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第26話 概念切断

 地底からの激震とともに、貯蔵区画が崩れ落ちた。


 ズズズズズズズズ……!!


「きゃああああっ!」


「逃げろ!」


「お母さん……!」


 荒野のあちこちから悲鳴が上がる。


 異星の住民たちは子どもを抱きかかえ、崩れかけた住居の陰へ逃げ込んでいく。


 だが。


 異星の指導者だけは、その場から動けなかった。


 地底から這い上がってくる巨大な影を見つめ、顔から完全に血の気が失われていく。


「そんな……」


 震える唇から、掠れた声が漏れた。


「なぜ……あれが、この星に……」


 アレクシスが大剣を構えたまま振り返る。


「知っているのか?」


「……《飢餓の悪魔》」


 その名を口にした瞬間、周囲の異星人たちにも動揺が走った。


「かつて……いくつもの惑星を飢餓に陥れ、滅亡へ追いやったと伝えられている災厄だ」


「そんな……昔話じゃなかったのか……」


「終わりだ……」


 兵士の一人が、武器を取り落とした。


「俺たちの星も……もう……」


 その遥か深層から這い出したのは、九十八・七%という膨大な地球の栄養を貪り食って肥大化した――《飢餓の悪魔》だった。


 山と見間違えるほどの巨体。


 その体表からは、異星の大地を網の目のように覆っていた無数の黒い脈が直接繋がり、赤黒い光をおどろおどろしく明滅させている。


「ハハハハハ! 虫ケラどもが! この星の生命は、すでに我が肉体の一部よ!」


 地響きのような咆哮が荒野を震わせた。


 一刻の猶予もないと判断したアレクシスが、背の大剣を引き抜き、凄まじい脚力で大地を蹴る。


「言わせておけば……! 卵を返してもらうぞ!」


 世界第二位の神速の一撃。


 アレクシスの大剣が振り抜かれる寸前、刃から漏れ出た激しい風圧が、悪魔の肩を浅く削った。


「……あ、がっ!?」


「う、ああああっ!!」


 直後。


 後方にいた異星の指導者や子どもたちの肩から、同時に鮮血が噴き出した。


 まだ大剣の刃そのものは悪魔に届いてすらいない。


 にもかかわらず、悪魔が受けたわずかな掠り傷が、そのまま住民たちの身体へ傷として現れたのだ。


「止まれ、アレクシス!」


 レイナの叫びと同時に、通信からエドワードの鋭い声が飛ぶ。


『攻撃するな! 悪魔への損傷が、黒い脈を通じて住民へ転送されている!』


「何……!?」


 アレクシスは空中で強引に刃を止め、そのまま着地した。


 その光景を見下ろし、悪魔は満足げに巨体を震わせる。


「クックック……ようやく気づいたか。我を殺せば、この星の生きとし生ける者すべてが連動して全滅する。さあ、斬ってみよ! 人類最高峰とやら!」


 レイナも静かに剣を握り直し、険しい表情で悪魔を見上げる。


 世界第一位と第二位。


 人類最高峰の二人をもってしても、「人質が星全体」という最悪の寄生構造の前では、決定打を放つことができない。


『……詰んだか』


『強すぎて倒せないんじゃない。倒したら負けなんだ』


『人質が星全体とか反則だろ……どうすんだこれ』


 配信画面のコメント欄が、絶望に染まっていく。


 そんな重苦しい静寂の中。


 カナタだけが、いつもの調子で首をちょこんと傾けた。


 そして、耳元の通信機へ声をかける。


「あの……エドワードさん」


『なんだ、カナタ』


「つまり、この黒いのが繋がってるから駄目なんですよね?」


『……そうだ。悪魔と住民の生命が、不可分に接続されている』


「じゃあ、切ればいいんですね」


 悪魔が、不快そうに視線を落とした。


「……ぬ? 何をたわ言を――」


 カナタは難しい顔をするでもなく、腰の短剣を無造作に抜く。


 魔法の詠唱もない。


 派手なエフェクトもない。


 空間を割るような衝撃波すらない。


 ただ。


 目の前の空間を、素振りのように横一文字に撫でた。


 スッ――。


「ハッ! 脅かそうというのか、その程度のなまくらで――」


 悪魔の嘲笑が、途中で止まった。


 爆発はない。


 音すらない。


 しかし。


 星中に張り巡らされていた黒い脈が、一本、また一本と赤黒い光を失っていく。


 切れているのは、脈そのものではなかった。


 悪魔と住民を結びつけていた、目には見えない何か。


『……なっ!?』


