第19話 卵なき世界
休日の朝。
ミナセ家の食卓には、いつもどおりの穏やかな時間が流れていた。
お母さんが手元の端末で電子チラシを眺めながら、小さな声で「あら?」と首をかしげるまでは。
「どうしたの?」
カナタが尋ねると、お母さんは画面を指先でなぞりながら顔を上げた。
「今週、水曜特売がないみたい。いつもなら一番上にあるはずなんだけど……しかも全店舗、入荷未定ですって。珍しいわねぇ」
カナタは手を止めた。
水曜特売がない。
その言葉に含まれる意味を、瞬時に理解する。
彼は無言で立ち上がり、冷蔵庫へ向かった。
扉を開け、卵ケースを確認する。
予想どおり、白く滑らかな殻の群れはそこになかった。
空っぽのケースが、無機質に光を反射している。
「……卵ですね」
「そうなのよ。なんだか世界中で騒ぎになってるみたいで」
お母さんが少し不安げに、テレビのスイッチを入れる。
画面に映し出されたのは、スーパーの売り場に殺到する人々の群れと、それを取りなす店員の姿だった。
『――ですから、本日分は入荷しておりません! 申し訳ございませんが、明日の入荷予定も未定となっております!』
店員が何度も頭を下げ、集まった客へ入荷がないことを繰り返し説明している。
チャンネルを変えても、映るのは似たような光景ばかりだった。
ネットのタイムラインも、いつになく荒れている。
『オムライス終了』
『卵かけご飯が食べられない』
『飲食店が次々とメニュー停止』
パニックに近い空気が、世界中を覆い始めていることが、画面越しにも伝わってくる。
だが、カナタの心境は至ってシンプルだった。
――オムライスがない。
それだけは、困る。
カナタはゆっくりと立ち上がった。
「母さん」
「ん?」
「卵、取りに行ってきます」
お母さんが、目を丸くして彼を見上げる。
「……どこまで行くの?」
「まだ分からないですけど、二、三日あれば何とかなると思います」
「着替え持った?」
「あ」
「準備してから行きなさい」
「はーい」
その瞬間だった。
静まり返ったリビングに、軽快な着信音が響き渡った。
カナタの端末の画面。
そこに表示された発信者の名前を見て、彼は小さく目を細める。
『エドワード』
カナタは迷うことなく、通話ボタンへ指を伸ばした。
「エドワードさん?」
『カナタ・ミナセ。消えた卵につながる手がかりを掴んだ』
「オムライス、作れそうですか?」
『……可能性はある。王都郊外の未確認迷宮だ。今からギルドへ来られるか』
「行きます」
カナタは通話を切ると、部屋へ向かって歩き出した。
「着替え、何枚いるかな」
「三日分あれば足りるでしょー」
「はーい」
お母さんの声を背中で聞きながら、カナタは数日分の荷物を取りに行った。
(第19話・完)




