8話_3秒先
「では、基礎連携演習を行う」
グレン教官のその一言で、教室の空気が少し変わった。
座学の時間は終わりらしい。
戦闘科の生徒たちは、分かりやすい。
黒板に文字が並んでいる時より、武器を持てと言われた時の方が目に力が戻る。
カイルは露骨に背筋を伸ばした。
「来たな」
「楽しそうだな」
「そりゃそうだろ。座って話聞くだけなら、俺は五分で死ぬ」
「死ぬの早いな」
「座学は危険なんだよ」
アーヴェルが前の席から振り返った。
「緊張感がないな」
「あるぞ。座学に対する危機感が」
「そういう話ではない」
カイルは笑っていたが、アーヴェルは笑わなかった。
まだ午前のことを引きずっているのだろう。
いや、引きずっているというより、折り合いをつけられていない。
俺に負けたことではなく、どう負けたのか分からなかったことに。
それはたぶん、俺も同じだ。
俺は、自分がどう勝ったのかを説明できない。
グレン教官は俺たちを第一訓練場へ移動させた。
午後の光は、午前よりも少し柔らかい。
白い石の床に刻まれた防護陣は修復されていたが、俺にはまだ、さっき大鎌が残した黒い線の名残が見える気がした。
見ないようにする。
今は必要ない。
「今回の演習は単純だ」
グレン教官が言った。
「二人一組。片方が攻撃役、片方が支援または防御役。相手組の胸元に付けた徽章を奪えば勝ちだ。固有能力の使用は、申告済みであり、危険度が低い範囲に限り許可する」
何人かが頷く。
「班内で組め。まずはアーヴェル、カイル。次にエルナ、リオン」
その組み合わせに、訓練場の空気が少しだけ揺れた。
アーヴェルとカイル。
分かりやすい前衛同士。
そして、俺とエルナ。
未来が見える少女と、未来が見えないらしい俺。
カイルがこちらを見て、にやりと笑った。
「お手柔らかに」
「それはこっちの台詞だ」
アーヴェルは細剣を手に取り、静かに構える。
カイルは大剣を肩に担いだまま、気楽そうに立っていた。
けれど、足の置き方に隙はない。
ただの明るい奴ではない。
それくらいは分かる。
俺は訓練用の木剣を取ろうとして、少し迷った。
白い大鎌は呼ばない。
許可されていないし、呼ぶ理由もない。
木剣でいい。
そう思った瞬間、右手の奥に冷たい感覚が沈んだ。
まるで拗ねたように。
「……面倒だな」
「何がですか」
隣でエルナが聞いた。
「いや。何でもない」
エルナは短い杖を持っていた。
杖といっても、魔法士が使う長いものではなく、前腕ほどの細い触媒だ。
先端に小さな銀の輪が付いている。
「近接は苦手なんだろ」
「はい」
「なら、下がってていい」
そう言うと、エルナは静かに首を横に振った。
「それでは連携になりません」
正論だった。
「では、どうする」
「私が三秒先を視ます。あなたは、私が言った方向に動いてください」
「俺の未来は見えないんじゃなかったのか」
「あなた自身は見えません」
エルナは俺ではなく、アーヴェルとカイルを見た。
「でも、相手の未来は視えます。相手が三秒後にどこへ踏み込むか。どこを狙うか。それは分かることがあります」
「便利だな」
「便利ではありません」
返答はすぐだった。
「視えるのは断片です。全部ではありません。視えたものを信じすぎると、逆に遅れます」
その言葉は、少しだけ俺にも分かった。
見える線を、全部追おうとすると頭が痛くなる。
見えるから正しいわけではない。
見えたものに引きずられることもある。
「始め」
グレン教官の声が響いた。
先に動いたのはカイルだった。
大剣を担いだまま、真っ直ぐ突っ込んでくる。
速い。
身体強化を使っている。
地面を蹴る音が重い。
けれど力任せではない。踏み込みが綺麗だ。
「右」
エルナの声。
俺は右へ動いた。
直後、カイルの大剣がさっきまで俺のいた場所を通り過ぎる。
風が頬を叩いた。
「次、下」
エルナの声が続く。
俺は膝を落とす。
アーヴェルの細剣が、頭上を走った。
二人が同時に来ている。
カイルの大剣で動きを制限し、アーヴェルの細剣で徽章を狙う。
午前に見た時より、アーヴェルの動きはずっと冷静だった。
今度は舐めていない。
それが少し、意外だった。
「左後ろ」
エルナの声。
だが、そこにはカイルがいる。
未来を視た結果なのか。
罠なのか。
一瞬迷った。
その迷いの間に、視界に線が増える。
カイルの大剣。
アーヴェルの踏み込み。
エルナの杖から伸びる補助術式の線。
俺自身が動ける線。
その中で、一つだけ明らかに細い線があった。
左後ろ。
エルナの言う通りの場所。
俺はそこへ踏み込んだ。
カイルの大剣が、俺の肩を掠める寸前で外れる。
避けたのではない。
カイルの動きの死角に入った。
「うお、そこ入るか」
カイルが楽しそうに笑う。
同時に、俺は木剣を返した。
狙うのはカイルの徽章。
だが、アーヴェルが間に入る。
細剣の切っ先が、俺の木剣を弾いた。
今のは速い。
午前よりも、ずっと。
「貴様だけを見ていると思うな」
アーヴェルが言った。
たぶん、俺に向けた言葉だ。
俺は返事をしない。
返事の代わりに、木剣の軌道を少しだけずらす。
弾かれたはずの木剣が、手首の返しに合わせて戻る。
《還刃》と呼ぶほどではない。
ただの癖だ。
アーヴェルの目が変わった。
読まれた。
そう思った瞬間、エルナが息を呑む音が聞こえた。
「リオン、止まって」
止まる?
