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歪みの果てに君を呼ぶ  作者: ネネルネ
第1章 白鎌の少年
64/89

64話_呼ばれたのではなく

地下結界室の青い光は、まだ揺れていた。


壁に浮かんでいた灰色の染みは消えている。

白い袖の人影も、もうそこにはいない。

黒月で折った灰色の参道も、グレン教官の剣で断たれ、ユーディア先生の鐘で残滓ごと沈められた。


だが、旧礼拝室の扉は閉じていない。


観測水晶の中で、灰色の扉はわずかに開いたまま止まっていた。


隙間は細い。


人ひとりが通れるほどではない。

けれど、そこから漏れ出す祈祷音は、結界室の床を震わせるには十分だった。


「封鎖班だけでは足りん」


グレン教官の言葉が、まだ部屋に残っている。


次は、扉前へ出る。


誰も反対しなかった。


カイルは大剣を持ち直し、息を整えている。

エルナは防護線を畳みながら、自分の名札と術式具を確認した。

アーヴェルは細剣の刃を布で拭い、鞘には戻さず、低く構えたまま立っている。


俺は白鎌を握っていた。


刃は冷たい。

けれど、さっきよりも手に馴染む。


黒月は消えた。


胸の奥には、まだ黒い弧の余韻が残っている。

ほんの一瞬、二つ目の影が重なりかけた感覚もある。


だが、今は追わない。


必要な時に使った。

そして、消えた。


それでいい。


エイムが記録板を確認する。


「旧礼拝室前封鎖線、第四層まで損傷。第五層は維持。ただし扉面の灰色布目が封鎖札の文字へ浸透しています」


グレン教官が聞く。


「封鎖班の状態は」


「二名軽度名称揺らぎ。すでに後退済み。一名が扉前に残っていますが、交代要請中です」


「誰だ」


「監理局封鎖担当、オルガ・メル。結界杭の維持中」


ユーディア先生が鐘を手に取る。


「扉前へ出るなら、名称防護を持続させます。ただし、扉の近くでは鐘の響きが歪む可能性があります」


「承知した」


グレン教官は迷わなかった。


「エイム、お前は結界室に残れ。全記録と通信の維持。異常があれば即時報告」


「はい」


「ユーディアは同行。鐘で名称を固定しろ。監理局職員二名は後衛。リュカは」


「行く」


入口の方から声がした。


リュカが封印箱を抱えて立っていた。


いつもの眠そうな雰囲気はある。

だが、目だけはまったく眠っていない。


「扉前の布目は、私が見た方が早い。開けに行くんじゃなくて、縫い目を止めに行く」


グレン教官は短く頷いた。


「無理はするな」


「無理は嫌い」


「ならいい」


カイルが小声で言う。


「嫌いでもする時ある人の言い方だ」


「聞こえてる」


リュカが言う。


「すみません」


そのやり取りで、張り詰めた空気がほんの少しだけ緩んだ。


すぐに、グレン教官が俺たちを見る。


「第一基礎班」


全員が姿勢を正す。


「これから扉前まで進む。目的は三つ。封鎖班の回収、扉面布目の固定、開口の拡大阻止。中へ入るな。扉を越えるな。呼ばれても応じるな」


呼ばれても応じるな。


けれど、その言葉はもう、ただ止めるためのものには聞こえなかった。


応じないために、自分で進む。


呼ばれたからではなく、閉じるために向かう。


それが今の行動理由だった。


「カイル。扉前では中央を押さえろ。何かが出てきても、押し返そうとするな。出入口を広げるな」


「了解」


「エルナ。防護は扉ではなく、人に置け。扉そのものを包もうとするな」


「はい」


「アーヴェル。指揮は継続。ただし、扉前で俺が動いたら、第一基礎班を退避線へ寄せろ」


「承知しました」


「リオン」


「はい」


「白鎌は継続。黒月は、俺の許可があるまで使うな。偏軌は消費済みだが、無理に補おうとするな」


「はい」


「お前は扉を見るんじゃない。扉へ繋がる線を見る」


「分かりました」


今度は、自然に答えられた。


扉そのものではなく、繋がる線。


必要な一点を選ぶ。


それならできる。


地下結界室の奥にある扉が開いた。


旧礼拝室へ直接続く道ではない。


封鎖線の外側を回り込む、細い地下通路。


古い石壁。

低い天井。

青い結界灯。

壁に貼られた封鎖札。

