50話_予備説明会
翌日の午前、戦闘科の大講義室はほとんど満席だった。
一年だけではない。
二年、三年の姿もある。
壁際には教官たちが立ち、出入口には監理局職員が配置されている。
窓の外にも、巡回する人影が見えた。
月例実技測定の予備説明会。
本来なら、もっと騒がしい行事なのだろう。
だが、今日は少し違う。
生徒たちは話している。
測定の順番や組み合わせを予想する声もある。
それでも、部屋の端に立つ大人たちの空気が、いつもの学院行事とは違っていた。
カイルが隣で小声を漏らす。
「監理局、多いな」
「うん」
「これで普通に測定やりますって言われてもな」
「普通にやるために多いんだと思う」
「それはそうなんだけどさ」
カイルは前方の壇を見る。
そこには、グレン教官と数人の戦闘科教官が立っていた。
横にはエイムもいる。
記録板ではなく、今回は大きな測定名簿を持っている。
ユーディア先生も後方にいた。
腰の鐘には薄い布がかけられているが、いつでも鳴らせるように見えた。
エルナは膝の上で手帳を閉じている。
「緊急時の合図、覚えていますか」
カイルが聞く。
「覚えてる」
「名を与えない。触れない。退路を確保する。互いの名前を失わない」
エルナが静かに続ける。
アーヴェルは前を向いたまま言った。
「そして、測定では勝つ」
カイルが少し笑う。
「そこ大事だな」
「大事だ」
アーヴェルは真面目に答えた。
俺も頷いた。
測定は、灰衣のためにあるわけではない。
自分たちの力を測るためにある。
班の形を確かめるためにある。
序列を更新するためにある。
そこを奪わせてはいけない。
壇上で、グレン教官が一歩前へ出た。
大講義室のざわめきがゆっくり収まる。
「これより、戦闘科月例実技測定の予備説明を行う」
声はよく通った。
「今年度の測定は、予定通り実施する。ただし、安全管理上、一部形式を変更する」
生徒たちの間に小さなざわめきが広がる。
「第一日目に班連携測定を行う。基礎戦闘、魔力制御、個別模擬戦は二日目以降へ移す」
「班連携が先かよ」
「聞いてないぞ」
「観覧は?」
「組み合わせは?」
周囲が少し騒がしくなる。
グレン教官は木剣の柄で壇を軽く叩いた。
音が響く。
「静かに」
一瞬で静まった。
「班連携を初日に置く理由は二つ。第一に、各班の安全確認を測定の早い段階で行うため。第二に、今年度の戦闘科は異常事案を想定した集団行動能力も評価対象に含めるためだ」
嘘ではない。
だが、全部でもない。
灰衣が測定を利用する可能性。
名と役割が集まる場所。
多くの生徒が自分の序列や勝敗を意識する行事。
それを守るために、班連携を最初に置く。
俺たちは、それを知っている。
グレン教官は続けた。
「今年度の班連携測定では、通常の勝敗点に加え、退避判断、支援判断、指揮維持、過剰攻撃の抑制も評価する」
カイルが小声で言う。
「過剰攻撃の抑制って、俺を見てる?」
「俺もだと思う」
「お前もか」
「うん」
アーヴェルが低く言う。
「黙って聞け」
「はい」
グレン教官の横に、別の教官が大きな測定板を立てる。
そこには班名と順番が書かれていた。
第一試合。
第二試合。
第三試合。
数が多い。
班連携は、複数の演習区画で並行して行われるらしい。
ただし、中央区画だけは広く空けられている。
その中央区画の一番上に、文字が浮かび上がった。
『第一試合 中央区画』
続いて、班名。
『第一基礎班』
大講義室がざわめいた。
カイルが小さく息を吐く。
「初っ端か」
エルナの手が、防護符に触れた。
アーヴェルは測定板をじっと見ている。
俺も見る。
第一基礎班。
その文字は、はっきりしている。
器でも、灯でも、手でも、刃でもない。
第一基礎班。
