92話_道下の手
布が裂ける音は、小さかった。
だが、通信水晶越しでもはっきり聞こえた。
びり、と。
古い布が耐えきれずに裂ける音。
その瞬間、待機室の空気が凍った。
ルカ・フェンの声が途切れている。
水晶から聞こえるのは、馬車の車輪が跳ねる音。
移送班の怒号。
馬のいななき。
それから、地面の下で何かが擦れる音。
道の下から手が出ている。
ルカはそう言った。
親父は刃のない柄を抜いていた。
「布を離すな」
通信水晶へ向けて、低く言う。
返事はない。
「ルカ・フェン。返事をしろ」
ざらついた音の向こうで、短い息が聞こえた。
『……離してない』
声が戻った。
だが、さっきまでの声ではない。
明るく張った声ではなく、歯を食いしばって絞り出す声だった。
『でも、裂けた。端っこ、持ってかれた』
ユーディア先生の鐘が鳴る。
「ルカ・フェン。自分の名前を」
『ルカ……フェン。フェンの荷運び小屋の、ルカ。布、まだある。全部じゃないけど、まだある』
鐘の音は少し濁った。
ユーディア先生の表情が険しくなる。
「本人名は保持。ただし、標識布の損傷に伴い、名称錨が揺れています」
セラフィナ先生がすぐに問う。
「精神負荷は」
エイムの端末が赤く点滅する。
「上昇中です。移送班からの視覚報告、入ります」
通信の向こうで、同行職員が叫ぶ。
『外縁封鎖庭手前、道面に黒灰色の亀裂! 亀裂内部より腕状反応、多数! 対象は馬車ではなく、ルカ・フェンの所持布を掴んでいます!』
カイルの声が、別通信から割り込んだ。
『第二防衛線、中央棟連絡廊下に到着! こっちはまだ反応なし!』
アーヴェルの声も続く。
『外縁封鎖庭側へ向かうべきですか』
グレン教官の声が遠隔通信に乗る。
『待機しろ。中央棟を空けるな。道が抜ければ、次は内側に来る』
『了解』
カイルの声は不満を押し殺していた。
それでも、従った。
待機室にいる俺は、右手を握りかけて止める。
包帯。
白鎌は禁止。
黒月は禁止。
線視も禁止。
分かっている。
でも、通信の向こうでルカの布が裂けた。
帰る場所の印が、道の下の手に引かれている。
動けない。
見えない。
それが、思ったよりきつかった。
エルナが俺の横に来た。
「リオンさん」
「分かってる。見ない」
「はい」
「でも、声は聞く」
「それは必要です」
エルナの声は静かだった。
少しだけ硬い。
緊張している。
けれど、揺れてはいない。
親父が水晶へ向けて言う。
「ルカ。裂けた布の端は見るな」
『見ちゃった』
「なら、そこを自分のものだと思うな」
『でも、家の布だよ』
「今持っている方が、お前の布だ。奪われた端は道に食われた。追うな」
返事が一瞬遅れる。
『……分かった』
声に、痛みが混じった。
ただの布ではない。
帰る場所だ。
それを裂かれて、持っていかれた。
痛くないはずがない。
親父は続けた。
「残った布を握れ。名前を言え。場所を言え」
『ルカ・フェン。フェンの荷運び小屋のルカ。赤茶の布、まだある。西路から来た。道には残らない』
声は戻りきらない。
それでも、途切れていない。
エイムが報告する。
「道面の腕状反応、裂けた布片を中心に再形成。布片を入口にして、道を固定しようとしています」
「入口を作られたか」
親父の声が低くなる。
「はい。外縁封鎖庭の地面に、標識布の一部が縫い込まれつつあります」
ユーディア先生が言う。
「布片をルカさん本人の錨から切り離す必要があります。ただし、乱暴に断てば本人名にも影響が出ます」
グレン教官の遠隔声が入った。
『俺が外縁へ向かう。ユアン、そちらから繋げるか』
親父は柄を握る。
「水晶越しなら細い。だが、やる」
『リオンは動かすな』
「分かっている」
グレン教官の足音が通信の向こうで遠ざかる。
