EP 10
「不穏な影。天魔窟からの這い寄る羽音」
のどかなポポロ村を包んでいた爽やかな朝の空気が、一瞬にして鉛のように重くなった。
ジジジ……ギギギギギ……という、何万匹もの金属の羽が擦れ合うような冒涜的な轟音。
東の森の向こうから、太陽の光を完全に遮るほどの巨大な『黒い雲』が、すさまじい速度で村へと這い寄ってきた。
「ハルヤ! ルルナ! 冗談抜きで街が、いや世界が滅びるかもしれねぇドス……じゃなくて、滅びるかもしれねぇぞッ!!」
見回りを終えたばかりのイグニスが、自警団の腕章を大きく揺らし、大粒の汗を流しながらスーパー折原の店内に飛び込んできた。その屈強な竜人の顔は、かつてない死の恐怖に青ざめている。
「イグニス、落ち着け。お客様の前で取り乱すなといつも言っているだろ。一体何があったんだ?」
「落ち着いてられるか! 門の外の森を見てみろ! 木も、草も、土壌の魔力すらも、全部『喰われて』砂漠になっちまってるんだ!」
俺とルルナは慌てて店の外へ飛び出し、村の防壁の上へと駆け上がった。
そこで目にした光景に、俺は息を呑んだ。
さっきまで青々と茂っていたはずの豊かなポポロの森が、見る影もなく茶褐色の荒野へと変貌していた。それだけではない。その荒野の先から、不気味に節くれ立った金属質の脚を持ち、背中から鉄の羽を生やした、おぞましい巨大な機械の蟲たちが津波のように押し寄せてきていたのだ。
「う、嘘……。あれは、古代の『神蟲魔大戦』の記録に眠る、死蟲王サルバロスの眷属……『死蟲機』の群れです……!」
ルルナが杖を握りしめたまま、ガタガタと膝を震わせた。
「なぜ、天魔窟の奥深くに封印されていたはずの蟲たちが、こんな辺境の村に……。神様、ルチアナ様、お助けください……!」
ルルナが絶望に祈りを捧げる中、黒い雲の先頭集団――十数匹の巨大な『死蟻機』と『死蝿機』が、村の防壁を越えて一気にポポロ村へと侵入してきた。
体長は二メートル近くあり、全身が黒光りする頑強な装甲で覆われている。鋭い大顎がガチガチと音を立て、ノズル状の口先から緑色の強力な酸の液体を撒き散らしていた。その酸が触れた民家の屋根が、一瞬でジュウジュウと煙を上げて溶けていく。
「ぎゃああああ! 虫だ! 鉄の虫が出たぞォォォ!」
「自警団! 早く助けてくれぇぇ!」
村中がパニックに陥り、悲鳴が木霊する。
その時、一匹の死蟻機が、あろうことか俺たちの『スーパー折原』の真新しい看板を見つけ、その大顎で噛み砕こうと迫っていった。
「……あいつ、何してくれてんだ」
俺の額に、ピキッと青筋が浮かび上がった。
開店したばかりの俺の城。イグニスが棚を運び、ルルナが毎日ドブ掃除をして稼いだポイントで整えた、俺たちの店だ。本社の理不尽な命令ならともかく、どこの馬の骨とも知れぬ、いや、どこの節足動物とも知れぬ不良在庫の分際に、俺の大切な店舗(資産)を傷つけられてたまるか。
「イグニス、ルルナ! 業務開始(戦闘配置)だ! 当店の大切な財産と、お客様の安全を死守するぞ!」
「お、おうよ! 『失敗の本質』によれば、初戦の遅れは戦局すべての崩壊を招く! 俺様が局地戦の火力を見せてやるぜ!」
イグニスが咆哮し、巨大な両手斧を構えて防壁から飛び降りた。
ドガァンッ! と凄まじい衝撃波と共に地面に着地したイグニスは、迫りくる死蟻機の一匹に向けて斧を振り下ろした。
「おらぁぁぁ! 『イグニス・ブレイク』!!」
全闘気を込めた一撃。しかし、火花が激しく散っただけで、死蟻機の頑強な金属装甲には小さな傷がついたのみだった。逆に、そのすさまじい反動でイグニスの腕が痺れ、斧が弾き返される。