そして、その下に相手班の名前が浮かぶ。
『第三基礎班』
相手は同じ一年の別班だった。
詳しくは知らない。
ただ、訓練場で何度か見たことはある。
前衛二人、魔法士一人、補助役一人。
昨日の合同演習で戦った班とは違うが、構成は近い。
カイルが少しだけ肩を回した。
「一年相手なら、まだ分かりやすいか」
アーヴェルがすぐに言う。
「油断するな。中央区画の第一試合に置かれた意味を考えろ」
「注目される?」
「それもある。だが、それ以上に監視しやすい場所に置かれた」
「俺たちが?」
「そうだ」
エルナが静かに言った。
「もし何かが起きるなら、最初に起きる可能性があります」
カイルの表情が少し引き締まる。
「じゃあ、最初に勝って、最初に何も起こさせない」
「その意識でいい」
アーヴェルが頷いた。
グレン教官は測定板の横に立ち、さらに説明を続ける。
「各班には、測定用名札を配布する。名札には本人の名と所属班が記録される。測定中は必ず身につけろ。破損、紛失、他者との交換は禁止だ」
名札。
その言葉で、俺たちは全員少し反応した。
ユーディア先生が前へ出る。
「今年度の測定用名札には、簡易名称防護を組み込みます。これは不正防止だけでなく、測定中の誤認識、幻術、精神干渉への対策でもあります」
周囲の生徒たちは、少し不思議そうに聞いている。
多くは、ただの安全強化だと思っているのだろう。
だが、俺たちには意味が分かる。
名前を守るため。
測定という、名と序列が強く意識される場で、名前を奪わせないため。
ユーディア先生は続ける。
「測定中、相手に不必要な異名や侮蔑的呼称を与えることは禁止します。相手班、相手生徒、対象物は、定められた名称で呼ぶこと。これは規則です」
大講義室がまた少しざわめいた。
「異名禁止?」
「何だそれ」
「煽りも駄目ってことか」
「戦闘科で?」
カイルが小声で言う。
「俺、気をつける」
「本当に」
エルナが言う。
「本当に」
アーヴェルも静かに言った。
「相手を不用意に呼ぶな。測定中は特に」
「分かってる」
カイルは真面目に頷いた。
俺も気をつけなければならない。
相手を見て、勝手に名前をつけない。
妙なものを見ても、呼び名を与えない。
対象は対象。
相手は相手。
名前は錨にもなるが、扉にもなる。
ユーディア先生の説明が終わると、エイムが名簿を開いた。
「続いて、重点安全確認班について説明します」
重点安全確認班。
ほとんどの生徒が聞き慣れない言葉に首を傾げた。
エイムは淡々と続ける。
「該当班には測定中、追加の観測術式が配置されます。これは当該班を不利にするものではありません。安全確認のためです」
測定板の横に、いくつかの班名が表示された。
第一基礎班。
第三基礎班。
いくつかの上級生班。
そして、バルドの所属班も含まれていた。
カイルが小さく言う。
「バルド先輩のとこもか」
「以前利用されたからだろう」
アーヴェルが言う。
「そうか」
俺は測定板を見る。
バルドの名前は、所属班の下に小さく表示されていた。
ただし、本人は見学扱いのままらしい。
測定には参加しない。
だが、安全確認対象。
利用された者も、まだ完全には自由ではない。
それが少し苦かった。
グレン教官が再び前へ出る。
「最後に、全生徒へ伝える」
大講義室が静まる。
「測定は、強さを見せる場だ。だが、強さとは相手を壊すことではない。勝つこと、止まること、守ること、戻ること。それら全てが評価される」
戻ること。
その言葉が、俺たちの合図と重なる。
「自分の名を持て。班の名を忘れるな。勝敗に呑まれるな」
グレン教官の視線が、一瞬だけ俺たちの方を通った。
「以上だ。各班、名札を受け取り、午後の最終調整へ移れ」
