それぞれの動き
使者からの報告を皇帝クサヴァー・フォン・クブルスプはたいして興味なさそうに、聞いていた。この老人にとって現在の楽しみと言えるものは芸術くらいのものであり、領土の拡張にはそれほどの歓心はなかった、しかし元国王が僅かな供回りのみで訪れ国を譲る旨の内容を言い、重臣一同がそれを好機と捉えたのであれば、殊更反対するつもりもなかった。重臣達は一戦もありうるが抵抗しようと最後は勝利できる事を強く主張しており、主張以上に簡単に事が運んでいる事は喜ばしい事実である事に異論もなかった。
「ああ、何と言ったかな、あの若い亡命して来た・・・」
「フェルディナント・フォン・ベルンシュタインの事でしょうか?」
「ああ、確かそんな名前だったかな、呼んでまいれ、いや、やはりいい、先ほどの報告をしてやれ、国をそっくり得た暁には一部を下賜し、公国を名乗る事を許可するとな」
「はっ!」
部下が返事と共にいなくなる時にはすでにその事はどうでもいい事として忘却の彼方に消え去ろうとしていた、テオドール達にとって死活問題でも、クサヴァーにとって夕食のメニューより軽い問題である事を彼らが知ればどのような反応を示すかは、あまり想像したくない事であった。
使者からの報告を受けると、その予想通りの報告に少し安堵の感情を抱いた。テオドールであれば、絶対に突っぱねず受け入れる、そんな確信に近い物を持っていた、しかし受け入れると言うのはあくまで表面的で、絶対に裏を持っている、その裏を完全に読み切ってこそ初めて確実な勝利へとつながる、それがフェルディナントの考えであった。
「ここまでは予想通りみたいですが、本当に口説き落とせるんですか?」
ゼルマンは絶対の信頼を寄せているわけでもないため、若干の不信感を持っての発言であったが、これまでの経緯でも度々不満を漏らしていた、元々は成功率の低い賭けであり、全てが綱渡りに近いと言う事を本当の意味では理解しきれていないので、フェルディナントにしてもあまり気にすることなく流すようにしていた、一々気にして説明していたらきりが無くなりそうであったから。
「出立の準備だ」
次の策を実行に移すべく、その頭はどのルートが最短最適であるかを必死に考え出していた。
国境からの報せで皇帝からの使者が訪れたという報告を聞いた時は何が何やら分からなかったが、理由や仕組みを聞き、その内容がほぼ想定できていれば慌てるほどの事ではなかった、使者を迎え入れ、国を明け渡す旨に同意する流れは粛々と進んで行った、しかし使者を迎えるその席にどころかオレンボーにはすでにテオドールはおらず、その行方は一部以外には完全に伏せられていた。
「あの~本当によろしいんですか?代わりませんか?」
御者台の上で手綱を握るアストリッドの横に居心地悪そうに座るエトヴァンが速足で並走するテオドールに話しかける。心底済まなそうな表情が見て取れ、若干周りの笑いを誘っていた。
「いいんですよ、小規模商店の店主の役ですから案外似合ってますしね」
小規模商店の行商一向に化けたテオドール一行も皇帝の使者がオレンボーに到着するより早く、オレンボーを出立し、早くも動き出していた。徒歩で馬車と共に行くメンバーも侯爵旗下、伯爵旗下、近衛騎士のなかでも指折り数えるほどの手練ればかりを揃えた故に、今までより遥かに緊張の度合いも増していた、隠密行動もあるゆえアルメ村の住人も10名ほど参加していたが、手練れの騎士達とは商人の護衛や丁稚に化けていてもあきらかに発する気配が違う気がしていた。
伯爵領最前線手前のマヨーアに到着するまでは比較的のんびりとした移動になったが、ここからが本番とばかりに気合も入り、ここから先はしばらく野宿になるのでしっかりと英気を養う意味での最後の休息をとる事になっていた。
ゲルトラウデにとって戦役の発生ははテオドールをしばらく独占できるのでその点に関しては大変心躍るものがあった、いつもは遠慮もあるが遠征先では誰にも遠慮はいらないし、公認を与えたヒルデガルドの目もないため、非常に心理的にも気楽な思いだった、しかし野営中や野宿の最中は流石に他の目もあり、しかも指揮官ばかりが自由にやっているのでは示しがつかないという理由でどうしても宿に泊まった時くらいしか同衾する機会は得られなかった。またしばらくは屋外での野宿が続くので今夜は遅くまで可愛がってもらおうと少しウキウキとした戦場に向かうのとは程遠い気分でテオドールの寝室を訊ねようとしていると、扉をノックする音が聞こえた。
待ちきれずに訪ねてきたのだろうか?そんな期待を持って扉を開けるとそこにいたのは嫌いな女ワースト1のデフェンディングチャンピオンであるアストリッドだった。一気にテンションが下がり露骨に顔に嫌な気分が出たが、特に隠そうともしなかった。
「何か用ですか?」
露骨に嫌な顔をされ、流石にひるんだが、ここから先はあまりプライベートな事も出来なくなるだけに、意を決したように話始めた。
「少しいいかな?ゆっくり話がしたいと思ってな」
『嫌です!』そう答えたい衝動をギリギリのところで我慢して「どうぞ」と招き入れると、一応水を出すだけはしておいた。どうせ正義の所在とかそういったどうでもいい話でもし出すのだろうと若干うんざりとした気分でいると彼女の口から発せられた言葉はゲルトラウデの予想を大きく裏切るものであった。
「男女の仲とはどういったものなのであろうか?」
ゲルトラウデには質問の意図がまるで読めなかった、アストリッドの今までの言動から最も遠く離れた言葉のようにしか聞こえてこなかったのだから当然と言えば当然であるが、あまりにも違和感があり過ぎて、裏を疑いたくなる気さえした。
