頭痛
吞み過ぎた朝特有の頭痛と気持ち悪さの中で目を覚ますともう日はかなり高くなっているのか明るくなっていた、自分の今置かれている現状をゆっくり思い出すように整理すると、今日からここでしばらく生活する事を思い出し、若干憂鬱な気分になって来る、この空腹を覚えたが、部屋で待っていても埒が明かないであろう事が予想できたので、部屋を出て見知った顔を探す。他の泊り客も出発する者は早い時間に出発しているため宿は閑散とした雰囲気であった。
入り口のところに行くとマレーヌがおり、アストリッドが起きてきたのを見つけ小さくため息を吐いた、その顔には呆れの色がありありと浮かんでいた。
「軽く腹に何か入れたらさっそく始めるかい?」
「ああ、頼む」
冗談や嫌味もなく非常に事務的な印象を受ける物言いであった、余計な事には関わりたくないと言わんばかりの態度に思えるどの様子に昨晩とは違った違和感を覚えた。
用意された、黒パンと水の質素なものであったが、特に上質な食事など出てこない事は予想できていたので特に問題とは感じず黙々と食べていると、その様子を見たマレーヌはまたも小さくため息を吐いた。
「すまん、なにか言いたいことがあったら言ってくれんか、気になる」
「呆れてものが言えないって言うのはこういう事だって人生で初めて実感してるんだよ」
「だから何をだ?」
「覚えてないのかい?」
昨晩、話の途中で剣士としての在り方を問いかけるくらいまでは覚えており、弟子の育成というのなら少し前向きに考えようかと思っていたが、その後はあやふやでよく覚えていなかった、もしかしたら何か言うかやるかしてしまったのだろうか?この女主人がここまで匙を投げるかのような態度をとるほどの何をしてしまったのだろうかと急に心配になってきてしまった。
「覚えてないようだね、一応あんたの主なんだろ?それに向かって、生理的に無理、キモイ、死んでほしい、チビ、猿顔、なんて言葉を連呼するのはどうなのかねぇ、あいつ泣いてたよ」
かなり誇張されたマレーヌの言葉を聞くと、さすがのアストリッドも青くなってしまった、どう考えても主に言っていい言葉ではない、冗談の範疇を軽く超えている。
すぐに立ち上がり駆けだそうとすると、後ろから鋭く呼び止められた。
「どこに行くんだい?」
「すぐに謝ってくる!いかな罰でも受ける覚悟だ!」
「はぁ~分かってないねぇ、ちょっとついといで」
言われて歩き出すマレーヌについて行く、やはり彼女としても誰かの助言が欲しいと思えてしまうようなそこまで致命的な罵詈雑言を投げかけてしまったという自覚が生じていた。
一室に入り、水を提供した上でマレーヌは徐に話始めた。
「直接会った事はないんだけど、あんたは村で暮らしてたんだからアルマって娘を知ってるね?もし村の男が、あんな化物娘生理的に無理だね、って言ってたらどうする?」
「あの娘は子供らを守ろうとして傷を負ったと聞いている、その立派な行動を愚弄するような輩には罰を与えるのが妥当と考える」
その時点で、鈍いアストリッドにもマレーヌの言いたいことはほぼ全て予想が付いてしまっていた。その表情を読み取るように、マレーヌは続ける。
「気付いたようだね、仮に誠心誠意謝るって言っても言われた方はどう思うと思う?どうせ腹の中では俺の事そう思ってるんだろ、って死ぬまで根に持つだろうねぇ」
返す言葉もなかった、絶対に表面で謝罪しても心の中では馬鹿にしているだろうと、そう思われても仕方のない事を言ってしまったという自覚はあった。
「今回の騒動が済んだら余所に行ったらどうだい?このまま気まずい関係を続けるくらいならいっそ余所でやり直した方がいいんじゃないのかい?」
その言葉を聞くと俯いて考え込むようだったがポツリと呟いた。
「それはしたくない、テオドールは少なくとも見た目以外はかなりいい君主と言えると思っている、あれ以上の人物がいないとは思わないが、少ないとは思える」
