第6話 完璧なプレゼンと一つのノイズ
王都最高峰と謳われる高級レストラン『グラール』。
その最上級個室で、エドワードは静かにワイングラスを傾けていた。
完璧に整えられたスーツ。
隙のない所作。
誰が見ても一流の男だった。
対するカナタは、いつも通りの少しヨレたTシャツ姿である。
場違いな空間にも特に緊張した様子はなく、目の前に運ばれてきたスープを興味深そうに眺めていた。
(カナタ・ミナセ)
(私は過去の判断を悔いるだけのために、ここへ来たわけではない)
(謝罪はする)
(だが、それで終わらせるつもりもない)
(優秀なスカウトとして、そしてギルド経営者としての本気を見せに来たのだ)
エドワードは内ポケットから革装の資料を取り出し、机の上へ滑らせた。
「君のソロ配信における同接数、投げ銭推移、そして今後の収益予測だ」
カナタが資料を見る。
分厚い。
そして異様に細かい。
エドワードは、すぐには説明を始めなかった。
まず、ワイングラスを静かに置く。
それから、カナタに向かって深く頭を下げた。
「……その前に、謝罪させてほしい」
「謝罪、ですか?」
「ああ」
エドワードの声は、いつものように整っていた。
けれど、その奥にある硬さだけは隠しきれていなかった。
「先日の件。君を無能と決めつけ、ギルドから追放したこと。そして、危険な場に置き去りにしたこと。あれは、私の判断ミスなどという軽い言葉で済ませていいものではない」
カナタは、きょとんとした顔でスープから視線を上げた。
「はあ」
「君の価値を、私はまったく理解していなかった。いや、理解しようとすらしていなかった」
エドワードは顔を上げる。
その目には、悔しさと焦りと、それでもなお一流であろうとする男の意地があった。
「だから、まず詫びたい。すまなかった、カナタ」
「えっと……はい」
「もちろん、謝罪したから許されるとは思っていない」
エドワードは革装の資料に手を添えた。
「その上で、言わせてほしい」
ページが静かに開かれる。
「私は、君ともう一度仕事がしたい」
沈黙が落ちた。
高級レストランの個室には、銀食器の触れ合う小さな音だけが響いている。
「……はっきり言おう」
エドワードは資料を開いた。
「今の君は、自分の価値をまったく理解していない」
「そうなんですか?」
「そうだ」
グラフを示す。
「税金対策」
「法的リスク管理」
「他国からの引き抜き対策」
「専属サポートチームの編成」
「将来的な資産形成」
「これらが現状、完全に放置されている」
淡々とした口調。
しかし内容に隙はない。
「うちのギルドに戻るなら、面倒な部分はすべて私が引き受ける」
「君は好きな時にダンジョンへ潜ればいい」
「契約上も、君の自由行動は最大限保証する」
「それ以外は我々が支える」
完璧な提案だった。
感情論ではない。
脅しでもない。
そして、ただの謝罪でもない。
純粋にカナタの価値を最大化するための提案だった。
「すごいと思います」
カナタは素直に頷いた。
「僕の配信って、こんな数字になるんですね」
そしてスープを一口飲む。
「あ」
「美味しい」
エドワードが少しだけ眉を上げる。
「トリュフですかね?」
「たぶんな」
「母さんが高いキノコは味わって食べろって言ってたんですよ」
カナタは感心したように頷いた。
「これは確かに美味しいです」
エドワードは額を押さえたくなった。
今はキノコの話ではない。
「……カナタ」
「はい?」
「君の将来の話をしている」
「どうだ」
「私の手を取る気はあるか?」
カナタは少し考えた。
「お話は魅力的です」
「エドワードさんが本当に優秀なのも分かります」
エドワードは静かに頷く。
だが。
「でも僕、向いてないんですよね」
「向いてない?」
「はい」