床には、複数の退避線が白く刻まれている。


その先に、旧礼拝室の扉前がある。


俺たちは進んだ。


先頭はグレン教官。

その後ろにアーヴェルとカイル。

中央に俺とエルナ。

後方にユーディア先生、リュカ、監理局職員。


白鎌を持って歩くと、通路が少し狭く感じた。


刃を壁に当てないようにする。

だが、白鎌は不思議と石壁へ触れない。

こちらが通るべき場所を知っているように、ぎりぎりの位置で収まっている。


カイルがちらりと見た。


「その鎌、地下向きじゃないな」


「たぶん、どこ向きでもない」


「それはそう」


アーヴェルが前を向いたまま言う。


「余計な会話で緊張を落としすぎるな」


「少しは落とした方が動けるだろ」


「少しならな」


「じゃあ今くらい」


「ぎりぎり許容する」


「厳しい」


エルナが小さく息を吐いた。


笑ったのではない。


でも、少しだけ呼吸が楽になったようだった。


通路の奥へ進むほど、祈祷音が明瞭になる。


低い声が重なっている。


男とも女ともつかない。

老いているようで、幼いようでもある。

言葉は聞き取れない。


だが、音の中に意味が混じる。


失われた半身。

戻るべき場所。

器。

灯。

手。

刃。


そして、第一基礎班。


俺は白鎌を握り直した。


名札は揺れていない。


それでいい。


「前方、封鎖線」


グレン教官が言った。


通路の先が開ける。


そこには、扉前の小広間があった。


旧礼拝室の入口。


学院のどの場所とも違う、古い空気。


壁石は黒ずんでいる。

床には古い礼拝紋が刻まれている。

だが、その多くは封鎖札と結界杭で覆われていた。


小広間の奥に、扉がある。


大きな石扉。


その表面に、灰色の布目が浮かんでいた。


布が貼られているわけではない。

石そのものが、布の繊維を持ったように見える。


そして、中央に文字。


第一基礎班。


その下に、薄く滲んだ役割名。


器。

灯。

手。

刃。


役割名は、さっきより薄い。


だが、消えてはいない。


扉の前では、監理局職員が一人、片膝をついて結界杭を押さえていた。


オルガ・メル。


名札が青く光っている。


彼女は俺たちを見ると、すぐに報告した。


「第四封鎖線、維持困難。第五封鎖線はまだ生きています。扉面の文字がこちらの封鎖札を上書きしようとしています」


グレン教官が近づく。


「下がれるか」


「結界杭を抜かずに下がるなら、代替固定が必要です」


リュカが前へ出た。


「私が留める。杭の根元、見せて」


オルガは一瞬ためらったが、すぐに場所を譲った。


リュカが封印針を取り出し、結界杭の根元へ刺す。


針は石にも杭にも触れない。

だが、見えない縫い目を留めるように、空中で止まった。


青い結界線が少し安定する。


「今」


リュカが言う。


オルガが結界杭から手を離し、後退した。


ユーディア先生が鐘を鳴らす。


「オルガ・メル」


職員は即座に答えた。


「オルガ・メル。境界監理局封鎖担当」


名札の光が落ち着く。


彼女は退避線の後ろへ下がった。


グレン教官は扉を見た。


「第一基礎班、前へ。ただし退避線を越えすぎるな」


俺たちは小広間へ入った。


退避線。


白い線が床に刻まれている。


この線より奥は、扉の影響が強い。


俺は白鎌を構えたまま、その手前に立つ。


カイルが中央。

アーヴェルが左。

俺が右。

エルナは少し後ろ。

グレン教官は俺たちよりさらに前、扉へ最も近い場所に立った。


白い袖の人影はいない。


扉だけがある。


だが、声は聞こえた。


『よく来ました』


石扉の内側から、柔らかく濁った声。


『呼びかけに応じてくださった』


グレン教官が即座に言った。


「違う」


短い否定。


それから、アーヴェルが続けた。


「我々は呼ばれて来たのではない」


カイルも言う。


「閉じに来た」


エルナが静かに言う。


「奪われた場所を、戻しに来ました」


俺は白鎌を握る。


「第一基礎班は、扉を開く鍵じゃない」


扉面の布目が、わずかに震えた。


『では、何ですか』


問われた。


その声には、誘導線がある。


