第30話 燃え広がる悪意
コモルが閉まってから、何日か配信を休んでいた。埋める場所が半分なくなって、深層はまだ残ってるのに、なんとなく足が向かなかった。机の端に伏せたゴーグルへ手を伸ばしかけては、指が途中で止まる。そんな朝が何度か続いていた。
その朝も、寝起きのぼんやりした頭で連携してるSNSを開いた。
……指が、止まった。
リプライの通知が画面の上から下まで隙間なく詰まっていて、ひとつ目に入るごとに、言葉が刃になって刺さってくる。
『説明しろコミュ障』
『裏切り者』
『利敵野郎がよ』
通知は止まらない。何百、何千と積み上がっていく。埋めても埋めても湧いてくる、深層の魔物みたいに。スクロールする指が追いつかない。
「……なんだ、これ」
配信もしてないのに、声が漏れた。喉が勝手に音を立てるくらい、混乱していた。
息をひとつ吸って、一番上の投稿におそるおそる指を伸ばした。
『マッパー〝そろぼっち〟、深層地図を国外へ売却の疑い』
『無償公開の裏で……深層地図、軍事資料として他国へ売却か!?』
『取り沙汰される、マッパーの"黒い関係"』
拡散の数が、けた違いだった。
トレンドには、俺のハンドルと『利敵配信者』が並んでた。まとめサイトが記事にして、ニュースを装ったアカウントが"疑惑"として拡げる。フォロワーの数字が、見てるあいだにも、ずるずる減っていく。DMにも、知らない誰かの罵倒が、直接届いてた。
どれも、最初は〝検証〟を名乗る名無しのアカウントが投げた一本から始まっていた。フォロワーもろくにいない、昨日できたようなアカウント。なのに、その一本だけが、あり得ない速さで拡がっていた。何百、何千のアカウントが、示し合わせたみたいに同じ言葉を投げつけてくる。怒りにしては、揃いすぎていた。まるで、拡げる手筈が、ずっと前から整えられていたみたいに。
あの男の顔が浮かんだ。路地で俺に「地図は戦略物資だ」と詰め寄った、黒外套の。あの静かな声が、この何千もの罵声の、いちばん奥で糸を引いている気がした。顔の見えない手が、俺の居場所を、外側から一枚ずつ剥がしにきている。
たぶん、これは仕組まれてる。そこまで考えたところで、コメントの波に飲み込まれた。
〔名無し〕は?人殺しじゃん
〔名無し〕お前の地図で人が死ぬんだぞ
〔名無し〕利敵行為で通報しました
〔名無し〕てかダンジョンって非武装地帯じゃないの?地図が軍事利用とかこじつけでは
〔名無し〕↑ウロボロス国跨いでるの知らんのか。深層の抜け道わかれば国境越えずに他国のど真ん中に出れる
〔名無し〕↑うわ、実質侵攻ルートの地図じゃん
〔名無し〕↑はい利敵確定〜
〔名無し〕タダ配りとか言って結局これかよ
〔名無し〕配信見たことないけどこれは擁護できない
〔名無し〕応援してたのに…正直がっかりです
〔名無し〕ファンだったからこそ言う、ちゃんと説明して?
〔名無し〕祭りきいて来ました、3行で頼む
〔名無し〕スパイだったか
〔名無し〕こういう静かなタイプが一番こわい
〔名無し〕そろそろ特定されそうで草
〔名無し〕中の人まだ〜?
〔名無し〕検証班だけど、動かぬ証拠つかんだわ。あとでまとめ上げる
〔名無し〕↑さすが有能
〔名無し〕↑待ってました
〔名無し〕善人ヅラしてたのに
〔名無し〕↑わかる
〔名無し〕最低
〔名無し〕消えろ
流れが速すぎた。一個ずつ読むなんて、もう無理だった。黒い文字が滝みたいに上から下へ流れていく——いつもの賑やかさと、まったく同じ速さで。中身だけが、ぜんぶ刃になっていた。
火をつけたのは、たぶん仕込みだ。でも、いま燃やしてるのは、本物の悪意だった。みんなが、それぞれの正義で薪をくべにくる。もう、火種のことなんて誰も気にしてない。
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ほとんどの言葉は、頭の表面をすべっていった。知らない誰かに嫌われるのは、まあ、別にいい。元々、好かれて生きてきたわけじゃない。
でも、ひとつだけ奥まで刺さった言葉があった。
『お前の地図で、人が死ぬ』
俺は、ダンジョンで死体マーカーを見るたび、手を合わせてきた。誰かが死んだマスも、手を合わせてから、ちゃんと埋めてきた。死を、軽く扱ったことなんて一度もない。その俺の地図が、人を殺す。よりにもよって、それだけは、聞きたくない言葉だった。
刺さるのは、言葉だけじゃなかった。通知欄には、見覚えのあるサムネがいくつも並んでいた。俺の配信の、切り抜き動画。『そろぼっちの正体まとめ』『利敵行為の瞬間』。物騒なタイトルがついて、知らない誰かから、わざわざ俺あてに送られてくる。
一本、開いてしまった。いつかの、なんでもない配信だった。俺が「ここ埋めとくと、後の人が楽になりますよ」って、ぼそぼそ喋ってる。それだけの場面に、おどろおどろしい音楽と赤い字幕がついていた。『↑敵に塩を送る発言』。
……ちがう。そんなつもりじゃ。でも、切り取られた俺は、確かにそう言っていた。悪意のある切り抜きに言い返す言葉なんて、どこにも見つからなかった。
別の一本は、もっとひどかった。俺が壁を叩いて音を確かめてる、いつもの場面。それを無理やり、暗号の通信だってことにしてた。『一定のリズムで壁を叩き、外部と交信』。そんな解説まで、ついてた。
……あれは、ただの空洞のチェックだ。壁を叩いて外と交信できるなら、俺は最初からマッパーなんてやってない。そんな間の抜けた言い返しばかり浮かんで、どれも、どこにも出せなかった。
極めつけは、"検証班"を名乗る誰かの、長い投稿だった。ウロボロスは三つの国にまたがってる、そのうち、誰も認識してない第四の小国での取引記録に俺の名前が残ってる——そういう"動かぬ証拠"だった。もっともらしい図まで、ついてた。
……俺は、顔も名前も出してない。どこにも出したことのない名前が、どうして他国の記録に載るのか。でも、誰も、そこは気にしてなかった。おかしい、と指摘した人まで、まとめて薪にされていた。
常連の何人かが、止めに入ってくれていた。
〔通りすがり〕利敵とか言ってる連中、何様だよ。国でもないくせに
〔名無し〕そもそもこれ仕組まれてるだろ、乗るな
〔だんちょー〕そろぼっちは地図埋めてただけだろ!?
