第2話 世界一位の探索者、実家で正座する
数日前の配信事故は、いまだに世界中のニュースや切り抜き動画をにぎわせていた。
『終焉の巨神、消滅』
『配信切り忘れで神殺し発覚』
『無能荷物持ちとは何者か』
ネットは大混乱。
探索者連盟の緊急会議では、青ざめた幹部たちが「国家級の危険存在」「人類の災厄になり得る」と、カナタを危険視し始めていた。
各国の探索者ギルド。
王都政府。
軍部。
誰もが、あの日の映像を何度も見返している。
だが、その頃――。
「母さん、このオムライス、今日ちょっとケチャップ多め?」
「ご飯中にスマホ見ないの」
当の危険存在は、実家で朝ご飯を食べていた。
カチリ、と小気味いい音を立てて、おたまが鍋の縁を叩く。
カナタのスマホは、国家安全保障局からの【最重要警告】や、元リーダーのエドワードからの【本当にすまなかった頼むから戻ってきてくれ】という必死の通知で、ジジジジジ! と机の上で鳴りっぱなしだった。
だが、母親の手によって画面は無慈悲に裏返される。
「あ、ごめんなさい」
世界の危機よりも、我が家の「ご飯中のスマホ禁止」が優先されていた。
*
一方その頃。
世界第一位探索者レイナ・クロノスもまた、その映像を見ていた。
終焉の巨神。
討伐推定戦力は、S級ギルド五十組。
国家級戦力の投入が前提。
本来なら、人類が総力を挙げてようやく挑む怪物だ。
その怪物が――。
一瞬で消えた。
「……ありえない」
レイナは映像を巻き戻す。
もう一度見る。
さらにもう一度見る。
何度見ても、結果は変わらない。
錆びた短剣を軽く振っただけ。
それだけで、終焉の巨神は跡形もなく消えていた。
しかも。
『母:卵買ってきて。十個入りのやつ』
「……なぜそこで卵なんだ」
レイナは思わず呟いた。
そして、さらに映像を進める。
カナタは、世界を壊しかねない力を使った直後に、特売の卵を買う話をしていた。
その後、王都のスーパーで偶然会った時もそうだった。
世界が大混乱している中、彼は本気で最後の卵パックを心配していた。
「……分からない」
強すぎる力を持つ者は、たいてい歪む。
力に酔う。
孤独になる。
誰かを見下す。
あるいは、自分を特別だと思い込む。
だが、カナタ・ミナセは違った。
神話級ボスを消し飛ばしたあとで、母のオムライスを心配していた。
レイナはしばらく黙り込む。
そして、静かに立ち上がった。
「……もう一度」
レイナは、スーパーで見た青年の顔を思い出す。
特売の卵を前に、本気で悩んでいた男。
神話級の怪物を消し飛ばした直後とは、とても思えなかった。
「直接会って、確かめるしかない」
彼が本当に危険なら、自分が止める。
だが、その前に。
世界が彼を恐れて壊すより先に、守る必要がある。
レイナは黒い外套を手に取り、執務室を出た。
*
そんな平和なミナセ家の前に、黒塗りの高級車がぴたりと停まった。
車から降りてきたのは、漆黒の外套をまとった世界第一位探索者、レイナ・クロノス。
周囲を警戒する私服姿の精鋭護衛たちを従え、彼女はかつてないほどの緊張感の中にいた。
(ここが、世界を揺るがす《概念破壊》の保有者の拠点……?)