外縁封鎖庭へ向かっているのだろう。
オルディス局長も別線で指示を出している。
外縁封鎖庭の封鎖班。
王城外縁警備。
学院側結界。
全てが動き始めていた。
これはもう、単なる移送ではない。
旧礼拝室を閉じた翌日に、王都へ伸びる道そのものが口を開けた。
大きな事件になる。
そう分かった。
エイムが声を張る。
「外縁封鎖庭、第一結界展開。移送馬車、庭外縁に停止。ルカ・フェンは馬車内に留まっています」
ルカの声がすぐに返る。
『降りるなって言われたから降りてない! でも馬車の床、ちょっと変!』
親父が問う。
「どう変だ」
『床板の隙間から、土の匂いがする。馬車なのに、道の上に直接座ってるみたい』
セラフィナ先生が息を呑む。
「馬車内へ道の意味が侵食しています」
ユーディア先生が鐘を構える。
「ルカさん。そこは馬車です。道ではありません。移送馬車の内部です」
ルカがすぐに続ける。
『ここは馬車! 移送馬車! 道じゃない! ルカ・フェンは馬車の中! 道に残ってない!』
鐘が鳴る。
少し澄む。
だが、水晶の奥で床板が軋む音がした。
ばき、と。
ルカが短く息を吸う。
『床から、指が出た』
待機室の全員が動きを止めた。
『黒い。細い。布の端を探してる。あたしの足じゃなくて、布を探してる』
親父が言う。
「布を胸に抱えろ。足元に垂らすな」
『もう抱えてる!』
「なら、名前を上に置け」
『どういう意味!?』
「布より先に、自分の名前を言え。布は帰る印だが、お前そのものじゃない」
ルカの呼吸が荒い。
『ルカ・フェン! 布は布! あたしはルカ! 布は帰る印! あたしの名前じゃない!』
ユーディア先生の鐘が強く鳴る。
「本人名、保持。標識布との過剰同一化、抑制されています」
エルナが小さく言った。
「布が大事だからこそ、布そのものにされかけているんですね」
親父が頷く。
「大事なものは、入口にもされる」
その言葉は重かった。
名札。
手紙。
布。
声。
戻るためのものは、奪われれば入口になる。
俺は胸元の名札を押さえた。
リオン。
名札は俺ではない。
でも、俺を戻すためのもの。
同じだ。
通信の向こうで、ルカが叫ぶ。
『床の指、増えた! これ、蹴っていい!?』
セラフィナ先生が即答した。
「蹴らないでください」
親父も同時に言う。
「蹴るな」
『二人して!?』
「触るな。踏むな。布を離すな」
『注文多い!』
それでも、ルカの声が少し戻った。
怒れるなら、まだ戻っている。
親父が柄を水晶へ向ける。
「今から、裂けた布片を帰す」
ユーディア先生が問う。
「ルカさん本人へ戻すのですか」
「違う。道へも戻さない」
「では、どこへ」
「布の意味へ戻す」
一瞬、意味が分からなかった。
親父は続ける。
「布片はもう物としては奪われた。本人へ戻せば、傷ごと戻る。道へ帰せば入口が残る。なら、布に込められた意味だけを戻す」
「帰る者を、道に残すな」
エルナが呟く。
親父は頷いた。
「それだ」
エイムが記録板を強く握る。
「概念層への帰還処理。記録します」
「大げさに言うな」
「必要です」
親父は返事をしなかった。
柄を構える。
その姿を見て、俺は昨夜の旧礼拝室を思い出す。
戻せるものだけ戻す。
戻せないものは、引かれない。
今回は、裂けた布そのものではなく、そこに宿った意味を戻す。
ルカ自身を道に残さないために。
親父が低く言う。
「ルカ」
『はい!』
「お前の布は何だ」
『家の印!』
「他には」
『帰る場所の印!』
「他には」
『置いていかないための印!』
「誰を」
ルカが一瞬詰まる。
水晶の向こうで、床板が軋む。
黒い指が増える音がした。
『……帰れる人を』
「お前は」
『帰れる!』
「なら、残るな」
『残らない!』
親父の柄が、かすかに白く光った。
