EP 3
「迷惑なお客様と、幻惑魔法の値引き処理」
「やあ、素晴らしい活気だね。ここが噂の『スーパー・オリハラ』かな?」
漆黒のタキシードを纏い、顔の半分を銀色の仮面で覆った男が、優雅な足取りで店内へと入ってきた。
その全身からゆらゆらと立ち昇る、底冷えするような闇の魔力。どう見てもカタギの客ではない。
だが、その男に応対しようとカウンターから出ようとした俺の視界の端に、ある物が飛び込んできた。
さっき人参ジュースの美味さに完全に陥落し、丸椅子でだらしなく蕩けているキャルル村長が、カウンターの上にポイと置きっぱなしにしている一冊の分厚い本。
表紙には『聖獣機神ガオガオンの社内恋愛事情は辛いよ。〜玄武のリスカと青龍の浮気〜』という、狂気的なタイトルの泥沼恋愛小説がデカデカと書かれていた。
(……村長、外見は可愛いのに、随分とドロドロした愛読書を持ってるな……)
村の行政トップの底知れないポンコツっぷりに心の中でツッコミを入れつつ、俺は店長としての表情を引き締め、タキシードの男へと向き直った。
「いらっしゃいませ。私が店長の折原です。当店に何かお探し物でしょうか?」
「ふふ、実に良い返事だ。私はアバロン魔皇国が四天王の一人、ルーベンス。今日は買い物に来たわけではない。君たちに『素晴らしい提案』をしに来たのだよ」
ルーベンスと名乗った男が、パチン、と指を鳴らした。
瞬間、店内の空気がグニャリと歪んだ。
男の足元から、紫色の禍々しい魔法陣が蜘蛛の巣のように展開し、そこから甘ったるい香りを伴った不可視の波動が店全体を包み込む。
「あ、あれ……? なんだか急に、頭がぼんやりして……」
「お、おい……身体に力が入らねぇドス……。斧が、重てぇ……」
強力な神聖魔法の使い手であるルルナと、強靭な竜人のイグニスが、その波動を浴びた途端に虚ろな目をしてその場に膝をついた。アバロン魔皇国最高幹部による、広範囲の『精神支配』の魔法だ。
「さあ、店長。この素晴らしい店舗の『権利書』と、君の持つ未知の技術のすべてを、私に無償で譲渡する契約書にサインをしたまえ。君はこれより、私の忠実な下僕として働くのだ……。断るという選択肢は、君の脳内から永遠に消去される……!」
ルーベンスが、まるでオーケストラの指揮者のように両手を広げ、極上の美声で囁きかけてきた。
常人であれば、その甘い声と強力な魔力に抗うことなど不可能だろう。脳のシナプスを直接書き換えられ、喜んで奴隷契約にサインしてしまうはずだ。
――だが。
「……お客様、大変申し訳ございませんが。当店では『強引なキャッチセールス』および『店内での手品(迷惑行為)』は固くお断りしております」
俺は表情一つ変えず、完璧な営業スマイルのままカウンターからスッと一歩前に出た。
「なっ……!?」
ルーベンスの仮面の奥の瞳が、驚愕に見開かれる。
「馬鹿な!? 私の『絶対服従の幻惑魔法』を浴びて、なぜ平然と立っていられる!? 君はただの人間だろう!」
当然だ。
俺の脳内は常に「今日の売上目標」「廃棄ロスの計算」「クレーマーへの謝罪のシミュレーション」といった、過酷な社畜の思考で100%埋め尽くされている。そこに他人が入り込む余地など、1ミリたりとも存在しないのだ。
俺は『神回避ステップ』で、床に展開された紫色の魔法陣の境界線まで滑るように移動した。
現在の売上ポイントは、さっきルナミス兵たちに唐揚げを売りまくったおかげで潤沢にある。
(プリントアウト! 『半額』シール!!)
消費ポイントゼロ。俺の右手に現れた黄色と赤のお馴染みのシールを、ルーベンスの足元で禍々しく輝く『魔法陣』の中心へ向けて、思い切りペタリと貼り付けた。
『半額』
「……え?」
ルーベンスの口から、間抜けな声が漏れた。
シールが貼られた瞬間、店内に満ちていた恐るべき威圧感と、甘ったるい支配の香りが、シュルシュルと音を立てて萎んでいったのだ。
魔法陣の鮮やかな紫色の光は、まるで電池の切れかけたネオンサインのようにチカチカと明滅し始め、やがて「ポンッ」という気の抜けた音と共に、ただの薄暗いシミへと成り果てた。
「な、なんだこれは!? 私の魔力が……魔法の構成式そのものが、強制的に劣化させられているだと!?」
「ただの値引き処理ですよ、お客様」
俺は冷静に言い放った。
「あなたの魔法の『絶対服従』という価値を、50%オフにさせていただきました。今やその魔法は、せいぜい『深夜のテレビショッピングで、ちょっとだけ商品が欲しくなる程度の軽い催眠術(安い手品)』にすぎません」
「ふ、ふざけるなァァァッ!! このアバロンの貴公子ルーベンスの魔法を、安い手品呼ばわりだと!?」
プライドを粉々に打ち砕かれたルーベンスが、タキシードの袖から凶悪な棘の生えた『闇の鞭』を引き摺り出した。
「こうなれば、その生意気な口を物理的に切り裂き、力ずくで店を奪うまでだ!」
四天王が殺意を剥き出しにし、闇の鞭が空気を切り裂いて俺の首へと迫ろうとした、まさにその時だった。
「――ちょっと、そこの不審者」
低く、底冷えするような少女の声が、店内に響いた。
ルーベンスがピタリと動きを止める。
カウンターの丸椅子に座っていたキャルル村長が、ゆっくりと立ち上がっていた。
彼女のウサギの耳は怒りでピンと逆立ち、その目は、大切な宝物を泥棒に踏みにじられた子供のように、危険な光を放っている。
「私が……私がせっかく、生まれて初めてこんなに美味しい『生搾り・プレミア人参ジュース』に出会って、最高に幸せな気分でくつろいでいたのに……」
キャルルが、床に置いてあったダブル・トンファーを両手に拾い上げる。
タローマン製の特注安全靴が、ギシッ、と床板を軋ませた。
「私の推し店舗で、勝手に手品を披露して暴れないでくれるッ!?」
ブワァァァァッ!!
キャルルの小柄な身体から、ルーベンスの闇魔法すらも掻き消すような、すさまじい白銀の闘気が爆発的に噴き出したのだった。
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