第28話 神殺し、卵アレルギーになる
ぴっ、ぴっ、と規則的な電子音が静かな室内に響いていた。
「……ん」
カナタが重い目蓋を開けると、最初に視界に入ってきたのは白い天井だった。
消毒液の匂い。
そして、ベッドの脇から覗き込む二つの顔。
「カナタ……! よかった、目を覚ましてくれて……!」
涙目のお母さんが、安堵の声を上げてカナタの手を両手で包み込む。
その隣では、目深に被ったフードの隙間から、レイナが張り詰めた表情でカナタを見つめていた。
「……母さん? レイナさん……? 僕……」
「カナタ」
レイナが、張り詰めていた息をようやく吐いた。
頭を小さく振ると、倒れる直前の記憶が蘇る。
《飢餓の悪魔》を倒し、ようやく世界に卵が戻った。
お母さんが作ってくれた念願の特製オムライス。
それを一口、口に運んだ瞬間――猛烈な眩暈と息苦しさに襲われ、そのまま意識を失ったのだ。
「……母さんのオムライス、最後まで食べられなくてごめんなさい」
「いいのよ、そんなこと! あなたが無事ならそれだけで……っ」
そこへ、自動ドアが開く音とともに、ギルド長のエドワードと白衣を着た初老の男が入室してきた。
ここは王都総合病院の最奥――本来なら国家級の要人しか入れない『特命集中治療室(ICU)』である。
なにせ世界最強の神殺しが、特製オムライスを食べた直後に呼吸困難を起こして倒れたのだ。
病院側も国崩壊レベルの毒殺テロを疑い、厳戒態勢を敷いていた。
「目を覚ましたか、カナタ」
エドワードは心底疲弊した顔で溜め息をつく。
隣の担当医師は、手元の端末を握りしめたまま冷や汗をだくだくと流していた。
「先生、検査結果はどうなんだ? まさか《飢餓の悪魔》の残滓による呪いか? あるいは未発見の暗殺毒か?」
エドワードの問いに、医師はゴクリと喉を鳴らし、ブルブルと震える声で告げた。
「い、いえ……魔力器官、神経系、心臓、すべて正常です。暗殺毒や呪いの痕跡も一切検出されませんでした。しかし……その……検査上は……突発性の重度卵アレルギーとしか考えられません」
「……アレルギーだと?」
「はい。ただ……成人後、それもこれほど突然、ここまで強い拒絶反応を発症する例は、私も見たことがありません。ですが症状は酷似しています。……大変申し上げにくいのですが、当面の間、卵料理――オムライスを含むすべての卵の摂取は『一切禁止』とさせていただきます」
その瞬間、カナタの表情から一切の生気が消え失せた。
神とも悪魔とも対峙し、世界を救ってきた男が、まるでこの世の終わりを迎えたかのような深く暗い絶望の顔を浮かべる。
「……オムライスが、禁止……?」
「ええ。命に関わりますので……」
「……そうですか」
カナタは力なく呟くと、素朴な顔のまま、当然の解決策を思いついたように腰の黒い短剣へ手を伸ばした。
「じゃあ、そのアレルギーだけ壊せばいいんですね」
すっと抜かれかけた不穏すぎる刃を見て、エドワードの目が見開かれた。
「待て、バカ者!!」
エドワードは死に物狂いの顔で飛びつき、カナタの手首を全力で押し止めた。
「待て! アレルギーは外から付いた呪いじゃない! お前自身の免疫反応だ!」
「? 僕の身体の中にあるなら、なおさら簡単に切り取れますけど……」
「そこへ《概念破壊》を使ってみろ! 何を巻き込むか分からんぞ! 免疫だけで済めばいいが、最悪、お前自身を壊すぞ!」
「……それは困りますね」
カナタは素直に手を止め、短剣を鞘に納めた。
世界をワンパンで救ってきた最強の男が、初めて「自分の力ではどうにもできない問題」にぶち当たった瞬間だった。
「カナタ」
お母さんが、ぽんとカナタの頭に手を置いた。
「卵が駄目なら、卵を使わないご飯にすればいいでしょ」
「……でも、オムライスが」
「食べられるようになってから食べればいいの」
「……はい」
「今はちゃんと休む。分かった?」
「はい」
世界最強の神殺しは、素直に布団へ戻った。
その様子を見ていたエドワードが、わずかに目を細める。
神すら消し去る男を、たった数秒で完全に制御した。
だが、今はそれについて考えている場合ではない。
カナタの視線が、病室の壁に設置されたテレビ画面へと向けられていた。
『――王都マートより中継です! 本日も赤玉卵を通常通り大量入荷! 九十八円の特売卵を求め、店内は大賑わいとなっております!』
画面の中では、買い出し客たちが嬉しそうに卵パックを買い物籠へ入れていた。
つい数日前まで失われていた、当たり前の光景だった。
カナタはそれを、しばらく黙って眺めていた。
「……みんなは、食べられるんですね」
ぽつりと溢れたカナタの言葉に、お母さんも、レイナも、エドワードも、誰もすぐには言葉を返せなかった。
「カナタ……」
「僕も、また食べられるようになりますよね?」
切実な問いかけが、白い病室の中に寂しく響く。
その時。
カナタは、ふと瞬きをした。
体調を崩し、頭がぼんやりしているはずなのに。
なぜかいつもより、目の前のものが少しだけはっきり見える気がした。
病室。
テレビ。
お母さん。
エドワード。
そして――。
ベッドの傍らに立つレイナ。
「……?」
カナタは小さく首を傾げた。
「どうした?」
「いえ……」
レイナに尋ねられ、カナタはもう一度その顔を見る。
何かが、いつもと違う。
けれど。
それが何なのかまでは、まだ分からなかった。
(第28話・完)




