EP 2
「嘘発見器のバグと、生搾り人参ジュース」
キャルルのウサギの耳が、恐怖と混乱でピクピクと激しく痙攣していた。
一切の野心も邪悪な企みも持たず、ただ純粋に「店舗運営」と「お客様の笑顔」だけを考えている男。
彼女の超聴覚が捉えたその異常すぎる『真実』は、どんな凶悪な魔王の嘘よりも恐ろしかった。
「嘘……でしょ……。こんな、こんな澄み切った心音を鳴らしながら、死蟲機を素手で解体してルナミス軍の胃袋を掌握したっていうの……? この男、底が見えない……本物の怪物だわ……!」
キャルルは顔面を蒼白にさせ、タローマン製の特注安全靴をガタガタと鳴らしながら数歩後ずさった。構えていたダブル・トンファーの先端が、迷いによって力なく下がる。
この世界において、これほどの力を持つ者が「無欲」であるはずがない。何か、常人には理解できない恐るべき大計に従って動いているのだと、村長である彼女の防衛本能が激しく警鐘を鳴らしていた。
「村長様、村の治安維持のための巡回、本当にお疲れ様です」
俺はキャルルの混乱など意に介さず、完璧な営業スマイルを維持したままバックヤードへと声をかけた。
「ルルナ、例の『新商品』の準備を。甘い物がお好きと伺っております、村長様へのウェルカムドリンクだ」
「はいっ、店長! すぐに『神の国の粉砕魔導具』の準備をします!」
店の奥から、ルルナが重たそうに抱えてきたのは、白いプラスチックとガラスでできた円筒形の機械――地球の家電量販店ならどこにでも売っている『電動ジューサー(ミキサー)』だった。
「昨日、村の清掃で貯めたポイントで引いたんです! 神の雷(電気)を動力とし、果実はおろか魔物の骨すらも微塵に粉砕するという恐るべき神造兵器です!」
「ただの調理家電だ。刃が危ないからコンセント(魔力変換器)を抜いて洗っておけといつも言ってるだろ」
俺はルルナからジューサーを受け取ると、足元の木箱から本日の目玉商品である特産品を取り出した。
『ギャァァァァァァァッ!』
引っこ抜いた瞬間、耳をつんざくような悲鳴を上げて逃げ出そうとしたのは、人間の子供のような手足が生えた不気味な人参――『人参マンドラ』である。
「おっと、お客様。店内を走り回るのはご遠慮ください」
俺は逃げようとする人参マンドラの頭(葉っぱ)をガシッと掴み、流れるような手付きで泥を洗い落とすと、包丁で瞬く間にザク切りにしてジューサーへと放り込んだ。
「ひ、ひぃぃっ! 生きたマンドラを微塵切りに!?」
キャルルが青ざめているが、小売業において食材の鮮度は命だ。
俺は少量の水とハニーかぼちゃの蜜をジューサーに加え、スイッチを入れた。ギュイィィィン! という甲高いモーター音が店内に響き、オレンジ色の果肉があっという間に滑らかな液体へと変わっていく。
(ただの人参ジュースじゃ、この警戒心の強い村長はオトせないな。店長決裁、少しだけ経費をかけるか)
俺は脳内のシステムを開き、売上ポイントを10p消費して『 プレミア(特上)』シールを手のひらにプリントアウトした。
そして、ジューサーから注いだグラスの側面に、その黄金に輝くシールをペタリと貼り付けた。
『 プレミア(特上)』
シュワァァッ、とグラスの中の液体が、まるで内側から光を放つように鮮やかな黄金のオレンジ色へと変化した。
人参特有の青臭さが一瞬で消え去り、代わりに、大地の豊かな甘みと、もぎたての果実のような爽やかな香りが爆発的に店内に広がった。
「さあ、村長様。当店特製『生搾り・プレミア人参ジュース』です。視察の疲れを癒やしてください」
俺がカウンターにグラスをコトリと置くと、キャルルのピンと立っていたウサギの耳が、ビクゥッ! と前方に倒れ込んだ。
「な、舐めないでよね……! わ、私を買収しようとしたって無駄なんだから! だいたい、そんな怪しい色のジュース――」
キャルルはトンファーを握り直して睨みつけてきたが、その小鼻はヒクヒクと忙しなく動き、視線はグラスから一ミリも動いていない。月兎族の『人参と甘い物への絶対的な本能』が、村長としての理性を凄まじい勢いで侵食しているのだ。
「……毒見よ。村の安全を守るための、あくまで毒見なんだからね!」
キャルルは言い訳のように叫ぶと、恐る恐るグラスに口をつけた。
コクッ。
一口飲んだ瞬間、キャルルのサファイアのような瞳が、カッと見開かれた。
「――っ!?!? な、何これぇぇぇぇっ!?」
キャルルの喉が鳴り、グラスを持つ両手がガクガクと震え始めた。
「人参マンドラの嫌なエグみが一切ない!? 濃厚な甘みが舌に絡みつくのに、後味はどこまでも澄み切っていて……まるで、満月の夜に一番星の光を浴びた最高級のニンジン畑を、口いっぱいに頬張っているみたい……っ!」
ゴクゴクゴクゴクッ!
もはや村長の威厳など欠片もなく、キャルルは一息でグラスのジュースを飲み干してしまった。
「ぷはぁっ! ……あ、あぁぁ、細胞の隅々まで甘さが染み渡るぅぅ……。私、ルナキンの朝定食の人参サラダが世界一だと思ってたけど、これは次元が違うわ……」
キャルルはトンファーを床に放り出すと、とろけたような顔でカウンター席の丸椅子にへたり込んだ。特注の安全靴を履いた足が、だらしなくぶらぶらと揺れている。
「お気に召して何よりです。初回は無料のサンプル(試飲)ですが、次回からはグラス一杯につき銀貨二枚となります」
「……払う。村の経費じゃなくて、自腹の金貨で通い詰めるわ。だから店長、もう一杯ちょうだい……♡」
キャルルは完全に「胃袋を掴まれた常連客」の顔になっていた。ポケットから飴玉を取り出して転がしながら、カウンターに頬杖をついている。
「ふふっ、ハルヤ様の接客術の前には、一国の要人すらもただのお客様になってしまうのですね!」
「ガッハッハ! そりゃそうだ。俺様だって、あの豚汁一杯でこの店に魂を売ったんだからな!」
ルルナとイグニスが笑い合い、店内に平和な日常の空気が戻った。行政指導という名のピンチは、一杯のジュースによって見事にクリアされたのだ。
――だが、スーパーの業務において、客足が途絶えることはない。
カランコロン、と。本日二度目の、扉のベルが鳴った。
「いらっしゃいませ!」
俺が反射的に声を上げて振り返る。
そこに立っていたのは、泥臭い冒険者でも、ルナミス軍の兵士でもなかった。
仕立ての良すぎる漆黒のタキシードを身に纏い、顔の半分を銀色の仮面で覆った、ひどく細身の男。
その全身からは、ポポロ村ののどかな空気とは決定的に異なる、底冷えするような『禍々しい闇の魔力』がゆらゆらと立ち昇っていた。
「やあ、素晴らしい活気だね。ここが噂の『スーパー・オリハラ』かな?」
男は慇懃無礼な笑みを浮かべ、コツ、コツと革靴を鳴らして店内へと足を踏み入れた。
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