56話_一枚目
測定後確認用の控え区画は、中央区画のすぐ横に設けられていた。
白い布で仕切られた簡易の部屋。
低い机。
治癒用の椅子。
壁際には名札確認用の小さな結界盤が置かれている。
第一基礎班と第三基礎班は、そこで並んで検査を受けることになった。
勝った側と負けた側。
本来なら、もう少し空気に差があったのかもしれない。
勝った班は浮かれ、負けた班は悔しがる。
周囲はその結果を噂する。
けれど、今は少し違った。
俺たちは勝った。
第三基礎班は負けた。
それでも、両方とも中央線の灰色に触れず、名札を保った。
だから、控え区画の空気は、勝敗だけでは言い切れないものになっていた。
カイルは椅子に座って、治癒補助を受けながら言った。
「勝った気はするんだけど、休めた気はしないな」
「測定直後に異常確認が入っているからな」
アーヴェルが答える。
「普通の測定って、勝ったらもっとこう、やったぜって感じじゃないのか」
「普通の測定なら、そうだろう」
「普通じゃないな」
「今さらだ」
エルナは自分の名札を結界盤の上にかざしていた。
名札は青く光り、すぐに安定する。
エルナ・シルヴェリア。
第一基礎班。
ユーディア先生が頷く。
「名称固定、異常なし。防護符にも損傷はありません」
「ありがとうございます」
エルナは静かに頭を下げた。
次にカイル。
「カイル・レグナート。第一基礎班」
名札は問題なく光る。
「異常なし」
「よかった」
カイルは胸を撫で下ろす。
「名前消えたら困るからな」
「今さらですけど、カイルの名はかなり安定しています」
ユーディア先生が言う。
「そうなんですか?」
「ええ。自分で自分を疑わない人の名前は、崩れにくいことがあります」
カイルは少し考えた。
「褒められてます?」
「半分は」
「半分」
アーヴェルが横で言う。
「残り半分は、単純だと言われている」
「やっぱり?」
「だろうな」
「そこは否定してくれよ」
ユーディア先生は小さく笑った。
次にアーヴェル。
「アーヴェル・ロア・クラウゼン。第一基礎班」
名札は強く、迷いなく光った。
「異常なし。ただし、所属名側に戦闘中の接触痕が残っています」
アーヴェルは眉を寄せる。
「影響は」
「ありません。すでに切れています」
「分かりました」
最後に俺。
名札を外さず、胸元に手を添える。
ユーディア先生が結界盤を近づける。
「リオン。第一基礎班」
青い光。
一瞬だけ、文字の周囲に細い黒い線が浮かんだ。
だが、すぐに消える。
リオン。
第一基礎班。
「個人名、安定。所属名も安定しています」
ユーディア先生はそう言ったあと、少しだけ目を細めた。
「ただし、他の三人より深い場所で反応が残っています」
「深い場所?」
俺が聞く。
「名札そのものではありません。あなたが見たものの記憶に、灰色の反響が残っているようです」
「中央線の布目ですか」
「おそらく」
グレン教官が控え区画の入口から言った。
「リオン。今は見ようとするな」
「はい」
もう、その言葉にも慣れてきた。
慣れていいのかは分からない。
でも、すぐに頷けるようにはなった。
反対側では、第三基礎班の検査も進んでいる。
レオルの名札は安定していた。
レオル・バート。
第三基礎班。
ユーディア先生が確認する。
「所属名に接触痕あり。ただし断線済み。問題ありません」
レオルは息を吐いた。
「よかった」
トーマも確認を受ける。
「トーマ・リッジ。第三基礎班」
安定。
ニア、フィオも続く。
全員、個人名は無事だった。
第三基礎班という所属名も、揺れはない。
レオルは自分の名札を見て、静かに言った。
「負けても、残ってるな」
カイルが答える。
「当たり前だろ」
「いや、当たり前じゃないと思った」
レオルは顔を上げる。
「さっき中央で揺れた時、少しだけ思ったんだ。負けたら、この文字が薄くなるんじゃないかって」
その言葉に、第三基礎班の三人も黙った。
トーマが槍を握り直す。
「俺も、停止判定を取られた時に少し思った。自分が穴になってるって」
ニアが言う。
「風が中央へ引かれた時、私のせいで班が崩れると思いました」
フィオも小さく頷く。
「補助を切る判断が遅れたので……」
レオルは三人を見た。
「でも、第三基礎班は残ってる」
彼は名札を軽く叩いた。
「なら、次はそこからやり直す」
トーマが頷く。
「次は通します」
ニアも。
「風の押し方、変えます」
フィオも。
「補助線を切る練習をします」
カイルが小声で言った。
「いい班だな」