刃はない。
だが、道が生まれる。
治癒棟の待機室から、通信水晶を通じて、外縁封鎖庭へ。
裂けた布片。
道面の黒灰色の腕。
その奥にある、道の口。
親父が言う。
「帰れ」
水晶が強く震えた。
待機室の窓が細かく鳴る。
ユーディア先生の鐘も、勝手に揺れた。
エイムの端末が赤く光る。
「布片反応、変化! 物質反応は道面に残留、意味反応のみ分離!」
親父の手首に黒い筋が浮く。
セラフィナ先生が鋭く見る。
「無理をしています」
「している」
親父は否定しなかった。
「だが、まだ戻せる」
通信の向こうで、ルカが叫ぶ。
『布、軽くなった! でも床の手、怒ってる!』
移送班の職員が続く。
『道面の口、拡大! 黒灰色の腕が馬車底部へ接触!』
グレン教官の声が入る。
『外縁封鎖庭に到着。対象確認』
剣が抜かれる音。
『ユアン、布片の意味は戻したか』
「半分だ」
『残りは』
「道の口が噛んでいる」
『噛み口を斬る』
「斬る前に、少し戻す」
『急げ』
グレン教官の声が硬い。
現場は相当悪いのだろう。
俺は通信水晶を見つめる。
見てはいけない。
水晶の奥に線を探してはいけない。
でも、音だけでも分かる。
馬車の床が割れている。
道の下から手が出ている。
ルカが布を抱えている。
グレン教官が外縁封鎖庭で剣を構えている。
親父がここから道を繋いでいる。
俺は何もできない。
その事実が、胸を焦がす。
「リオンさん」
エルナの声。
「こちらを見てください」
俺は視線を動かす。
エルナがすぐ横にいる。
「今、あなたが動くと、何が起きると思いますか」
「扉か道が反応する」
「はい」
「俺の名前を入口にされるかもしれない」
「はい」
「だから、動かない」
「はい」
エルナは頷いた。
「動かないことも、防衛です」
苦い。
でも、必要な言葉だった。
俺は息を吸う。
「分かった」
「では、名前を」
「リオン」
鐘が鳴る。
ユーディア先生が頷く。
「安定しています」
エルナは少しだけ表情を緩めた。
「戻っています」
その声が、俺を待機室に留める。
通信の向こうで、グレン教官が叫んだ。
『噛み口、視認。対象、道面に半固定。形は腕状、口状、複数。名をつけるな。封鎖班、進路を固定しろ』
オルディス局長の声も重なる。
『外縁封鎖権限、開放。道面定義固定。ここは王立学院外縁封鎖庭。通行路ではない』
セイル監査官が王城記録を読み上げる。
『王城記録、外縁封鎖庭は封鎖区域。通行、誘導、帰還路としての使用を認めない』
ルカの声。
『じゃあここ、道じゃないんだね!?』
グレン教官が答える。
『道じゃない』
『了解! ここは道じゃない! 馬車は馬車! 布は布! あたしはルカ!』
その声に、まだ力がある。
親父の柄がさらに光る。
「帰れ」
水晶の中で、遠くの何かが引き剥がされる音がした。
布が裂ける音ではない。
布に込められた意味だけが、黒灰色の口から抜き取られる音。
ルカが叫ぶ。
『布、戻った! いや、裂けてるけど、戻った感じがする!』
ユーディア先生が鐘を鳴らす。
「標識布、名称錨として再安定。損傷あり。ただし意味反応は保持」
親父の手首の黒い筋が少し薄くなる。
「グレン」
『分かっている』
剣が走る音。
水晶越しなのに、空気が裂けるのが分かった。
グレン教官が、道の口が布片を噛んでいた部分を斬った。
『噛み口、断絶』
エイムが叫ぶ。
「道面の口、後退!」
だが、次の瞬間、警告音がさらに鋭く鳴った。
「黒灰色反応、分散! 外縁封鎖庭から学院敷地内の複数地点へ微弱線!」
アーヴェルの通信が入る。
『中央棟連絡廊下、床面に黒灰点を確認。まだ小さい』
カイルの声。
『こっちにも来た! 踏まない! 触らない! アーヴェル、左!』
『見えている』
別の監理局職員の声。
