幸せの形
その報告書を見る目はどこまでも冷たい物であった。最初から配置しておいた使用人達を追い出す事無く使い続けるが、厨房には自ら立ち、外部との接触はほとんどなく新規での召し抱えは家督を譲り引退した人物二名のみ。その行動だけ見れば保身しか考えていない人物に写る。
「そなたの目にレイヴン卿はどう写ったのだ?」
今まで何度も問われてきた質問であった、しかも問われるようになってからはテオドールとの接触は全くなくなっていたため、そこからさらに踏み込んだ回答など出せるはずもなかった。
「世間の噂とは違いますが下々の者とも分け隔てなく接するその姿勢から村の者達は皆主の為なら笑って死ねるような者達ばかりです、人心掌握は一朝一夕に成るものではなく日々の積み重ねから形成されていくものかと」
その回答はフェルディナントを満足させるものであった、今回の報告で最も目を引いたのは自ら厨房に立ち使用人の分まで調理を行っている点であった、名目では常在戦場の気構えを忘れぬためと言っているようであるが、毒殺対策と人心掌握が真の目的であると言う方がよほどしっくりくる話であった。
当初は村でのテオドールの様子を探る目的で呼び寄せた女であったが、話を聞くと非常に興味深い観察を行っていた。なによりその野心的な目は非常に計算しやすい物であった、宮廷貴族の娘のように王の愛妾狙い、ひいては子を生せば一生の安泰と場合によっては国母としての地位が得られる、そんな野心に満ち溢れた目をしていた。伽を命じれば嬉々として寝室を訪れ、自分に対してのみ忠誠を誓う旨を宣誓までして見せた。
彼女にも彼女なりの言い分はあった、テオドールに恨みがあるわけではないが、特別な恩義も感じておらず、その点では自分をより評価してくれるであろうフェルディナントに忠誠を誓うのは当然の流れであるように考えていた。彼女が持つテオドールに関する知識とフェルディナントの憶測には大きな乖離がある点が多々見受けられたが、彼女は常にフェルディナントの満足する回答を出し、彼のお気に入りとなって行った。
「反乱や息子を玉座に就けんとする気はあると思うか?」
「今はまだないと思われます」
何度同じような会話をした事か分からないが、彼女はテオドールがそんな気持ちを欠片もない事を薄々感じていた、しかしそう言っても不興を買うだけなので、『今は』という言い方でお茶を濁しておいた。実際に現状いくら叩いたところで謀反の証拠などなく、徒に溝を広げるだけなのだからこれが最適解であった、実際にヴァレンティン侯爵はあの男にそういった野心はないと何度もハッキリ言いすぎて若干敬遠されるようになってしまったのだから。
アラベラの目には自分の玉座に固執し、疑わなくてもいい者まで疑うフェルディナントを見ていると、『小物』という言葉すら浮かんできてしまった、憧れていた王座のすぐ側に現在辿り着いてみたが、その場所がひどくつまらない場所に思えると同時に、そんなつまらない男からその椅子を奪い、我が子をその椅子に座らせるにはどうすればいいのだろうか?そんな事を考えながら、王の前では王の忠臣を、エルナの前ではエルナの良き侍女を演じ続ける彼女は傍目にはどこから見ても忠実な侍女であり続けた。
綺麗な牢獄、そんな言葉が最も似つかわしいのはこの場所ではないだろうか?エルナはそんな事を考えてしまった、長姉エレンの結婚に端を発した騒動で最終的に最も割を喰ったのはエルナだったかもしれない、一見すれば王の愛妾という本来羨まれる地位を手に入れたと見ることもできたが、実質は人質以外の何者でもなかった。姉達の結婚は矢継ぎ早やに決定したがエルナはまだ若く年齢に余裕があったこともあり、3年ほどアルメ村で侍女として行儀見習いで生活を共にしていたのだが、そこでの生活は非常に楽しいものであった、ヒルデガルド達とお茶会といってかなり際どい話をしたり、村娘のような姿で村を散策したり弓矢の練習をしたりと、町では体験できないような生活を満喫していただけに、王宮での生活は正に『綺麗な牢獄』としか思えなかった。