カナタは申し訳なさそうに頭を掻いた。
「なんというか……」
「エドワードさんと話してると、すごく肩凝るんですよね」
「肩……凝る?」
エドワードの表情が固まった。
能力への不満ではない。
待遇への不満でもない。
ただ。
肩が凝る。
それだけだった。
完璧なプレゼンテーションが、あまりにも個人的な理由で吹き飛んだ。
エドワードは静かに眼鏡を押し上げる。
「……なるほど」
「自由がいいということか」
「ですが?」
「だが、君は勘違いしている」
声の温度が下がった。
「君を縛ろうとしているのは私ではない」
「──連盟だ」
カナタが首を傾げる。
「連盟?」
「そうだ」
「世界一位、レイナ・クロノス」
「あの世界最強が君の後ろ盾に回っている」
「それは一見安全に見える」
「だが実態は違う」
「世界最強による完全な管理だ」
「君はまだ、レイナ・クロノスという怪物を何も分かっていない」
エドワードの言葉は、この世界を知る者からすれば正論だった。
レイナ・クロノス。
世界最強。
探索者連盟の象徴。
あの方が、一介の配信者に無償で肩入れするなど本来あり得ない。
必ず理由がある。
必ず裏がある。
しかし。
カナタは不思議そうに首を傾げた。
「え?」
「そんなことないですよ」
「何?」
「レイナさん、すごく優しいですし」
エドワードが眉をひそめる。
「優しい?」
「はい」
「家に来た時も脱いだ靴をちゃんと揃えるし」
「…………」
エドワードは一瞬言葉を失った。
世界最強の評価が。
まさかの靴揃え。
「それに」
カナタは思い出したように続ける。
「この前は妹さんにも買い物手伝ってもらいましたし」
「…………妹?」
エドワードの動きが止まった。
脳内で何かが引っ掛かる。
小さな違和感。
だが決して見逃してはいけない違和感。
「はい」
カナタは頷いた。
「ピンクのタッパー持った、すっごく可愛い妹さんです」
その瞬間。
エドワードの脳裏に、一つの光景が蘇った。
数日前。
ミナセ家。
植え込みの陰から見た、あの絶世の美少女。
私服姿。
ピンク色のタッパー。
そして――。
(……待て)
エドワードの背中を冷たい汗が伝う。
(レイナ・クロノスに妹などいたか?)
情報はない。
少なくとも彼の知る限り。
世界最強の家族構成に、そんな人物は存在しなかった。
エドワードは平静を装いながら尋ねる。
「その……妹、というのは」
「よくミナセ家へ来るのか?」
「はい」
カナタはあっさり答えた。
「最近は、妹さんの方がよく来てくれますね」
「レイナさん本人は、世界一位で忙しいでしょうし。あの人、ちゃんと休めてるんですかね」
「…………っ」
エドワードのポーカーフェイスが、僅かに崩れた。
カナタは何気ない日常の話をしている。
だが。
エドワードの優秀な頭脳は、その情報を見逃さなかった。
(世界最強レイナ・クロノス本人が……)
(世界一位としての任務の合間を縫って……)
(わざわざ身分を偽り……)
(妹という偽の立場を演じながら……)
(この男の元へ通っている……?)
あり得ない。
だが。
目撃した事実とは一致する。
ピンクのタッパー。
ミナセ家への出入り。
カナタの証言。
すべてが一本の線で繋がりそうで――まだ繋がらない。
(何かある)
(この男とレイナ・クロノスの間には、私の知らない何かがある……!)
「エドワードさん?」
カナタが不思議そうに首を傾げた。
「眼鏡、ズレてますよ?」
「…………」
その声すら耳に届かない。
エドワードの脳内では、まだ形にならない巨大な仮説が、静かに動き始めていた。
完璧なプレゼン。
完璧な資料。
完璧な再契約計画。
そのすべてに紛れ込んだ、たった一つのノイズ。
――妹。
その二文字が、エドワードの設計図を静かに狂わせ始めていた。
(第6話・完)