「誰か気になる方でもいらっしゃるんですか?仲を取り持てと言うのであれば出来る範囲で協力しますよ?」
「いや、特にそういうのではない、しばらく娼館で下働きのような事をしていると毎日毎日そんなことばかりでな男女の裏側を見ていると、色々と疑問が沸いてくるんだ」
ゲルトラウデはテオドールとも相談して今度の策についてはほぼ全容を知っていた、当然のようにこの策の重要なキーパーソンとしてアストリッドの存在は欠かせないものであり、その策の成就のためにわざわざ娼館にしばらく預けていた事も当然のように知っていた。だからこそだいたい読めた気がした、娼館で身を売る女達は好き好んで売っているわけではないが、イヤイヤな素振りを見せれば相手も喜ばず結局は自分の首を絞める事になるのは目に見えていた、だからこそ嘘でも相手を喜ばせる努力を惜しまず自分も喜んでいる振りをするのが日常的に繰り返されていたのだろうと、その舞台裏を見せられれば男を知らないアストリッドなど若干の男女間の恋愛不信にでも陥ったのだろうと予想がついた。
「人間だって動物とたいして変わらないんですから、本能的に発散の場所を求めてるってだけなんじゃないんですか?獣みたいな連中に玩具のように扱われた私が言うんだから間違いないですよ、嘘だと思うならご自分でもそういった体験をされてみたらいかがですか?」
かなり嫌味や毒を孕んだ内容であったが、彼女にすれば恵まれた人生を歩んできたお嬢様の戯言のようにしか聞こえなかった、選択肢がいくらでもある人生と違い最悪か超最悪しか選ぶ選択肢が用意されていないような人生を歩んできた彼女には反吐がでるほどの甘さに思えて仕方なかった。
「テオドール様のどこがよかったのだ?」
「少なくとも大事にしてくれています、それで十分ではないんですか?」
最低ラインの基準が違いすぎるのだった、ゲルトラウデが欲しがった物などアストリッドは最初から当然のように持っており、そんな物は持っていて当たり前のものであり、それを望んでも持ちえない者達の方が多いという現実を若干分かっていない節すらあった。
「別にいいんじゃないですか?男なんて知らなくたってイゾルデさんみたいに独りで生きて行くのだって悪くないと思いますよ、剣士としては皆頼りにしているんですし」
「そこなんだ、嘘にまみれたような世界であっても、見受けされてそこそこの幸せを手にした女達の話を聞くと真実というものが分らなくなってしまったんだ」
「相変わらずバカですね、さっき言いましたよね?何も持っていない者は少し優しくされればコロッと行く事がありますよ、たとえ嘘でもその嘘にすがりたい、そんな感情が沸いてくることもあるんです、男達に名碌に飲み食いもさせてもらえず玩具にされ続けた後で差し出された、一杯の温かいスープでその人がいい人に一瞬思えるくらいにね」
話していると、思い出されて気分が悪くなってくるゲルトラウデと同様に、アストリッドも目の前の娘が自分の想像以上に酷い境遇にいた事を改めて思い知らされ、非常に気まずい気分になってしまった。
しかし、男の側の気分がどうもよく分からない、そこはゲルトラウデも女であるが故に説明が限界に達している事も考えられたが、テオドールはいったい何を考えてゲルトラウデを大事にしているのであろうか?恋愛的な感情なのか同情的な感情なのだろうか?本人に聞いても回答が返ってくるとは思えず、やはり少し消化不良気味な気分になっていた。
「テオドール様が私をどう思っているかなんてどうでもいいんです、私が今の私でいられる場所を提供してくれただけでおつりがきます、だから死ねと言われれば笑って死ねますよ」
彼女の疑問を察したように続けたが、やはり若干納得いかない思いを抱えていた。
「別にそんなこと言う気はないけどね」
一瞬ドキッとするような予期せぬ言葉と共にテオドールが来訪してきたのだった、きちんと宿泊できる最後の晩だし、ゲルトラウデと閨を共にしようと、訪れると中々入るに入れないような話をしており、立ち聞きしてしまうような形になってしまった。
「男女間の問題なんて完璧な回答出るはずもないんじゃないかな?実際金や地位に余裕のある貴族連中なんて多数の愛妾を抱えてたりするのも普通だしね、何が疑問なの?」
言われると、言葉に詰まってしまう、何が疑問なのか?そう問われると言語化して表現できるような疑問はない気もする、非常に曖昧な感覚で理解が及ばないそういった感性に近かった。
「娼館で男女の営みを覗き見してムラムラしてるだけなんじゃないですか?いやらしい」
ゲルトラウデはどこまでもアストリッドに辛辣だったが、返って来た返答は予期せぬものであった。
「そうかもしれないな」
さすがにテオドールもゲルトラウデもその回答にはギョッとしてしまった、まさかアストリッドからそんな回答が返ってくるとは露ほども考えていなかっただけにその回答には驚かされた。
「なら、だれかいい人でも誘ってみたらいかがですか?あなたが誘えば大抵のはついて行くんじゃないですか?」
テオドールの腕に自分の腕を絡めるようにしっかりとキープする姿勢を保ちながらゲルトラウデは言い放つが、アストリッドの解答は若干乾いたような返答であった。
「いや、一人ゆっくりと休ませてもらう、邪魔をして悪かったな」
フラリと立ち去るアストリッドの退出を認めると、グイグイと引っ張るようにテオドールをベットへと引きづり込んでいった、その目は絶対に渡さないという決意に燃えているかのようであった。




