチアナが、ピアニッシモ・メンソールの代わりにチュッパチャプスを舐めながら鼻で笑った。
「アイドルの価値を支えるのは、何より『経済力』よ! 私なんて、昨日のライブで天界のクレカのキャッシング枠を限界まで回して、神聖アイテム(超高額換金品)を雨あられと投げ銭したんだからね! 金も出せない古参より、金払いの良い新規のほうが運営(店)にとってはありがたいに決まってるでしょ!」
「その通りよ! そして魔王である私こそが、リーザちゃんの最大の理解者よ!」
ラスティアが、痛バッグをこれ見よがしにテーブルにドンッと置いた。
「そもそもあんた、リーザちゃんの魅力の何たるかを分かってないわね? 彼女の良さは、あのキラキラした圧倒的なビジュアルから繰り出される『ファンから全財産をむしり取ろうとするドス黒い強欲さ』のギャップにあるのよ! それを『泥臭い下積みが〜』だなんて、解釈違いも甚だしいわ!」
「なんだとォ!? リーザたその健気なハングリー精神をバカにする気か! てめぇら、表に出ろ! 俺様のイグニス・ブレイクでその腐った脳髄を叩き割ってやるぜェッ!」
「上等よ! 魔王のブラックホールで、そのうちわごと消し炭にしてやるわ!」
「天界の雷霆で、トカゲの丸焼きにしてあげるッ!」
ゴゴゴゴゴゴッ……!!
バックヤードの狭い空間で、竜人の闘気、魔王の闇の魔力、女神の黄金の神気が激突し、物理的な竜巻となって渦を巻き始めた。
積み上げられていた在庫のダンボールがガタガタと震え、宙に浮き上がる。
「や、やめろォォォォッ!!」
俺は、事務所の隅から悲痛な叫びを上げた。
「お前ら! そこに積んであるのは、明日の特売日に出す予定の『月見大根』と、賞味期限がギリギリの『特売たまごパック(10個入り)』の山だぞ!! 闘気や魔力で割れたら、俺の利益が完全に吹き飛ぶだろうがァァッ!!」
俺の顔面は蒼白だった。神話級の戦い? 世界の終わり? 知ったことか。俺にとって今一番恐ろしいのは、在庫の破損による『赤字』と『始末書』だ。
恐怖で足はガクガクと震え、膝の関節がカスタネットのように鳴っている。だが、店長としての責任感(という名の損害への恐怖)が、俺を無理やり一歩前へ踏み出させた。
エプロンのポケットから『半額シール』の束を抜き出し、なんとか三人の間に割って入ろうとする。
「い、いい加減にしろ! 従業員同士の喧嘩は就業規則違反だ! いますぐそのオーラをしまわないと、三人の理性を50%オフにして、またまかない飯のニンニクアブラで胃袋を破壊するぞ!」
俺の虚勢(命懸けのハッタリ)に、三人のバケモノがピタリと動きを止めた。
「……ちっ。プロデューサーがそこまで言うなら、今回は鉾を収めてやるぜ。俺様はプロデューサーの『手腕』には一目置いてるからな」
「フン……。私たちをあの美味すぎるジャンクフードで洗脳した恐ろしい男が言うなら、仕方ないわね」
「そ、そうね……。ここでまたシールを貼られて、強制的にあの脂とニンニクの虜にされるのは、神としての尊厳が……(ゴクリ)」
ルチアナとラスティアは、昨日の『豚神屋監修・特製弁当』の味を思い出したのか、頬を赤らめてゴクリと生唾を飲み込んだ。俺のセコいデバフ戦術は、この世界の頂点たちに『底知れぬ狂気の洗脳術』として完全に誤解(定着)されているらしい。
「ふぅ……」
俺は内心で安堵の深呼吸をした。危ないところだった。卵パックが割れていたら、ショックで寝込むところだ。
「――でも店長!」
ルチアナが、俺に向かってビシッと指を突きつけてきた。
「私たちみたいな『太客』同士のトラブルは、アイドル運営において最も致命的よ! 古参と新規の対立、そして『誰が一番リーザちゃんに愛されているか(レスをもらっているか)』の解釈違い! これを解決しない限り、このバックヤードに平和は訪れないわ!」
「そうだぜプロデューサー! 俺様だって、昨日入ったばかりのにわか共にデカい顔されるのは我慢ならねぇ!」
イグニスが息巻く。
「めんどくさいオタクどもめ……。誰が一番愛されているかだと? そんなもの、本人に聞けば済む話だろうが」
俺が呆れたようにため息をついた、その時だった。
「みなさーん! お疲れ様ですのーっ!」
バックヤードの扉がガチャリと開き、純白のフリルドレスに着替えたリーザが、眩しい笑顔を振りまきながら入ってきた。
これから午後のゲリラライブに向かうための、完璧なアイドル・モードだ。
「おおっ! リーザたそォォッ!」
「リーザちゃーん! 今日も顔面国宝よォォッ!」