「な、何だと!? 俺様の全力の一撃が、ただの斥候の装甲に防がれただと!?」
「ギギギギギ!」
死蟻機が鋭い大顎を突き出し、体勢を崩したイグニスの胸元へと襲いかかる。
「お客様、当店は割り込み乗車、および強引な突撃は固くお断りしております!!」
俺は『インファイト・ステップ』を始動した。
イグニスに鍛え直されたステップは、ゴブリンの時とは次元が違う速度を誇る。死蟻機の放つ緑色の酸の軌道を、紙一重の数ミリの差で滑るように躱しながら、奴の無骨な金属質の腹部へと潜り込んだ。
手のひらに『半額シール』を生成し、その硬質な胴体に『ペタリ』と貼り付ける。
『 半額』
「ギギッ……!?」
シールが貼られた瞬間、死蟻機の全身の金属装甲が、まるでプラスチックのようにペコペコと柔らかく萎んでいった。奴の放っていた禍々しい魔力の出力が、強制的に『半分』にまで暴落したのだ。
「イグニス、今だ! その不良品の首を撥ねろ!」
「応よっ! 感謝するぜ店長ォォォ!!」
超加速したイグニスが大斧を横一文字に払い去る。装甲の価値が半減していた死蟻機の首は、今度はバターをナイフで切るかのように実にあっさりと切断され、緑色の火花を散らしながら地面に転がった。
「ルルナ、上だ! 蝿を落とせ!」
「はいっ! 悪行を働く不届き者め、神の光に跪きなさい! 『ホーリー・バレット』!!」
ルルナの杖から放たれた神聖な魔力の弾丸が、空中の死蝿機の羽を正確に打ち抜いた。半額シールによる全体のデバフが連鎖していたのか、死蝿機はバランスを崩して無様に地面へと激突し、爆発炎上した。
俺とイグニスのインファイト連携、そしてルルナの後方支援により、村に侵入した十数匹の斥候部隊は、わずか数分で全て機能停止に追い込まれた。
転がる鉄の蟲たちの残骸。
俺は息を整えながら、切り落とされた死蟻機の胴体に近づき、その断面をじっと見つめた。
金属と機械でできた魔物のはずなのに、傷口から漏れ出しているのは、どこか透明感のある美しい体液。そして、その断面から漂ってきたのは――。
(……待て。この匂い、どこかで……)
クンクン、と鼻を動かす。
それは、前の世界で何千、何万匹と揚げてきた、あの海の恵み。
生臭さは一切なく、熱を通しただけで極上の甘みへと変わる、そう――『高級なエビ』の茹で上がった瞬間の、あまりにも芳醇な香りと完全に一致していた。
「……ハルヤ、どうしたんだ? そんな鉄の塊をじっと見つめてよ」
イグニスが不思議そうに覗き込んでくる。
「イグニス、ルルナ。ちょっとこの残骸を店のバックヤード(調理場)に運んでくれ。至急、検品(調理実験)の必要がある」
「ええっ!? こんな不気味な蟲の死骸をですか!?」
ルルナが嫌そうな顔をするが、元惣菜部チーフの直感が、俺の脳内で激しく警報を鳴らしていた。
もし、この世界を滅ぼそうとしている恐怖の機械蟲たちが、すべて『極上のエビ(食材)』だとしたら。
うちの店の青果コーナー(メロロン)に続き、惣菜コーナー(高級エビフライ)の大革命が起きる。
だが、俺たちが残骸を回収しようとした、まさにその瞬間だった。
地平線の彼方、東の空が、今度は本物の『漆黒』に染まった。
ジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジッッッ!!!!!!!
先ほどの斥候部隊など、ただの水滴に過ぎない。
天を埋め尽くすほどの、数百万、数千万匹に及ぶ『死蟲機の大軍(本隊)』が、ポポロ村を完全に消し去るために、大津波となって地平線から這い寄ってきたのだった。
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