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歪みの果てに君を呼ぶ  作者: ネネルネ
第1章 白鎌の少年
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9話_名付けられた線

演習が終わった頃には、午後の光が少し赤くなっていた。


第一訓練場の床には、防護陣の淡い光がまだ残っている。

その上を生徒たちが歩くたび、青白い線が揺れた。


俺には、それが普通の光には見えなかった。


魔力の流れ。

術式の継ぎ目。

踏み込みの跡。

誰かが剣を振った後に残る、わずかな軌道。


見ようとしなくても、目に入る。


それが少しずつ増えていく。


頭の奥が鈍く痛んだ。


「リオン」


グレン教官に呼ばれた。


「はい」


「残れ。少し確認する」


またか、と思った。


けれど口には出さない。


カイルは大剣を背負いながら、俺の肩を軽く叩いた。


「大変だな、有名人」


「有名になった覚えはない」


「初日に測定器止めて、白い鎌出して、未来視に見えないとか言われたら、十分だろ」


否定できなかった。


エルナは少し離れたところで、こちらを見ていた。


アーヴェルは何も言わずに訓練場を出ていく。

ただ、すれ違う時に一度だけ俺を見た。


敵意ではない。

だが、好意でもない。


強いて言うなら、確認する目だった。


次は見誤らない。


そんな目。


訓練場に残ったのは、俺とグレン教官だけだった。


「座れ」


壁際の長椅子を示される。


俺が座ると、グレン教官は一枚の薄い記録板を取り出した。

魔法式の文字が、板の上に浮かび上がっている。


そこには俺の名前があった。


リオン。


その下に、いくつかの項目が並んでいる。


『魔力波長:不安定』

『属性適性:判定不可』

『固有能力:未分類』

『武装:特殊顕現型』

『観察区分:継続』


また、名前が増えている。


俺は少しだけ目を細めた。


「その顔は、嫌いな顔だな」


グレン教官が言った。


「書類にされるのは、あまり好きではありません」


「だろうな」


「でも、必要なんでしょう」


「そうだ」


教官は誤魔化さなかった。


それは少しだけ意外だった。


「お前の力は、本人が理解していない。周囲も理解していない。だが、学院はお前を授業に参加させる。なら最低限、名前をつけて扱う必要がある」


「名前」


「名前がなければ、教えられない。止められない。警告もできない」


グレン教官は記録板の一箇所に指を当てた。


文字が書き換わる。


『知覚能力:仮称――()()()


その横に、小さく古い文字が浮かんだ。


界線視(リミナ)


「リミナ」


俺はその音を口にした。


妙な響きだった。


知らない言葉のはずなのに、どこかで聞いたことがある気がした。


「古い境界語だ」


グレン教官が言う。


「意味は」


「境界に走る線。あるいは、世界が分かれる際に生じる細い継ぎ目」


世界が分かれる。


その言葉を聞いた瞬間、右手の奥がかすかに冷えた。


大鎌が、わずかに反応した気がした。


「お前は攻撃の軌道だけを見ているわけではない。魔力の流れ、術式の継ぎ目、身体の重心、空間の弱い箇所。そういうものを、線として認識している」


「それが、リミナ」


「仮称だ」


教官は強調した。


「本質かどうかは分からない。だが、今はそう呼ぶ」


俺は記録板の文字を見つめた。


界線視(リミナ)


名前がついた。


それだけで、見えているものが少しだけ形を持った気がした。


同時に、少し怖かった。


名前がつくと、それは能力になる。

能力になれば、使うものになる。

使うものになれば、使った責任が生まれる。


「リオン」


グレン教官が低く言った。


「今日の演習で、お前は二度、軌道に干渉した」


「……たぶん」


「一度目はアーヴェルの剣先。二度目はカイルの大剣の間合いだ」


「意識してやったわけではありません」


「だから危険だ」


その言葉には、責める響きはなかった。


ただ事実を置く声だった。


「軌道を逸らす干渉は、便宜上こう記す」


記録板に文字が増える。


偏軌(スキュー)


