第15話 世界最強、牛乳を選ぶ
休日の朝。
料理修行に来ていたレイナと、定期任務――皿洗いのために現れたエドワードは、なぜか当然のようにミナセ家の朝食を囲んでいた。
事の始まりは、朝食を終えたカナタが冷蔵庫を開けた時の、何気ない一言だった。
「あ、牛乳がないや。今日スーパーの特売日だし、ちょっと買いに行ってこようかな」
その声を聞いたお母さんが、キッチンから顔を出す。
「じゃあ、ついでに食パンもお願い。ヨーグルトも安かったら買ってきて」
「はーい」
その言葉に、ぴくりと反応した者が二人。
まずはレイナが、昨日の皿洗いバトルでの雪辱を果たすべく、勢いよく手を挙げた。
「私が行く。物資の調達くらい、私一人で十分だ」
「え、近所のスーパーへ牛乳を買いに行くだけですよ?」
「いや、クロノス卿一人に、黒幕の補給任務を任せるわけにはいかん。この私も同行しよう」
床掃除という追加任務――エドワードの脳内では『黒幕からの警告を兼ねた追加試験』――を課されたばかりのエドワードが、腕を組んで厳かに告げる。
自分も正式な家事要員であるというプライドが、彼を突き動かしていた。
「え、二人とも来るんですか?」
カナタの困惑を置き去りにしたまま、異常にモチベーションの高い二人が玄関へ向かう。
その背中に、リビングの窓を開けたお母さんが、のんびりとした声をかけた。
「あ、おつかい行くなら、植え込みの黒い服の人も一緒に行ってあげて。帰りにアイス買っていいからねー」
数秒の静寂。
ざざぁっ、と音がして、黒装束の隠密隊長が真顔で植え込みから姿を現した。
「……承知しました」
アイスに釣られたわけではない。
あくまでクロノス卿の恋と、ミナセ家への接近を影から支援するための任務だ。
そう心の中で言い訳しつつ、隊長はショックを隠しきれない顔でお母さんを見つめた。
「……いつから気づいていた」
「最初からよ。毎回、植え込みが揺れてるもの」
最高峰の隠密術が、主婦の日常的な観察眼によって、あっけなく完全看破された瞬間だった。
さらに、引きずり出された隊長とエドワードの視線が、至近距離で正面からぶつかり合う。
「……貴様、クロノス家の隠密隊長か」
「……お前は、あの時の植え込みの男」
「気づいていたのか?」
「今、気づいた」
かつて隣り合う植え込みに潜伏しながら、互いの存在にはまったく気づいていなかったらしい。
だが、二人はどこまでも真顔だった。
張り詰めたシリアスな空気のまま、黒装束の男を加えた奇妙な四人組は、スーパーへと歩き出した。
◇
スーパー『王都マート』の牛乳売り場は、文字どおり兵站戦の舞台と化していた。
カナタはいつもどおり、一本百六十円の特売牛乳をカゴに入れる。
「これでよし、と」
だが、レイナの妥協は、世界最強のプライドが許さない。
お母様から任されたおつかいを、最高の形で成し遂げたい。
その一心で、一本四百五十円の『極上・ジャージー黄金牛乳』を掴み取った。
「ふん。これがミナセ家にふさわしい牛乳だ」
普通にカートを押していた隊長は、そのレイナの姿をじっと見つめる。
(クロノス卿が選んだ品を、一本だけというのは心許ない)
(予備が必要だ)
隊長は無言のまま、同じ四百五十円の高級牛乳をもう一本カゴへ追加した。
それを見ていたエドワードの脳内で、急速に演算が始まる。
(特売品では品質が不足する)
(だが最高級品では、黒幕の倹約志向に反する……)
(そうか。品質と価格、その均衡点こそが正解だ!)
エドワードは自信満々に、一本二百五十円の『牧場直送こだわり牛乳』をカゴへ投入した。
しかし、目の前で隊長が二本目を追加したのを目撃し、その目が驚愕に染まる。
(何……!?)
(クロノス家の実働部隊まで、物資供給網への介入を開始したか……!)
(あいつも『食卓フェーズ』の主導権を握る気か!?)
ここから、男二人の無駄な牽制と、レイナの対抗心が限界を突破した。
各自が、自分の正解を絶対に曲げない。
その結果、牛乳だけでなく、食パンや乳製品までもが次々とカゴへ放り込まれていく。
「パンも特売品、高級品、中間価格帯の三種を比較検証する必要がある」
「クロノス卿が選定した物資だけでは、長期供給に不安が残る」
カゴの中身は、牛乳四本、食パン四斤、大容量ヨーグルト三パック、小分けヨーグルト十二個、飲むヨーグルト二本という、恐ろしい山になっていた。
「え? え? そんなに食べるの……?」
カナタの引き留めは、戦士たちの耳には届かなかった。
◇
両手に大量の買い物袋を下げて帰宅した一同を待っていたのは、キッチンにそびえ立つ乳製品と食パンの山。
そして、仁王立ちするお母さんだった。
冷蔵庫を開け、どうあがいても中に入りきらない物資の山を確認したお母さんの目が、すうっと据わる。
その視線を受け、四人が揃って身じろぎした。
「……これ、どこに入れるの?」
「あ、僕はいつもの牛乳だけでいいって言ったんですけど……」
「止めなかったあんたも同罪よ」
「……はい」
お母さんは、にっこり笑って言った。
「責任持って、賞味期限までに全部食べきりなさいね。牛乳もちゃんと飲むのよ」
「「「「……はい」」」
食卓の上には、四本の牛乳。
その奥には、大量のヨーグルトと食パン。
隊長は、帰りに買ってもらったアイスを手にしたまま、そっと冷凍庫を開けた。
しかし、中はすでに保冷剤や冷凍食品で隙間なく埋まっていた。
押し込むスペースなど、一ミリもない。
手の中のアイスが、体温で少しずつ溶け始めていく。
「……アイスが入らない」
その悲痛な呟きに、誰も答えることはできなかった。
(第15話・完)