答えを与えた瞬間、その言葉を使われるかもしれない。


けれど、何も言わないことが正解とも限らない。


アーヴェルが俺たちを見る。


ほんの一瞬。


それだけで、答える役が決まった。


アーヴェルが前を向く。


「戦闘科第一基礎班。月例測定第一日目、班連携測定参加班。構成員は、カイル・レグナート、エルナ・シルヴェリア、リオン、アーヴェル・ロア・クラウゼン」


正確な記録。


余計な意味を入れない。


役割も、異名も、感情もない。


ただの事実。


扉面の灰色が、少しだけ鈍る。


『記録は、名を固定する』


「そうだ」


アーヴェルは細剣を構えた。


「そして、改竄を拒む」


エイムが後方で記録板を強く握った。


「今の定義、結界記録へ転写します」


ユーディア先生が鐘を鳴らす。


「固定します」


鐘の音が、小広間へ広がる。


扉面の「第一基礎班」という文字が、わずかに青く縁取られた。


灰色が完全には消えない。


だが、役割名の方が薄くなる。


白い袖の声が、少しだけ低くなった。


『賢い』


リュカが呟く。


「怒ってるね」


「そうなのか」


カイルが聞く。


「うん。たぶん」


「ちょっと嬉しいな」


「調子に乗らない」


アーヴェルが言う。


「はい」


その時、扉面の布目が一気に動いた。


灰色の繊維が「第一基礎班」の文字を避け、床へ流れる。


正面から名を奪えないなら、周囲の封鎖線へ回るつもりだ。


床の礼拝紋が、灰色に光る。


「床、礼拝紋へ流れます」


俺は言った。


「三方向。中央、左、右。全部、扉下へ戻る」


グレン教官の声。


「止めろ」


アーヴェルが即座に指示する。


「カイル、中央。リオン右。私は左。エルナ、退避線固定」


「おう!」


「はい」


カイルが中央の灰色を大剣で押さえる。


今度は出力抑制を解除されている。


大剣が青い結界線を噛み、灰色の流れを強引に止めた。


床が軋む。


「重い、けど止まる!」


エルナの防護線が、カイルの足元へ重なる。


滑らない。


中央の流れは止まった。


アーヴェルは左へ走る。


細剣で灰色を斬るのではなく、礼拝紋の溝に入り込む直前の点を刺す。


灰色の流れが途切れる。


すぐに別の溝へ逃げようとするが、アーヴェルは半歩早い。


正確ではない。


いや、正確すぎない。


相手の逃げ道を潰すように、嫌な位置へ刃を置いている。


俺は右側の流れを見る。


白鎌なら切れる。


だが、切るだけでは散る。


流れは三本に分かれている。

その奥に一つ、戻り先がある。


扉下へ戻る結び目。


そこを刈る。


俺は白鎌を低く構え、床すれすれに刃を通した。


白い刃が、礼拝紋の溝を横切る。


灰色の流れが一瞬止まる。


その奥に結び目が見えた。


大鎌を返す。


力で振らない。


通るべき線へ置く。


結び目が切れる。


右側の灰色が、糸の束のようにほどけた。


「右、断線」


「左も止めた」


アーヴェルが言う。


カイルが歯を食いしばる。


「中央、まだ!」


中央だけが太い。


カイルの大剣で止まっているが、扉下へ戻ろうとする力が強い。


エルナの防護線も押されている。


「中央、名札へ分岐します」


俺は見えたままを言う。


灰色の流れは、床を通っているように見せて、カイルの名札へ細い線を伸ばしていた。


カイルは気づく。


「俺かよ」


「カイル、半歩引くな。名札だけ逸らせ」


アーヴェルの指示。


「器用なこと言うな!」


それでも、カイルはやった。


大剣は中央を押さえたまま。

身体の向きだけを変え、名札の位置を灰色線から外す。


エルナがその空いた場所に防護線を差し込んだ。


灰色線が防護へ弾かれる。


俺は白鎌を振る。


カイルの大剣と床の間、灰色が最も強く圧縮された一点。


そこを刈る。


中央の流れが切れた。


カイルが大きく息を吐く。


「助かった!」


「よく止めた」


グレン教官の声。


カイルは少しだけ笑った。


だが、すぐに大剣を構え直す。


扉はまだ終わっていない。


白い袖の声が、扉の奥から響く。


『手は、やはり戻すのが上手い』


