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第4話 世界最強、最悪のケースを想定する

 元ギルドマスター・エドワードは、決して無能ではなかった。


 むしろその逆である。


 状況を分析し、人を観察し、最も合理的な勝率を弾き出す。


 その能力だけなら、探索者連盟の幹部たちすら上回ると自負していた。


 だからこそ――。


 カナタ・ミナセを追放した判断も、間違いではなかったと今でも思っている。


 あの時点では最善だった。


 少なくとも、そう判断できる材料しか存在しなかった。


 問題は結果だ。


 結果だけが最悪だった。


 スポンサーは離脱した。


 世論は炎上した。


 ギルドは崩壊寸前。


 そして何より――。


 追放した荷物持ちが、神をワンパンした。


「……馬鹿げている」


 エドワードは呟いた。


 落ちぶれた執務室。


 机の上には大量の資料が並んでいる。


 カナタの行動記録。


 配信映像。


 探索者連盟の発表。


 そして。


 昨日、自らの目で見た光景。


 ミナセ家。


 世界最強。


 オムライス。


 ハンバーグ。


 意味不明な単語ばかりだ。


 だが。


 その中で一つだけ、確信したことがある。


(クロノス卿ほどの人間が、あそこまで一人の男に心を許している)


 レイナ・クロノス。


 世界第一位探索者。


 誰にも媚びない。


 誰にも従わない。


 誰にも心を開かない。


 孤高の英雄。


 そのはずだった。


 だが昨日見たレイナは違う。


 ミナセ家のリビングで笑い。


 料理を作り。


 来月の約束を交わしていた。


(感情の揺らぎは交渉における最大の隙だ)


 エドワードは口元を吊り上げた。


 レイナ本人は気付いていない。


 だが。


 第三者だからこそ見えるものがある。


(見えたぞ、クロノス卿)


(お前の弱みが)


 そして。


 弱みがあるなら利用できる。


 利用できるなら勝てる。


 エドワードは立ち上がった。


「――まだ終わっていない」


⸻


 王都。


 探索者連盟本部。


 最上階。


 世界第一位探索者専用執務室。


「――お通ししろ」


 受付職員が緊張した顔で頷く。


 今のエドワードは落ちぶれている。


 だが腐っても元大手ギルドマスターだ。


 まだ完全に影響力を失ったわけではない。


 数分後。


 重厚な扉が開いた。


 デスクの奥に座るレイナ・クロノス。


 相変わらず圧倒的だった。


 ただ座っているだけなのに。


 部屋全体を支配している。


 人類最強。


 その言葉がよく似合う。


 だが。


 エドワードは臆さない。


 彼もまた、交渉の世界では一流だった。


「単刀直入に申し上げます、クロノス卿」


 スマートな笑み。


 完璧な姿勢。


 完璧な声量。


「カナタ・ミナセを、私のギルドへ戻します」


 レイナの眉がわずかに動く。


「……何?」


「奴の扱いを最も理解しているのは私です」


 エドワードは続ける。


「ギルドに戻せば管理できる」


「保護もできる」


「他国の干渉も防げる」


 そして。


 最後の一言を置いた。


「あなたも、安全に奴を独占できる」


 沈黙。


 数秒。


 レイナは静かに答えた。


「断る」


 即答だった。


 エドワードは内心で笑う。


 予想通りだ。


 感情的な拒絶。


 つまり図星。


 だから次のカードを切る。


「……なぜです?」


 レイナは腕を組んだ。


 脳裏に浮かぶのは昨日の光景。


 オムライス。


 お母様。


 そして。


 ――来月のハンバーグ。


「あいつがどこかのギルドに所属すれば拘束される」


「私の重要な予定に支障が出る」


「よって断る」


 エドワードは確信した。


(やはりそうだ)


(あそこまで執着する理由は一つ)


(カナタ・ミナセか)


 そして彼は最後の一手を放つ。


「……本当に、それでいいのですか?」


 眼鏡を押し上げる。


「今、この瞬間」


「カナタがどこで何をしているか把握していますか?」


 レイナは答えない。


 その沈黙だけで十分だった。


 レイナは答えなかった。


 それだけで十分だった。


(やはり把握していない)


(無防備だ)


(隙だらけだ)


