EP 2
世界の頂点と、開店前の列形成
ゴゴゴゴゴゴッ……!!
ポポロ村の店舗前に降り立った二つの影から放たれるプレッシャーは、尋常ではなかった。
右半分の空間は、見つめるだけで目が潰れそうなほどの神々しい黄金の光に包まれている。
左半分の空間は、光すらも吸い込むような漆黒の闇と、重力を狂わせるほどの禍々しい魔力に支配されている。
スーパー折原の特設みかん箱ステージを挟んで、二つの絶大なオーラがバチバチと火花を散らして衝突していた。
「ひぃぃぃッ……!! し、死ぬ……っ! 世界が終わるわぁぁっ!」
店の奥で、月兎族のキャルルがウサギの耳を頭にペタリと張り付け、ガクガクと震えながら叫んだ。
「な、なんで!? なんで天界を統べる女神ルチアナ様と、アバロン魔皇国の魔王ラスティア様が、揃ってウチの店に来てるのよォォッ!? しかもバチバチに殺気立ってるじゃない!」
「ル、ルチアナ様にラスティア様だと……!? オイオイオイ、俺様だって親父の昔話でしか聞いたことねぇような、マジモンの生ける神話じゃねぇか……ッ!」
竜人のイグニスでさえ、大斧を握る手が小刻みに震え、顔面から血の気が引いている。
神と、魔王。
本来なら交わるはずのない世界の頂点に君臨する絶対者たちが、なぜ辺境のスーパーに現れたのか。キャルルたちにはまったく理解できなかった。
――だが、店長である俺、折原晴也の目には、その『生ける神話』の姿は、まったく別の恐ろしいものに映っていた。
「……おいおい、冗談キツいぜ」
俺は額から滝のような冷や汗を流しながら、店先で睨み合う二人の女を凝視した。
右側の『女神ルチアナ』と呼ばれた女。
神々しい光を放ってはいるが、その服装はなんと『ピンク色の芋ジャージ』に『健康サンダル』。さらには目元を黒いサングラスで隠し、口元には地球のタバコ(ピアニッシモ・メンソール)を咥えている。どう見ても休日のパチンコ屋に入り浸っているヤンキーのオバサンである。
そして左側の『魔王ラスティア』と呼ばれた女。
こちらは禍々しいゴシック調の鎧を身に纏っているものの、その上からなぜか『リーザの顔がプリントされた手作りのハッピ』を羽織り、両手にはルルナのガチャで排出された青色のサイリウムを片手に四本ずつ、計八本も指の間に挟み込んでいる。さらには肩から、リーザの缶バッジがびっしりと付いた痛バッグまで下げていた。
(……間違いない。ただの強盗じゃない……こいつら、クレーマーよりもタチの悪い『重度の厄介オタク』と『ヤンキー』のハイブリッドだ!!)
俺の社畜としての危機管理センサーが、最大級の警報を鳴らした。
オーラだの魔力だのはよく分からないが、この手の『周囲の空気を読まずに自己主張の激しい客』は、店舗運営において最も警戒すべき存在だ。下手に店内で暴れられでもしたら、商品棚は倒され、他のお客様の迷惑になり、最悪の場合は営業停止になりかねない。
「ちょっとルチアナ! あんたなんで着いてきてるのよ! リーザちゃんのライブで最前列のど真ん中に立つのは、魔王であるこの私よ!」
魔王ラスティアが、八本のサイリウムを威嚇するように振り回して叫んだ。
「はぁ? ふざけんじゃないわよ、永遠の17歳(自称)ババア! ゴッドチューブでこの子を見つけたのは私の方が先よ! 神界のトップたる私が、一番の太客になるに決まってるでしょ!」
女神ルチアナが、咥えタバコの灰をスーパーの敷地内にポトッと落としながら凄む。
「ああっ! コラ、そこのジャージ! 店の前にタバコの灰を落とすな! 掃除するのは俺なんだぞ!」
気がつけば、俺の口からそんな怒鳴り声が飛び出していた。
頭では「相手は一国を滅ぼすバケモノだ、逆らうな」と分かっているのに、小売業の店長として『店舗の美化』を荒らされた怒りが、恐怖をわずかに上回ってしまったのだ。
「……あ?」
女神ルチアナが、サングラス越しの鋭い視線を俺に向けた。
「……何者だ、貴様」
魔王ラスティアもまた、禍々しいオーラを放ちながら俺を睨み据える。
ギロッ、と世界の頂点二人に同時に睨まれ、俺の心臓は文字通り「ヒィッ!」と悲鳴を上げた。
