65話_扉前維持
旧礼拝室の扉前で、空気が重く沈んでいた。
祈祷音はもう、さっきまでのように広がっていない。
代わりに、扉の隙間の奥から、低い鼓動のような音が響いている。
どくん。
石床がかすかに震える。
どくん。
封鎖札の端が揺れる。
どくん。
胸元の名札が、音に合わせて熱を持つ。
リオン。
第一基礎班。
文字は消えない。
だが、扉の奥にいる何かは、名前を揺らすのではなく、空間そのものを押してくる。
今までの灰衣とは違う。
灰色の礼拝布。
名称干渉。
役割名。
祈祷音。
白い袖の人影。
それらは、扉を開くための手段だった。
今、隙間の奥で動いたものは、その先にいる。
呼び方では縛れない。
記録では固定しきれない。
名前を間違えることで寄ってくるのではなく、ただそこにあるだけで、こちらの世界を押し曲げる。
グレン教官の剣から、血が一滴落ちた。
石床に赤い点ができる。
セラフィナ先生の治癒術式はここにはない。
救護区画から遠隔で届くとしても、今すぐではない。
それでもグレン教官は剣を下ろさない。
「第一基礎班」
声は静かだった。
「扉前を維持する。退避線より奥へ不用意に踏み込むな。ただし、出てくるものは通すな」
カイルが大剣を構えた。
「了解」
「カイル。止めるためなら、出力制限は考えるな。壊すのではなく、止めろ」
「分かってます」
「エルナ。防護は人を優先。封鎖札を守ろうとして潰れるな。必要なら切れ」
「はい」
「アーヴェル。指揮を続けろ。俺が前に出たら、班を退避線の内側に戻せ」
「承知しました」
最後に、グレン教官は俺を見た。
「リオン。次から黒月は自己判断で使え」
胸の奥が、静かに冷えた。
黒い弧が目を開ける。
「はい」
「ただし、見せるために使うな。大きく見せる必要もない。切るべき線にだけ置け」
「はい」
それは制限ではなく、使い方だった。
グレン教官は続ける。
「ここにいる者は、お前の力を見て逃げる者ではない。必要なら使え」
カイルが大剣を鳴らした。
「逃げねえよ」
エルナが頷く。
「支えます」
アーヴェルは扉から目を離さず言った。
「使うなら、こちらも合わせる」
リュカが封印針を一本構えたまま呟く。
「私は逃げたいけど、まだ逃げない」
ユーディア先生の鐘が小さく鳴った。
「必要なだけ、名前は支えます」
身内だけ。
主要な大人たちと、第一基礎班。
観覧席の生徒たちはいない。
噂になる声もない。
誰かに見せるための場所ではない。
ここなら使える。
使う理由がある。
扉の隙間の奥で、黒灰色の線がまた揺れた。
一本ではない。
三本。
いや、五本。
細い線が、暗い水面から伸びる枝のように現れる。
それぞれが、扉の隙間からこちらを探っている。
灰衣礼拝布の線ではない。
もっと重い。
線そのものに、場所を変える力がある。
「黒灰線、五本。狙いは封鎖札じゃない」
俺は見えたままを言った。
「どこだ」
アーヴェルが聞く。
「退避線。こっちの足場を、扉側へ寄せようとしてる」
「床を奪う気か」
「たぶん」
カイルが低く言う。
「じゃあ、踏ん張ればいいんだな」
「踏ん張るだけでは足りない」
アーヴェルが即座に返す。
「床そのものを持っていかれる」
エルナが杖を構えた。
「足場を固定します。ただし、広くは無理です」
「四人分でいい」
アーヴェルが言う。
「リュカさんとユーディア先生は後方退避線へ」
リュカが素直に下がる。
「指揮が早くて助かる」
ユーディア先生も鐘を抱え、退避線の後方へ移動した。
「名称固定は届きます」
「お願いします」
アーヴェルが短く返す。
黒灰線が、床へ触れた。
瞬間、小広間の礼拝紋が歪む。
退避線が、まっすぐではなくなる。
白い線がわずかに曲がり、扉へ向かう弧を描きかけた。
