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歪みの果てに君を呼ぶ  作者: ネネルネ
第1章 白鎌の少年
72/88

72話_呼ばれる男

親父にも、連絡を取る。


オルディス局長の言葉が、小会議室に残っていた。


机の上には、記録板と写し紙が並んでいる。

中央区画。

測定板。

救護区画。

旧礼拝室。

王城の封鎖目録。


昨日までは学院の中だけで完結していると思っていたものが、いつの間にか王城まで伸びている。


そして、今度は親父だ。


俺を拾った人。


俺に名前をくれた人。


飯を食え、寝ろ、怪我を隠すな、と何度も言った人。


その人が、ただの保護者ではない。


オルディス局長はそう言った。


カイルが、俺の横で少しだけ身じろぎした。


何か言おうとしたのだと思う。


けれど、言わなかった。


エルナも、何も聞かない。


アーヴェルも、こちらを見たあと、すぐに視線を戻した。


一人で聞かなくていい。


さっきエルナがそう言ってくれた。


その言葉がなければ、少し呼吸が乱れていたかもしれない。


セイル監査官が、静かに口を開いた。


「リオン。君の保護者について、君自身が知っていることを確認したい」


「はい」


「六歳以前の記憶はない。雨と血の中で目覚め、現在の保護者に拾われた。以降、境界監理局の保護観察下に置かれ、王立学院へは監理局推薦枠で入学。ここまでは正しいか」


「はい」


淡々と並べられると、自分のことではないように聞こえた。


でも、正しい。


俺は、その通りにここまで来た。


「保護者から、君の出自について具体的な説明を受けたことは」


「ありません」


「白鎌については」


「たぶん、知っていました」


部屋の空気が少しだけ動く。


セイル監査官が目を細めた。


「根拠は」


「初めて白鎌を見た時、驚いたようには見えませんでした。触ろうとはしなかったし、俺にも無理に説明させませんでした。ただ、振った理由だけは忘れるな、と」


グレン教官がわずかに頷いた。


オルディス局長は黙って聞いている。


セイル監査官はさらに問う。


「黒い片翼の気配については」


「話したことはありません」


「君の力を恐れていた様子は」


少し考えた。


親父が俺を恐れていたか。


白鎌を持つ俺。

変なものが見える俺。

名前のない俺。


恐れていたかもしれない。


でも、それを俺に向けたことはなかった。


「ありません」


俺は答えた。


「怒ることはありました。無茶した時とか、怪我を隠した時とか。でも、力そのものを怖がられたことはないと思います」


セイル監査官は記録紙へ何かを書いた。


「なるほど」


カイルが少しだけ口を開く。


「それ、普通に良い親父さんってことじゃないですか」


セイル監査官の視線がカイルへ向いた。


カイルは一瞬固まったが、すぐに言い直した。


「すみません。でも、今の話だけなら、そう思ったので」


沈黙。


オルディス局長が低く笑った。


「間違ってはいない」


セイル監査官は少しだけ眉を動かしたが、否定はしなかった。


「保護者としての評価は、別途記録にあります」


「どういう評価ですか」


カイルが聞きそうになったが、アーヴェルが机の下で軽く止めた。


カイルは口を閉じる。


オルディス局長が代わりに言った。


「少なくとも、リオンをここまで育てた。その一点は大きい」


その言い方は、ただの事務的な評価ではなかった。


知っている。


オルディス局長は親父を知っている。


グレン教官も、たぶん知っている。


リュカも、何か知っていそうだった。

封印箱を抱えたまま、いつもの眠そうな目で何も言わない。


俺は聞いた。


「親父は、監理局の人だったんですか」


オルディス局長は、すぐには答えなかった。


沈黙は長くなかった。


でも、部屋の中では十分に重かった。


「本人から聞け」


局長は言った。


「私が話せることもある。王城記録で開示できるものもある。だが、お前が最初に聞くべき相手は、私ではない」


「……はい」


それは、納得できる答えだった。


少しずるいとも思った。


けれど、親父のことを最初に親父から聞くべきだというのは、たぶん正しい。


セイル監査官が記録紙を閉じる。


「保護者への召喚通知は、王城と監理局の連名で送る。到着までの日数は」


オルディス局長が答えた。


「通常なら三日。あの男なら、二日以内だろう」


カイルが小声で言う。


「速い」


リュカがぼそっと返す。


「もっと速いかも」


「え」


「昔から、必要な時は変に早い」


「それ、どういう」


「聞かなかったことにして」


グレン教官がリュカを見る。


「お前は本当に余計なことを言う」


「少しだけ」


「その少しが多い」


リュカは封印箱に視線を落とした。


「反省している」


「嘘をつくな」


「少ししている」


カイルが少しだけ笑いそうになった。


でも、今は笑いきれない。


親父が来る。


二日以内。