そして彼女は夫婦生活にも絶望していた、女だけのお茶会において男を知らなかった彼女は皆の語る夜の生活を非情に興味深く聞き入っていた、しかしフェルディナントから与えられたのは苦痛のみであった。比較対象がいないが故にどういったものなのか理解はできなかったが少なくとも大事にされているという感じは全くなかった。慣れないうちは違和感と痛みでけっこうキツイなどとも言われたが慣れる以前に碌に相手をしようともしてこなかった、王宮で暮らし初めて1年で呼ばれた回数は片手で足りないくらいと言うのはどう考えても気紛れで呼ばれているとしか思えなかった。
彼女は自分の容姿が人並み外れて優れているとはまったく思っていなかった、せいぜい並といったところであろうと諦観に似た思いは持っていた、しかし村での生活でアルマの話など聞き、実際にテオドールがアルマに接する態度を見ると、あのような容貌であっても普通以上の愛情を以って接っしてもらっているのに、自分がここまでないがしろにされるのはあんまりではないだろうかと、僻みに似た想いを持ってしまっていた。
「一人でもぞんざいな扱いをすると、お局様までやって来て四人がかりで虐めるんですよ、しかも最後はエレーナ様に言いつけられて説教ですよ、うちで女性陣に逆らってはいけないのです」
奥様達と仲がよろしいですよね、そんな問い掛けに対してのテオドールの回答であったが、それが冗談であることは理解できた、しかし自分がこのような立場になるとああやって愛されている彼女達が心底羨ましいと感じてもいた、むしろ村の若者とでも恋愛結婚していた方がずっと幸せに成れていたであろうと、今ではしみじみとそう感じてしまっていた。
非常に楽しみのない日々を送っていたエルナに来客の報せがあり、二人きりのお茶会に久々に胸躍るものを感じていた。久々に会う次姉エルゼもどことなく寂しげな笑みを浮かべており、近況が芳しくない事を感じさせた。
「これね、テオドール様からの差し入れだそうよ」
彼女が持って来たバスケットの中には焼かれてそれほど経っておらずまだ温かいパイが入っていた。王都に叙勲で来て以来滞在している事は知っているし、実際に叙勲式で見かけたが、ゆっくりと話す時間などなく、しかも監視が付くのは目に見えているため、どうしても遠慮しがちになってしまう。王宮での生活が窮屈なものである事を察して、彼女の好物を差し入れたのであろう事も十分に理解できた。
「血も涙もない死神の化身が焼いたパイって宣伝文句で売ったらいくらの値が付くのかしらね」
そんな話題で少し笑えたが、世間の噂話と真実とのギャップは生活を共にした彼女がより深く理解していた、それが理解できないからこそフェルディナントとの溝が広がる一方なのもやはり理解していたが彼女の言葉など絶対に届くことはないであろう事も悲しいかな理解できてしまっていた。
「お義兄様とはどうなの?」
エルナの問い掛けにエルゼは悲しそうに黙るのみであった。エルナもそれ以上の追及はしなかった、傷口を抉って喜ぶ趣味などないのだから。エルゼの結婚相手は名門貴族の次男坊にあたり、兄もフェルディナントの覚えがめでたいことから、他家に婿入りして別家として登用される形を望んでいた。その望みに丁度適合する形の彼女達の家は国王自らのの仲介によって婿入りが実現したのであったが、実質は乗っ取りに近いものであった、乗っ取るほどの価値もない家であったが別家を一家立てるよりは手続きがスムーズに行くため、そんな事の為だけに決められてしまった結婚であった。
金銭面ではまったく不自由しなかったが、家に帰って来ない事も多く、余所に女の影を感じることもあり、夫婦仲は最初から仮面夫婦のような二人であった。手狭な家で同居するのも気が引けると二人が新居に引っ越していき、二人の関係がすぐに仮面夫婦となった事をエトヴァンが知らないのはせめてもの救いであったかもしれない、知っていれば良かれと思ってテオドールに相談した結果が結局3人とも幸せとは程遠い結果を招き、しかもテオドール自身にも多大な迷惑をかけてしまったという自責の念でどれだけ苦悩した事か想像すらできなかったから。
「姉さんはどうしているのかしらね・・・」
公爵夫人となっている姉が今どんな生活を送っているのか分からない二人であったが、その生活が平穏なものとは予想しずらく、せめてもの安寧を祈らずにはおられなかった。




