第33話 人体はダンジョンだ
ノヴァの言葉を受け、分析室の空気が一瞬で変わった。
「これ、アレルギーじゃないよ」
つい先ほどまで響いていたその言葉が、全員の頭に残っている。
「アレルギーじゃないなら、この黒い影は何なんだ」
アレクシスがモニターを睨む。
エドワードは答えず、手元のパネルを操作した。
「まず、こいつがどこから来たのかを確認する」
ホログラムモニターに、新たな映像が映し出される。
数日前。
異星で行われた《飢餓の悪魔》討伐時の記録だった。
「エドワード様、これは……?」
「悪魔が消滅した瞬間の映像を補正した」
副官が画面を覗き込む。
映像が、ゆっくりとコマ送りされていく。
カナタの一閃。
《飢餓の悪魔》が崩れ、莫大な光の粒子となって空へ溶けていく。
一コマ。
さらに一コマ。
「止めろ」
映像が停止した。
「……何かあるのか?」
アレクシスが目を細める。
エドワードが無言で映像を拡大した。
光の粒子の中に。
ほんの小さな。
黒い点。
「これだ」
「……!」
再生。
黒い粒は、悪魔の身体からこぼれ落ちる。
風に押され。
そのままカナタの背後へ。
ぷちゃっ。
カナタが背負っていた巨大なバックパックへ付着した。
さらに布地の隙間へ潜り込み――見えなくなる。
「……いたぞ」
副官が息を呑んだ。
「こいつ……あの時からいたんですか?」
「ああ」
エドワードが別の画面を開く。
カナタの血液中に見つかった黒い影。
そして、映像から切り出された黒い粒。
二つが並ぶ。
「形状。動き。反応」
エドワードの指が高速で動く。
「一致している」
画面中央に判定結果が表示された。
《同一個体群》
「《白殻迷宮》へ向かった時から、カナタはこのバックパックを背負っていた」
迷宮。
異星。
悪魔との戦闘。
映像が次々と切り替わる。
どこにいても、カナタの背中には同じ巨大なバックパックがあった。
「悪魔から落ちたこいつは、バックパックに潜り込み、そのまま地球まで運ばれた」
「じゃあ……帰ってきてから、カナタの中へ?」
「可能性は高い」
エドワードが眼鏡を押し上げる。
「侵入した瞬間までは映像に残っていない。だが、少なくとも地球へ入った経路はこれで間違いない」
「へえ」
隣で聞いていたノヴァが、黒い影をじっと眺める。
「なるほど。そういう子だったんだね」
アレクシスが眉をひそめた。
「……何が分かった?」
「こいつ、カナタ君を直接攻撃してるわけじゃないよ」
「何?」
ノヴァが別のデータを呼び出した。
カナタがオムライスを食べる前。
正常。
食べた直後。
一気に跳ね上がる身体の反応。
「分かりやすく言うとね」
ノヴァは黒い影を指さした。
「こいつ、身体に嘘をついてるんだ」
「……嘘?」
「そう」
ノヴァは人差し指を立てる。
「卵が入ってくる」
一本。
「すると、こいつがカナタ君の身体に言う」
ノヴァが楽しそうに笑った。
「――敵が来たぞ、ってね」
「……」
「カナタ君の身体は、それを真面目に信じる。そして全力で卵を追い出そうとする」
「それで呼吸困難や意識消失が起きるのか?」
「そういうこと」
アレクシスが腕を組む。
「つまり……卵そのものが毒なのではない?」
「うん」
ノヴァが黒い影を指先で示した。
「こいつが、卵を毒だと思わせてる」
副官が青ざめる。
「そんなことができるんですか……?」
「できてるから困ってるんじゃないか」
「確かにそうですけど!」
「身体そのものじゃなくて、身体の『これは敵だ』って判断に入り込んでる」
ノヴァは少し考えるように首を傾げた。
「だから名前をつけるなら――」
操作パネルを軽く叩く。
《概念寄生体》
「こんな感じかな」
「今つけたのか?」
「うん」
「軽いな、おい」
アレクシスが呆れた顔をする。
だがエドワードは否定しなかった。
「性質としては妥当だ」
「ほら。エドワードも褒めてる」
「褒めてはいない」
「相変わらず素直じゃないね」
「黙れ」
「それより」
アレクシスが二人のやり取りを遮った。
「なぜ卵なんだ?」
「そこは簡単だよ」
ノヴァが過去映像を呼び出す。
異星。
大量の卵が割れ、中から淡い黄色の光が抜き取られていた。
その栄養を《飢餓の悪魔》が吸い上げていた光景。
「こいつ、《飢餓の悪魔》の中でずっと卵ばっかり見てたんだ」
「正確には、悪魔が卵由来の栄養を吸収していた」
エドワードが即座に訂正する。
「細かいなあ、エドワード」
「お前が雑すぎる」
「でも意味は同じだろう?」
「違う」
「まあいいや」
「よくない」
ノヴァは完全に無視して、通信回線を開いた。
ホログラムに映し出されたのは、自室のベッドで休んでいるカナタだった。
「あ、はい。僕ですか?」
「カナタ君。一つ聞いていい?」
「はい」
「悪魔を倒した頃、一番食べたかったものは?」
カナタは即答した。
「母さんのオムライスです」
「他には?」
「……オムライスですね」
「どれくらい食べたかった?」
「かなりです。ずっと卵がなくて食べられなかったので」
「ほら」
ノヴァがアレクシスを見る。
「何が『ほら』だ」
「卵ばっかり食べて育ったような寄生体が――」
「表現を訂正しろ」