〔ねむ〕やめて、お願いだから
みんなの言う通りだ。たぶん、何もかも正しい。でも、その正しさは、波にあっさり飲まれていった。
〔名無し〕信者必死
〔名無し〕擁護も同罪
〔名無し〕↑それな
火は、消えるどころか、燃料をもらって大きくなる。ここは、理屈でどうにかなる場所じゃなかった。正しさを並べれば並べるほど、よく燃える。俺が人生でずっと避けてきた場所が、そのまま世界中に広がったみたいだった。
いつのまにか、話は妙な方向に転がっていた。
〔名無し〕そろぼっちの地図、全部消させよう。通報祭りだ
〔名無し〕利敵の地図を残すな。まとめも切り抜きも消せ
〔名無し〕↑消したら困るのお前らだぞ。コモルの安全ルート、頼りにしてる奴どんだけいると思ってんだ
〔名無し〕↑出た利敵擁護
〔名無し〕地図消したって北はとっくにコピー持ってるだろ。損するのこっちだけじゃん
〔名無し〕↑そういう話じゃない
〔名無し〕当人そっちのけで大戦争しててウケる
……おかしな話だった。
消せと騒がれてる地図の大半は、低層や中層の、何度でも使える安全ルートのやつだ。消して困るのは、埋めた俺じゃない。それを使ってる、大勢のほうだ。
深いとこの地図なんて、どうせすぐに変動してしまう。独り占めしたって、次の変動で紙くずになる。
……じゃあ、ほんとに欲しがられてるのは何だろう? 今まで埋めた地図が貴重品になること? それとも……いま何が起きてるかをその場で描ける、俺?
……俺は答えを出せない。ただ、みんなは地図を燃やすことに、一生懸命だった。
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画面を閉じると、部屋がしんと静かになった。膝の上で、ころぼが不安そうにンキュ、と鳴く。
昔、思ったことがある。地図は裏切らない。歩いた分だけ、ちゃんと形になって返ってくる。そして画面の向こうのあの賑やかさも、直接会わないぶん、裏切られない気がしていた。距離があるから、安全なんだと。
なのに今日、その二つが同時に牙を剝いた。地図は、侵攻に使われた。賑やかさは、刃になった。
気づいたら、設定の画面を開いていた。アカウントを消すボタンに、指をかける。簡単だ。押せば、全部消える。俺は顔も名前も出していない。消えてしまえば、誰も俺を見つけられない。また、本物のぼっちに戻れるだけだ。元々そうだったんだから、元の場所に帰るだけだ。
——なのに指は、ボタンの上で震えたまま動かなかった。
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結局、押せなかった。消す勇気も、たぶんなかった。
代わりに、震える指で、短い文章を打った。
『さまざまなご意見を、頂いてます。状況を整理するとともに、真摯に受け止めたいので。しばらく、お休みをください』
投稿して、それで力尽きた。直接、誰かに言い返すなんてできない。人とちゃんと向き合うこと——それが、俺が人生で一番苦手なことだった。だから、逃げるみたいに、画面を伏せた。
投稿には、すぐに返信がぶら下がっていった。
└ 逃げた
└ やっぱり後ろ暗いんだ
└ しばらくお休み(笑)
└ 説明から逃げてんじゃねえよ
ほら。逃げた、と言われて、火はもっと燃えた。もう、何をしても同じだった。
その日の夜、どうしても落ち着かなくて、俺はゴーグルをつけた。配信はしない。ただ、地図だけを開いた。いつもの癖で、埋めてないマスの確認をしようとして——手が、止まった。
このマスを、誰かが使って。誰かを、殺すかもしれない。
そう思った瞬間、もう地図を見ていられなかった。二年間、毎日やってきたことが、急にできなくなっていた。生き甲斐だったはずなのに。
ころぼが、俺の頬にぽふ、と寄りかかる。その温もりだけを感じながら、俺は暗い部屋で、ただ天井を見ていた。




