EP 12
「死蟷螂機の強襲」
焼きたてのエビの香ばしい匂いが、防壁の上にまで立ち上っていた。
キィィィィィィィィィィィンッッッッ!!!!という、脳髄を直接抉るような高周波の金属音。
雲を割って、銀色にギラつく巨大な一対の『金属のカマ』が、俺たちの頭上から音速で振り下ろされてきた。
「危ねぇッ!!」
イグニスの叫び声と同時に、俺は身体を後ろに投げ出した。
ズドォォォォンッ!! と、俺たちがさっきまで立っていた丸太の防壁が、まるで豆腐か何かのように一瞬で斜めに両断され、凄まじい木屑の爆発となって四散した。
「ギギギギギギギギギギギッッッ!!」
立ちこめる土煙を、四枚の鉄の羽が起こす猛烈な風圧が一撃で吹き飛ばす。
そこに浮遊していたのは、これまでの死蟻機とは格が違う、圧倒的な『捕食者』の威容だった。
体長は五メートルを軽く超えている。全身が鏡面のように磨き上げられた白銀の装甲で覆われ、その表面には古代の呪詛のような赤黒い魔法陣が絶え間なく明滅していた。そして、その両腕に備わった巨大な鎌の刃は、ただそこにあるだけで周囲の空気を歪ませるほどの超振動を放っている。
「ひ、うあ……っ」
ルルミス帝国軍の兵士たちが、その禍々しいプレッシャーに気圧され、次々と尻もちをついた。
「な、なんだよあいつ……! 俺たちの魔導ライフルが、掠っただけで火花を散らして弾かれやがった……!」
「あんなバケモノ、聞いてねぇぞ! 撤退だ! 撤退させてくれ!!」
前線の一ヶ月に及ぶ過酷なゲロオムレツ生活で精神を削られていた兵士たちは、ボスの圧倒的な『死のオーラ』を前に、完全に戦意を喪失していた。
「おい、ルルミス軍! 持ち場を離れるな! 『ランチェスター戦略』によれば、防衛線の崩壊は一人の逃亡から始まるんだぞッ!」
イグニスが怒鳴り散らしながら、巨大な両手斧を構えて跳躍した。背中から赤い竜の翼を広げ、上空の死蟷螂機へと正面から突撃していく。
「おらぁぁぁッ! 田舎の里を舐めんじゃねぇぞ! 『イグニス・ブレイク』!!」
空中戦。イグニスの全闘気と炎を纏った大斧が、死蟷螂機の脳頭部目掛けて一直線に振り下ろされる。
だが、死蟷螂機は冷酷な三面鏡のような複眼を僅かに光らせただけだった。
残像――。
そう錯覚するほどの超高速で、死蟷螂機の右のカマがしなった。
キィンッッ!!!
一瞬の金属音の後、イグニスの纏っていた紅蓮の炎が、まるでロウソクの火のように一瞬で掻き消された。それだけではない。竜人族の怪力で振るわれたはずの巨大な両手斧の刃が、ボスのカマの超振動刃によって『真っ二つ』に切り裂かれ、虚しく宙を舞った。
「が、はっ……!?」
死蟷螂機の左のカマの腹で強烈な一撃を食らったイグニスは、防壁の地面へと叩きつけられ、バウンドしながら激しく激突した。
「イグニス!!」
俺が駆け寄ると、イグニスは口から血を吐きながら、へし折れた斧の柄を握りしめて悶絶していた。竜人族の強靭な肉体と闘気の防御がなければ、今の一撃で胴体を両断されていただろう。
「く、そ……早すぎる、くっ……。動きが、全く見えねぇ……!」
「ギギギ、ギギッ!」
空中から、死蟷螂機が残る四枚の羽を激しく羽ばたかせ、無数の『鉄の羽の針(鋼鉄アロー)』をガトリングガンのように掃射してきた。
「ルルナ、障壁だ!!」
「は、はいっ! 『プロテクション・ウォール』!!」
ルルナが悲鳴を上げながら杖を突き出し、半透明の魔法障壁を展開する。
ドカドカドカドカドカッ!!!
