第34話 世界最強の体内へ
ブゥゥゥン――。
探索者協会地下。
巨大装置ミクロダイブ・カプセルが、低い駆動音を響かせていた。
青白い光に包まれた中央ステージには、三人。
世界第一位――レイナ・クロノス。
世界第二位――アレクシス。
そして、世界第三位――ドクター・ノヴァ。
その様子を映すモニターの向こう。
特別治療室では、カナタがベッドに横になっている。
「最後に確認するよ」
ノヴァが人差し指を立てた。
「僕ら三人が小さくなって、カナタ君の身体へ入る」
「はい」
「カナタ君は作戦中、なるべく動かない」
「はい」
「《概念破壊》も使わない」
「はい」
アレクシスが眉を上げる。
「妙に素直だな」
「僕が動くと、皆さんが危ないんですよね?」
「そうだよ」
「じゃあ、動かないです」
「……話が早いな」
「ただ、一ついいですか?」
「何だい?」
「途中でトイレに行きたくなったら、どうすればいいですか?」
「先に行っておけ!!」
アレクシスの怒声が研究室へ響いた。
「あ、そうですね」
「なぜ今気づいた!?」
「行ってきます」
「早く行け!!」
◇
数分後。
戻ってきたカナタが、再びベッドへ横になった。
「これで大丈夫です」
「では始めようか」
ノヴァが操作盤へ指を伸ばす。
「あ、レイナさん」
「なんだ」
「中で迷ったら、僕に聞いてください」
「……お前の身体だぞ」
「はい」
「道が分かるのか?」
「分かりません」
「では、なぜ聞けと言った」
「一応、僕の身体なので」
「そういう問題ではない」
「あ、そうなんですね」
レイナが額を押さえる。
横でノヴァが楽しそうに笑っていた。
「まあ」
カナタはいつもの調子で続ける。
「よろしくお願いします」
レイナがカナタを見る。
「ああ」
短く答えた。
「任せろ」
「はい」
「それじゃ――」
ノヴァがスイッチを押す。
「人体探索、開始だ」
ブゥゥゥゥゥン――!!
眩い光が弾けた。
「うおっ!?」
アレクシスの声が遠ざかる。
三人の身体が急速に縮んでいく。
一メートル。
十センチ。
一センチ。
さらに。
さらに。
やがて――。
三人の姿は、肉眼では確認できないほど小さくなった。
同時に、装置中央へ小型カプセル船ミクロポッドがせり上がる。
三人は、その内部へ自動収容されていた。
医療スタッフが《ミクロポッド》を慎重に回収し、特殊な注射器へ装填する。
通信機からノヴァの声が響いた。
『それじゃ、この《ミクロポッド》ごとカナタ君の静脈へ入れてもらうよ』
『……待て』
アレクシスだった。
『入れるとは、具体的にどうやってだ?』
『注射』
『注射!?』
『大丈夫。超極細針だから、ほとんど痛くない』
『俺たちが痛いかどうかを聞いているんじゃない!!』
副官も注射器を見つめて青ざめた。
「本当に人間を注射するんですね……」
『今はミクロサイズだから大丈夫』
「大丈夫の基準がおかしいですよぉ!!」
医療スタッフがカナタの腕を消毒する。
「それでは、入れます」
「はい」
ちくっ。
「……あ」
『どうした?』
「ちょっと痛かったです」
『ほら。ちょっとだけだろう?』
「本当にちょっとでした」
『なぜ二人とも注射の感想しか言わないんだ!!』
アレクシスの絶叫とともに。
《ミクロポッド》は、カナタの静脈へ送り込まれた。
◇
「こんにちは」
しばらくして。
カナタはベッドに寝転んだまま、腹の上へスマートフォンを置いた。
配信開始。
同時接続者数は――まだ、ほんの数人。
『常連A:きた』
『常連B:体調大丈夫?』
『常連C:今日は何するの?』
『母:カナタ、お昼どうするの?』
「まだ分からないです」