ここまで来てまだ見た目の事を言うのかよ、と少しさらに呆れもしたが、少なくとも業績面に関しては認めてるんだねぇ、と少しだけ安心感を得ていた。
殊更話を大げさに伝えたのも、悪意や悪戯心ではなかった、この主従の進む未来があまり明るいものではなく、このまま勧めが間違いなくどこかで破綻をきたし、その破綻は後になればなるほど大きく取り返しのつかないものである事が予想できただけに、ここで道をできるだけ穏便な形で違えた方がお互いの為になるとの考えからであった。
「マレーヌ殿、どうすればいいだろうか?」
「あんたじゃ無理だよ、もし私が街角の娼婦と同じことをして見せろって言ったらどうする?無礼者!って言って剣を抜くんじゃないのかい?私達みたいなのはね、生きるためにプライドなんて綺麗サッパリ捨て去る覚悟を決めてるもんなんだよ、そんな連中に聞いても参考になんかなりゃしないよ」
返す言葉もなかった、もし軽はずみに『なんでもする』などと言ったとしても、今日から娼婦のように客を取れと言われたら、間違いなく剣を抜いていたという自覚はあった、しかし実際に自分の行動は数々の暴言と合わせてすでに数回縛り首にされていても不思議ではないという自覚も持っていた、噂を信じて鬼畜と罵った最初の出会いから始まり、酔った勢いで生理的に受け付けないと言った事を考えれば、出奔が最も妥当な選択肢であるのは明白な気さえする。
「あんた、碌に男を知らないんじゃないのかい?」
唐突に聞かれた質問に面喰い何も言えないでいると、マレーヌは更に続けてた。
「ここで、別に客を取れとは言わないけど、ここで少し男ってものを研究しな、ただし私の命令には従ってもらうよ、いいかい?」
「かたじけない!」
犬に芸を仕込むのとどちらが簡単であろうか?そんな事を考え思わずため息が出てしまった。
意気揚々と街を行くルヨであったが、半分以上空元気であった、極めて難易度が高そうな任務であり、渡された銀貨の袋以上にその任務は重い事を理解していた、同行するクラウス、ラルス、フリーダにしろ、その任務内容は未知数のもので、どうしても旅慣れて世事に通じたフリーダに期待が持たれるところであった。
本来であれば正規の密偵を使いたいところであったが、事が事であるだけに内々で処理したい内容であり、しかも現状の勢力範囲から大きく離れての場所での行動が要求されるため、その方面に急に割り振る人員がいないと言うかなり切迫した事情もあっての事であった。
「フリーダさんもあんまり、あっちは行ったことないんだよな?」
「ええ、南東方面の方はわりと詳しいのですが、南西方面はやたら細々と関所や税金で煩いんであんまり行かないんですよね」
もう少し細かく聞きたい事もあったが、旦那のいる前で過去の仕事に纏わる話を聞くとどんな地雷が埋まっているか分らず、聞けないでいたが、そのあたりの計画はテオドール達と済ませており、自分の仕事は別の所にある事を理解していたが、未知の相手と勝手の違う場所で交渉を持つなど、胃が痛い思いがしてきた。
「テオもさぁ、元々は農夫としてやってたのをいきなり偉え連中と色々やらなきゃならなくなって苦労したんだろうなぁ」
「王都の中でテオはまずいだろう、聞いてる人間が居たら厄介な事になりかねんぞ」
ルヨの軽い発言にラルスが注意するが、言っている事は分るし、その気持ちも分るだけにあまり強く注意しようとも思わない。クラウスなどは事情は聞いて知っているが、領主と農民の距離がここまで近い話は聞いた事がなく移住してきた当初は違和感しかなかったが、流石に慣れてきていた。
「まぁ、恩も義理も義務も全部十分過ぎるほど揃ってるんだから、気張って行こうじゃないの」
フリーダの一言に一同は頷きまずは目的地のマレーヌの宿を目指した、そしてその日の内に王都を出発し、未知数な旅へと出発して行った。