説明会が終わると、大講義室の中が一気に騒がしくなった。
生徒たちが立ち上がり、自分の班の順番を確認しに行く。
名札の配布列ができる。
教官たちが誘導し、監理局職員が静かに周囲を見ている。
俺たちも列へ向かった。
名札は小さな白い板だった。
手のひらに収まる大きさで、薄い青い縁取りがある。
表面には名前と所属班が刻まれる。
エイムが一人ずつ手渡していく。
「カイル・レグナート。第一基礎班」
カイルの名札に、文字が浮かぶ。
「お、ちゃんと出た」
「ちゃんと出ます」
エイムが言う。
「アーヴェル・ロア・クラウゼン。第一基礎班」
アーヴェルの名札は、迷いなく文字が浮かんだ。
「エルナ・シルヴェリア。第一基礎班」
エルナの名も、静かに刻まれる。
最後に、俺の番だった。
エイムが白い名札を差し出す。
「リオン。第一基礎班」
名札の表面が淡く光る。
一瞬、文字が浮かばなかった。
喉の奥が少し詰まる。
周囲の音が遠くなる。
白い板の上に、空白がある。
名前を書くべき場所。
そこに、何もない。
俺は内ポケットの護符に触れた。
リオン。
自分で書いた、少し不安定な字。
親父の手紙の『リオンへ』。
カイルの声。
エルナの声。
アーヴェルの声。
グレン教官の声。
「リオン」
最初に呼んだのはカイルだった。
「リオン」
エルナが続く。
「リオン」
アーヴェルも短く呼ぶ。
エイムは名札を持つ手を動かさず、静かに言った。
「リオン。第一基礎班」
名札に文字が浮かんだ。
リオン。
それだけ。
姓はない。
でも、空白ではない。
青い縁取りが一度だけ光り、文字が固定される。
エイムが小さく頷いた。
「固定完了」
俺は名札を受け取った。
思ったより軽い。
けれど、少しだけ温かい。
「大丈夫か」
カイルが聞く。
「大丈夫」
「本当に?」
「うん」
エルナが名札を見た。
「消えていません」
「うん」
アーヴェルは静かに言う。
「第一基礎班の名も入っている」
俺は名札を見る。
リオン。
第一基礎班。
自分の名前だけではない。
班の名もある。
それが少し心強かった。
その時、名札配布列の反対側で、小さな騒ぎが起きた。
「おい、これ何だ?」
「名前、違ってないか?」
「いや、今戻った」
生徒の声。
監理局職員がすぐに動く。
ユーディア先生も向かった。
俺たちは反射的にそちらを見た。
一人の生徒の名札が、一瞬だけ滲んだらしい。
だが、すぐに戻った。
大きな異常ではない。
けれど、完全に何もないわけでもない。
グレン教官の声が飛ぶ。
「全員、名札を胸元に固定しろ。外すな。異常を感じた場合は近くの教官へ報告。騒ぐな」
大講義室の騒ぎは、すぐに収まった。
だが、空気は少しだけ変わった。
測定は、もうただの測定ではない。
それを知らない生徒たちにも、何かが薄く伝わったのかもしれない。
カイルが名札を制服に固定しながら言った。
「始まってるな」
「うん」
「まだ測定前なのに」
「うん」
アーヴェルは測定板を見ていた。
第一試合。
中央区画。
第一基礎班対第三基礎班。
「明日の初戦で、こちらの形を示す」
「勝つってことか」
カイルが聞く。
「勝つ。そして乱されない」
エルナが頷いた。
「名札、護符、班の名前。全部確認しましょう」
俺も名札に触れた。
リオン。
第一基礎班。
胸の奥で、白い大鎌が静かに沈んでいる。
まだ出す時ではない。
黒月も、偏軌も、術式干渉も。
測定では制限される。
だからこそ、明日は四人で勝つ。
その上で、もし何かが来るなら。
名を与えず、触れず、退路を確保し、互いの名前を失わない。
大講義室の外へ出ると、廊下には午後の光が差し込んでいた。
月例実技測定まで、あと一日。
いや。
第一基礎班にとっては、もう始まっていた。




