第30話 世界中が、卵アレルギーになった
王都総合病院の救急外来は、ひっきりなしに響き渡るサイレンの音と悲鳴で埋め尽くされていた。
「酸素マスク持ってきて! 呼吸困難です!」
「こっちの患者さんもめまいと血圧低下を起こしてる!」
「集団食中毒か!? 何を食べたんだ!」
「たま、ご……。朝食の、目玉焼きを……」
運び込まれてくる患者たちの症状は、驚くほど酷似していた。
呼吸困難。
激しいめまい。
そして、意識消失。
重度のアレルギー反応に極めて近い症状が、わずか数時間のうちに数十人、数百人という規模で発生したのだ。
最初は、特定の製卵業者による農薬混入や、流通過程での食中毒が疑われた。
しかし、患者たちが口にした卵を調べていくと、事態は不気味な様相を呈し始める。
スーパーの格安卵を食べた者もいれば、高級料亭のブランド卵を食べた者もいる。
自宅で飼っている鶏の産みたて卵を食べた者まで、まったく同じ症状で倒れていた。
事態を重く見た政府と探索者協会は、即座に動いた。
『――臨時ニュースをお伝えします。原因が特定されるまでの間、国内におけるすべての卵、および卵関連商品の出荷・販売が一時停止となります』
◇
ミナセ家のリビング。
テレビに映し出されているのは、スーパーの棚から一斉に撤去されていく卵パックの映像だった。
ようやく取り戻したばかりの、あの『九十八円の特売卵』も例外ではない。
「……母さん。また卵、なくなるんですか?」
リビングのソファに座ったカナタが、呆然とした顔でテレビを見つめる。
「今度は食べたら危ないんだから仕方ないでしょ。……はあ、困ったわね」
お母さんは溜息をつきながら、台所の冷蔵庫を開けた。
「昨日買った一パック、どうしようかしら」
「あ……」
カナタも立ち上がり、冷蔵庫を覗き込む。
「九十八円だったやつですよね」
「そうなのよ」
「もったいないですね……」
「でしょ?」
二人で卵パックを見つめる。
世界中で重症者が続出している最中とは思えないほど、真剣な顔だった。
「火を通せば大丈夫かしら」
「……目玉焼きなら、いけませんかね?」
「それも卵でしょ」
「そうでした」
「じゃあ駄目ねぇ……」
「……はい」
お母さんが冷蔵庫を閉める。
カナタも残念そうにソファへ戻った。
世界中で重症者が続出している最中。
ミナセ家では、昨日九十八円で買った卵一パックの処遇が深刻な問題になっていた。
◇
自室へ戻ったカナタは、ベッドへ横になり、気晴らしにスマートフォンを掲げて配信枠を立ち上げた。
『カナタ君、大丈夫!?』
『ニュース見たぞ! 世界中で卵食べた奴が倒れてる!』
『神殺しでも卵アレルギーには勝てなかったか……』
「はい。僕も卵を食べたら倒れました」
『世界最強の体験談が参考にならなすぎる』
「でも……卵って、もう食べちゃ駄目なんですかね?」
『駄目だろ』
『なんで再挑戦しようとしてんだ』
『死ぬぞ!?』
「いや……母さんが昨日、九十八円で買ってきたので」
『値段の問題じゃねえ!!』
『命と98円を天秤にかけるな』
『卵は諦めろカナタ!!』
「そうですよね……」
カナタは少し残念そうに息を吐いた。
冷蔵庫には、まだ卵がある。
なのに。
食べられない。
◇
――同刻。
探索者協会本部、中央分析室。
薄暗い部屋の中に、数百のモニターから発せられる青白い光が浮かび上がっていた。
高速でキーボードを叩く音が、絶え間なく響いている。
エドワードは、眼鏡の奥の瞳を鋭く細めながら、世界中からリアルタイムで送られてくる発症データを精査していた。
「エドワード様、各国の検査機関からデータが届きました。ですが……相関関係が見出せません」
汗を拭いながら報告する助手に、エドワードはキーボードを叩く手を止めずに応じる。
「産地、飼育環境、保存状態、流通経路、加熱の有無……。あらゆる変数を照合したが、卵側に共通項がない」
画面が次々と切り替わる。
「高級卵でも発症している」
別の画面。
「一般家庭の卵でも同じだ」
さらに別の画面。
「生卵でも、半熟でも、完全に熱を通したゆで卵でも変わらない」
「では、やはり卵の中に未知の毒素が……」
「違う」
エドワードは静かに言い、通信機を手に取った。
「全支部へ通達。食品側の検査班を半数、患者側へ回せ」
「え……!? ですがエドワード様、原因となる卵を特定しないと……!」
「卵を追っても答えは出ない」
エドワードは椅子から立ち上がり、壁一面のモニターに映し出された世界地図を見上げた。
赤く点灯する発症地点が、世界各地に広がっている。
「産地も違う」
「飼料も違う」
「流通経路も違う」
「加熱した卵でも、生卵でも発症している」
助手が息を呑む。
「……卵そのものに原因があるなら、この発症分布は説明できない」
「では……何が原因なのですか?」
助手の問いに、エドワードは眼鏡のブリッジをそっと押し上げた。
「――共通しているものは、一つしかない」
その声は、恐ろしいほど冷静だった。
「食べた人間だ」
「ッ……!?」
「卵に異常があるのではない」
エドワードはモニターへ視線を戻す。
「人間側に、卵へ反応する何かが存在している」
「調べるべきは食品ではない」
「人間そのものだ」
その指示を合図に、分析室のモニター群が一斉に切り替わった。
世界各地から集められた患者たちの血液データ。
症例記録。
発症時刻。
摂取した食品。
既往歴。
無数の情報が次々と並べられていく。
その最上段。
エドワードの指が止まった。
《症例第一号:カナタ・ミナセ》
「……」
眼鏡の奥の瞳が、わずかに細くなる。
「……また、お前か」
世界で最初に確認された発症者。
その名前は――。
カナタ・ミナセ。
(第30話・完)
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
そして――
ついに第30話です!
卵を取り戻したと思ったら、今度は世界中が卵アレルギーに。
そして、症例第一号はカナタ。
まだ何かが終わっていないようです。
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