 エドワードは静かに畳み掛ける。


「奴は神をワンパンする規格外です」


「ですが同時に、あまりにも無警戒だ」


「もし他国の工作員が接触したら?」


「もし暗殺ギルドが先に確保したら?」


「もし国家が囲い込みに動いたら?」


 レイナの瞳がわずかに揺れた。


「……」


「取り返しがつかなくなってからでは遅い」


 エドワードはそこで口を閉じる。


 有能な交渉人は語りすぎない。


 相手に考えさせる。


 自分で結論へ辿り着かせる。


 それが最も強い。


「……私は忠告しました」


 完璧な一礼。


 そして退室。


 扉が閉まる。


 執務室に静寂が落ちた。


⸻


(他国の工作員……)


(暗殺ギルド……)


(無警戒……)


 レイナは考える。


 そして。


 最悪のケースを想定した。


 それが彼女の仕事だった。


 世界最強である前に。


 彼女は世界を守る側の人間だ。


 だから。


 常に最悪を考える。


 直後。


 レイナの脳内でシミュレーションが始まった。


⸻


『わあ』


『特売卵だ』


 カナタが嬉しそうにカゴを持つ。


 その背後。


 黒服の工作員。


『今だ』


『確保しろ』


『カナタ・ミナセを連行する』


『え?』


 ガシッ。


『あっ』


 そのまま連れ去られるカナタ。


⸻


 さらに未来。


⸻


『ごめんなさいね、レイナちゃん』


『え?』


『カナタがいなくなっちゃったから』


『来月のハンバーグ、中止なの』


⸻


「……っ!!」


 レイナは立ち上がった。


 冷や汗が流れる。


 まずい。


 非常にまずい。


 国家転覆?


 暗殺組織?


 そんなものはどうでもいい。


 問題はその先だ。


 実家ハンバーグが消滅する。


 それだけは許されない。


 断じて許されない。


「総員、第一種戦闘配置!」


 通信機を掴み叫ぶ。


 直後。


 執務室の扉が吹き飛びそうな勢いで開いた。


「クロノス卿!?」


 直属精鋭部隊隊長。


 世界最強がここまで焦った顔をするのを初めて見た。


 隊長の背筋が凍る。


「あなた様が応援を要請するなど……」


「何が起きたのですか!?」


「最悪のケースを想定する」


「最悪……!」


「他国工作員」


「国家級暗殺組織」


「あるいはそれ以上」


 隊長の顔色が変わった。


「目標地点は!?」


 レイナは外套を翻した。


 人類最強の眼光。


 国家存亡級の覚悟。


 そして。


「――特売コーナーだ」


 沈黙。


「……はい?」


「特売コーナーだ」


「コードネームですか?」


「違う」


「違うのですか!?」


「特売コーナーだ」


 レイナは断言した。


「奴は必ず特売へ向かう」


「間違いない」


「急ぐぞ」


「りょ、了解ッ!!!」


 隊長は震えた。


(特売コーナー……)


(そうか……!)


(最高機密作戦区域の隠語だな!?)


 かつての会議を思い出す。


『あいつは特売卵を優先する男だからだ』


 あの発言。


 伏線だったのか。


 隊長は戦慄した。


⸻


 数分後。


 探索者連盟本部。


 完全武装の精鋭部隊。


 黒塗り装甲車。


 緊急出動。


 王都中に警報が鳴り響く。


 国家危機レベルの対応だった。


⸻


 本部ビルの影。


 それを見上げる男がいる。


 エドワード。


 彼の口元には勝利の笑み。


(やはり人は感情で動く)


(英雄も王も例外ではない)


(レイナ・クロノスですら同じだ)


 自分の分析。


 自分の交渉。


 自分の誘導。


 全てが完璧だった。


(私の言葉一つで世界最強が動いた)


(やはり読みは正しかった)


(レイナ・クロノスはカナタを放置できない)


(これで世界最強を味方につけられる)


(あとは私がカナタを説得するだけだ)


 完璧な勝利。


 完璧な未来。


 そう信じて疑わない。


 エドワードは静かに呟いた。


(――勝った)


⸻


一方その頃。


 郊外の大型ホームセンター。


「えーっと」


 カナタは買い物メモを見る。


「トマトの肥料」


「洗剤」


「あ」


 特売コーナーだった。


 赤玉卵が山積みになっている。


「安い」


 カナタは迷わずカゴに放り込む。


「これで母さん喜ぶな」


(第4話・完)


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