為政者
朝食はパンとソーセージ、スープといった、平凡なメニューであり、もしこれが当主によって作られた物でなかったらなんの感慨も抱かなかっただろう、味も悪く言えば平凡、よく言えば普通にうまい、くらいであった。フリートヘルムはおそらく生まれ初めて食事について考えていた。今までの人生で食事は供出されて当たり前の物で、自分で作るという概念が根本から欠如していたのである。もっとも、彼を弁護するのであれば、ユリアーヌス等もほぼ同じ概念で生きてきていたので、彼自身が特殊とは言い難いのが貴族の社会であった。
ソーセージを焼く、これならできそうだと思ったが、やはり火を興す等の概念までは辿り着かず、実際にやらせてみれば右往左往したことであろう。パンを焼く、考え出してまるで分らない自分に気づいた。スープを作る、水の中に色々入れて煮る?何をどのくらい入れるんだ?彼はそこで考えることを止めた。しかし、意を決して尋ね始めた、
「レイヴン卿、料理の腕前感服いたしました、されど、我々に必要なのはこういう事ではないのではないのかかと考えます。料理人を使役し、優れていたなら褒美を与える、使用人の仕事を奪うのは時によりては罪悪となり、我々が目指すのは領民の安定、生活の向上などであり、決して料理の腕を上げる事ではないと考えます。」
「ええ、そうでしょうね、おっしゃるとおりかと」
テオドールの言葉に馬鹿にするような意図も茶化すような意図もなかったし、それはフリートヘルムも感じられた、故に重ねて問いかけた、
「でしたら、卿の行動はいささか間違っているとは思われませんか?」
「料理は必要に迫られてできるようになっただけの事で、これ以上研究しようとは思っていません、行政官としての能力なら、私より遥かに優秀な人材が二人も協力してくれるので、この小さな村一つなら余裕でおつりが来ますよ。」
「部下に任せきりというのもどうかとは思いませんか?」
「部下ではなく妻です、むしろ前線で戦う、後ろを守るのは妻の役目ですので、ちょうどいいと思うのですよね。」
相も変わらずフリートヘルムにとっては、微妙にずれた回答ではあったが、少しだけ見えてきた気もした、家内の差配などこそ妻の仕事であり、行政官としての仕事は夫の仕事である、との認識であったが、領地規模が大きく異なる家、特に小さな家においては、そこまでの区分分けに意味がなされないであろう事を実感的に理解した。ただ、続いての言葉には微妙な顔をせざるを得なかった、
「まあ、たまには今回みたいに息抜きというか、派手に発散するのもいいのではないかと思いますからね。そういう時くらい代わって上げられればいいかと・・・・」
『限度がある!』そう思ったが、自分の妹の行状でもあるだけに、あまり強く言えなった。
頭がガンガンと痛み、嘔吐感もひどかった、朝目が覚めてみると、酷い状態だった、自分が軽蔑して已まない酔っ払いになってしまったのかと思うと自嘲的な笑いが洩れた。「酒を買ってこい」といっても金は渡されず、体と引き換えに分けてもらった酒を飲みながら「安酒だ!」と罵り、時には暴力までふるう。酒飲みを軽蔑していた、あんなもん飲むものかと思っていたが、勧められて皆と飲む酒はうまかった、飲み慣れない物をガンガン飲み醜態をさらす、思い出すと顔が赤くなってきた。
よくよく窓を見るとかなり明るい事に気付き青くなった。嘔吐感も頭痛もひどいものであったが、立ち上がり、着替えようとすると、丁度ノックがった。彼女は泣きたくなった、大失態もいいところだ、せめてアルマであるなら泣いて謝って許してもらおうと思っていると、入ってきたのはエレーナだった、一瞬能面のような無表情になった後で床にひれ伏して許しを乞うた。そんな彼女を尻目に、笑いながらエレーナが言う、
「みんなダウンしてるのよ、私もけっこうキツイものがあってね、今日はみんなでお休みにしましょう」
彼女は耳を疑った、もし父なら気絶するまで殴る蹴るの暴行を受けただろう、小声で「すいません」と言うのが精いっぱいだった、するとエレーナが付け加えるようにクスリと笑いながら言った、
「あれだけ飲むとつらいと思って持って来たわ、飲むとすっきりするわよ。今日はこれでも飲んで一日ゆっくりしてなさいね、軍師様。」
手には湯気が立ったコップを持っており、エレーナはそれを置くと静かに出て行った。言われて、昨日戦術について熱弁を奮っていたのを思い出し真っ赤になった。
とりあえず、落ち着くために飲んでみるとハチミツと柑橘類をお湯で割った飲み物だった、ハチミツなど高価で、ここに来るまで一度も舐めた事はなかった、今の境遇に立ち冷静に見れば見るほど、疑問が湧いてくる、『何故以前はあの境遇から逃げ出さなかったのだろうか?』と。
決して鎖で縛られているわけではなかった、行くあてなどなくても、非合法の娼館などなら、雇ってくれたかもしれない。父親に対する愛情など最初からなかった気がする、ただただ母が言った『勝利すれば認めてもらえる』という言葉をある時期までは信じていた、それゆえに父の書斎に掃除名目で入り、レギナントの戦術を自分なりに理解しようとした、失敗した攻略作戦をどうすれば成功できるのかを自分なりに考えてもみた、いつからか戦う事に自分も妄執していたのかもしれない、そんな風にも考えてしまう。もし客観的な視点を持てていたら、まったく違った未来はあっただろう、ただしその場合はよくて場末の娼婦に終わっていたかもしれないが。そんな事を考えながら、再び襲ってきた嘔吐感に対し、ハチミツを吐き出したくないが故の抵抗戦争は続いた。
エレーナは部屋を辞すと、微妙に痛む頭で自分に対し若干の嫌悪感を抱いた、ゲルトラウデがどういう娘であるか分かってしまうが故にそれに沿う対処法をとっている。
つい先日まで攻めていた敵を屋敷内に置くことに若干の抵抗を持っていた、しかし、『あそこまでされてギリギリまで裏切る事をしない、そんな彼女の本質は忠犬よ、大事にすればたとえどんな非情な命令でも笑って遂行するでしょうね』、というユリアーヌスの言葉で屋敷内で共に生活することとなった、この意見にはヒルデガルドも賛同しており、あの二人のそういった気質がどうも好きになれなった。不憫に思いそれを助命するまでは異論はなかった、しかしそこからさらに手駒として使う考え方に、心と理を分けて考える為政者の姿を見て、元々貧乏騎士の娘であったエレーナは少し薄寒いものを感じた。
それでもその方針にのるかのように彼女に親切に接する自分に嫌悪感を抱いてしまっていた。
「私だけは少なくとも見方でいてやりたい。」
彼女はポツリとつぶやいていた。




