第7話 世界最強の妹
王都の一等地。
厳重な結界に守られたエドワードの秘密執務室。
時刻は深夜三時を回っていた。
だが室内の明かりが消える気配はない。
煌々と照らされた巨大なホワイトボードの前で、エドワードは狂ったようにマーカーを走らせていた。
完璧に整えられていたはずの髪は僅かに乱れ、ネクタイも緩められている。
目の下には薄い隈。
完全な徹夜だった。
「あり得ない」
乾いた声が室内に響く。
「絶対にあり得ない」
ホワイトボードには無数の資料が貼られていた。
『カナタ・ミナセ』
『レイナ・クロノス』
『謎の妹』
『ピンクのタッパー』
それらが大量の赤線で繋がれている。
完全に捜査本部だった。
エドワードは一枚の資料を乱暴に叩きつける。
「クロノス家の家系図」
「連盟保有の人物データ」
「極秘調査資料」
「全て確認した」
そして断言する。
「レイナ・クロノスに妹など存在しない」
沈黙。
ならば。
カナタの言った『妹』とは誰なのか。
エドワードは目を閉じた。
脳内で数日前の光景を再生する。
ミナセ家。
植え込みの陰。
私服姿の少女。
大事そうに抱えられたピンク色のタッパー。
(騙されるな)
(見た目に惑わされるな)
エドワードは記憶を精査する。
門をくぐる際の重心移動。
無駄のない歩幅。
周囲への警戒。
そして。
カナタが何気なく口にした言葉。
『靴を綺麗に揃える』
その瞬間だった。
脳内で全てのピースが繋がる。
エドワードの目が見開かれた。
「そうか……!」
ホワイトボードへ歩み寄る。
赤いマーカーを握る。
そして。
『妹』
という文字を勢いよく塗り潰した。
その上に大きく書く。
『レイナ・クロノス本人』
バンッ!
マーカーを叩きつける。
「骨格」
「歩法」
「魔力の残滓」
「規律性」
「合理性」
どれを取っても一致する。
「間違いない」
「妹など存在しない」
エドワードは確信した。
「あのタッパーを持った少女は」
「世界最強レイナ・クロノス本人だ」
真実だった。
驚くべきことに。
エドワードはここまでは完璧だった。
完全に正解へ辿り着いていた。
だが。
有能すぎる男の悲劇はここから始まる。
だが。
問題はここからだった。
エドワードは腕を組み、ホワイトボードを睨みつける。
「では、なぜだ」
誰もいない執務室に声が響く。
「なぜ世界最強ともあろうお方が」
「世界一位の任務の合間を縫い」
「身分を偽り」
「妹を演じ」
「一介の元Fランク探索者の実家へ通う必要がある?」
沈黙。
普通なら答えは簡単だった。
好意。
友情。
親しさ。
信頼。
そんな人間らしい感情だ。
だが。
エドワードはそんな結論を即座に却下する。
「あり得ない」
バッサリだった。
「あの冷徹にして孤高の怪物」
「レイナ・クロノスが個人的感情で動くなど万に一つもない」
エドワードは知っている。
世界最強を。
戦場で見てきた。
判断を誤らない。
感情に流されない。
人類最強の探索者。
そんな存在が。
オムライスを食べたいから。
ハンバーグを食べたいから。
そんな理由で動くはずがない。
「世界一位が偽のペルソナを使って潜入しているのだ」
「これは個人の意思ではない」
エドワードの目がギラリと光る。
「──連盟の総意だ」
ホワイトボードへ歩み寄る。
マーカーを走らせる。
新たな文字が刻まれた。
⸻
【国家級重要人物管理作戦】
⸻
エドワードは冷たい笑みを浮かべた。
「そうか」
「そういうことだったのか」
カナタ・ミナセ。
あの男の価値は異常だ。
配信。
探索。
概念破壊。
その全てが常識の外側にある。
「奴は危険なのではない」
エドワードは断言する。
「価値が高すぎるのだ」
ホワイトボードに赤線が伸びる。
【カナタ】
↓
【世界最強】
↓
【妹】
↓
【潜入】
↓
【管理】
全てが一本の線で繋がる。
「カナタ・ミナセ」
「奴の持つ力は国家一つの価値すら塗り替えかねない」
「探索者連盟としては絶対に手放せない存在」
だが。
力で縛れば逃げる。
組織で囲えば反発する。
「そうか」
「だから世界最強が直接動いているのか」
エドワードの口元が吊り上がる。
「妹という最も警戒されない立場で」
「優しく包み込み」
「信頼を獲得し」
「精神的に囲い込む」
「そして完全管理する」
バシィィィン!!
ホワイトボードを叩く。
「見抜いたぞ」
眼鏡を押し上げる。
「見抜いたぞ、クロノス卿」
「連盟のトップシークレット」
「国家級重要人物管理作戦」
「恐るべき計画だ」
そして。
満足そうに息を吐いた。
「ようやく全て説明できる」
全然説明できていない。
だが本人は完璧だった。
冷めたコーヒーを一気に飲み干す。
そして次の資料へ手を伸ばした。
カナタ周辺の行動記録。
パラパラとページをめくる。
並ぶ単語。
⸻
【オムライス】
【買い物】
【妹】
【実家】
【ハンバーグ】
⸻
エドワードの指が止まる。
「……」
沈黙。
そして。
「食事」
ゾワリ。
背筋に冷たいものが走った。
生活感に満ちた単語。
だが。
エドワードの有能な脳は。
その裏側に潜む巨大な計画を感知していた。
「なるほど……」
ゆっくり顔を上げる。
「そういうことか」
冷や汗が頬を伝う。
「連盟は」
ゴクリ。
「すでに次の段階へ移行したのか……!」
ホワイトボードへ新たな赤線が伸びる。
⸻
【潜入】
↓
【信頼獲得】
↓
【食事】
⸻
エドワードの瞳が見開かれる。
「食卓」
「そうか……」
「作戦の次段階は」
「食卓か……!!」
世界を揺るがす陰謀を察知した男の顔だった。
恐るべき国家規模の作戦。
その全貌に迫った興奮と戦慄。
エドワードは息を呑む。
そのドアップで――ドン。
◇
一方その頃。
当の世界最強は。
自宅のキッチンでレシピ本を睨みつけていた。
「ハンバーグのタマネギは……」
真剣な顔。
「先に炒めるべきなのか……?」
沈黙。
ページをめくる。
さらに睨む。
三分後。
「……分からん」
レイナはページを最初から読み直した。
世界最強は今、
王都最大の難関ダンジョンではなく、
ハンバーグと戦っていた。
(第7話・完)