『資料室方面にも微弱反応!』
セラフィナ先生の表情が険しくなる。
「治癒棟は?」
エイムが端末を見る。
「治癒棟外周、現時点で反応なし……いえ、通信水晶に微弱付着!」
親父が振り返るより早く、水晶の表面に黒灰色の点が浮いた。
小さい。
針の頭ほど。
だが、そこから細い線が伸びようとしている。
こちらへ。
俺の胸元ではない。
エルナの名札へ。
「エルナ!」
俺が声を出す。
エルナは動かない。
自分の名札へ伸びる線を、見えていないはずなのに察したように、静かに息を吸った。
「エルナ・シルヴェリア」
自分で名乗る。
「戦闘科一年、第一基礎班。私は、灯ではありません」
ユーディア先生の鐘が鳴る。
親父が柄を反転させる。
「帰れ」
水晶の黒灰点が震える。
だが、細い線はまだ伸びる。
灰衣の役割名ではない。
旧礼拝室の対象が、ルカの布から道へ、道から通信へ、通信からエルナの名札へ、残った灯の痕を探している。
昨日剥がしたはずのもの。
それでも、残滓を拾ってくる。
俺の胸が冷たくなる。
白鎌を呼びそうになる。
右手が熱を持つ。
エルナがこちらを見た。
「リオンさん」
その声は揺れていなかった。
「呼ばないでください」
「でも」
「私はここにいます」
エルナは名札に手を添えた。
「私はエルナ・シルヴェリアです。あなたが戻る声です。でも、灯ではありません」
その言葉に、胸の奥が止まった。
あなたが戻る声。
彼女が、自分でそう言った。
役割ではなく。
灰衣に押しつけられた灯ではなく。
自分で選んだ言葉として。
鐘が強く鳴る。
黒灰線が揺らいだ。
親父が柄を振る。
「帰れ」
今度は戻った。
水晶の黒灰点が剥がれ、親父の柄へ引かれる。
グレン教官の遠隔声。
『こちらで受ける』
親父は短く返す。
「受けるな。斬れ」
『分かっている』
黒灰点は水晶から剥がれ、遠隔の道へ戻される途中で、グレン教官の剣に断たれた。
水晶が澄む。
エルナの名札は揺れていない。
俺は息を吐いた。
右手はまだ熱い。
でも、白鎌は呼んでいない。
エルナが静かに言う。
「戻っています」
「うん」
「私も、戻っています」
「うん」
その言葉で、やっと少し呼吸が整った。
通信の向こうでは、外縁封鎖庭の戦いが続いている。
だが、道の口は後退しているらしい。
エイムが報告する。
「分散線、各所で縮小。中央棟連絡廊下、アーヴェル君とカイル君が進路遮断中。資料室方面、監理局職員が封鎖。治癒棟への線は消失」
ルカの声が戻る。
『馬車、止まった! 外、すごいことになってる! 降りない方がいいよね!?』
グレン教官が即答する。
『降りるな』
『だよね!』
親父が水晶へ言う。
「布は」
『裂けた。でも、まだ持ってる。軽くなった。さっきより、ちゃんと布って感じがする』
ユーディア先生が頷く。
「良い状態です」
セラフィナ先生が言う。
「ルカさん、呼吸を整えてください。吸って、吐いて。名前を一度」
『ルカ・フェン。……ルカ・フェン。うん、大丈夫。ちょっと泣きそうだけど、大丈夫』
その声は、初めて少し震えていた。
明るく誤魔化す余裕が薄れている。
それでも、名前はある。
親父が低く言う。
「泣いてもいい。布は離すな」
『泣くと鼻水出るから嫌』
「好きにしろ」
『じゃあ我慢する』
カイルの通信が入る。
『こっち、黒灰点消えました! 脚も無事! たぶん!』
グレン教官の声。
『たぶん禁止』
『はい!』
アーヴェルが続ける。
『中央棟連絡廊下、安定。こちらは待機を継続します』
外縁封鎖庭の音も、少しずつ落ち着いていく。
馬の息。
封鎖班の指示。
グレン教官の剣が鞘に戻る音。
オルディス局長の杖が床を突く音。
エイムが報告する。