その事実が、胸の中で重く座っていた。


エイムが記録板を確認する。


「本日の聞き取りは、王城監査官到着後の追加分を含めて、ここで一度区切ります。午後は休養。第一基礎班は寮棟待機。ただし、夕刻に簡易名称確認を行います」


カイルが安堵したように息を吐く。


「午後休める」


セイル監査官が言う。


「休養も監視下だ」


カイルの肩が少し落ちる。


「ですよね」


グレン教官が立ち上がった。


「監視といっても、部屋の前に職員が立つだけだ。余計なことをしなければ問題ない」


「余計なことって何ですか」


「外へ出る。訓練する。旧礼拝室へ行く。資料室へ忍び込む。右手を使って白鎌を呼ぼうとする。黒月を試す」


カイルが俺を見る。


「最後二つ、リオン向けだな」


「うん」


「しないよな」


「しない」


エルナが静かに確認する。


「本当に?」


「本当に」


アーヴェルも言う。


「考察を始めるなら、紙に書く前に寝ろ」


「それはアーヴェルも」


カイルがすかさず言う。


「私は必要事項だけ整理する」


「セラフィナ先生に言うぞ」


アーヴェルは黙った。


勝ったような顔をするカイルに、グレン教官が低く言った。


「お前も寝ろ」


「はい」


小会議室の空気が、少しだけ緩んだ。


だが、完全には戻らない。


王城封鎖目録。

親父の召喚。

旧礼拝室の未分類反応。


重い言葉は、机の上にまだ残っている。


オルディス局長が俺を見る。


「リオン」


「はい」


「午後は本当に休め。親父が来るまでに、倒れられても困る」


「……はい」


「それと」


局長は少しだけ声を低くした。


「親父が何を話しても、最初から全部を背負おうとするな」


言葉が胸に刺さる。


「お前の過去は、お前だけの責任ではない」


返事が少し遅れた。


「はい」


オルディス局長はそれ以上言わなかった。


セイル監査官は記録をまとめ、王城側の職員と短く確認を交わしている。

エイムは聞き取り内容を整理していた。

ミレイア先生は旧礼拝室の写し紙を慎重に封筒へ入れ、ユーディア先生は結界盤を閉じる。


終わった。


少なくとも、今日の午前は。


小会議室を出ると、廊下の空気が少し軽く感じた。


外から入る光が、朝より強くなっている。


学院は動いている。


実技は止まっているが、授業は続いている。

教室から講義の声が聞こえる。

遠くで鐘が鳴る。


普通の音。


その普通の音に、少し救われる。


カイルが大きく伸びようとして、筋肉痛で途中で止まった。


「痛い」


アーヴェルが言う。


「だから動くな」


「伸びただけだ」


「伸びるな」


「厳しい」


エルナが俺を見る。


「大丈夫ですか」


「分からないけど、大丈夫寄り」


「それは大丈夫とは言いません」


「たぶん大丈夫」


「少し近づきました」


カイルが笑う。


「判定厳しいな」


「今日は厳しくします」


「はい」


寮棟へ戻る途中、食堂前の掲示板に人だかりができていた。


新しい告知が貼られている。


月例測定再開延期。

本日午後の実技場使用禁止。

中央棟地下区画への接近禁止。

生徒は各担当教員の指示に従うこと。


その下に、小さく別の紙が貼られていた。


昨日の中央区画第一試合については、正式記録として成立。

第一基礎班、第三基礎班ともに安全対応評価を加点。

詳細点は後日通知。


カイルがそれを見て、少しだけ表情を明るくした。


「第三基礎班もちゃんと加点されてる」


アーヴェルが頷く。


「当然だ」


「当然だけど、良かった」


エルナも静かに言う。


「記録に残るのは大切ですね」


俺は掲示を見た。


第一基礎班。

第三基礎班。


勝者、敗者ではない。


正式記録として並んでいる。


それだけで、昨日の中央区画で踏みとどまった意味がある気がした。


近くにいた一年生たちが、その掲示を見ながら話している。


「第三基礎班も加点なんだ」


「中央の異常に対応したからだろ」


「レオルたち、すごかったもんな」


「第一基礎班も白鎌なしで勝ったって聞いた」


「リオンが長柄で塞いだやつ?」


「そうそう」


名前。


具体的な動き。


普通の噂。


灰色は混じっていない。


俺は強く見すぎないようにしながら、それだけを確認した。


「大丈夫そうか」


カイルが聞く。


「うん。普通の噂」


「普通の噂、だいぶありがたいな」


「うん」


そのまま寮棟へ戻る。


部屋の前には、監理局職員が一人立っていた。


本当に監視がついている。


職員は丁寧に頭を下げた。


「午後の寮棟待機中、何かありましたらお声がけください。水、軽食、医療連絡、すべて対応します」


カイルが小声で言う。


「至れり尽くせり監視」


職員は真面目に答えた。


「監視ではなく、安全確認です」


「すみません」


アーヴェルが職員へ確認する。


「各自の部屋で休む形ですか」


「はい。ただし、体調不良や名称違和がある場合はすぐに申告を」


「承知しました」


エルナは女子寮側へ戻る前に、こちらを見た。


