第11話 【ミナセ母研究計画】
深夜三時。
ギルド『白銀の灯火』、エドワードの秘密執務室。
室内は薄暗く、デスクライトだけが不気味に一点を照らしていた。
壁際には、スポンサー契約解除通知の山。
デスクの端には、未開封の退団届が輪ゴムで束ねられている。
モニターには、
『元ギルドマスター、神殺し配信者を追放して炎上』
という切り抜き動画が表示されたまま停止していた。
登録者数は、全盛期の三分の一まで減っている。
だが本人は、それらに一切目を向けていなかった。
そこには、徹夜で顔に凄まじい隈を作ったエドワードが、ギラついた目で新たなホワイトボードの前に立っている。
ボードを埋め尽くしているのは、もはやカナタのデータではない。
「あまりにも所帯じみた日常の記録」と、それをエドワードの超有能CPUがミリタリー・プロファイリングした恐怖の数式、およびグラフであった。
「……あり得ん」
エドワードは長い指示棒を握り、ボードに貼られた「ミナセ家の庭の図面」を激しく叩いた。
「まずは第一容疑──あの尋常ならざる超探知能力だ。私はあの日、完璧な気配遮断術式を展開し、風向きすら計算して潜伏していた。S級魔物の縄張りですら見破られなかった私の隠密を、あの女性は窓を開けた瞬間に看破し、正確に捕捉した」
指示棒の先が、『あら、エドワードさんじゃない』というお母さんのセリフのメモを突き刺す。
「たったそれだけだった。そこには警戒もない。敵意もない。驚きすらない。まるで、最初から私がそこにいると知っていたかのように──。つまり彼女にとって、私の最高峰の隠密を暴き、行動を誘導することなど、息をするよりも容易いという証明に他ならない……!」
エドワードの額から、タラリと冷たい汗が流れる。
彼は指示棒をスライドさせ、隣のエリアへ移動した。
そこには【レイナ=世界最強】と【カナタの認識=レイナの妹】という歪んだ対比図が描かれている。
「第二容疑、高度な情報隠蔽工作。あの食卓でのカナタの不自然すぎる発言だ。世界最強レイナ・クロノス本人が調理したハンバーグを、奴は平然と『レイナさんの妹が作った』とのたまわった」
「……あり得ん。あまりにも不自然だ」
「あの男は決して愚かではない。ならば、見えていないのではない。……『見せられていない』のだ!」
「あの女性の手によって、最強の武力が『妹の家庭料理』として不自然なく偽装され、奴の記憶ごとスクリーニングされている……!」
ここまではまだ、他者の分析だった。
エドワードはカチャリと指示棒を置き、自らの両手を見つめた。
その顔から急激に血の気が引き、ホラー映画の主人公のような、底知れない恐怖の表情へと変貌していく。
「……そして、第三容疑。私自身に起きた、あの直接汚染だ」
エドワードの身体が、思い出しただけでガタガタと震え出す。
「あの時、魔術的な反応は一切なかった。威圧も、殺気も、命令文ですらない『野菜も食べなさいね』という、ただの日常のフレーズ」
「洗脳ではない。精神支配の呪術でもない。そんな生易しい術式なら、私の脳内CPUが即座に異常を検知して遮断している」
「……だが、そうではなかった」
「もっと根本的な、拒絶という概念すら存在しない何かだ」
「私は、拒絶する回路すら作動させてもらえず、自らの意志で、無条件で平伏してしまった……!」
理論派であるはずのエドワードのプライドが、理屈を超えた怪異を前にして完全に崩壊しかけていた。
「あり得ない……。あり得ない……。だが……これなら説明がつく……!」
エドワードは狂ったように赤のマーカーを握りしめ、ボード上の【レイナ】【カナタ】そして【私】の名前へ、中心に向かって太い赤線を血走った目で集中させていった。
すべての矢印が、中央の空白へと吸い込まれていく。
「……世界の中心は、カナタではない」
眼鏡のブリッジをキィィンと押し上げ──
バシィィィン!!!
と、ホワイトボードのド真ん中、すべての赤線が集まる中心点へ、エプロン姿で優しく微笑む【ミナセ母】の写真を叩きつけた!
「真の黒幕を見抜いたぞ……!!!」
手帳を開き、震える筆跡で最終結論を書き殴る。
──【真の黒幕:ミナセ母の特定に成功】
◇
「あの……エドワードさん」
その時、書類を持った困惑顔のギルドの部下が、恐る恐る部屋に入ってきた。
「我がギルドの今後の運営方針や、例の新規探索者スカウトの件ですが……いまお時間よろしいでしょうか?」
エドワードはゆっくりと振り返った。
その目は完全に徹夜明けの狂気に満ちており、手にはなぜか近所のスーパーの特売チラシが握られている。
「後だ」
「後……?」
「水曜に卵が安い」
「……は?」
部下は完全にフリーズした。
何を言われているのか、一文字も理解できない。
「木曜は特売がない」
「……あの、エドワードさん?」
「つまり、水曜の夜にオムライスが出現する可能性が極めて高い」
そう言って、ホワイトボードの端に貼られた【オムライス発生頻度グラフ】を指差す。
「現時点でのオムライス発生率は七十二パーセント……」
「まだサンプル数が足りん」
「あの……マジで何の話ですか?」
「もし予測が正しければ」
「来月にはハンバーグの再来もあり得る」
「……」
「……」
「いや何を観測するんですか!?」
エドワードは答えなかった。
ただ特売チラシを見つめたまま、
『水曜限定・卵98円』
の文字へ赤丸を書き込む。
まるで国家存亡に関わる軍事機密を分析するかのように。
ドン。
(第11話・完)