エルナが杖を床へ置く。
「足場、固定します」
白い術式が、俺たちの足元だけを包んだ。
広くはない。
けれど、確かに立てる。
カイルが中央で大剣を床へ突き立てる。
「こっちは動かねえ」
黒灰線の一本が、大剣の根元へ絡む。
床ごと引こうとしている。
カイルの腕に力が入る。
今までなら、力で押し返そうとしたかもしれない。
でも、今は違う。
彼は大剣を押すのではなく、床と自分の間に置いた。
自分が杭になるのではない。
大剣を杭にして、自分はそれを支える。
エルナの足場術式が、その杭を白く包む。
黒灰線の引きが鈍る。
「中央、止まる!」
カイルが叫ぶ。
アーヴェルは左へ走った。
黒灰線が退避線の左端を扉側へ曲げようとしている。
細剣で斬る。
だが、黒灰線は刃を受けても切れない。
アーヴェルはすぐに斬るのをやめた。
「硬い」
「根元は扉の内側」
俺は答える。
「外に出てる部分は重いだけ」
「なら、支点をずらす」
アーヴェルは細剣の角度を変え、線そのものではなく、線が床へ触れている点を突いた。
床の礼拝紋が少し欠ける。
黒灰線が一瞬浮く。
その瞬間、退避線の歪みが戻った。
「左、浮いた」
「リオン、右は」
「今見る」
右側の二本は、俺とエルナの足元を狙っていた。
一本は名札へ。
一本は白鎌へ。
白鎌へ?
俺は目を細めた。
黒灰線は、白鎌の刃に触れようとしている。
壊そうとしているのではない。
辿ろうとしている。
白鎌がどこから来ているのか。
何に繋がっているのか。
その奥へ触れようとしている。
白鎌の柄が冷たくなる。
黒い衣擦れの音が、微かにした。
「白鎌を辿ろうとしてる」
俺は言った。
グレン教官の声がすぐに飛ぶ。
「切れ」
短い。
十分だった。
黒月を使うか。
いや、まだ要らない。
これは太い線ではない。
白鎌を辿るための細い探り線。
白鎌そのもので刈れる。
俺は白鎌を半回転させ、刃の背を黒灰線の上へ置いた。
切るのではなく、抑える。
線が刃へ触れようとした瞬間、白鎌の黒い亀裂模様が淡く光った。
黒灰線が怯んだ。
そこへ刃を返す。
一閃。
白鎌を辿ろうとしていた線が断たれる。
もう一本、エルナの足元へ向かう線。
これは速い。
彼女の防護術式を避けるように、床下から回り込んでいる。
「エルナ、右足下」
「はい」
エルナは動かない。
逃げずに、足場術式の一部を切った。
右足側の白い支えが消える。
黒灰線は、そこへ絡もうとして空を掴む。
エルナはすぐに半歩左へ移る。
無理に守らない。
危ない術式は切る。
セラフィナ先生に言われたことを、もう使っている。
俺は白鎌を低く振り、空を掴んだ黒灰線の根元を払った。
線が縮む。
「右、断線」
「よし」
アーヴェルが言う。
残る一本。
それは、グレン教官へ向かっていた。
さっき血を流した手。
剣を握る指。
そこへ、黒灰線が細く伸びている。
「教官、手」
俺が言った瞬間、グレン教官は自分の剣を持ち替えた。
負傷した手ではなく、逆の手へ。
黒灰線の狙いが外れる。
同時に、グレン教官の剣が動く。
あまりに速く、線が見えるより先に結果があった。
黒灰線の触れていた床の一点が断たれる。
線は根を失い、扉の内側へ引き戻された。
五本全てが消える。
小広間の退避線が、まっすぐに戻った。
ユーディア先生の鐘が一度鳴る。
「退避線、固定」
エイムの通信が入る。
『床面歪曲反応、消失。旧礼拝室側へ逆流』
カイルが大きく息を吐く。
「床まで持っていくとか、反則だろ」
「反則ではなく、相手の性質だ」
アーヴェルが答える。
「それを反則って言うんだよ」
「気持ちは分かる」
「分かってくれた」
グレン教官は扉から目を離さない。
「来るぞ。今のは探りだ」
探り。