「卵の栄養にずっと触れていた寄生体が」
「よし」
「卵のことばかり考えてる人間に入った」
「僕、そんなに卵のこと考えてましたか?」
カナタが不思議そうに首を傾げる。
レイナが即答した。
「考えていた」
「そうでしたか」
「かなりな」
「そうだったんですね」
「自覚がないのか……」
アレクシスが額を押さえた。
ノヴァは楽しそうに笑う。
「悪魔の中で覚えた『卵』と、カナタ君が強く求めていた『オムライス』が重なった」
「それで?」
「こいつの中で決まったんだろうね」
ノヴァは黒い影を指さした。
「よし。こいつから卵を奪おう、って」
「……」
一瞬の沈黙。
「待て」
アレクシスがゆっくり顔を上げる。
「まさか世界中で卵が食えなくなった原因が――」
カナタを見る。
「こいつがオムライスを食べたがりすぎたからなのか!?」
「執着ってほどでは……」
「まだ何も言っていない!」
「あ、すみません」
「だが、かなり食べたがっていた」
レイナが真顔で補足する。
「そうでしたか」
「そうだ」
「……頭が痛くなってきた」
アレクシスが深いため息をついた。
「それで」
副官が恐る恐る尋ねる。
「この黒いものがカナタさんの体内に入ったのは分かりました。でも、どうして世界中に?」
「増えたんだろうね」
ノヴァはあっさり答えた。
「増えた?」
「カナタ君の中で大きくなって、小さい分身をいっぱい外へ出した」
「そんな簡単に……」
「空気なのか、接触なのか、別の方法なのかはまだ分からないよ」
ノヴァの表情が少しだけ真面目になる。
「でも、世界中の患者から同じ黒い影が見つかってる」
昨日までの軽さが消える。
「もう、かなり広がってると思った方がいい」
分析室が静まり返った。
「なら」
副官が黒い影を見つめる。
「薬で殺せないんですか?」
「できなくはないよ」
「できるんですか!?」
「カナタ君ごとならね」
「駄目じゃないですか!」
即座に副官が叫んだ。
「だからやらないんだよ」
ノヴァは肩をすくめる。
「こいつ、小さすぎるうえに身体の奥に入り込んでる」
モニター上で黒い影が、赤血球の隙間へすっと消えていく。
「外から強い薬を流し込めば?」
「カナタ君の身体も傷つく」
「魔力で焼けば?」
アレクシスが尋ねる。
「同じ。寄生体を焼く前に、周りの細胞まで焼ける」
「……つまり」
アレクシスが苦い顔をする。
「外からでは、こいつだけを狙えない」
「八十点」
ノヴァが満足そうに頷いた。
「また点数をつけるな!」
「百点が欲しい?」
「いらん!」
「残念」
ノヴァは爽やかに笑った。
そして。
「でも、方法ならあるよ」
「何?」
「簡単さ」
ノヴァがくるりと踵を返す。
「外から届かないなら、中へ行けばいい」
「……中?」
◇
数分後。
一行は探索者協会の地下深くまで降りていた。
分厚い隔壁が、重い音を立てて左右へ開く。
その先。
広大な研究ドームの中央に、一台の巨大装置が鎮座していた。
人間が丸ごと入れそうなカプセル。
無数のケーブル。
怪しく光る計器。
床一面に刻まれた複雑な術式。
「……何だ、これは」
アレクシスが露骨に警戒する。
ノヴァは誇らしげに胸を張った。
「《ミクロダイブ・カプセル》」
「……ミクロダイブ?」
「僕が作った、細胞の中まで直接治療しに行くための試作機だよ」
「名前がそのままだな」
「分かりやすいだろう?」
ノヴァが巨大なカプセルを軽く叩く。
「これに入れば、人間をものすごく小さくできる」
「ものすごくで済ませるな」
エドワードが冷たく言う。
「難しく説明したら、君たち分からないだろう?」
「誰に向かって言っている」
「主にアレクシス」
「俺を見るな!」
副官が《ミクロダイブ・カプセル》を見上げる。
「……ちなみに」
「何だい?」
「これ、人間で試したことはあるんですか?」
「ないよ」
「……」
「……」
「……」
静寂。
アレクシスが絶叫した。
「ないのか!?」
「だから試作機なんじゃないか」
「なぜ胸を張れる!?」
ノヴァはまるで気にせず、《ミクロダイブ・カプセル》の操作パネルへ指を走らせた。
ブゥゥゥン――。
低い駆動音とともに、巨大カプセルの内部へ青白い光が満ちていく。
「僕らが小さくなる」
ノヴァが一本指を立てる。
「カナタ君の身体へ入る」
二本。
「中から、こいつを探す」
三本。
「見つけたら、直接退治する」
アレクシスが眉間を押さえた。
「お前は、それを医療と呼ぶのか?」
「もちろん」
「本当に医者か?」
「世界最高峰だよ」
「余計に不安だ!」
ノヴァは白衣を翻し、楽しげに《ミクロダイブ・カプセル》を見上げた。
「外から届かないなら、中へ行けばいい」
カプセルの光が、さらに強くなる。
「身体の中には血管があって、細胞があって、免疫がいて、敵までいる」
ノヴァが振り返る。
爽やかな笑みを浮かべた。
「十分、冒険できそうだろう?」
「……嫌な予感しかしない」
アレクシスの呟きを聞き流し、世界第三位の天才医師は宣言した。
「――人体は、ミクロのダンジョンだよ」
「医療ってそういうものじゃないですよね!?」
地下研究室に、副官の悲鳴のような絶叫が虚しく響き渡った。
(第33話・完)