見上げるのは、ごく普通の木造二階建て一軒家。
玄関先には小さな家庭菜園のプランター。
ベランダには、初夏の風にはためくバスタオル。
あまりにも長閑な日常の光景と、彼が秘める規格外の力とのギャップに、レイナは額に冷汗を流しながら、意を決してインターホンを押した。
ピンポーン。
ガチャ、と音を立てて木製のドアが開く。
現れたのは、エプロン姿のカナタの母親だった。
「……世界第一位探索者、レイナ・クロノスです。本日はカナタ・ミナセ氏の――」
「はいはい、こんにちは。外は暑かったでしょう。中に入りなさい」
「え」
「あ、靴はちゃんと揃えてね」
「……っ」
衝撃だった。
母親は、世界一位という肩書きにも、レイナの身体から無意識に漏れ出ていた圧にも、一ミリも反応しなかった。
それどころか、ただの近所の子供を迎え入れるように、玄関の靴の乱れを最優先した。
「……は、はい」
レイナは気圧されるまま、これまでの人生で一番綺麗に、つま先を揃えて靴を脱いだ。
リビングの畳スペースに通されたレイナは、瞬時に周囲を観察する。
(不自然だ。結界も監視装置もない。……いや、あえて何も置かないことで、逆にこちらの出方を探る罠か……?)
いつでも動けるよう全身の神経を研ぎ澄ますレイナ。
だが、お母さんの「そこに座って待っててね」という、あまりにも自然なひと言に、なぜか抗うことができなかった。
気づけば、外套の裾を畳の上に整え、完璧な正座を決めていた。
「あ」
カナタが麦茶を置きながら、ぱちりと目を丸くする。
「スーパーの……卵の人!」
「卵の人ではない」
レイナは即座に否定した。
「世界第一位探索者、レイナ・クロノスだ」
「あ、すみません」
「……だが」
レイナは少しだけ視線を逸らした。
「先日は、その……まともに話ができなかった」
「ああ、卵のことで?」
「違う」
「やっぱり気にしてたんですか」
「違うと言っている」
「気にしますよね。特売でしたし」
「違う」
「しかも、最後の一パックでしたもんね」
「だから違う。そういう問題ではない」
「じゃあ……どうしたんですか、そんなところで正座して」
「……私が好きでしているわけではない。だが、嫌でもない」
「そうなんですね」
「納得するな」
すでに主導権は完全にミナセ家に握られていた。
レイナはコホンと咳払いをして、乱れかけた表情を引き締める。
今度こそ、国家の命運に関わる本題を切り出した。
「カナタ君。単刀直入に言う。君の《概念破壊》は危険すぎる。世界の上層部は君を恐れている。最悪の場合、未知の脅威として討伐対象にしようとする者も出るだろう」
「えぇ……めんどくさいなぁ」
「だから、私のギルドに来い。私が君を保護する。他国の干渉からも守る」
そう言って、レイナは懐から一本の短剣を取り出し、畳の上に置いた。
黒銀に輝く、希少魔鉱石で作られた短剣。
見ただけで分かる。
先日まで使っていた安物とは、まるで違う。
「これは我がギルドの秘蔵だ。どんな衝撃にも耐える。絶対に壊れない」
その瞬間、カナタの目がぱっと輝いた。
「あ、壊れない短剣! 助かります。先日の戦いで一本折っちゃったんですよ」
「……そこか?」
「はい。通販で買ったやつ、安くなかったので」
「神話を冠する巨神を殺したことより、通販の短剣が折れたことを気にしているのか……?」
「だって、短剣ってまともに買うと高いじゃないですか。今月ピンチなんです」
「……なるほど。君はやはり、あらゆる常識が通用しない危険な男だ」
「どこがですか?」
レイナが必死に構築しようとするシリアスな世界観が、カナタのゆるい空気によって、ボロボロと音を立てて削られていく。
「はい、お待たせー。お喋りはそこまでね」
絶妙なタイミングで、お母さんがお盆を持ってやってきた。
テーブルに置かれたのは、ふんわりと湯気を立てる、出来立てのオムライス。
黄金色の卵の上には、ケチャップで少し不器用に、けれど温かみのある『ようこそ』の文字が書かれていた。
香ばしいバターと甘酸っぱいトマトの香りが、リビングにふわりと広がる。
「いえ、私は今、国家安全保障に関わる極めて重大な話を――」
「難しいお話は、ご飯を食べてからにしなさい」
「しかし、これは世界のパワーバランスが――」
「空腹で話し合うと、ろくな結果にならないのよ。さあ、冷めないうちに。スプーン、はい」
「……はい」
またしても主婦の正論に全面降伏し、レイナは大人しくスプーンを握らされた。
(まさか、何らかの高度な精神操作魔術が施された料理か……?)