『母:帰ってくるなら作るけど』
「じゃあ、お願いします」
『常連A:開始早々、昼飯の相談してる』
「今日はですね」
カナタがカメラを見る。
「僕の身体の中を攻略するみたいです」
数秒。
コメントが止まった。
『常連A:ん?』
『常連B:もう一回言って』
『常連C:説明が足りない』
「レイナさんとアレクシスさんとノヴァさんが、今、僕の血管の中にいます」
『常連A:??????』
『常連B:なんで????』
『母:レイナちゃんたち、お昼は?』
「……聞いてないです」
『母:じゃあ三人分多めに作っておくわね』
「ありがとうございます」
『常連C:そこを普通に受け入れるな』
その直後。
配信開始の知らせが一気に拡散された。
五人。
百人。
千人。
一万人。
数字が猛烈な勢いで跳ね上がる。
『世界一位二位三位が神殺しの体内にいるってマジ!?』
『何してんだよ!?』
『卵の件か!?』
カナタが頷いた。
「卵を食べると具合が悪くなる原因を、身体の中から退治してくれるそうです」
『治療メンバーが豪華すぎる』
『世界一位二位三位を体内に入れるな』
「僕は外から応援します」
『お前の身体だろ』
『本人が外部班なの草』
「中に入ると危ないらしいので」
『もう中にいるんだよ』
「……難しいですね」
◇
同じ頃。
カナタの体内。
注射器から押し出された《ミクロポッド》が、静脈へ飛び出した。
その瞬間だった。
ゴォォォォォォォォォッ!!
「うおおおおおおおっ!?」
世界が回転した。
上下も左右もない。
巨大な赤い塊が、濁流となって次々と横を通り過ぎていく。
ポッドの窓いっぱいに迫る、真紅の壁。
「なんだこれは!?」
「赤血球だよ」
「これが!?」
「今の僕らから見ればね」
ドゴンッ!!
「ぐおっ!?」
一つが船体をかすめた。
《ミクロポッド》が猛烈に回転する。
警告音が鳴った。
《姿勢制御エラー》
《推進器出力低下》
「ノヴァ!」
アレクシスが座席へしがみつく。
「まず止めろ!」
「今やってる」
ノヴァの指が操作盤を走る。
「生体吸着パッド、展開」
カシュッ!
ポッド底部から半透明のパッドが広がる。
血管の内壁へ触れた。
だが。
ズルッ。
「……」
「……おい」
「思ったより滑るね」
「感想を言っている場合か!!」
「血管の内壁って、すごく滑らかなんだよ」
「知っていたんじゃないのか!?」
「外から見るのと、中に入るのは違うからね」
「お前が一番楽しんでいるだろう!!」
再び吸着。
ズルッ。
失敗。
その時。
レイナが前方を見た。
「来るぞ」
「何が――」
巨大な赤血球。
一つではない。
濁流に乗った無数の赤血球が、壁のようになって迫っていた。
アレクシスが反射的に大剣を抜く。
窓の向こうの赤血球へ、刃先を向けた。
「斬る!」
斬撃を放とうとした、その瞬間。
「駄目!」
ノヴァの声が鋭く変わる。
アレクシスの動きが止まった。
「何!?」
「それ、カナタ君の赤血球だから!」
「ではどうしろと!?」
「避けて!」
「世界第二位に赤血球から逃げろと言うのか!?」
「ここでは赤血球の方が大事!」
「言い方!!」
ドゴォォォン!!
衝撃。
《ミクロポッド》が横へ弾き飛ばされる。
「くっ!」
レイナが座席の手すりを掴み、衝撃に耐える。
さらに一つ。
背後から迫る。
「右だ!」
アレクシスの声。
ノヴァが操縦レバーを倒す。
《ミクロポッド》が急旋回した。
巨大な赤血球が、船体すれすれを通過する。
「……人間は毎日、こんなものを身体の中に流しているのか?」
「普通の人は小さくなって眺めないからね」
「今それを聞いているんじゃない!」
ガンッ!!