あれで。
俺は白鎌を握り直す。
手は震えていない。
息も乱れていない。
黒月の気配は、胸の奥で静かに待っている。
使うなら、次。
そう思った瞬間、扉の隙間が広がった。
大きくではない。
ほんの少し。
だが、その隙間から、黒灰色の線が束になって吹き出した。
今度は床ではない。
空間そのものを縫ってくる。
小広間の距離が歪む。
扉は奥にあるはずなのに、すぐ前にあるように見える。
グレン教官が近くにいるはずなのに、遠くに見える。
カイルの背中が横に伸び、エルナの足元が低く沈むように錯覚する。
「距離が狂う」
俺は言った。
「全員、足元を見るな。互いの位置は声で確認」
アーヴェルがすぐに指示する。
「カイル」
「中央!」
「エルナ」
「後方、退避線内」
「リオン」
「右。白鎌あり」
「グレン教官」
「前。扉正面」
声で位置を固定する。
視界は歪む。
でも、声はまだ届く。
黒灰線の束が、空間の中を曲がりながら石台ではなく、小広間の出口へ向かう。
上へ通す気だ。
地下結界室へ。
さらに測定場へ。
「出口へ抜ける線。太い」
俺は白鎌を構えた。
これは黒月がいる。
白鎌だけでは、数が多い。
根元は扉の奥。
ここで切っても散る。
出口へ向かう道そのものを折る必要がある。
俺は息を吸った。
「黒月、使う」
誰かの許可を待たなかった。
グレン教官は何も言わない。
それが許可だった。
白鎌を振る。
黒い弧が、出口へ向かう黒灰線の前に刻まれる。
「黒月」
小広間の空気が欠けた。
黒灰線の束が、黒い弧へ触れる。
進路が折れる。
出口へ向かっていた線が、ありえない角度で横へ曲がり、封鎖札の厚い壁側へ流れ込む。
そこへ、アーヴェルが走る。
「カイル、押さえろ!」
「おう!」
カイルが大剣を壁側へ叩き込む。
叩き込むと言っても、壊すためではない。
折れた黒灰線を、封鎖札の前で止めるため。
エルナが白い防護線を重ねる。
黒灰線は逃げようとする。
だが、黒月で折られた進路は戻らない。
グレン教官の剣が、壁側へ流れ込んだ束の根元を断つ。
一閃。
黒灰線がまとめて崩れた。
黒月が消える。
その直前。
また見えた。
黒い弧の隣に、ほんの薄い二枚目の影。
前よりはっきりしている。
二つ目の月。
同時には残らない。
でも、一瞬だけ、軌道の前後に黒い傷が二つ並んだ。
エイムの通信が乱れながら届く。
『黒月発生確認。出口接続線、折曲。防衛線維持』
俺は息を吐いた。
胸の奥が少し痛い。
でも立てる。
まだいける。
「リオン、状態」
グレン教官の声。
「立てます。黒月、消えました。二つ目の影が一瞬だけ」
アーヴェルがこちらを見る。
「二つ目?」
「まだ使えない。影だけ」
グレン教官は短く言った。
「記録だけしておけ。今は追うな」
「はい」
止められた感じはしない。
優先順位を戻された。
それで十分だった。
扉の奥で、白い袖の声がかすかに響く。
『成長が早い』
その声は楽しげだった。
だが、遠い。
白い袖の人影は、奥の何かを完全には制御していない。
むしろ、起きたものを見て喜んでいるだけにも聞こえる。
リュカが低く言った。
「白い袖は、扉を開けたい。でも、奥のやつが何をするかまでは全部握ってない」
「危険だな」
アーヴェルが言う。
「うん。信仰してる人が、一番危険を分かってない時がある」
リュカの言葉に、誰も返せなかった。
扉の内側で、また鼓動が鳴る。
どくん。
今度は小広間全体ではなく、封鎖札が震えた。
どくん。
扉面の「第一基礎班」という文字が薄れる。
代わりに、別の文字が浮かびかける。
読めない。
いや、読もうとすると、頭の奥が滑る。
名前ではない。
名称ではない。
分類でもない。
世界が、その対象にまだ呼び名を与えきれていないような空白。