凄まじい金属の雨が障壁を叩く。だが、死蟷螂機の攻撃力は高すぎた。勇者と聖女の末裔であるルルナの防御魔法が、わずか数秒でガラスのようにひび割れ、粉々に砕け散っていく。
「あぁっ……!」
ルルナがその衝撃で後ろに吹き飛ぶ。俺は彼女の身体を受け止め、そのまま地面を転がってピンポイントの鋭い針の雨を躱した。
地面に突き刺さった鉄の針は、どれも1メートル以上の長さがあり、触れただけで皮膚が切れそうなほど鋭利だ。
「ハ、ハルヤ様……ポイントは、ポイントは2500pもあるのに……!」
ルルナが涙目で、空中のシステム画面を開こうと必死に手を伸ばす。だが、画面が一瞬浮かび上がった直後、死蟷螂機が巻き起こす凄まじい突風と、次の一撃への予備動作の前に、彼女の指先が激しく震えてタップすることができない。
「だ、ダメです……! ボスの殺気が凄すぎて、ガチャの画面に集中できません! 引く前に、引く前に殺されてしまいます……!」
焦燥が戦場を支配していく。
どれほど潤沢な売上や予算(善行ポイント)を抱えていようとも、それを執行するための『時間』と『心の余裕』を完全に奪われれば、宝の持ち腐れだ。これはいわば、スーパーのレジに強盗が立てこもり、自動小銃を突きつけられている状態で「売上金の計算をしろ」と言われているようなものである。そんな余裕があるわけがない。
(……クソ。なら、俺がやるしかない。あいつに直接、あの黄色い紙切れを貼る!)
俺は脳内のシステムを稼働させ、消費ポイント0の基本業務――『半額シール』を右手に生成した。
イグニス直伝の『インファイト・ステップ』。重心を限界まで落とし、死蟷螂機の放つ圧倒的なプレッシャーの隙間を縫うようにして、俺は一気に前へと踏み込んだ。
死蟷螂機の複眼が、防壁を走る俺の姿を捉える。
右のカマが、空気を切り裂きながら横一文字に払われた。
(……ここだ。お前の目線と、肩の傾きから割り出す――左斜め上からの超巨大クレーム(斬撃)!)
シュッ!
俺は首を限界まで畳み込み、頭上を通過するカマの刃を数ミリの差で躱した。超振動の風圧で、スーパーの制服の肩口がピシッと裂け、血が滲む。だが、体躯は死んでいない。
躱した勢いのまま、俺は死蟷螂機の懐、その白銀の胸部装甲の目の前へと肉薄した。
右手の半額シールを突き出す。これを貼れば、このバケモノの速度も、攻撃力も、すべて半分に値引きできる――!
だが、そのシールの粘着面が、ボスの装甲に触れる寸前。
カチ、と不気味な機械音が鳴った。
「――っ!?」
死蟷螂機の胸部装甲が突如として左右に展開し、その中から、本来の二本のカマとは別の、隠された第三・第四の『小型の副腕』が飛び出してきたのだ。
その細く鋭い鉄の爪が、シールを貼ろうとしていた俺の右腕のプロテクト(手首)を、容赦なくガチリと掴み取った。
「ギギギ、ギギギッ!」
死蟷螂機が、まるでお前の戦術(シールの弱点)など最初から見切っていたと言わんばかりに、下劣な機械の嘲笑を漏らした。
(しまっ――直接シールを貼らなきゃいけないから、途中でこうやって攻撃を受けたり、間合いの外から妨害されたら……完全にアウト(詰み)だ……!)
ユニークスキル『半額シール』の、致命的な弱点が完全に露呈した。
右腕を掴まれ、身動きが取れなくなった俺の眼前で、死蟷螂機がへし折れたイグニスの大斧をあざ笑うかのように、残る巨大な左のカマをゆっくりと持ち上げた。
超振動する白銀の刃が、俺の脳天を正確に引き裂くために、容赦なく振り下ろされようとしていた。
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