「道面の口、閉鎖。外縁封鎖庭、黒灰反応残滓あり。ルカ・フェン、馬車内で本人名保持。標識布、損傷ありながら名称錨として機能継続」
待機室に、ようやく息が戻った。
だが、誰も完全には安心しなかった。
道の口は閉じた。
でも、外縁封鎖庭に黒灰反応が残った。
ルカの布は裂けた。
そして、対象は通信水晶を通じてエルナの名札へも触れようとした。
次の入口を探している。
親父の言葉通りだった。
通信の向こうで、ルカが小さく言った。
『リオン、いる?』
俺はユーディア先生を見る。
先生は頷いた。
「短く」
俺は水晶へ向けて答える。
「いる」
『名前、言える?』
俺は少しだけ迷った。
でも、胸元の名札は揺れていない。
「リオン」
鐘が鳴る。
『そっか。よかった』
ルカの声は、いつもの明るさから少し離れていた。
疲れている。
怖かったのだ。
当然だ。
『あたしも言う。ルカ・フェン』
「うん」
『布、破れた』
「うん」
『でも、まだある』
「うん」
『学院、入れるかな』
その問いに、俺は答えられなかった。
代わりに、セラフィナ先生が言った。
「まず、外縁封鎖庭で検査です。入るかどうかは、その後判断します」
ルカは少し黙った。
『分かりました』
珍しく、素直で静かな返事だった。
それが逆に、胸に残った。
通信が一度切られる。
外縁封鎖庭での検査へ移るためだ。
水晶の光が落ちる。
待機室に、重い静けさが戻った。
エルナは自分の名札を見ていた。
俺は彼女を見る。
今度は、彼女も気づいた。
「見ていますね」
「うん」
「今度は、いいです」
そう言って、エルナは少しだけ息を吐いた。
「さっき、少し怖かったです」
「うん」
「でも、灯ではないと言えました」
「聞こえた」
「リオンさんが白鎌を呼ばなかったのも、分かりました」
「呼びそうだった」
「でも、呼びませんでした」
「エルナが止めたから」
エルナは目を伏せた。
「なら、よかったです」
その声は、静かだった。
けれど、さっき自分で言った言葉がまだ残っているように聞こえた。
あなたが戻る声です。
俺は、それを忘れないようにした。
親父が柄を収める。
手首の黒い筋は、また少し濃くなっていた。
セラフィナ先生がすぐに近づく。
「見せてください」
「後でいい」
「今です」
親父は諦めたように手を出した。
カイルがいなくても、きっと同じことを言っただろう。
治癒棟の外では、まだ封鎖庭が騒がしい。
ルカはそこにいる。
破れた布を抱えて。
名前を持ったまま。
学院へ入る直前で、道に引き戻されかけた少女。
これはもう、ただの編入ではない。
旧礼拝室の扉を閉じた後、次に開いたのは道だった。
そして、その道の上に立っていたのがルカ・フェンだった。
第1章の終わりが近い。
そんな気がした。
けれど、終わりは静かには来ない。
外縁封鎖庭から、再び通信が入った。
エイムが受ける。
「外縁封鎖庭より報告。ルカ・フェン、本人名安定。標識布、損傷。黒灰反応は周辺から消失。ただし――」
彼の声が少しだけ止まった。
グレン教官の声が、直接水晶から聞こえる。
『ルカの裂けた布片が、道面から回収された』
親父が目を細める。
「状態は」
『布片の裏に、文字が出ている』
待機室の空気がまた硬くなる。
グレン教官は続けた。
『古い文字だ。ミレイアの確認が必要だが、読める部分がある』
「何と」
グレン教官の声は低かった。
『第二の道は、学院の内にあり』
誰も言葉を出さなかった。
第二の道。
学院の内。
旧礼拝室ではない。
東門でもない。
外縁封鎖庭でもない。
学院の中に、まだ別の入口がある。
大きなイベントは、もう始まっていた。
俺は胸元の名札に触れる。
リオン。
隣で、エルナが静かに立っている。
戻る声は、ここにある。
だが、道はもう、学院の内側へ伸びていた。




