プロローグ
「いや、母子ともに無事と聞いてはいたが、実際にこの目で見るとやはり安心できるな」
まだ首も据わらない赤子であるが故に今後の健やかな成長を期待するものの、まずは母子の健康が保たれたことにヴァレンティンは素直な感想を述べた。
「ええ、生きているだけでうれしい限りです」
テオドールの感想も心情のこもったものであった、そんな二人のやりとりを内心では少し不満を持ちながらもまずは次女の無事な誕生を祝うヒルデガルドであった、二人目の出産であり若干最初の子より楽に産めたという感じはあったが、二人続けて女児であり、どうしても男児が欲しかった彼女としては若干不満に思う点もあり、二人続けて女児を生んだとなると陰で女腹などと言われるであろう事が予想できるだけに不満を抱える事となっていた、しかし命がけの出産であり、腹を痛めて産んだ子という事もあり女児であっても非常に可愛いという母性もあり、若干複雑な感情を抱かざるを得なかった。
ヒルデガルドが産んだ次女へのお祝いという名目で尋ねて来ていたヴァレンティンであったが、真意がそれだけではないことは皆が気付いていた、しかしあくまで表面上は和やかな談笑によって会話は進んでいた。しかしそれも暴君の到来によって中断されることとなった。
突然部屋の扉が勢いよく開けられると、小さな木剣を持った男児がヴァレンティンに勝負を挑んで来た、その男児は極めて愛らしい風貌をしていたが、よく見るとあちこちに擦り傷があり、かなりの腕白ぶりがうかがえるような子であった。
あわてて後を追いかけて来たイゾルデが盛んに謝っていたが、どこまでもヴァレンティンに勝負を挑み続けていた。
「グリュック、儂に恨みでもあるのか?」
少し困惑しながらも執拗に勝負を挑む男児に若干苦笑いを浮かべながら尋ねるヴァレンティンだったが、その少年から発せられた回答は二重三重に意外なものであった。
「偉い将軍って聞いた倒せば私が将軍になれるって、それから私はユリアーヌスよ!」
ヒルデガルドとテオドールは完全に頭を抱えており、ヴァレンティンは少し唖然とした顔をしていた、よく見れば入り口のところで扉の影から中を窺うようにしている男児がおり、それがグリュックなのであろう事が理解できた。
ヴァレンティンにとって両者ともに初対面であっただけに、腕白に自分に挑みかかって来た者が長子のグリュックであろうと勝手に思い込んでしまったのだが、たしかに言われてみればユリアーヌスを名乗った女児にはヒルデガルドの面影があるように思えてきた。
「ちなみに、それは誰から聞いたんだい?」
「イゾルデ婆ちゃん」
「お姉さんでしょ!」
イゾルデが間髪入れず『お姉さん』と訂正したが、彼女と同年齢の村人には孫がいる者も何人もおり、無駄な抵抗でしかない事を皆が知っていた。
「また、しょうもない英雄譚を聞かせてたのね・・・教育係り間違えたかしら・・・」
ヒルデガルドのため息とともに吐き出された言葉が全てを物語っていた。扉の影に隠れるようにしていたグリュックは呼ばれるとオズオズと近寄って来てお客であるヴァレンティンに丁寧に挨拶をしたが、どことなく弱々しく覇気はあまり感じさせないような子であり、見る者すべてが男女逆であったなら、と思わせる有様であった。
子供達をイゾルデと共に下がらせると、おもむろにヴァレンティンは尋ねた。
「自領のみで育てるつもりかね?やはり他領に預けるとなるとそろそろその時期に来ていると思うがまた伯爵領かね?」
他領に預け、その領地の絶対者ではない場所における不自由さを体験させる事はやはり重要な事であり、領主諸侯の後継者たるべき人物はたいていそのような経験を積んでいる事が多かった。
「まぁ、そうなりますかねぇ」
イマイチ歯切れの悪いのにも理由があった、どうも弱々しいのだった、妹のユリアーヌスの方がはるかに活発であり、兄の木剣を振り回し英雄ごっこに興じる有様を見ると、外部に修行に出していいものかどうか判断に非情に悩むところであった。
「その話をするところを見ると侯爵様が直々に修行を着けてくれるおつもりだったんですか?」
ヒルデガルドの少し笑みを浮かべた挑戦的な物言いは相変わらずだが、真意は少し読みづらく感じた。やっかいな他人の子を遠方に追い出そうという思考なのか、それとも侯爵の後ろ盾という強力な庇護者を得ようと言う親心なのか、さすがに判断がテオドールにもつきかねた。
「正直に言えば、くれるなら貰って行って侯爵領を継いでもらおうかと思っていたところだったんだがな」
冗談を言っているのか、本気で言っているのか判断のつきかねないこの発言に際し、さしもの才女もこの発言を頭で理解するために少しの時間を要する事が必要となった。