カイルの名札が光る。


だが、揺れない。


カイルは短く言った。


「カイル・レグナート」


それだけ。


役割名は触れられない。


白い袖の声が、今度はエルナへ向く。


『灯は、やはり人を支える』


エルナの名札が光る。


彼女は目を伏せずに答えた。


「エルナ・シルヴェリア」


『刃は、正しさを捨ててもなお美しい』


アーヴェルは冷静に言う。


「アーヴェル・ロア・クラウゼン」


最後に。


『器は』


扉面の布目が、俺の方へ集まる。


『器は、もう刈る理由を知っている』


白鎌の柄が、冷たくなる。


呼ばれている。


褒められているようで、縫われている。


俺は白鎌を握り直した。


「リオン」


それだけ言った。


扉面の灰色が、ほんの少し乱れる。


白い袖の声が、微かに笑う。


『ええ。リオン。だからこそ、あなたはよい器です』


その言葉に、白鎌の奥が小さく軋んだ。


黒い衣擦れの音が、ほんの一瞬だけした気がした。


まだ。


俺の中で、女の声はしない。


でも、何かが不快を示した。


グレン教官が一歩前へ出る。


「リオンを器と呼ぶな」


その声は静かだった。


だが、これまでより低い。


「それ以上重ねるなら、こちらも遠慮しない」


白い袖の声が止まった。


小広間の空気が、ぴんと張り詰める。


グレン教官は剣を構えた。


「リュカ、扉面の布目を留めろ。ユーディア、名称固定。第一基礎班は三方向を押さえろ」


「了解」


リュカが封印針を構える。


ユーディア先生の鐘が鳴る。


俺たちは動く。


扉面の布目が、再び広がろうとする。


だが、さっきより遅い。


アーヴェルの定義で、第一基礎班の名は記録として固定された。

役割名は薄くなった。

床の礼拝紋への流れも切った。


押している。


少しずつだが、扉前を奪い返している。


リュカの封印針が一本、扉面の手前へ刺さる。


何もない空中。


しかし、そこに見えない布の縫い目があった。


灰色の布目が大きく震える。


「一点目、固定」


リュカが言う。


ユーディア先生の鐘。


「名称固定、維持」


セラフィナ先生の通信が入る。


『救護区画、安定。三枚目の残滓、再燃なし』


エイムの声も続く。


『測定場、全生徒待機継続。測定板二枚目、封鎖維持。中央区画一枚目、沈静』


三つの布が、今は抑えられている。


なら、扉前を閉じる好機だ。


グレン教官が剣を振る。


扉面の布目が封鎖札へ伸ばしていた線を、形になる前に斬る。


「今だ」


リュカが二本目の封印針を構える。


俺は白鎌を握る。


右側から灰色が伸びる。


カイルが止める。


エルナが支える。


アーヴェルが左を潰す。


俺は扉下の結び目を刈る。


連携が噛み合っている。


測定の時より速い。


地下結界室の防衛戦よりも、さらに近い。


もう、誰か一人が全部を見る必要はない。


俺が拾った一点を、全員が使っている。


二本目の封印針が刺さった。


灰色の布目がさらに固定される。


扉の隙間が、ほんのわずかに狭まった。


「閉じてる!」


カイルが言う。


「油断するな」


アーヴェルが返す。


だが、その声にも少しだけ手応えがあった。


閉じている。


本当に。


旧礼拝室の扉が、少しずつ閉じようとしている。


白い袖の声が、低く響いた。


『困りましたね』


初めて、余裕が薄れた。


『このままでは、扉が閉じてしまう』


グレン教官が冷たく言う。


「そのために来た」


『ですが』


扉の隙間の奥で、何かが動いた。


白い袖ではない。


もっと奥。


灰色の向こう。


祈祷音が一瞬止まる。


そして、代わりに、低い鼓動のような音が響いた。


どくん。


小広間の床が震える。


どくん。


白鎌の柄が冷たくなる。


どくん。


扉面の布目が、一斉に内側へ引かれた。


リュカが目を見開く。


「待って。布が、向こうに食われてる」


「食われてる?」


カイルが聞く。


「白い袖が動かしてるんじゃない。扉の奥の何かが、布目ごと吸ってる」


ユーディア先生の鐘が、不規則に震えた。


「名称反応が変わります。役割ではありません」