三人の限界オタクたちが、一斉にサイリウムを振って歓声を上げる。
「リーザ、ちょうどいいところに来た」
俺は疲れ切った声で、アイドルに呼びかけた。
「こいつら、お前のことで喧嘩してるんだ。古参のイグニスと、新規の太客のルチアナとラスティア。……お前は、どっちのファンが『一番』好きだ? こいつらの解釈違いに、お前の口から引導を渡してやってくれ」
俺の問いかけに、バックヤードの空気がピンと張り詰めた。
イグニスも、ルチアナも、ラスティアも、固唾を飲んでリーザの言葉を待っている。
古参の絆を取るか、圧倒的な資金力を持つ新規の太客を取るか。究極の選択だ。
リーザは、コテッと可愛らしく首を傾げた。
そして、サファイアのように澄んだ瞳で三人を見つめ渡し、極上のウインクと共に、天使のような声でこう言い放った。
「え? 一番……? そんなの、決まってますの」
ゴクリ。三人のオタクが息を呑む。
「お金を私に落としてくれるなら、古参も新規も神様も魔王も関係なく、みーーーーんな平等に、私の愛しい『ダーリン(ATM)』ですのーっ♡♡」
「「「――――ッ!!!!」」」
その瞬間。バックヤードに、言葉にならない衝撃波が走った。
それは魔力でも神気でもない。純度100パーセントの、深淵なる『強欲』。
「ファン一人ひとりを平等に愛する」というアイドルの鏡のような言葉に、「お金をくれるなら」という身も蓋もない資本主義の真理をコーティングした、悪魔の模範解答であった。
「……ひ、ひめぇぇぇっ!!!」
イグニスが、両手で顔を覆って号泣しながら膝から崩れ落ちた。
「なんて……なんて広くて、慈悲深くて、そして強欲な心なんだ……! 俺様みたいな底辺の古参も、全財産を貢げば平等に愛してくれるなんて……ッ! やっぱ俺様の推しは最高だぜェェッ!」
「ああっ……! 尊い! 尊すぎるわ……ッ!」
ラスティアが、痛バッグを抱きしめてワナワナと震えている。
「ファンをただの財布としか見ていないのに、その財布(私たち)を心から愛していると言い切るその姿勢! これぞ究極の搾取と奉仕の等価交換! 魔王の私でも、ここまで客の心をえぐり取るような支配はできないわッ!」
「う、うううっ……! クレカの限度額が足りない……! もっと、もっと働いて彼女に貢がなきゃ……ッ!」
ルチアナに至っては、エンジェルすまーとふぉんを握りしめ、スーパーでの皿洗いのシフトを自ら倍増させる決意を固めていた。
「さあ皆さん! ケンカなんかしてないで、私のライブの準備を手伝ってくださいの! そして、最前列でいっぱいお金を投げてくださいのーっ!」
リーザが満面の笑みで手を振ると、神も魔王も竜人も、「「「ウオオオオオオッ!! 喜んでェェェッ!!」」」と狂喜乱舞し、みかん箱ステージの設営へと猛ダッシュしていった。
「……」
嵐が去ったバックヤードで、俺は一人、ぽつんと立ち尽くしていた。
「……なんなんだ、あのメンタル・モンスターは」
世界を滅ぼす神と魔王、そして最強の竜人。その三人のバケモノを、「お金をくれるなら皆ダーリン」という一言で完全に手懐け、ひれ伏させてしまったのだ。俺の『半額シール』など足元にも及ばない、究極のタレント力(狂気)。
「……店長、お疲れ様」
いつの間にか背後に立っていたキャルルが、そっと俺にマグカップを差し出した。
「ほら、白湯よ。胃が痛いんでしょ?」
「ああ……すまん。助かる」
俺は震える手でマグカップを受け取り、エプロンのポケットから常備している胃薬の錠剤を取り出して、一気に飲み込んだ。
「ウチの店、とんでもないことになってきたわね。神様と魔王様がアルバイトで、アイドルが客から搾取しまくるなんて。アタシ、まともなのが店長しかいない気がして怖いんだけど」
「……俺もだ、キャルル。俺はただ、平穏に日々の売上目標を達成して、赤字を出さないように生きていきたいだけなんだがな……」
俺は白湯で胃薬を流し込みながら、深く、深くため息をついた。
外からは、ドンッ! というアンプの重低音と共に、神と魔王と竜人が入り混じった「L・I・Z・A! オ・レ・ノ! リーザァァッ!」という地獄のようなオタ芸のコールが響き渡ってきている。
世界の頂点に立つVIPたちを常連客(そして底辺アルバイト)として迎えた、ポポロ村のスーパー折原。
店長の胃壁はゴリゴリと削られ続けているが、皮肉なことに、本日の売上もまた、過去最高を更新することは間違いなさそうだった。
お読みいただきありがとうございます!
評価・ブックマークで応援いただけると励みになります。