尋常ではないプレッシャー。足の震えが止まらない。今すぐ土下座して「灰皿をお持ちしましたァァッ!」と媚びへつらいたい。
――しかし。俺は店の入り口に立つ『店長』だ。エプロンを締めている以上、ここで無様な姿を晒して店の権威を落とすわけにはいかない。
俺はガクガクと震える膝をエプロンの裾で隠し、右手に持った防犯用さすまたを杖代わりにして無理やり立ちすくみ、顔の筋肉を総動員して『完璧な営業スマイル』を作った。
「いらっしゃいませ、お客様。当店はまだ開店前でございます。本日のリーザちゃんの『特売ゲリラライブ』および、物販の整理券をお求めのお客様は、こちらの赤いコーンに沿って『二列』で並んでお待ちください。なお、近隣住民の皆様へのご迷惑となりますので、大声での威嚇や、魔法・神気などの放出は固くお断りしております」
俺の、極めて事務的で冷徹なアナウンスが、夕暮れの空に響き渡った。
「「…………は?」」
神と魔王が、同時にぽかんと口を開けた。
無理もない。彼女たちは今まで、どこへ行こうが周囲の人間を平伏させ、恐怖で支配してきた絶対者だ。そんな彼女たちに向かって、「うるさいから並べ。魔法は禁止だ」と説教した人間など、有史以来ただの一人もいなかったのだから。
(ヤ、ヤバい……言い過ぎたか!? 怒って店を吹き飛ばされるッ!?)
俺は心の中で土下座の準備をしながら、右手でエプロンのポケットにある『半額』シールの束を固く握りしめた。万が一襲いかかってきたら、問答無用でこいつらの理性を50パーセントオフに叩き落としてやる。
だが、俺の予想に反して、彼女たちの反応はまったく別のベクトルへと向かっていった。
「……お、おいルチアナ。この人間、私たちの覇気と神気を正面から浴びて、一歩も引かないどころか、笑顔を崩さないわよ……!?」
魔王ラスティアが、信じられないものを見るような目で俺を見つめた。
「私の魔力に当てられれば、並の人間なら泡を吹いて気絶するはず……。それを、あんな薄っぺらい布一枚で無効化しているというの!? まさかあの男、このアイドルを護る『裏の守護者』……!?」
「……ええ、驚いたわ」
女神ルチアナもまた、咥えていたタバコをポロリと落とし、サングラスを少しずらして俺を観察した。
「私の『神眼』をもってしても、あの男のステータスがまったく読めない。ただの脆弱な人間に見えるのに、その奥底に底知れぬ狂気(ブラック企業のトラウマ)を感じるわ……。しかも手に持っているあの二股の奇妙な杖。あれ、もしかして神話級の魔導具なんじゃないの!?」
彼女たちは、俺のただの『恐怖による硬直』と『接客スマイル』を、あろうことか『底知れぬ強者の余裕』だと完全に勘違いしてしまっていたのだ。
「フ、フフフ……面白い男ね」
ラスティアが、手に持っていた八本のサイリウムをガチャガチャと鳴らしながら、挑発的な笑みを浮かべた。
「いいわ。お前ほどの実力者が言うなら、この『るーる』とやらに従ってやる。魔王たる私からすれば列に並ぶなど屈辱だが、郷に入っては郷に従え、よ。……おいルチアナ! 私の方が先に並んだからな! 私が一番乗り(センター)よ!」
「ああっ!? ちょっとズルいじゃない! 私のほうが神様なんだから優先されなさいよ!」
「当店にVIP優先パスはございません。すべてのお客様は平等に列形成をお願いいたします」
「ちっ……分かったわよ! 並べばいいんでしょ、並べば!」
俺がピシャリと言い放つと、あろうことか、世界の頂点に君臨する神と魔王が、スーパー折原の入り口に引かれた白線の内側に、ちょこんと体育座りをして大人しく並び始めたではないか。
「……う、うそぉ……」
店の中からその光景を見ていたキャルルが、ヘナヘナとその場に崩れ落ちた。
「あの店長……神様と魔王様に、整理券の列形成をさせたわよ……。武力どころか、スーパーの店舗運営マニュアルだけで世界の理を捻じ伏せちゃった……」
「が、ガッハッハ! 流石は俺様のプロデューサーだぜェッ!」
イグニスが青ざめた顔に無理やり笑いを浮かべ、大斧を置いて店舗の外へと出てきた。
そして彼は、ちょこんと座っているラスティアの隣に立ち、思い切りメンチを切った。