「すきゅー」


「発音に慣れなくていい。記録上の名称だ」


「名前、多いですね」


「お前が説明しないからだ」


それはそうだった。


俺は少し黙った。


「俺が、これを使いこなせるようになると思いますか」


「なる必要がある」


「質問の答えになっていません」


「なら言い直す」


グレン教官は俺を見た。


「使いこなせなければ、お前はいつか誰かを傷つける」


言葉が胸に刺さった。


味方の治癒術式を壊すかもしれない。

防護陣を乱すかもしれない。

避けるつもりで、誰かを別の攻撃に晒すかもしれない。


俺の力は、守るためだけに動くわけではない。


それは分かっていた。


分かっていたはずなのに、誰かに言葉にされると重かった。


「見えるもの全部に触れるな」


グレン教官は言った。


「まずは、見るだけにしろ。次に、選べ。最後に、触れろ。順番を間違えるな」


親父の言葉に少し似ていた。


守る相手は選べ。


振った理由だけは忘れるな。


きっと、同じことを別の言い方で言っている。


「分かりました」


「本当に分かった顔ではない」


「よく言われます」


グレン教官は小さく息を吐いた。


「今日は戻れ。明日から個別訓練を入れる」


「はい」


俺は立ち上がった。


訓練場を出ると、廊下にはエルナがいた。


待っていたのだろうか。


「話は終わりましたか」


「たぶん」


「また、たぶんですか」


「癖みたいなものだ」


エルナは少しだけ首を傾げた。


「名前がついたのですか」


俺は少し驚いた。


「聞こえてた?」


「いいえ。でも、あなたの周りの線が少し落ち着いた気がしました」


そういうものなのか。


俺には分からない。


界線視(リミナ)、だそうだ」


エルナはその名を小さく繰り返した。


「リミナ」


彼女の声で聞くと、少し違って聞こえた。


水の底に落ちた光みたいな響き。


「似合っています」


「能力に似合うとかあるのか」


「あります」


即答だった。


俺は返事に困る。


廊下の先では、カイルが壁に寄りかかって待っていた。


「お、終わったか」


「待ってたのか」


「飯の続きがまだだろ」


「さっき食べた」


「足りない」


「お前が?」


「俺が」


カイルは当然のように言った。


エルナが小さく瞬きをする。


「今から食べるのですか」


「食べる。シルヴェリアも来る?」


「私は……」


エルナは少し迷った。


たぶん、誰かにそう誘われることに慣れていない。


俺にも分かる。


俺も慣れていない。


「来ればいい」


気づけば、そう言っていた。


エルナがこちらを見る。


「いいのですか」


「俺に許可を取ることじゃない」


「そうですね」


彼女は少しだけ目を伏せた。


ほんのわずかに、口元が緩んだ気がした。


三人で廊下を歩く。


カイルが先頭。

エルナが少し後ろ。

俺はその間くらい。


窓の外では、学院の庭に夕陽が落ちていた。


風に揺れる木々。

石畳を歩く上級生。

遠くの訓練場から聞こえる剣戟。


そのすべてに、薄い線が見える。


けれど今は、無理に追わなかった。


見るだけ。

選ぶ。

最後に、触れる。


そう唱えるように思う。


ふと、右手の奥で白い大鎌が沈黙した。


さっきまで小さく震えていた感覚が、静かになる。


まるで、名づけられた線を聞いていたかのように。


その夜。


境界監理局へ送られた学院初日の報告書には、赤い封印が押された。


記録欄には、こう追記されている。


『仮称:界線視(リミナ)を確認』

『軌道干渉:偏軌(スキュー)相当』

『特殊武装:白色大鎌。顕現時、術式への自動干渉あり』

『黒線反応、微弱』


そして最後に、別の筆跡で一文。


『歪みの兆候あり。引き続き監視を要する』


俺はまだ知らない。


その一文が、学院ではなく、王城の奥へも送られていたことを。


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