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歪みの果てに君を呼ぶ  作者: ネネルネ
第1章 白鎌の少年
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5話_術式干渉

「全員、訓練場の外へ出ろ」


グレン教官の声で、新入生たちは一斉に動き出した。


誰も大きな声は出さなかった。

さっきまで白い大鎌を前にざわついていた生徒たちは、今はそれどころではないという顔をしている。


俺が構えただけで、防護陣に黒い線が走った。


その意味を、俺は知らない。

けれど教官たちは知っているらしい。


それが、少しだけ不快だった。


「リオン。お前は残れ」


「はい」


「俺も?」


隣でカイルが自分を指差した。


グレン教官は即答した。


「お前は出ろ」


「ですよね」


カイルは肩をすくめて、訓練場の出口へ向かった。

途中で一度振り返り、白い大鎌を見てから、少しだけ笑う。


「あとで詳しく聞くからな」


「俺も詳しく知らない」


「じゃあ一緒に考えようぜ」


そう言って、カイルは出ていった。


その軽さに、ほんの少しだけ救われる。


訓練場に残ったのは、俺とグレン教官、それから境界監理局の灰色外套の職員だった。

第2話で馬車に同乗していた男だ。


彼は観測窓の向こうではなく、今は訓練場の中にいる。


「リオン」


職員が言った。


「武器を消せるか」


「できます」


俺は白い大鎌を見た。


手を離せばいい。

そう思うだけで、刃の輪郭が少しずつ薄くなる。


白い刃が空気に溶けるように消えていく。

長い柄も、黒い亀裂も、音もなくほどけた。


最後に、手のひらから冷たさだけが抜けていく。


大鎌は消えた。


だが、完全に無くなったわけではない。


今も右手の奥にある。


呼べば届く場所に。


グレン教官は床へ視線を落とした。


防護陣の一部が、まだわずかに揺れている。

さっき大鎌の刃先がかすめた場所に、黒い細線が一瞬だけ残り、すぐに消えた。


「……()()()()だ」


教官が呟いた。


俺は聞き返す。


「それは、何ですか」


グレン教官は顔を上げた。


「魔法は魔力だけで発動するものではない。魔力に形を与えるための式が必要だ。火を生むにも、風を起こすにも、結界を張るにもな」


「術式、ですか」


「そうだ」


グレン教官は床の魔法陣を指差した。


「これは訓練場の防護陣だ。攻撃を受けた時、衝撃を分散し、観戦者や生徒への被害を防ぐ。だが、お前の大鎌は、振ってもいないのにその術式の()()()()()()