「おい、そこの新規のオタクども! 俺様はこのポポロ村でリーザたそを最初に見出した、最古参のファンだぜ! てめぇらみたいな昨日今日ゴッドチューブを見ただけの連中に、最前列のセンターは譲らねぇからな!」
「なんだと貴様! 新規だ古参だとうるさいのよ! アイドルへの愛は、落としたスパチャの額(予算)で決まるのよ!」
ラスティアがバッと立ち上がり、魔王の覇気を展開する。
「ウオォォォッ! ならばここで推しへの愛の深さを物理で証明してやるぜェェッ!」
イグニスもまた、竜人の闘気を爆発させてサイリウムを構えた。
「――こら! 列の中でお客様同士のトラブルは禁止だ! 今度騒いだら、二人とも出禁(入店拒否)にするぞ!」
俺がさすまたを地面にドンッ! と突き立てて怒鳴ると、魔王と竜人は「ヒッ! す、すんません店長!」と首をすくめて大人しく列に戻った。
(……はぁぁぁっ。なんなんだこいつら。一国を滅ぼす魔王だか何だか知らないが、やってることはただの厄介なアイドルオタクの小競り合いじゃないか)
俺は内心で深い、深いため息を吐き出しながら、なんとか最悪の事態(店舗崩壊)を免れたことに安堵していた。
「あ、あのー、店長さん?」
ふと、列の二番目に座っていた女神ルチアナが、サングラスを外して申し訳なさそうに手を挙げてきた。
「なんだ? まだ開店まで三十分はあるぞ。トイレなら店の裏手にあるから貸してやるが」
「いや、トイレじゃなくて……その、お支払いのことなんだけど」
ルチアナはゴソゴソとジャージのポケットから、キラキラと輝く『エンジェルすまーとふぉん』を取り出した。
「ウチの天界のシステム、クレジットカードと連携してるんだけど……私、最近ちょっと月人くん(推し)のソシャゲでガチャを回しすぎちゃって、月の限度額の百万をほぼ使い切っちゃってるのよね……」
「……は?」
「だからその、今日のリーザちゃんのグッズ代とかおひねり、分割の『リボ払い』とか、ツケでいけたりしないかしら……? 駄目なら、天界からサングラスの黒服が取り立てに来て、マグローザ漁船に飛ばされちゃうんだけど……」
女神はそう言って、情けなく肩を落とし、まるで給料日前の限界OLのような泣き顔を見せた。
「…………」
俺は、その言葉を聞いて絶句した。
世界の創造主。絶対的な神。そんな大層な肩書を持っているくせに、実態は『ソシャゲの課金で首が回らなくなったリボ払い地獄のオバサン』だというのか。
(……わかる。痛いほどわかるぞ、その苦しみ)
俺の脳裏に、地球でのブラック企業時代の凄惨な記憶がフラッシュバックした。
残業代は出ず、家賃の引き落とし日に怯え、クレカの明細を見てはカップ麺をすする日々。あの底辺の苦しみを、よもや異世界の神様と共有することになろうとは。
「……安心しろ、アンタ」
俺はさすまたを置き、エプロンのポケットから一本の缶コーヒーを取り出して、ルチアナの手にそっと握らせた。
「当店は現金、魔導QR決済はもちろんのこと、足りないなら皿洗いのアルバイトでの『現物支給』も歓迎している。……借金で漁船に乗る前に、俺のところで働け。スーパーのバックヤードには、廃棄寸前の弁当がいくらでもあるからな」
「て、店長ぉぉぉぉっ!!」
ルチアナは缶コーヒーを抱きしめ、ボロボロと大粒の涙を流して俺の足元にすがりついた。
「ありがとう! 優しいのね店長! 私、一生ここで推し活しながらお惣菜パックのシール貼りして生きていくわァァッ!」
「おいコラ! 神様が俺の足に鼻水をこすりつけるな! エプロンが汚れるだろうが!」
俺が慌ててルチアナを引き剥がしていると、バックヤードからマイクを持ったリーザがひょっこりと顔を出した。
「わぁっ! 新規のファンの方たち、もう並んでくれてるんですのね! 私、皆さんの愛(お金)を搾り取るために、最高のパフォーマンスをお届けしますのーっ!!」
極貧地下アイドルと、限界オタクの神と魔王。そして、強盗相手に列形成をさせる社畜店長。
ポポロ村のスーパー折原は、世界のトップ層の理性を50パーセントオフに叩き売りする、狂気の大特売日を開店しようとしていた。
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