「夕刻の名称確認まで、休んでください」


「うん」


「考えすぎないように」


「努力する」


「努力ではなく、実行です」


昨日のセラフィナ先生の言い方に似ていた。


カイルが笑う。


「増えてるな、セラフィナ先生系」


「必要なら増えます」


「はい」


エルナは少しだけ柔らかく笑い、女子寮側へ向かった。


アーヴェルも自分の部屋の前で立ち止まる。


「リオン」


「うん」


「親父殿の件について、聞きたいことを整理するのは構わない。ただし、今すぐ答えを作るな」


「答えを作る?」


「聞く前に、自分で納得しようとするなという意味だ」


その言葉に、少しだけ痛いところを突かれた気がした。


親父が何を隠していたのか。

なぜ何も言わなかったのか。

俺はもう、頭のどこかで理由を探し始めていた。


仕方なかった。

守るためだった。

言えなかっただけだ。

あるいは、俺を騙していた。


どれも、まだ聞いていない。


「分かった」


俺は答えた。


「聞くまで、決めない」


「それでいい」


カイルが自分の部屋の扉に手をかけながら言う。


「聞く時は、俺らもいるからな」


「うん」


「言いにくかったら、俺が先に飯食ったか聞く」


「それは親父が言う方」


「じゃあ先に言われたら負けだな」


「何の勝負だ」


アーヴェルが呆れる。


少し笑って、それぞれ部屋に入った。


扉を閉めると、急に静かになった。


朝からずっと誰かがいた。


カイル。

エルナ。

アーヴェル。

グレン教官。

エイム。

局長。

王城監査官。


声が多かった。


一人になると、急に親父のことが近づいてくる。


俺は机の引き出しを開けた。


手紙を出す。


『リオンへ』


封筒の文字を見る。


昨日も見た。

その前も見た。

何度も見た。


でも、今日は違う。


この文字を書いた人が、俺の知らない過去を持っている。


監理局長が呼べば来る人。

王城が証言を求める人。

ただの一般人ではない、と言われた人。


親父。


俺は手紙を開けた。


読み慣れた文章。


学院で面倒が起きているらしいな。


飯は食え。

寝ろ。

怪我を隠すな。


姓がないから何だ。

お前はリオンだ。

俺がそう呼んできた。

帰ってきたらもう一度呼んでやる。


振る前に考えろ。

振った理由だけは忘れるな。


親父より。


いつもの言葉。


何も変わっていない。


でも、最後の一文が今は違って見える。


振る前に考えろ。

振った理由だけは忘れるな。


白鎌を知っていたから、そう言ったのか。


俺がいつか、何かを切ると分かっていたからなのか。


それとも、親父自身がそうしてきたからなのか。


分からない。


答えを作るな。


アーヴェルの言葉を思い出す。


俺は手紙を畳み直した。


決めない。


聞くまで、決めない。


そのために、今は休む。


寝台に横になる。


右手の包帯を見て、握らないように布団の上に置く。


目を閉じる。


眠れるかは分からない。


けれど、身体は疲れている。


朝から重い話が多かった。


局長。

王城。

親父。

王城封鎖目録。

旧礼拝室。


全部が頭の中で並ぶ。


それでも、意識は少しずつ沈んでいった。


眠りに落ちる直前。


扉の奥ではなく、遠い炉の火を思い出した。


親父が鍋を見ている。


何も言わずに、火を弱める。


そして、こちらを見ずに言う。


飯は食ったか。


俺は夢の中で、たぶん答えた。


食ったよ、と。


その頃。


王都から離れた小さな村に、灰色の封筒をくわえた伝令鳥が降りた。


鳥は迷わず一軒の家の窓辺へ止まる。


炉の火は消えていない。


男は、すでに外套を着ていた。


机の上には、書きかけの手紙。


宛名は、リオンへ。


男は窓を開け、伝令鳥から封筒を取った。


王城の封印。

境界監理局の封印。


二つ並んだ印を見ても、男は驚かなかった。


ただ、少しだけ面倒そうに息を吐いた。


「遅い」


封筒を開く。


内容に目を通す。


旧礼拝室。

未分類反応。

黒灰線。

王城封鎖目録。

リオン。


そこまで読んで、男の目がわずかに細くなった。


しばらく沈黙する。


やがて、彼は書きかけの手紙を畳まず、そのまま机に置いた。


炉の火を消す。

鍋に蓋をする。

壁に掛けてあった刃のない柄を外す。


ただの柄ではない。


長く使われていないはずなのに、手に取る動作に迷いがない。


男は外套の内側にそれを差し、家の扉へ向かった。


出る前に、一度だけ机の上の手紙を見る。


リオンへ。


まだ、それ以上は書かれていない。


男は低く呟いた。


「直接言うか」


扉を開ける。


夜ではない。


昼の光が、村の道に落ちている。


男は振り返らずに歩き出した。


その足取りは、急いでいるようには見えない。


だが、伝令鳥よりも早く王都へ着く者の歩き方だった。


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