俺は焦点を絞った。
読まない。
名を与えない。
ただ、そこから出る線だけを見る。
扉の隙間の奥。
黒灰色の奥に、さらに暗い裂け目がある。
そこから、線が一本伸びている。
細い。
今までより細い。
だが、見た瞬間に分かった。
これは、触れられたら駄目だ。
攻撃線ではない。
接続線。
誰かへ向かっている。
誰へ。
エルナではない。
ミリアでもない。
俺でもない。
上。
救護区画ではない。
測定場でもない。
もっと遠い。
学院の記録中枢。
戦闘科資料室。
クラウゼン家寄贈記録棚。
消された旧災害対応記録。
「記録へ伸びる線」
俺は言った。
「資料室の記録棚へ。旧災害対応記録」
アーヴェルの表情が硬くなる。
「クラウゼン家の記録か」
「うん。たぶん、消した続きを取りに行く」
グレン教官が通信を開く。
「エイム、資料室封鎖」
『すでに監理局職員を向かわせます』
「間に合わない場合は」
『記録棚隔離術式を起動します。ただし、内部記録の損傷可能性があります』
アーヴェルが即座に言った。
「構いません。記録を奪われるよりましです」
迷いはなかった。
クラウゼン家の記録。
家の重み。
それでも、今は守るべきものの優先順位を間違えない。
黒い線は、扉から伸びたまま資料室へ向かおうとしている。
遠い。
白鎌は届かない。
黒月でも距離が足りない。
偏軌は使い切っている。
だが、線はここを通っている。
旧礼拝室の扉を起点に、どこか別の経路へ抜けようとしている。
ここで根元をずらせば、遠くへ届く前に外せるかもしれない。
「リオン」
アーヴェルが言う。
「根元は見えるか」
「見える」
「切れるか」
「届きにくい。でも、黒月なら折れるかもしれない」
グレン教官が言う。
「使えるか」
胸の奥を確認する。
痛みはある。
でも、まだ黒い弧は沈んでいる。
一回なら。
「使えます」
エルナがこちらを見る。
「足場、固定します」
カイルが大剣を構えた。
「反動来たら止める」
アーヴェルが言う。
「私は扉面の左支点を潰す」
グレン教官が短く頷いた。
「やれ」
命令。
俺は白鎌を構えた。
今度の黒月は、出口を守るためではない。
遠くの記録へ伸びる線を、ここで折るため。
白鎌の刃を、扉の隙間へ向ける。
黒い弧を、細い接続線の根元へ置く。
「黒月」
振る。
黒い月が刻まれる。
細い接続線が触れる。
折れる。
だが、線は細いのに、重かった。
黒月の弧が軋む。
折れた接続線が暴れ、俺の白鎌へ絡みかける。
カイルが背後から俺の肩を支えた。
「止まれ!」
エルナの足場が強く光る。
アーヴェルの細剣が、左支点を突く。
グレン教官の剣が、折れた線の戻り先を断つ。
黒い月が、ほんの一瞬だけ二つになった。
一つは今振った軌道。
もう一つは、その少し先。
振る前に、そこへ置かれていたような黒い傷。
二つの黒月が、細い接続線を挟む。
線が、そこで潰れた。
音はなかった。
ただ、扉の奥で何かが低く呻いた。
黒月はすぐに消える。
俺の膝が少し落ちた。
カイルが支える。
「リオン!」
「立てる」
本当に立てる。
ただ、胸の奥が熱い。
白鎌の柄が冷たい。
二つ目の黒月は、今の俺が意識して出したものではない。
出た。
出てしまった。
いや、違う。
出かけたものを、白鎌と俺がぎりぎり形にした。
エイムの通信が荒くなる。
『記録接続線、断絶! 資料室側への侵入反応、消失! ただし、リオン君の黒月反応に第二弧を観測……第二弧を観測しました!』
カイルが言う。
「二つ目、出たのか」
俺は息を整えながら答えた。
「一瞬だけ」
エルナが静かに言う。
「でも、戻っています」
「うん」
アーヴェルは扉を見たまま言った。
「今は喜ぶ場面ではないが、覚えておく価値はある」