再び船体が揺れた。
赤い警告表示が点滅する。
《外殻損傷》
《帰還ビーコン出力低下》
ノヴァの笑顔が消えた。
「……まずいな」
「何だ」
「帰還ビーコンに衝撃が入った」
「それは何だ?」
「僕らを回収して、元の大きさへ戻すための目印」
アレクシスの顔が強張る。
「壊れたら?」
「帰れなくなる可能性がある」
「先に言え!!」
「壊れる予定じゃなかったからね!」
直後。
また、赤血球の群れ。
「左!」
レイナが叫ぶ。
ノヴァが操縦レバーを倒す。
だが。
推進器の反応が遅い。
「間に合わない!」
アレクシスが立ち上がった。
「斬らなければいいんだな!」
「何をする気――」
アレクシスが大剣を鞘へ収める。
そのまま思い切り振り抜いた。
ドンッ!!
窓の外。
凄まじい剣圧が、血流を横へ押し分ける。
その勢いに弾かれ、《ミクロポッド》が横へ滑った。
巨大な赤血球が、船体すれすれを通過する。
「……っ!」
「無茶するねえ」
「斬ってはいない!!」
その時。
ザザッ――。
通信が乱れた。
『レイ……ナ……聞こえ……』
エドワードの声。
「通信状態が悪化している」
レイナが端末を見る。
『寄生体……反応……進行方向……』
ザザザザッ!!
「エドワード?」
返事がない。
プツッ。
完全に切れた。
「通信断絶」
ノヴァが告げる。
「血流と生体組織の影響だ。ここから先、常時通信は難しそうだね」
「つまり」
レイナが前を見る。
「ここからは、私たちだけか」
「そういうこと」
ノヴァは前方モニターへ視線を戻した。
「……それと、もう一つ」
「何だ」
「進行方向を見失った」
「何?」
「さっきの衝撃で、予定ルートから外れた」
アレクシスのこめかみに青筋が浮かぶ。
「では今、どこへ向かっている?」
ノヴァが現在位置を確認する。
数秒。
「……分からない」
「おい」
「カナタ君の身体の、どこか」
「範囲が広すぎる!!」
◇
外。
「……レイナさん?」
カナタが通信機へ呼びかけた。
ノイズしか返ってこない。
「アレクシスさん?」
反応なし。
「ノヴァさん?」
無音。
カナタが身体を起こしかける。
「動くな」
エドワードの声だった。
カナタが止まる。
「でも、返事がないですよ」
「だから動くな。お前が急に動けば、体内の状況をさらに変える」
「……そうなんですか」
「ああ」
「分かりました」
カナタは素直に寝直した。
ホログラム上では、内部チームを示す光点が激しく点滅している。
途切れる。
戻る。
また途切れる。
「信号が弱いです……!」
副官が端末を握る。
「追え」
エドワードの指が高速で動く。
「帰還ビーコンの出力も落ちている。完全に見失えば厄介だ」
「大丈夫なんですか!?」
「大丈夫にするために探している」
数秒。
カナタが口を開いた。
「エドワードさん」
「何だ」
「早めにお願いします」
エドワードの指が、一瞬だけ止まった。
「……分かっている」
コメント欄も、先ほどまでより静かだった。
『通信切れたのか』
『大丈夫?』
その時。
ザザッ――。
『……カナタ』
「あ」
カナタがスマートフォンを見る。
「レイナさん」
『聞こえ……るか』
「はい」
『全員……無事だ』
「よかったです」
カナタは、それだけ言って小さく頷いた。
『ただ……ルート……外れた』
「迷子になったんですか?」
『……否定できない』
「やっぱり聞いてくださいって言ったじゃないですか」
『聞いてどうする』
「僕も分かりません」
『……だろうな』
プツッ。
また通信が切れた。
◇
内部。
「……かなり流されたな」
アレクシスが窓の外を見る。
先ほどまでの激流が、少しずつ弱まっていた。
