第3話 世界一位探索者、私は女だ
数日前の「神殺し配信事故」以降。
世界各国では、カナタ・ミナセへの警戒レベルが過去に前例のない一線まで引き上げられていた。
王都政府、軍部、探索者連盟。
あらゆる権力機関の最高会議室では、連日連夜、青ざめた幹部たちによって彼への対策が議論されている。
「監視対象、危険度SSS」
「国家崩壊級危険存在だ。最悪の場合、人類の災厄として討伐も辞さない構えを――」
緊迫した空気の中、世界が彼をどう扱うべきか頭を抱えていた、その時。
会議室の最上席に座る世界第一位探索者、レイナ・クロノスがすっと手を挙げた。
「討伐は反対だ」
誰もが息を呑む。
人類最強が、ついに重い口を開いたのだ。
「な、なぜですかクロノス卿!?」
幹部が恐る恐る尋ねる。
レイナは少し考え、
そして大真面目な顔で言った。
「……あいつは、特売卵を優先する男だからだ」
会議室の思考が停止した。
「は?」
誰かの間抜けな声だけが響く。
*
「ねえ、母さん」
「なに?」
「レイナさんって、すごい人ですよね」
「そう?」
「世界一位なのに全然偉そうじゃないし」
「ふーん」
「昨日だって、ちゃんと靴揃えてましたし」
「うん」
「正座も綺麗でしたし」
「うん」
「中性的な綺麗なお顔してますけど、ああいう礼儀正しい男の人って格好いいじゃないですか」
「ぶふっ!!」
ミナセ家のリビングで、お母さんが盛大に麦茶を吹き出した。
「ちょっ、汚いですよ」
「あんた今、なんて?」
「え?」
カナタは不思議そうに首を傾げる。
「だからレイナさんです」
「その後」
「理想の男性像って話ですか?」
「あんた……本気で言ってるの?」
「はい?」
「本気なのね……」
お母さんは遠い目をした。
世界が人類の災厄として恐れている男は、世界一位の性別という極めて初歩的な部分で盛大な勘違いをしていた。
*
その頃。
ミナセ家の外の植え込み。
元ギルドマスター、エドワードは息を潜めていた。
スポンサー離脱。
ネット炎上。
ギルド崩壊寸前。
すべてはカナタ追放から始まった。
(私は間違っていなかった)
エドワードは歯を食いしばる。
(あの時点では最善だった)
(だが結果が全てだ)
(このままでは私も、ギルドも終わる……!)
その時だった。
カツ、カツ、と規則正しい足音が近付いてくる。
現れたのは美少女だった。
私服姿。
両手にはピンク色のタッパー。
(……誰だ?)
エドワードが眉をひそめる。
(いや待て)
(クロノス卿に似ている……?)
(妹か?)
(まさか本人――)
即座にその考えを否定した。
(あり得ん)
(あの孤高の男が、あんな私服でタッパーを持つものか)
そして。
玄関が開く。
「……どちら様ですか?」
「私だ。レイナだ」
「えっ」
カナタが固まる。
「……あ、レイナさんの妹さんですか?」
「違う」
レイナは即答した。
「本人だ」
「でも」
「私は女だ」
「はい」
「信じていないな?」
「信じてますよ」
「では私は?」
「レイナさんの妹さんです」
「性別は?」
「女性です」
「ではレイナは?」
「男性です」
「だから違う!!」
エドワードは植え込みの中で額を押さえた。
(あの美少女が……世界一のクロノス卿だと……?)
開いた口が塞がらない。
いや、塞がらないどころか、本当に口を開けたまま固まっていた。
「ちっ、蚊が……」
慌てて口元を払う。
一つだけ分かった。
会話の内容は意味不明だ。
しかし――
世界最強とカナタは異常なほど距離が近い。
それだけは確かだった。
*
「あら、レイナちゃんいらっしゃい」
「こんにちは、お邪魔します」
リビングへ通されたレイナは、
どこか誇らしげな顔で鞄を開いた。
「昨夜、オムライスについて調べた」
ドン。
机に積まれる本。
さらにノート。
本十冊。
ノート三冊。
「お母様」
レイナは真剣な顔で言う。
「これが失敗確率をゼロにする工程表だ」
「読んでくれ」
「読まない」
「なぜだ」
「それ、読んだら美味しくなる?」
「たぶん……」
「じゃあ後で」
「なるほど」
窓の外。
エドワードは頭を抱えた。
(納得するな世界一位ィィィ!!)
