第12話 元ギルドマスター、卵を持参する
薄暗い部屋の中、デスクライトの鋭い明かりだけがホワイトボードを照らし出していた。
そこには、おどろおどろしい赤文字で、
『真の黒幕:ミナセ母 攻略作戦』
と書き殴られている。
目の下にどす黒い隈を作った男――元ギルドマスターにして、『白銀の灯火』名誉顧問のエドワードは、手にした指示棒で激しくボードを叩いた。
「いいか。あの恐るべき拠点を支配する『黒幕』との外交において、適切な手土産の選定は生死を分ける。私が過去の食卓データ、およびミナセ家の全行動周期から算出した、最新の『外交予測成功率』がこれだ」
ホワイトボードには、国家予算の推移グラフ並みに精密なチャートが並んでいた。
その中央には、手土産候補ごとの予測成功率が大きく書き込まれている。
最高級羊かん――予測成功率、四十二パーセント。
日常のサイクルに対して重すぎる。
最高級酒――予測成功率、十八パーセント。
黒幕本人の嗜好ラインから逸脱。
そして――
赤玉卵、水曜特売。
予測成功率、九十二パーセント。
根拠は、過去のオムライス発生実績、水曜特売周期、そして母親の購買傾向の解析結果である。
その異様な熱量に息を呑んでいた部下が、おずおずと手を挙げた。
「あの……エドワードさん。一つ質問いいですか」
「許可する。言え」
「その赤玉卵、実際に渡してみた実績――いわゆる実測値はあるんですか?」
「……ない」
「全部あなたの予測じゃないですか!!!」
部屋に部下の絶叫がこだまする。
しかしエドワードは微塵も揺らがず、鋭い眼光を放った。
「黙れ! 膨大な観測データと精密な計算の果てに導き出した結論だ! 明日、我々は水曜特売へ潜入する!」
◇
夕暮れ時。
主婦たちの熱気がひしめき合うスーパー『王都マート』の特売コーナー。
そこに、黒のスーツにトレンチコートという、あまりにも場違いで不審極まりない格好の男たちがいた。
エドワードと、その部下である。
二人の目の前には、
『水曜特売! 赤玉卵 一パック九十八円 お一人様二パックまで』
と書かれたポップが掲げられていた。
(……なんというプレッシャーだ。これが黒幕の購買経路……!)
エドワードは息を呑む。
そこへ、店員の威勢のいい声が響いた。
「はーい、卵残り少なくなってまーす! お一人様二パックまでですよー!」
(……! 敵は供給制限を設けている……!)
(組織的な買い占めを防ぐための、高度な防衛策か)
エドワードは懐から手帳を取り出し、血走った目で、
『敵は物資の流通をコントロールしている』
と緊迫のメモを書き殴る。
「エドワードさん、それただの数量限定です。夕方の特売の定番です」
部下の冷静なツッコミを無視し、エドワードは卵を確保してレジへ向かった。
「あら、お兄さんたち。水曜はポイント三倍だから、カード作った方がお得よ? 今すぐ作れるけど、どうする?」
レジのおばちゃんから不意に投げかけられた提案に、エドワードの脳内CPUが高速回転を始める。
(ポイント……!)
(情報提供による信頼度の構築か)
(ここで拒絶すれば、不審がられる可能性がある……)
エドワードは覚悟を決めた面持ちで、重々しく頷いた。
「……頼む。長期戦になる」
「なんでポイントカード作るんですか!? 何と戦うつもりですか、あなた!」
◇
スーパーの店外へ出ると、エドワードはポリ袋に入った二パックの卵を、まるで起動コードの入ったアタッシュケースのように大事そうに抱え直した。
「私はこれより、単独で黒幕との外交へ移行する。お前は戻れ」
「卵を渡しに行くだけですよね……? じゃあ、お疲れ様でした」
部下は一秒の躊躇もなく、即座に退場していった。
◇
ピンポーン、と緊張感のないチャイムの音が鳴り、ミナセ家のドアが開いた。
現れたのは、いつものエプロン姿のミナセ母である。
エドワードは完全に直立不動の姿勢を取り、額から一筋の汗を流した。
「突然の訪問、失礼いたします。ミナセ殿のご実家の動向を……いや、ご近所のご挨拶に伺いました。これを」
世界を滅ぼす魔導書を差し出すような重々しさで、王都マートのポリ袋を両手で差し出す。
お母さんは袋の中を見るなり、ぱっと顔を輝かせた。
「あら! エドワードさんじゃない! ちょうど今、オムライス作ろうと思って卵を切らしてたのよ! 買いに行くの面倒だわって思ってたところだったの。本当に助かるわー!」
(……な、何だと……!?)
エドワードの脳内で、凄まじい衝撃波が駆け巡った。
(切らしていた……?)
(私が今日、この時間に、卵を二パック持参することまで……すべてこの黒幕の手のひらの上だったというのか!?)
(私の行動予測すら完全に上回る予知能力……!)
(なんという恐るべき怪物……!)
本人が勝手に戦慄しているとも露知らず、お母さんは笑顔で扉を大きく開く。
「立ち話も何だから、上がって上がって! 麦茶入れるから!」
「……お言葉に甘えます」
黒幕の拠点への潜入許可を得た。
少なくとも、エドワード本人はそう認識していた。
◇
リビングに入ったエドワードの目に、二人の男女が飛び込んできた。
ソファでのんびりと漫画を読んでいるカナタと、キッチンで神妙な顔をしながらキャベツを千切りにしているレイナである。
エドワードが、眼鏡のブリッジを静かに押し上げる。
「クロノス卿。やはり貴殿もここにいたか」
「私はお母様に料理を教わっている。お前こそ、なぜここにいる」
レイナの声が、低く警戒を帯びたものに変わる。
「正式な外交手続きを経て、入室許可を得た」
「……卵を持ってきただけではないのか」
二人の間に走る一触即発の緊迫感などどこ吹く風、カナタがひらひらと手を挙げた。
「あ、エドワードさん。こんにちは。母さん、今日のオムライス、ケチャップ大盛りねー」
「はいはい。エドワードさんの分も作るからねー!」
お母さんの暢気な声だけが、緊張感など何ひとつないリビングに響く。
レイナは、エドワードの前に置かれた麦茶を睨みつけた。
(……先を越された)
レイナの手の中で、包丁の柄がミシリと鳴った。
一方のエドワードは、その麦茶を前に冷や汗を流していた。
(来たか……接待用魔導薬……!)
一杯の麦茶を挟み、人類最高峰の二人は、まったく別の戦いを始めていた。
(第12話・完)




