第31話 肉まんを食べたら
あれから、何日が経ったんだろう。
部屋から出ていない。配信も止めたまま、地図も開いていない。開いてもすぐに手が止まる。飯を食って、寝て起きて、ころぼに餌をやる。それだけの日が続いていた。
ころぼは炎上なんて知らない。いつも通り俺の膝で、ンキュ、と鳴く。腹を見せて、ごろごろする。
……お前はいいな。……そういやお前、結局なんのモンスターなんだろうな。
窓の外は晴れていた。世界はいつも通り回っていて、俺が炎上させられてようが無関係みたいだ。……それでいいのかもしれない。俺が地図を埋めようと埋めまいと、この世に何かものすごい影響が出るわけないんだ。
元のぼっちに戻って、誰にも知られてない人間になる。それが一番、いい気がしてくる。
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昼過ぎ、ドアベルが鳴った。
宅配なんて頼んでない。居留守を使おうとしたけど、今度はノックが止まらなかった。しかたなく開けると、ぽん酢さんが立っていた。
「よォ。生きてるか」
「……ぽん酢さん。なんで」
「住所はギルドで聞いた。受付のミナさんに、無理言ってな」
ずかずか入ってきて、返事も待たずに俺の狭い部屋のベッドの上であぐらをかく。手にはコンビニの袋。机の前は散らかってるし、他のところもここ数日で荒れてしまったから、そこしか座れそうな場所がなかった。
コンビニの袋を、俺の前にひっくり返す。肉まんや菓子パン、甘いのからしょっぱいのまで、ごろごろ転がり出た。
「好きなの食え。顔色、最悪だぞ」
「……はあ」
「炎上の話は、しねえ。あれはあんたが悪いんじゃない。仕組まれた火だ。理屈は、もう分かってんだろ」
「……はい」
「分かってても、つらいもんはつらい。そいつは理屈じゃ消えねえ。だろ?」
……ああ。
この人は分かってる。正しさじゃ消えないと、分かってる。だから、正しさを押し付けてこない。
てっきり、励まされるか説教されるかだと思った。「お前は悪くない」とか、「あんなのは気にするな」とか。SNSで何度も流れた正論を。
肉まんは、あったかかった。
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しばらく黙って食ってると、ぽん酢さんがぼそっと言った。
「配信が止まってる間も、だんちょーとねむが待機所に居座ってる。知ってるか?」
「……え」
「『そろぼっちが戻ってくる場所、残しとく』ってな。誰も来ない待機所で、二人でくだらねえ雑談してやがる」
知らなかった。
炎上の、あの何千もの声の、ずっと向こうで。たった二人が、誰もいない部屋の灯りを、消さずにいてくれていたんだ。
……俺は、ずっと勘違いしてた。
遠くの大勢は、あっさり刃になった。最後まで俺を刺さなかったのは、残ってくれたのは——ちゃんと俺を知ってる、少しの人たちだった。
前の人生のとき、どうだっただろうか。たぶん助けなんてなかった。こういう時はいつも一人だったと思う。手を伸ばそうにも何もなくて、全員に背を向けられて、……。あの時、俺はどう乗り越えたんだろう。もしかしたら乗り越えてないかもしれない。
だから今度も、そういうもんだと思ってた。誰も来ないのが、当たり前だと。だから、ひと知れず消えてしまうしかないと……。
ぽん酢さんが、ころぼを膝に載せて撫でながら言った。
「それと、受付のミナさん。顔見知りの俺にも、あんたの住所はなかなか教えてくれなかった。『興味本位の人には会わせられません』ってな。あんたを心配して訪ねたいだけだと、何度も言ってやっと教えてくれた」
ミナさんの、困り顔が浮かんだ。ずっと国と俺の間で板挟みになって、おろおろしていた人。その人がいつのまにか、俺を守る側に回ってくれていたんだ。
「そう、だったんですね。俺、……」
胸がつっかえて言葉にならない。だから肉まんをじっくり咀嚼する。温かさが胸を伝って、腹へと落ちていった。
肉まんを食べ終えると、ふと、『埋めたい』と思った。
久しぶりに、はっきりと。
萎えていた背筋に、すっと芯が通った気がした。
炎上が収まったからじゃない。というか、絶対まだ収まってない。それでも誰もいない部屋の灯りを消さずにいてくれる人がいて、住処を守ってくれる人がいて、肉まんを持ってきてくれる人がいると知ったから。
そういう人たちが見たいと言ってくれるなら、俺はまた、埋めたい。漠然とした誰かのためじゃなく、存在を支えてくれる人たちにも報いたい。
……こんな俺を支えてくれる。俺のことを好ましく思ってくれている人がいる。そんな風に思われている、俺のためにも。