グレン教官が頷いた。
「後で検証する。今は維持だ」
扉の奥から、白い袖の声が聞こえた。
『……二つ』
今度は、明らかに驚きが混じっていた。
『まだ、その段階ではないはずですが』
リュカが小さく言う。
「向こうの想定より早い」
「それは良いことか」
カイルが聞く。
「良いことでもあり、悪いことでもある」
「でしょうね」
扉の奥の鼓動が、不規則になった。
どくん。
どく、どくん。
黒灰色の線が、隙間の奥で絡まり直している。
さっきの接続線を潰されたことで、奥のものがこちらを認識した。
そんな感覚があった。
白い袖の声が、遠くなる。
『今日は、ここまででしょうか』
グレン教官が剣を構える。
「逃がすと思うか」
『逃げるのではありません。準備が変わっただけです』
扉面の布目が、急速に引いていく。
灰色が薄れる。
封鎖札の上書きも止まる。
だが、安心ではない。
撤退ではない。
何かを持ち帰ったような退き方だった。
『第一基礎班。リオン。エルナ・シルヴェリア。カイル・レグナート。アーヴェル・ロア・クラウゼン』
名前を一つずつ呼ぶ。
だが、さっきほどの引きはない。
ただ、覚えたという宣言のようだった。
『次は、扉の内側で』
「断る」
グレン教官が言った。
『では、外へ出しましょう』
その言葉を最後に、声は消えた。
扉の隙間が、重い音を立てて狭まる。
完全には閉じない。
指一本分ほどの隙間。
そこに、黒灰色の闇が残っている。
リュカが封印針を投げるように刺した。
ユーディア先生の鐘が鳴る。
グレン教官が剣を振り、扉面に残る灰色の線を斬る。
セラフィナ先生の通信が入る。
『救護区画、異常なし。測定場も安定しています』
エイムも続ける。
『資料室、隔離成功。旧災害対応記録への追加侵入なし』
小広間に、ようやく呼吸が戻った。
カイルが膝に手をつく。
「止めた……のか?」
アーヴェルは扉を見たまま答える。
「今は、だ」
エルナが俺の腕へ手を添える。
治癒ではない。
確認。
「無理は」
「少しした」
そう答えると、彼女は少しだけ眉を寄せた。
「それなら、後でセラフィナ先生に報告します」
「うん」
カイルが笑う。
「正直でよろしい」
「隠してもばれる」
「それな」
グレン教官は、血の落ちた手をようやく見た。
「セラフィナ主任へ。こちらに軽傷一名。後で処置を頼む」
通信の向こうで、セラフィナ先生の声が鋭くなる。
『軽傷かどうかは私が判断します』
「了解した」
グレン教官はあっさり引いた。
カイルが小声で言う。
「教官も怒られるんだ」
「当たり前だ」
アーヴェルが答える。
リュカが封印針の残りを確認しながら言った。
「扉は完全には閉じてない。けど、今日はもう大きくは動かないと思う」
ユーディア先生が鐘を静かに下ろす。
「名称反応も落ち着いています。ただ、扉は第一基礎班の名を覚えました」
第一基礎班。
俺たちの班名。
守りになった名前。
そして、扉に覚えられた名前。
アーヴェルが静かに言う。
「なら、次までにこちらも備える」
カイルが大剣を担ぎ直す。
「次は、もっと止める」
エルナが頷く。
「次は、もっと早く支えます」
俺は白鎌を見る。
黒月の二つ目の影。
一瞬だけ現れた、まだ扱えない力。
「次までに、ちゃんと分かるようにする」
グレン教官が言った。
「焦るな。だが、逃げるな」
「はい」
白鎌が、静かに消えた。
右手が軽くなる。
だが、胸の奥にはまだ黒い弧の余韻が残っていた。
旧礼拝室の扉は、細く隙間を残したまま沈黙している。
完全な勝利ではない。
しかし、通さなかった。
測定場へも、救護区画へも、資料室へも。
誰の名前も、奪わせなかった。
扉前維持。
それが、今日の結果だった。