「レイナちゃん」
「はい」
「玉ねぎ切って」
「はい」
「卵割って」
「はい」
世界最強は、その後も何の疑問も抱かず主婦の指示に従った。
やがて。
レイナの努力の結晶は完成した。
完成したのだが――。
「なぜだ……」
レイナは皿の上を見つめた。
そこには黒かった。
とても黒かった。
オムライスとは思えないほど黒かった。
「材料は同じ」
レイナが震える声で呟く。
「火加減も計算した」
「工程も完璧だった」
「なぜ黒い」
「火が強かったんじゃない?」
お母さんがあっさり言った。
「だが資料には――」
「資料よりフライパン見なきゃ」
「……」
世界最強が黙った。
レイナはしばらく黒焦げを見つめ、
やがて静かに皿を持ち上げる。
「失敗だ」
その声は冷たかった。
「結果が出なかった」
「なら価値はない」
ゴミ箱へ向かおうとする。
それを見たカナタが首を傾げた。
「なんで捨てるんですか?」
「食べられないからだ」
「そうですか?」
カナタはスプーンを伸ばした。
「待て」
「まあまあ」
ザクッ。
黒い部分を少し避ける。
中のチキンライスをすくう。
ぱくり。
もぐもぐ。
ごくん。
「うん」
「どうだ」
「普通に美味しいです」
レイナが固まった。
「普通に?」
「焦げてるの表面だけですよ」
もう一口。
「ほら」
「中は全然大丈夫です」
「……」
「それに」
カナタは笑った。
「僕のために作ってくれたんですよね」
「ち、違う」
「え?」
「お母様に教わりたいからだ」
「なるほど」
「……」
「でも僕の分も作ってくれたんですよね」
「それは……そうだが」
「だったら十分です」
レイナは言葉を失った。
完璧じゃなかった。
失敗した。
だから価値がない。
ずっとそう教えられてきた。
だが目の前の男は違った。
結果ではなく。
失敗でもなく。
作ろうとしたことを見ていた。
「そうそう」
お母さんが頷く。
「料理ってね」
「上手に作るためじゃなくて」
「誰かに食べてもらうために作るのよ」
レイナは何も言えなかった。
胸の奥が妙に熱い。
昨日オムライスを食べた時とも少し違う。
どう扱えばいいのか分からない感情だった。
「じゃあ」
お母さんが笑う。
「来月また作りましょ」
「……え?」
「今度はハンバーグ」
「ハンバーグ」
「好き?」
「好きです」
即答だった。
「じゃあ来月ね」
「はい」
その瞬間。
カナタが満面の笑みで指をさした。
「ほら」
「何がほらだ!!」
レイナのツッコミが炸裂した。
「だから私は女だと――」
「レイナちゃん」
「はい」
「ハンバーグ好き?」
「好きです」
「来月来る?」
「はい」
「ほら」
「だから何がほらだ!!」
「男の約束ですね」
「違うと言っている!!」
完全に後手だった。
カナタは満足そうに頷く。
「男同士、来月も頑張りましょう」
「話を聞け!!」
*
窓の外。
植え込みの中。
エドワードは冷や汗を流していた。
(……見たか)
見てしまった。
あのレイナ・クロノスが。
世界最強の探索者が。
一人の男のために料理を作り。
失敗して落ち込み。
来月の約束まで取り付けている。
(あり得ん)
(あのレイナ・クロノスだぞ……?)
誰にも心を開かず。
誰にも媚びず。
誰にも従わない。
人類最強。
孤高の探索者。
そのはずだった。
(なるほど)
エドワードの脳内で全てが繋がる。
(そういうことか)
カナタ。
あの男こそが鍵。
レイナの弱み。
レイナを動かす唯一の存在。
利用できる。
いや。
利用しなければならない。
(見えたぞ)
エドワードの口元が吊り上がる。
(レイナ・クロノス……)
(お前の弱みが)
*
夜。
ミナセ家の玄関。
「レイナちゃん、また来なさいね」
「……はい」
「レイナさんの妹さんも、また来てくださいね」
「だから私だ!!」
世界一位の虚しいツッコミが夜空に響く。
その様子を見ながら。
植え込みの闇の中で。
エドワードは勝利を確信していた。
(カナタ・ミナセ)
(お前が鍵だ)
(お前を使えば、レイナも動く)
(ギルドも救われる)
(私の地位も戻る)
(――勝った)
その瞬間。
ガラリ。
窓が勢いよく開いた。
「レイナちゃーん!」
お母さんだった。
「忘れ物ー!」
「っ!?」
「タッパーのフター!」
「あっ!」
世界最強が慌てて引き返す。
「す、すまないお母様!」
「気をつけて帰るのよー!」
「はい!」
タッパーの蓋を受け取る世界最強。
それを見ながら。
エドワードは満足そうに頷いた。
何一つ理解していない顔で。
静かに闇へ消えていった。
(第3話・完)