警戒を怠らず、しかし逃れられぬ運命を前に覚悟を決めて、オムライスを小さく一口、口に運ぶ。
その瞬間。
レイナの時が、止まった。
幼い頃から天賦の才を見出され、「人類の希望」として厳しく育てられてきた。
彼女にとって、食事とは戦うための栄養を補給する作業に近かった。
ダンジョンを攻略する日々の中で口にするのは、味のしない高栄養バーと、苦い回復薬ばかり。
誰かが自分のためだけに作ってくれた、湯気の立つ、温かい手料理の記憶なんて、彼女の孤独な人生には、ほとんど存在しなかった。
口いっぱいに広がる、チキンライスの旨味とケチャップの酸味。
それを優しく包み込む、バターが香るふんわりとした卵の温もり。
ぽろり、と。
レイナの目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
当の本人が、一番驚いたように目を見開いている。
「……おいしい」
「レイナさん、泣いてます?」
「泣いていない。これは……湯気だ」
「あらあら、湯気なら仕方ないわね」
お母さんは優しく笑いながら、レイナのコップに冷たい麦茶を注ぎ足した。
「たくさんあるから、いっぱい食べなさい」
「……はい」
そこからのレイナは、文字通り世界一位だった。
常人には視認できないほどのスプーンさばきで、背筋をピンと伸ばした正座のまま、次々とオムライスを口に運んでいく。
「レイナさん、さっき言ってた僕が危険存在だとか、国家安全保障の件はどうするんですか?」
カナタが尋ねると、レイナは頬を少し膨らませたまま咀嚼し、真顔で言い放った。
「今はそれどころではない。オムライスの前では国家安全保障も一時停止だ」
「いいんですか、世界一位がそれで」
「いい。これは極めて合理的な優先順位の問題だ」
「国家よりオムライスが上なんですね」
「少なくとも、このオムライスの前ではそうだ」
短剣をテーブルの端に追いやったまま、レイナはあっという間に一皿を平らげた。
ふぅ、と満足そうに、張り詰めていた肩の力を抜いて息を吐く。
そして、再び真剣な眼差しでカナタを見つめた。
「カナタ君。前言を撤回する」
「え?」
「君の力は確かに世界を滅ぼせる。だが……この家が、この温かいお母さんが、君を『人間』として世界につなぎ止めている。それを理解せず、君を管理しようなど、世界の傲慢だった」
「なんか、急に話が大きくなりましたね」
「私は、この家のオムライスを守る側につく。それが、結果的に世界を一番平和に守るということだ」
「そこですか!? 目的が食べ物ベースにすり替わってますよ!」
カナタのツッコミがリビングに響き渡った、その時。
キッチンから、食器を片付ける小気味いい音と共に、お母さんの声が飛んできた。
「はーい、お喋りしてないで、お皿をキッチンに下げちゃってねー」
その言葉を聞いた瞬間、二人の身体が反射的に動いた。
「「はい!」」
世界一位と、神をワンパンした男が、揃って皿を持って立ち上がる。
この家の日常ルールの前では、世界の序列も、SSS級の異能も、あまり意味がなかった。
「あ、レイナちゃん。おかわり、タッパーに包んで持って帰る?」
お母さんの何気ないひと言に、レイナの瞳が今日一番の鋭さで光った。
「……っ! お願いします」
「レイナさん、目がガチすぎますって」
「黙れカナタ君。このオムライス……世界を救える」
「だから、うちの普通のオムライスですよ?」
「冷める前に食べるのが、一番よー」
世界が大騒ぎしているその裏で。
世界一位の探索者は、すっかりミナセ家の味を覚えてしまったのだった。
(第2話・完)




