EP 5
「泥沼恋愛小説と、ビジネス書の激突」
「んふふ……玄武ちゃん、愛が重いわぁ……。リスカ未遂とか最高じゃないの……」
「おい村長、そんな非生産的な本より、この『失敗の本質』を読んで村の経営を学べ! 組織の停滞は――」
「うるさいわね、この自己啓発トカゲ!」
ドゴォッ!!
平和な午後下がりの『スーパー折原』の店内に、重低音が響き渡った。
丸椅子に座っていたキャルル村長が、振り向きざまに『タローマン製の特注安全靴』でハイキックを放ち、分厚いビジネス書を構えていたイグニスの顎を綺麗にカチ上げたのだ。
哀れな竜人は悲鳴を上げる間もなく、ドワーフ製の鉄製ラックの数センチ横へと吹っ飛んでいった。
「おい、そこの爬虫類。商品の前で暴れるんじゃない。私が先ほどラベルの向きまでミリ単位で揃えた、トイレットペーパーの美しい陳列が乱れるだろうが」
バックヤードから、台車を押して現れた男が冷たい声で注意した。
アバロン魔皇国の四天王にして、現在当店で借金返済のため無給労働中のアルバイト・ルーベンスである。彼は仕立ての良かったタキシードの上に、スーパーのダサい緑色のエプロンを不満げに……いや、意外と着こなしていた。
「ダンボールの解体は、ただ力任せに潰せば良いというものではない。カッターの刃をテープの隙間に滑り込ませる『角度』と『魔力操作』が重要なのだ。お前たちのような脳筋には一生分からんだろうがね」
手の中でクルクルとカッターナイフを弄りながら、ルーベンスはすっかり『品出しのプロ(バイトリーダー)』の顔つきになっている。この男、順応性が高すぎる。
「痛ぇぇ……。ルーベンスの野郎、すっかり店長に洗脳されやがって……」
イグニスが顎を擦りながら立ち上がる。
「それにしても村長! あんたが読んでるその本、『聖獣機神ガオガオンの社内恋愛事情は辛いよ』ってなんだ! ガオガオンの基本OSは『デュー・プロセス(適正手続き)』と『国際法』だぞ!? なんで朱雀が白虎に色目を使って、青龍が浮気してるんだ! 組織論として破綻してるだろうが!」
「あんたは何も分かってないわね! 完璧なシステムの裏で、神獣たちがドロドロの愛憎劇を繰り広げてるからエモいんじゃないの!」
キャルルは持参した煎餅をバリバリと齧りながら、ドヤ顔で反論した。
「私なんてルナミス帝国にいた頃、冒険者仲間とシェアハウスに住んで、ファミレスの『ルナキン』のドリンクバーで深夜までこういう話をしてたんだからね! あの堕落した現代っ子みたいな生活が、私の青春のすべてよ!」
「威張って言うことかよ! なにが『雷神の月兎』だ、ただのサブカル女子大生じゃねぇか!」
「なんだとぉ!?」
「村長様、イグニス。当店は他のお客様への迷惑となる大声での談笑はお断りです」
俺がレジカウンターから声をかけると、キャルルはビクッとウサギの耳を揺らした。俺の『100%本心の社畜オーラ(接客スマイル)』が、まだ彼女の中では恐怖の対象として機能しているらしい。
「す、すいません店長……。あ、お詫びにこれ、追加注文するわ。エナジー・ヌガーひとつ」
「毎度ありがとうございます。合計で銀貨一枚と銅貨五枚になります」
チャリーン♪
脳内で売上ポイントが加算される。イグニスとの口論も、最終的に客の財布の紐を緩める販促イベントに変えるのが一流の店長だ。
――そんな、あまりにも平和で馬鹿馬鹿しい日常がポポロ村で流れていた頃。
遠く離れたアバロン魔皇国の、薄暗い魔王城・謁見の間では、恐るべき緊急事態が発生していた。
『ガンガンガンガン! アタマガガン! 目覚まし時計のキーンが辛い〜♪』
「月人くぅぅぅん! こっち向いてぇぇぇっ!!」
禍々しい玉座の上で、永遠の17歳を自称する魔王ラスティアが、虚空に投影された『ゴッドチューブ(神々の動画サイト)』の画面に向かって、両手に持った赤いサイリウムを狂ったように振り回していた。
地球のアイドル、朝倉月人のライブ映像に完全に見入っているのだ。
「魔王様……! ラスティア様! 恐れながら、緊急の報告がございます!」
玉座の下に平伏した魔族の伝令が、涙声で叫んだ。
「数日前、ポポロ村の視察に向かわれた四天王・ルーベンス様からの魔導通信が途絶えました! 潜入したスパイからの情報によりますと……ルーベンス様は現在、現地のスーパーマーケットで『無給の品出しアルバイト』として、緑色のエプロン姿でダンボールを潰しているとのことです……ッ!」
「……はぁ?」
ラスティアの手の中で、サイリウムの動きがピタリと止まった。
「あの皮肉屋のルーベンスが、時給ゼロで労働を? なにそれ、ウケる」
「ウケている場合ではございません! 我が魔皇国の威信が完全に泥を塗られております! 敵は『テンチョー』と名乗る、正体不明の恐るべき大魔王……これ以上放置すれば、他国に示しがつきません!」
「……チッ。月人くんの『月曜日の社畜』のサビだったのに」
ラスティアは不機嫌そうにサイリウムを玉座に放り投げ、その美しい瞳に凶悪な魔力を宿した。
「我がアバロンの幹部をパシリにするなんて、良い度胸じゃない。……特務部隊『狂獣大隊』をポポロ村に出撃させなさい。村ごと粉砕して、ルーベンスの馬鹿を連れ戻してくるのよ」
「ははっ! 直ちに!」
「あ、ついでにそこの村で売ってるらしい『ポポロ・コーヒー』の飴玉と、美味しいと噂の『エビフライ』も買ってきなさいよ。忘れたらブラックホール行きだからね」
「御意ィィィッ!」
魔皇国の精鋭・狂獣大隊が、地響きを立ててポポロ村へと進軍を開始した。
そんな迫りくる世界の危機をよそに、俺たちのスーパー折原では、さらに別の『危機』が静かに近づいていた。
夜の帳が下りたレジ裏のバックヤード。
壁に掛けられたカレンダーの、明日の日付に、キャルルが赤いペンで大きな『〇』をつけていた。
「……ふふっ。いよいよ明日ね」
キャルルが窓の外を見上げる。
雲の切れ間から覗くのは、狂気を孕むほどに丸々と太った、美しい『満月』の気配。
彼女のウサギの耳が、血の滾りを抑えきれないように、ピクピクと異常な興奮の痙攣を始めていた。
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