立ち上がった俺を見て、ぽん酢さんが、にやっと笑った。
「いいか。この炎上、裏で糸を引いてんのは軍務卿ハーゲン。北の政治も工作も握ってる、例の親玉だ。……背の高い、黒い外套の男さ」
黒い外套。背が高い。
路地で俺に「地図は戦略物資だ」と詰め寄った、あの男だ。
「……その人なら、会いました。この前、街で」
「だろうな。あいつが直々に出張ってくるってのが、本気の証だ。炎上させて世間から叩かせりゃ、お前の心なんざ勝手に砕ける。そう踏んだんだろう。あんたが消えて地図が世から消えりゃ、北は好都合だった。だから、戻ってきたお前を見たら、さぞ舌打ちするだろうさ」
軍務卿ハーゲン。
顔の見えなかった悪意に、名前と、輪郭が出た。
……そうか。
休んでいる間、いちばん得をしていたのは、あの男だったのか。
なら、戻るのがいちばんの仕返しなのかもしれない。仕返し、なんて柄じゃないけど。
ぽん酢さんが、ふっと真顔になった。声を低く落とす。
「それにな。お前がまだ埋める気があるなら。俺に、ひとつ考えがある」
「考え、ですか」
「ああ。俺にはできない。そしてお前ひとりじゃできねえ。だが、お前にしかできねえ話だ。……乗るか?」
何を考えてるのかは、さっぱり分からなかった。でも、この人が乗れって言うなら。俺は小さく頷いていた。
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ぽん酢さんにアドバイスをいくつかもらった。俺は意を決して、ゴーグルをつける。配信のボタンに指をかけた。今度は震えていなかった。
押す。見慣れたルームコンソールが目の前に広がる。
「……えーと。お待たせ、しました。そろぼっちです」
配信を再開した瞬間、コメントがどっと流れ込んできた。待機所に居座っていた二人の声と——復活を聞きつけて押し寄せた、刃の言葉が、いっしょくたに。
〔だんちょー〕!?!?!?
〔ねむ〕おかえり!!!!!!
〔名無し〕復活とかよく顔出せたな
〔だんちょー〕お待たせじゃねぇよ!心配したわ!!!
〔名無し〕人殺しが何戻ってきてんの
〔ねむ〕ずっと、待ってた
〔名無し〕説明まだ?
〔通りすがり〕え、復活?
〔名無し〕おかえり
嫌な言葉は、まだそこにあった。たぶん、これからもずっと混じり続ける。……今までならこれだけでまた閉じてただろう。
でも。
刃のある言葉だけじゃない。ちゃんと、おかえりがある。消さずにいてくれた灯りがある。
全部に返事はしない。する必要もない。見たい人が、見ればいい。嫌なら、閉じればいい。俺は、俺の見たい人のために埋める。
地図を開いた。今度は、手が止まらなかった。
「色々、言われてますけど。世間を騒がせている情報は、全て事実無根です。だから……俺は、埋めます。それが、無実を証明する唯一の方法なので」
〔名無し〕は???開き直り???
〔だんちょー〕いつものそろぼっちだ
〔名無し〕でもコモル封鎖されてるよね?どこ埋めんの
〔ねむ〕たしかに低層もう入れないんじゃ
〔名無し〕埋める場所あんの?
……ああ、そうだった。
のんびりできる場所は、もう鍵の向こうだ。残ってるのは、深いとこだけ。
俺は、地図をいちばん下までスクロールした。深層。まだ、まるごと空白のところ。
「……行くとこなら、あります。いちばん深いとこが、ぜんぶ埋まってないので」
〔だんちょー〕結局そこかよ
〔ねむ〕いきなりハードモード
〔通りすがり〕逃げ場がいちばん危ない場所っていう
「さすがにこのまま行くのは無謀なんで。改めて、ちゃんと準備します。……今日はここまでで。後ほど予告します」
配信を切る。長いため息が出た。ぽん酢さんは俺の背中を軽く叩いてくれた。
「これ、渡しておく」
何かを放ってよこした。手のひらサイズの、マジテックのガジェットだ。カードタイプで、四隅に透明なクリスタルが埋め込まれてる。
「ウロボロス大迷宮の、正規の入り口へのワープ装置だ。あんたの家からは遠いが、これなら一瞬で飛ぶ。扉ならどこでもいい。それをかざせ」
「……いいんですか、こんなすごいもの」
「そこ、俺の最寄りでな。あの辺が俺の住処の近所なんだ。支度ができたら、入り口で合流しよう。深層は一人で行かせねえよ」
俺にも、自分で置いた不動門がある。でも今回はぽん酢さんの考えに乗るって決めた。だったら、この人の道で行けばいい。何を考えてるのかは、まだ分からないけど。
ガジェットを、ぎゅっと握った。
「……ありがとうございます。俺、やるだけやってみます」
「ん。じゃあな」
「ンキュ!」
ベッドの上で、ころぼが張り切ったような鳴き声をあげた。