アーヴェルが答える。
「ああ」
素直だった。
レオルはこちらを見る。
「第一基礎班」
アーヴェルが応じる。
「第三基礎班」
「次があるなら、今度は中央に変なものなしでやりたい」
「同感だ」
「その時は勝つ」
「こちらも勝つ」
カイルがため息をついた。
「もうちょっと柔らかく言えないのか」
「勝負の話だ。柔らかくする必要がない」
「まあ、そうだけど」
そのやり取りで、控え区画の空気が少しだけ戻った。
だが、完全には戻らない。
中央区画では、まだ調査が続いている。
布越しにも、結界柱の低い振動が聞こえていた。
エイムが控え区画へ入ってきた。
記録板を抱え、いつもより少し足早だった。
「両班、測定後確認は継続ですが、追加で戦闘中の感覚を聞き取ります」
カイルが椅子に座ったまま言う。
「今ですか」
「今です。記憶が鮮明なうちに」
「休憩とは」
「後であります」
「その後では」
「記憶が鮮明ではありません」
「ですよね」
エイムはまずレオルへ向いた。
「レオル君。中央線が光った時、盾に何か反応はありましたか」
レオルは少し考える。
「盾そのものにはありません。ただ、盾を構えていると、中央へ押し込めばいい、という感覚が少しありました」
「自分の判断ですか」
「最初は自分の判断だと思いました。でも、後から考えると変です。中央を踏むなと分かっていたのに、盾で押し込めば勝てる気がした」
エイムは記録する。
「勝利条件の誤誘導」
次にトーマ。
「槍で中央へ押した感覚は?」
「ありました。リオンの足を中央へ流せば通る、と思いました。戦術としては間違っていないけど、中央を使うのは危険だと分かっていたので……少し変でした」
「ニアさん」
「風が、中央へ吸われました。私が押したというより、中央へ流せば強くなる気がしたんです」
「フィオさん」
「補助線が中央へ引かれました。切った方がいいと思ったのに、一瞬だけ、繋いだ方が全員を助けられる気がしました」
エイムの筆が止まらない。
「両班とも、勝利や支援に見せかけて中央接続へ誘導されています」
カイルが嫌そうに言う。
「最悪ですね」
「はい」
エイムはいつもの調子で頷いた。
「最悪です」
次に、第一基礎班の聞き取りが始まる。
カイルは、レオルを押さえている時、中央へ押し返せば勝てると思ったと話した。
アーヴェルは、中央を使えば最短で後衛へ抜けられる線が一瞬見えたと言った。
エルナは、補助線が中央へ引かれた時、切らずに支えれば全員を守れるような錯覚があったと話した。
そして俺。
「リオン君は」
エイムがこちらを見る。
「何が見えましたか」
俺は少し息を整えた。
中央線の光。
灰色の布目。
第一と第三の名札へ伸びた線。
その間に、銀色の細い線。
「最初は、中央の下に灰色の布目が見えました」
「はい」
「そこから、第一基礎班と第三基礎班の名札へ線が伸びていました。個人名じゃなくて、班名の方へ」
「はい」
「その間に、エルナへ向かう線が見えました」
エルナの指が少し動いた。
「それを見た時、第二、という言葉が浮かびかけました」
ユーディア先生が静かに息を吸う。
エイムの筆も一瞬止まる。
グレン教官が言う。
「名を与えかけたか」
「はい。でも、違うと思って止めました」
「よく止めた」
短い言葉。
でも、効いた。
「第二、ですか」
エイムが呟く。
「第一基礎班と第三基礎班。その間に第二の灯を置く。数の構造を利用した可能性が高いですね」
カイルが眉を寄せる。
「班名の数字まで使うんですか」
「使えるものは使うのでしょう」
「本当に最悪だな」
レオルが低く言った。
「俺たちの第三も、使われかけたのか」
「はい」
エイムはためらわず答えた。
「ただし、成立していません。あなたたちが第三基礎班として名を保ったためです」
レオルはしばらく黙った。
それから、名札を見た。
「なら、負けたけど役には立ったか」
アーヴェルが言う。
「役に立った、という言い方は少し違う」
レオルが顔を上げる。
「じゃあ何だ」
「共に防いだ」
レオルは少し驚いたように目を開いた。
それから、短く笑った。
「それでいい」
エイムが記録板を閉じる。
「聞き取りは以上です。両班とも休憩に入ってください。ただし、中央区画の調査が終わるまで、控え区画から離れないように」
「結局、待機か」
カイルが言う。
「はい」
「予想通り」
控え区画の外では、測定の進行が少しずつ戻り始めていた。
中央区画は十五分遅延。
他の区画では、第二試合が始まっている。