エイムの通信が乱れる。


『旧礼拝室内部、未分類反応上昇。E指定基準に抵触する可能性あり』


グレン教官の剣が、少しだけ下がった。


いや、構え直した。


白い袖の声が、扉の奥で遠くなる。


『……ああ』


その声には、初めて明確な感情があった。


歓喜。


『お目覚めに、間に合いましたか』


扉の隙間が、閉じるのではなく、内側から押し返された。


封印針が一本、軋む。


リュカが歯を食いしばる。


「押される!」


グレン教官が叫ぶ。


「全員、退避線まで下がれ!」


命令。


即座に動く。


カイルが大剣を引き、エルナを守るように下がる。

アーヴェルがリュカの前へ入り、封印針から離れる時間を作る。

俺は白鎌を構えたまま後退する。


その瞬間、扉の隙間から黒灰色の線が一本、飛び出した。


速い。


狙いは封印針ではない。


グレン教官。


「教官!」


俺は叫んだ。


グレン教官は剣で受ける。


黒灰色の線と剣がぶつかる。


音がなかった。


代わりに、空気が歪んだ。


グレン教官の足が床を削る。


強い。


これまでの灰色の布とは違う。


ただの祈祷術式ではない。


線が重い。


意味が濃い。


俺は白鎌を握る。


黒月は許可されていない。


偏軌もない。


でも、白鎌はある。


「右、根元!」


俺は叫ぶ。


グレン教官は反応した。


剣で受けながら、ほんの少し角度を変える。


黒灰色の線の根元が、扉の隙間に見えた。


そこへ、俺は白鎌を振った。


届かない。


距離が足りない。


だが、白鎌の刃が通るべき線は見える。


一歩。


退避線より前へ出る。


エルナがすぐに防護線を足元へ置く。


カイルが俺の背後を押さえる。


アーヴェルが左側の灰色残滓を潰す。


俺は白鎌を振り切った。


刃が、黒灰色の線の根元を掠める。


完全には切れない。


だが、僅かに裂けた。


その瞬間、グレン教官の剣が動く。


斜めに、深く。


黒灰色の線が断たれた。


断たれた線は灰にならない。


黒い水のように床へ落ち、すぐに扉の内側へ引き戻された。


小広間に、重い沈黙が落ちる。


グレン教官は息を乱していない。


だが、剣を握る手から一筋、血が落ちていた。


カイルが低く言う。


「教官」


「問題ない」


即答。


だが、問題ない傷ではなかった。


セラフィナ先生がいれば、すぐ治療に入るだろう。


グレン教官は扉から目を離さない。


「全員、退避線まで下がれ。これは封鎖線の相手ではない」


扉の隙間の奥。


何かが、もう一度動いた。


白い袖の声が、かすかに響く。


『次は、正面で』


さっきと同じ言葉。


だが、意味が変わった。


白い袖と戦う、という意味ではない。


その奥にいる何かと向き合う、という意味。


扉は、まだ完全には開いていない。


でも、内側の何かが目を覚ました。


リュカが封印針を一本だけ回収し、残りを固定したまま下がる。


「扉は、半分閉じた。でも、奥が起きた」


ユーディア先生の鐘が低く鳴る。


「名称で縛れる相手ではありません」


アーヴェルが細剣を構え直す。


「では、どう止める」


グレン教官は血の落ちる手を見もせず、剣を上げた。


「ここで止める」


その声に、迷いはなかった。


「リオン」


「はい」


「次にあれが来たら、黒月を使う。許可を待つな」


胸の奥で、黒い弧が静かに震えた。


全制限解除ではない。


だが、もう一段階、上がった。


グレン教官は続ける。


「第一基礎班。ここからは、扉前を維持する。上には通さない。旧礼拝室の中へは入らない。だが、出てくるものは全部止める」


カイルが大剣を構えた。


「了解」


エルナが防護線を張る。


「はい」


アーヴェルが頷く。


「承知しました」


俺は白鎌を構えた。


扉の隙間の奥に、黒灰色の線がまた揺れる。


呼ばれたから来たのではない。


開けるためでもない。


ここにいる全員を守るために。


そして、扉を閉じるために。


俺たちは、旧礼拝室の前に立った。


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