第5話 世界最強、特売コーナーへ突撃する
郊外にある大型ホームセンター『ディアイワイ・オウコク』は、のどかな土曜日の熱気に包まれていた。
「ええっと、次は……」
カナタ・ミナセは、母親から渡された手書きの買い物メモを熱心に見つめていた。
使い込まれた買い物カゴの中には、すでに目的の品である『トマトの肥料』と、本体・詰め替え用セットで298円という破格の安さだった『お徳用洗剤』が綺麗に収まっている。
そして今、カナタが足を止めたのは、店舗の中央に設置された臨時特売コーナーの前だった。
山積みにされた新鮮な赤玉卵のパック。
その上には、
『本日限定・一パック98円(お一人様一点限り)』
という魅惑的なポップが躍っている。
「安いな……。いつものスーパーの半額以下だ。これなら母さんも絶対に喜ぶぞ」
カナタがホクホク顔で卵のパックをそっとカゴに放り込んだ、その瞬間だった。
――ウゥゥゥゥゥゥン!!!
ピィォォォォォン!!!
王都全域に、突如として国家非常事態レベルのけたたましいサイレンが鳴り響いた。
直後。
ホームセンターの周囲を、地響きを立てて現れた何十台もの黒塗り装甲車、上空を旋回する魔導ヘリ、探索者連盟直属の精鋭部隊が一瞬で完全包囲していく。
『……こちらアルファ隊。これより目標ポイントへ突入する』
無線から緊張に満ちた隊長の声が漏れる。
『……ここが、クロノス卿の仰っていた最重要警戒区域『トクバイ・コーナー』か……!』
『なんという高度な隠蔽偽装だ……』
『我々の目から見ても、ただの商業施設にしか見えん……!』
「動くな! 探索者連盟だ!」
「総員、その場に伏せろ!」
自動ドアが吹き飛ぶ勢いで開き、魔導銃を構えた精鋭たちが店内へ雪崩れ込む。
一般客や店員たちは大パニックだった。
「な、何事!?」
「戦争!?」
「サバゲーのイベント!?」
そんな中。
肥料と卵の入ったカートを押したカナタだけが、ぽかんと立ち尽くしていた。
「うわぁ、なんかすごい本格的な人たち入ってきたな……」
精鋭部隊が左右へ展開する。
その中央を、一人の人物がゆっくりと歩いてきた。
黒い外套。
深く被ったフード。
顔は見えない。
だが。
隠し切れない圧倒的な存在感だけが周囲を支配していた。
「クロノス卿!」
隊長が即座に敬礼する。
フードの奥から冷たい声が響く。
「報告しろ」
その声を聞いた瞬間。
カナタは首を傾げた。
「あれ?」
隊長が報告を始める。
「敵影なし!」
「周辺制圧完了!」
「魔力反応も確認できません!」
「他国工作員らしき人物も――」
「違う」
フードの人物が言った。
「今回は敵が撤退しただけだ」
「なっ……!?」
隊長が息を呑む。
その横で。
カナタだけが小さく手を上げた。
「レイナさん?」
フードの奥がぴくりと動いた。
「……カナタ」
「やっぱりレイナさんでした」
「今は話しかけるな」
「なんでですか?」
「任務中だ」
「そうなんですね」
カナタは素直に頷いた。
レイナの視線は、赤玉卵を大事そうに抱えているカナタへ向いていた。
(無事か……)
(よかった)
(間に合った)
(危ないところだったな、カナタ……)
レイナは静かに安堵した。
一方その頃。
少し離れたトイレットペーパー売り場の陰。
そこから状況を見守る男がいた。
元ギルドマスター。
エドワードである。
彼は眼鏡を押し上げながら、満足そうに微笑んでいた。
(……完璧だ)
(見ろ、あの視線を)
(周囲の人間など見えていない)
(完全にカナタだけを見ている)
やはり。
自分の分析は正しかった。
(レイナ・クロノスはカナタ・ミナセを放置できない)
(あの男こそが世界最強の弱み)
(そして――私が返り咲くための鍵だ)
その頃。
当のカナタは。
「赤玉卵、やっぱり安いな……」
「割れないように持って帰らないと」
卵の値段しか見ていなかった。
レイナは小さく息を吐く。
「最悪の事態は回避できた」
「……撤収する」
「了解ッ!!!」
隊長は即座に復唱した。
「総員、撤収!」
部隊は一糸乱れぬ動きで退避を開始する。
何が起きたのかは分からない。
だが。
クロノス卿が動いた以上、何かがあったのだろう。
そう結論づけた。
それを見届けたエドワードは、静かに踵を返した。
(やはり間違いない)
(次は私が直接カナタを説得する)
(奴をギルドへ引き戻す)
(そうすれば――)
(世界最強は私の側につく)
(勝機は見えた)
夕暮れ。
ホームセンターの帰り道。
二つの影が並んで歩いていた。
レイナはフードを外した。
白銀の髪が夕日に照らされる。
すれ違った人々が思わず振り返る。
だが本人は気にしていない。
なぜか両手にはトマトの肥料袋と洗剤の入った買い物袋を抱えていた。
人類最強の探索者にしては、あまりにも生活感があった。
「ありがとうございます」
「気にするな」
「でも……国家規模で肥料運ぶ必要ありました?」
「必要だった」
「そうですか」
少しの沈黙。
初夏の風が二人の間を通り抜ける。
「そういえば」
「?」
「なんでレイナさんの妹さんがここにいるんですか?」
「……何?」
「お姉さん、世界一だから忙しいですもんね」
「そうじゃないぞ、カナタ」
「なのに買い物まで手伝ってくれて」
「だから違う」
「ありがとうございます」
「話を聞け」
レイナが額を押さえる。
カナタは気付かない。
「今日の人たちもレイナさんの部下なんですよね?」
「そうだ」
「すごいなぁ……」
しみじみと頷く。
「じゃあ今度会ったら、今日の人たちにも紹介しておきますね」
「やめろ」
「大丈夫ですよ」
「何がだ」
「妹さんもちゃんと偉い人だって伝えますから」
「だから私だ!!」
(第5話・完)