「乱したつもりはありません」


「だろうな」


否定されなかった。


それが逆に、胸の奥に重く落ちる。


グレン教官は続けた。


「術式干渉とは、魔法の構造そのものに触れる行為だ。普通は高度な解析能力と、精密な魔力制御が必要になる。訓練を積んだ魔法士でも簡単にはできない」


灰色外套の職員が低く言う。


「まして、()()()に行うものではない」


俺は黙っていた。


無意識。


その言葉には、慣れている。


俺の周りで起きることの多くは、いつもそう呼ばれる。


グレン教官は腰のポーチから、小さな金属板を取り出した。

そこには簡易の魔法陣が刻まれている。


「これは低位の発光術式だ。触れて魔力を流せば光る。ただそれだけのものだ」


教官が魔力を流すと、金属板が淡く青く光った。


綺麗な円。


均等に巡る魔力。


俺には、それが線として見えた。


円の内側を走る細い流れ。

中心へ集まる光。

外へ逃げようとする余分な魔力。


「見えるか」


グレン教官が聞いた。


「……はい」


「何が見える」


俺は少し迷った。


言葉にすると、いつもおかしく聞こえる。


「線です」


「線?」


「魔力が流れる線。術式の継ぎ目。ここを通って、ここで曲がって、ここへ戻る」


指で示すと、グレン教官の表情が変わった。


職員も、わずかに息を止める。


「教わったのか」


「いいえ」


「いつから見えている」


「覚えていません」


俺がそう答えるたびに、二人の沈黙が深くなる。


昔からだ。


落ちる皿の軌道。

人の踏み込み。

飛んでくる石。

雨粒の隙間。

剣の通り道。


俺には、世界が線で見える時がある。


ただ、見ようとすればするほど頭が痛くなる。

だから普段は、なるべく見ないようにしている。


グレン教官は金属板を床へ置いた。


「リオン。今からこの術式に触れるな。ただ、見ろ」


「分かりました」


青い光が揺れる。


俺はそれを見た。


線がある。

綺麗に閉じた線。

その中に、一箇所だけ細い継ぎ目がある。


そこに触れれば、たぶん崩れる。


そう思った瞬間、光が乱れた。


金属板の青い光が、黒く滲む。


「止めろ」


グレン教官の声で、俺は瞬きをした。


光は消えていた。


金属板にはひび一つ入っていない。

だが、術式だけが沈黙している。


俺は手を伸ばしていない。


魔力を流してもいない。


ただ、見ただけだ。


「……触れていません」


「分かっている」


グレン教官の声は低かった。


「お前は、見ただけで術式の弱い箇所に意識を向けた。おそらく、それだけで干渉が起きている」


「見ただけで?」


「普通はありえない」


灰色外套の職員が言った。


「だが、君の場合は普通では説明できない」


その言葉に、少しだけ苛立った。


普通ではない。

分類不能。

該当項目なし。


どれも、俺を説明しているようで、何も説明していない。


「つまり俺は、魔法を見るなということですか」


「違う」


グレン教官が言った。


「見るな、ではない。見方を覚えろ。お前が見ているものを、お前自身が理解していない。それが危険だ」


理解していない。


その通りだった。


俺は右手を握った。


大鎌の感触は、まだそこにある。


「術式干渉は、使い方を誤れば相手の魔法を壊せる。結界を乱せる。測定器のような装置も壊せる。だが、自分の防護陣や味方の治癒術式まで壊す可能性もある」


治癒術式。


その言葉で、少しだけ想像してしまった。


誰かが傷ついている。

治癒魔法がかけられる。

俺がそれを見て、間違えて線を歪ませる。


助かるはずのものが、助からなくなる。


胃の奥が冷えた。


「……分かりました」


「本当に分かった顔ではないな」


「よく言われます」


グレン教官は小さく息を吐いた。


「当面、お前には制限をかける。実技では大鎌の顕現を教官の許可制にする。術式干渉らしき兆候が出た場合、即座に中断だ」


「分かりました」


「不服か」


「いいえ」


不服ではない。


むしろ、少しだけ安心した。


自分でも分からないものを、好きに使えと言われる方が怖い。


灰色外套の職員が書類に何かを書き込む。


「境界監理局へ報告する」


「親父にもですか」


俺が聞くと、職員の手が止まった。


「保護責任者には共有される」


つまり、親父にも伝わる。


たぶん帰ったら言われる。


だから言っただろう、と。


グレン教官は壊れた金属板を拾い上げた。


「最後に一つ聞く」


「はい」


「お前は今、自分の力を何だと思っている」


すぐには答えられなかった。


魔法ではない。

身体強化でもない。

固有能力と言われれば、そうなのかもしれない。


けれど、それだけでは足りない気がした。


俺はしばらく考えてから言った。


「……()()、だと思います」


「ズレ?」


「本来あるはずの場所と、少し違う場所。通るはずの線と、外れた線。俺には、それが見えます」


そして、たまに触れてしまう。


言葉にはしなかった。


グレン教官は何も言わなかった。


ただ、俺を見ていた。


その目は、監理局の人間のように記録する目ではない。

戦う者が、危険な武器を見る目だった。


「いいだろう」


教官は言った。


「今日から、お前の個別記録にはこう記す」


俺は顔を上げる。


「能力分類、仮称――軌道および術式への干渉」


灰色外套の職員が、静かに付け加えた。


「観察区分は継続。警戒段階を一つ上げる」


予想通りの言葉だった。


それでも、胸の奥が少しだけ沈む。


結局、俺はまた書類の中で名前を増やす。


リオン。

姓なし。

該当項目なし。

観察継続。

軌道干渉。

術式干渉。


どれだけ増えても、それらは俺自身ではない。


「戻っていい」


グレン教官が言った。


俺は一礼して、訓練場を出た。


廊下には、カイルが壁にもたれて待っていた。


「遅かったな」


「待ってたのか」


「聞くって言っただろ」


「俺にも分からないことが増えただけだ」


「じゃあ、まず飯食おうぜ」


あまりにも自然に言われて、俺は少しだけ返事に困った。


「今、そういう流れか?」


「大体の悩みは腹が減ってると重くなる」


カイルは真面目な顔で言った。


「俺の経験則だ」


馬鹿みたいな理屈だった。


でも、悪くないと思った。


俺は少しだけ息を吐く。


「分かった」


カイルは満足そうに笑った。


廊下の窓から、午後の光が差している。

その光の中にも、細い線が見えた。


けれど俺は、目を逸らした。


今は見なくていい。


そう思えるだけで、少しだけ楽だった。


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