 遠く離れたギルド本部。


 モニターを見ていたエドワードが、思わず椅子から立ち上がった。


『……因果接続、消失!』


『悪魔と住民を繋いでいた“連動の概念”そのものが切断された……!?』


「な……なに……?」


 悪魔の表情が歪む。


「何をしたぁぁぁっ!?」


 異星人たちを締め付けていた圧迫感が、嘘のように消えていく。


 悪魔はそこで初めて、目の前の青年に本能的な恐怖を抱いた。


『は??????』


『今スッて振っただけだぞ!?』


『因果を切った……?』


『概念を素振り感覚で切るなwwww』


 だが。


 人質という盾を失っても、九十八・七%もの栄養を喰らって肥大化した悪魔そのものの力は健在だった。


「おのれぇぇぇぇっ!!」


 悪魔が咆哮する。


 荒野を覆うほどの魔力が爆発し、大地が激しく震えた。


 そして巨体を反転させ、そのまま地底へ逃走しようとする。


 だが――。


「逃がすと思うか?」


 レイナが動いた。


 一瞬で悪魔の左側へ回り込み、神速の剣閃を放つ。


 轟音。


 地面が大きく裂け、退路が断たれる。


「よくもオムライスの邪魔をしてくれたな!」


 反対側では、アレクシスが大剣を振り下ろした。


 烈風を纏った一撃が大地を抉り、右側の逃げ道を完全に粉砕する。


「ぐぬっ……!」


 悪魔の巨体が止まった。


 レイナとアレクシス。


 世界第一位と第二位が、左右からその退路を完璧に封じる。


「道は作ったぞ、カナタ!」


「やれ!」


「はい」


 カナタが、静かに短剣を構え直した。


 その瞳には、世界の命運でも、神殺しの英雄的な気負いでもない。


 ただ一つ。


 最初から何も変わらない目的だけがあった。


「じゃあ……卵、返してもらいますね」


 一閃。


 派手な爆発はない。


 ただ、《飢餓の悪魔》という存在を成立させていた概念そのものが、カナタの一閃によって断ち切られた。


「ガ……ア……ッ!?」


 悪魔の巨体に亀裂が走る。


 赤黒い身体が輪郭を失い、崩れ始めた。


「なぜ……我が……!」


 最後まで言葉を紡ぐことすらできない。


 《飢餓の悪魔》は莫大な光の粒子となり、その姿を空へ溶かしていった。


 その時。


 光の粒子に混じって、ほんの小さな黒いものが一つだけ落ちた。


 ぷちゃっ。


 それはカナタの背負うバックパックに付着した。


 風に押されるように布地の隙間へ入り込み、そのまま見えなくなる。


 カナタは気づかないまま、短剣を鞘へ戻した。


 ◇


 悪魔が消滅した瞬間。


 横取りされていた莫大な光が、一斉に解放された。


 淡い黄色の粒子が空高く舞い上がり、やがて恵みの雨のように異星の大地へ降り注いでいく。


 大地を縛り付けていた黒い脈は、一本、また一本と色を失った。


 サラサラと音を立て、乾いた砂となって崩れていく。


 やがて。


 荒野から、あの不気味な鼓動が完全に消えた。


 ――しん。


 世界が静まり返る。


 一瞬で荒野が緑へ変わるような、都合のいい奇跡は起きなかった。


 ひび割れた大地は、まだ乾いている。


 崩れた住居も、痩せ細った住民たちの身体も、すぐに元へ戻るわけではない。


 それでも。


「……あ」


 異星の指導者が、かすれた声を漏らした。


 降り注ぐ光の中。


 長く死んでいたと思われていたひび割れた土から。


 青々とした小さな芽が、たった一本だけ、ぽつんと顔を出していた。


「……」


 指導者はその場に膝をつく。


 震える手を伸ばし、触れてしまえば折れてしまいそうな小さな芽を、そっと両手で囲んだ。


 この星は、まだ死んでいない。


 その小さな芽が、そう告げているようだった。


 カナタも、その隣へ歩いていく。


 巨大なバックパックを背負い直し、小さな芽をしばらく見つめた。


 そして、ほっとしたように笑う。


「よかった」


 指導者が顔を上げる。


「ここでもまた、美味しくご飯が作れるようになりそうですね」


 誰も、その言葉を笑わなかった。


 乾いた風が、静かに荒野を吹き抜ける。


 その中で。


 たった一本の小さな芽だけが、頼りなく、それでも確かに揺れていた。


(第26話・完)


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