巨大だった血管も、次第に細くなっていく。
枝。
さらに枝。
幾度も分岐し。
《ミクロポッド》は、誰も知らない場所へ流され続けていた。
「この先、狭くなるぞ」
レイナが言った。
「ポッドでは通れないね」
ノヴァが操縦レバーを倒す。
どうにか壁際へ寄せる。
今度は生体吸着パッドが血管壁へぴたりと張り付き、《ミクロポッド》が停止した。
「……止まった」
アレクシスが大きく息を吐く。
「今度こそな」
三人がハッチから外へ出た。
静かだった。
先ほどまでの轟音が、嘘のように遠ざかっている。
淡く赤い生体壁。
規則的な鼓動。
足元を流れる細い体液。
どこまでも続く未知の世界。
アレクシスが周囲を見回す。
「ここが……人間の身体の中なのか」
「そのはずなんだけどね」
ノヴァが答える。
「そのはず?」
「ここまでは普通だよ」
「これが普通?」
「僕らが小さくなったから、全部巨大に見えているだけさ」
レイナが先を見る。
「なら進むぞ」
「ああ」
三人が歩き始める。
通信はない。
外部からの指示もない。
帰還ビーコンも不安定。
頼れるのは、ノヴァの携帯解析機だけだった。
しばらく進んだ時。
レイナが突然、足を止める。
「……待て」
「どうした?」
「光だ」
「光?」
暗闇の向こう。
ほんの小さな光が見えた。
一つ。
また一つ。
十。
百。
進むにつれて、その数が増えていく。
「ノヴァ」
アレクシスが眉をひそめる。
「……」
「何だ、あれは」
返事がない。
「ノヴァ?」
「……おかしいな」
初めて。
ノヴァの声から、軽さが消えた。
三人の前。
暗い生体空間の奥に――。
道があった。
淡い光が連なる道。
それをまたぐ橋。
幾層にも重なる構造物。
塔。
通路。
その間を、無数の小さな影が行き交っている。
「……街?」
アレクシスが呟いた。
「そんなはずない」
ノヴァが即答した。
携帯解析機を見る。
もう一度。
「……全部、生体反応がある」
「何?」
「あそこにいるものも、建物も、道もだ」
レイナが目を細める。
「では、何なんだ」
「……分からない」
ノヴァが街を見つめる。
「僕はカナタ君の身体を外から何度も調べた。でも、こんなものは一度も映らなかった」
「なら、なぜ今は見える?」
「それが分からないんだよ」
その時。
三人のすぐ横を、何かが走り抜けた。
〈搬送路、空けてー!〉
〈第七区画へ栄養便、急げー!〉
三人が固まる。
続いて、別の小さな影が駆け抜けた。
〈修復班! 西側の壁がまた裂けてるぞ!〉
〈急げ急げー!〉
「……」
アレクシスが目を見開く。
「今……喋ったか?」
「うん」
ノヴァも目を丸くしている。
「喋ったね」
「お前の専門だろう!」
「僕の知ってる医学では喋らないよ」
さらに何十もの住民たちが、三人の前を駆けていく。
〈栄養便、通るよー!〉
〈道を空けてー!〉
〈修復材、足りないぞ!〉
〈東区画から回してー!〉
誰も三人には目もくれない。
ただ、自分の仕事をこなすために走り続けている。
その先で。
ゴゴゴゴゴゴ……。
巨大な生体門が、ゆっくりと開き始めた。
「……」
レイナが顔を上げる。
門の向こう。
そこには。
今まで見えていたものより、さらに巨大な街が広がっていた。
無数の光。
幾重にも走る道。
行き交う住民たち。
遠くまで続く、生きた都市。
「……行こう」
レイナが、一歩踏み出す。
世界第一位も。
世界第二位も。
世界第三位も知らない。
検査にも。
医学にも。
どんな記録にも残っていない。
カナタ・ミナセの身体の中にだけ存在する――。
もう一つの世界へ。
(第34話・完)




