第18話 元ギルドマスター、職場へ戻る
探索者ギルド『白銀の灯火』本部。
夕闇が迫るロビーに、限界を迎えた副官の絶叫が響き渡った。
「エドワードさん!! いい加減にしてください!!」
ロビー中の職員が一斉に固まる。
かつて完璧なスーツ姿で冷徹な指揮を執っていた元ギルドマスターが、あろうことかファンシーなクマ柄のエプロンを身に着け、食器用のゴム手袋をはめたまま、襟首を掴まれて引きずり込まれてきたからだ。
「放せ、副官。私は今、黒幕の拠点で最高レベルの潜入任務を行っている最中だ」
「一般家庭で皿を洗っていただけでしょうが!!」
周囲の職員が困惑した表情で囁き合う。
「あれ……本当にエドワードさん?」
「ここ数日、本部で見かけなかったけど……」
そんな視線を無視し、副官は元執務室へエドワードを放り込んだ。
机の上には、ここ数日で積み上がった書類が山を成していた。
退団届二十枚。
スポンサー契約解除通知。
未払いになりかけている外注費――。
「今日中に、最低でも引き継ぎを終わらせてください。この山なら三日は徹夜です」
「無理だ」
エドワードは眼鏡のブリッジを押し上げ、冷徹に言い放った。
「この量を通常の人員配置で処理するのは不可能だ。だが、処理はする。通常ではない速度でな」
――その夜。
執務室には、キーボードを叩く音と、書類をめくる鋭い音だけが響き続けた。
「エドワードさん、スポンサーのA社は炎上に強く反発しています。こちらから契約を切るべきかと」
「違う。切るべきはB社だ」
エドワードは書類から顔も上げずに言い放った。
「B社は残留を表明しているが、競合ギルドとの二重契約を隠している。契約書の第十八項を確認しろ」
「……!」
副官が慌てて契約書を開く。
「本当だ。違約条項に抵触している……どうしてそれを」
「推測ではない。証拠に基づいた判断だ」
副官は息を呑んだ。
ここ数日、家事に没頭していたはずの男が、一瞬でギルドの心臓部を掌握している。
(やはり、この人は……)
副官は、目の前で次々と処理されていく書類の山を見つめた。
――そして翌朝。
一晩で半分まで減った書類の山を見て、出勤してきた職員たちは言葉を失った。
「……もう半分終わってる」
「昨日の夕方、あの山だったよな……?」
職員たちの目に、わずかな希望が戻り始める。
そんな周囲の反応には目もくれず、エドワードは王都マートの電子チラシ画面を見て、ぴたりと動きを止めた。
「どうしました?」
「水曜特売の電子チラシだ。午前零時時点では掲載されていた。だが、午前四時の更新で削除されている」
「……そんな細かく保存してたんですか?」
「当然だ。観測対象の変更履歴は、すべて保存している」
エドワードが指さしたモニターには、『赤玉卵 一パック九十八円』の文字はなく、代わりに無機質な『入荷未定』の文字が並んでいた。
そこへ、血相を変えた職員が駆け込んでくる。
「王都西部の養鶏場から緊急連絡です! 昨夜保管された卵三万個が、すべて消失したと!」
「盗難か?」
「いえ、倉庫は施錠されたままです。監視映像にも何者も映っていません。さらに、王都中央商店街、軍の備蓄庫からも同時刻に――」
「消失時刻は?」
エドワードの問いに、職員は震える声で答えた。
「午前二時十三分です!」
「各消失地点から、同一の空間歪曲反応が検出されています!」
エドワードはホワイトボードへ向かい、地図上に消失地点を打ち込み、迷うことなく線を引く。
すべての線は、昨日の定例報告に上がっていた王都郊外の未確認迷宮へ収束していた。
「ついに始まったか。卵供給網への直接攻撃だ」
副官は、ホワイトボードに描かれた分析図を見上げて絶句した。
「なんで今回だけ、本当に当たってるんですか!?」
エドワードは静かに眼鏡のブリッジを押し上げた。
「副官。私は以前から言っていた。特売とは、世界経済の縮図だと」
「少なくとも業務報告では一度も聞いてません!!!!」
副官の絶叫が、ようやく動き始めたギルドに響き渡った。
(第18話・完)