木剣の音。
魔法弾の音。
歓声。
測定は止まらない。
それは安心でもあり、不安でもあった。
止まらないから、灰衣の仕込みも完全には終わっていないのかもしれない。
しばらくして、リュカが控え区画へ入ってきた。
いつもの眠そうな目。
しかし、手には小さな封印箱を持っている。
グレン教官とエイムがすぐにそちらを見る。
「見つけたのか」
グレン教官が聞く。
リュカは頷いた。
「中央区画下層、測定線の真下。床石の継ぎ目に、焼き写しがあった」
「現物は」
「ない。燃やした後の写しだけ」
リュカは封印箱を机に置いた。
中には、灰のようなものは入っていない。
代わりに、透明な板に写し取られた灰色の布目が薄く残っていた。
「灰衣礼拝布断片の一枚目だと思う」
一枚目。
控え区画の空気が重くなる。
三枚あったはずの礼拝布断片。
その一枚が、中央区画で使われた。
いや、燃やされ、焼き写しとして測定線の下に仕込まれていた。
「一枚使って、この程度か」
カイルが言った。
リュカは首を横に振る。
「この程度で済んだ、の方が近い」
「……ですよね」
「両班が名を保てなかったら、もう少し大きく開いてた」
「大きくって」
リュカは中央区画の方を見た。
「たぶん、測定線が試合の線じゃなくて、儀式の円になってた」
誰もすぐには喋らなかった。
測定線が、儀式の円になる。
第一基礎班と第三基礎班。
勝者と敗者。
第一と第三。
その間に置かれる第二の灯。
もし成立していたら。
考えるだけで、背筋が冷える。
「残り二枚」
エルナが静かに言った。
リュカが頷く。
「うん。まだ二枚ある可能性が高い」
「次は、どこに使うと思いますか」
アーヴェルが聞く。
「分からない。でも、一枚目は測定線。つまり、場所と勝敗と名前を使った。二枚目は、たぶん別の要素を使う」
「別の要素」
リュカは指を二本立てた。
「記録か、観衆」
エイムがすぐに記録板を開く。
「測定記録板への接続痕がありました」
「なら記録はもう触ってる。次は観衆かもしれない」
カイルが観覧席の方を見た。
「観衆って、生徒たちですか」
「うん。見てる人。呼ぶ人。噂する人。名前を広げる人」
リュカの声は眠そうなのに、内容は重い。
「人が集う場所はよく燃える、だったね」
白い袖の人影の言葉。
人が集う場所は、よく燃える。
その意味が、少しずつ形になる。
グレン教官がすぐに指示を出した。
「観覧席の名称防護を一段階上げる。測定記録板は全て二重監視。中央区画の下層点検を続けろ」
エイムが頷く。
「はい」
リュカは封印箱を持ち上げた。
「これは預かる。ミレイア先生に見せる」
「危険は」
グレン教官が聞く。
「今は低い。でも、見つめすぎない方がいい」
リュカは俺を見る。
「特にリオン」
「見ません」
「うん。成長」
そう言われると、少し返しに困った。
リュカはそのまま出て行こうとして、ふと足を止めた。
「あと」
「何だ」
グレン教官が聞く。
「一枚目、失敗してるけど、無駄にはなってない」
「どういう意味だ」
「向こうは、第一基礎班と第三基礎班がどこまで抵抗できるか見た。リオンがどこで見るのを止めるかも見た。エルナがどう名乗るかも見た」
リュカは眠そうな目で言った。
「次は、少し変えてくる」
それだけ言って、リュカは控え区画を出ていった。
沈黙。
カイルが小さく言う。
「勝ったのに、相手も学んだってことか」
「そうだな」
アーヴェルが答える。
「だが、こちらも学んだ」
エルナが頷く。
「一枚目は、防げました」
俺も名札に触れた。
リオン。
第一基礎班。
文字は消えていない。
中央区画の仕掛けは、一枚目。
残り二枚。
大事は、まだこれからだ。
でも、今は一つ防いだ。
それを忘れない方がいい。
カイルが立ち上がり、大きく伸びをした。
「じゃあ、休憩ってことでいいんだよな」
エイムが答える。
「はい。十分間」
「短い」
「測定中です」
「ですよね」
レオルが盾を持ち直した。
「第三基礎班は、次に備える。今日はもう測定項目が残っている」
「え、まだあるのか」
カイルが驚く。
レオルは少し笑った。
「負けたから終わりじゃない。基礎測定は続く」
「それもそうか」
「第一基礎班もだろう」
アーヴェルが頷いた。
「ああ。勝っても終わりではない」
勝っても終わりではない。
測定も。
灰衣も。
俺たちの訓練も。
全部、まだ続く。
控え区画の外で、次の試合開始の鐘が鳴った。
月例測定の一日目は、まだ始まったばかりだった。