前へ出れば届く。
アーヴェルの徽章まで、あと一歩。
けれどエルナの声には、迷いがなかった。
俺は止まった。
次の瞬間、足元の防護陣が薄く光る。
アーヴェルが仕込んでいた低位術式。
踏み込めば、足を絡め取られていた。
「視えたのか」
俺が聞くと、エルナは短く答えた。
「あなたは視えません。でも、あなたが踏み込んだ後に、アーヴェルの徽章が残っている未来が視えました」
「つまり、俺は取れていない」
「はい」
不思議な説明だった。
俺そのものは視えない。
だが、俺が動いた結果だけは、周囲の未来として見える。
使いにくいが、使えないわけではない。
カイルが大剣を構え直す。
「なんか、そっちも噛み合ってきてないか?」
「気のせいだ」
俺が言うと、エルナが小さく首を横に振った。
「気のせいではありません」
そう言われると、少し困る。
演習はその後も続いた。
俺とエルナは、勝てなかった。
最後はアーヴェルの細剣が俺の徽章を掠め取り、カイルがエルナの退路を塞いだ。
結果だけ見れば、俺たちの負けだ。
だが、グレン教官はすぐに次の組へ移らなかった。
「今の連携、何点だと思う」
誰に向けた問いなのか分からなかった。
カイルが手を上げる。
「六十点くらいですか?」
「三十点だ」
「辛い」
グレン教官は無視した。
「アーヴェルとカイルは個々の判断は悪くない。だが互いを利用しているだけで、合わせてはいない。リオンとエルナは逆だ。連携の形は見えたが、互いの能力を理解していない」
理解していない。
またその言葉だ。
「特にリオン」
「はい」
「お前は、他人の指示を聞くのが下手ではない。だが、自分が何をできるかを相手に伝えるのが下手だ」
「……苦手です」
「知っている」
即答された。
カイルが笑いを堪えている。
エルナは静かに言った。
「私は、知りたいです」
その声に、全員が少しだけ彼女を見た。
エルナは俺を見ていた。
「あなたが何を視ているのか。何を曲げているのか。それが分からないと、私は三秒先を選べません」
三秒先を選ぶ。
未来を見るのではなく、選ぶ。
その言い方が、少しだけ引っかかった。
「俺も知りたい」
俺は言った。
「自分が何をしているのか」
エルナは小さく頷いた。
「なら、一緒に考えましょう」
昨日までなら、そう言われても返事に困ったと思う。
けれど今は、隣でカイルが当然みたいな顔をしている。
アーヴェルは不満げだが、それでもこちらを見ている。
班。
そう呼ばれるものに、自分が入っている。
まだ慣れない。
けれど、悪くはないのかもしれない。
演習が再開される直前、俺はふと訓練場の床を見た。
さっきエルナの指示で踏み込んだ場所。
そこに、細い線が一本だけ残っているように見えた。
未来の線ではない。
魔力の線でもない。
たぶん、俺が選ばなかった動きの線。
ありえたはずの三秒先。
俺は目を細めた。
その線はすぐに消えた。
けれど、胸の奥で小さく何かが鳴った。
未来もまた、歪むのかもしれない。
そう思った瞬間、右手の奥で白い大鎌が静かに震えた。




