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歪みの果てに君を呼ぶ  作者: ネネルネ
第1章 白鎌の少年
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4話_欠けた輪郭

訓練場の空気は、さっきまでとは変わっていた。


勝敗だけなら、すぐに流れる。

誰かが勝って、誰かが負ける。

学院ではきっと、それが毎日のように繰り返されるのだろう。


けれど、今の視線はそういうものではなかった。


俺が勝ったから見られているのではない。


どう勝ったのか、分からなかったから見られている。


アーヴェルは細剣を握ったまま、しばらく動かなかった。

喉元に木剣を突きつけられた感触が、まだ残っているのかもしれない。


やがて彼は剣を下ろし、低く言った。


「今のは、能力か」


「さあ」


「答えろ」


「俺にも、どこからが能力なのか分からない」


それは本当だった。


息をするように見える線がある。

歩く時に自然と避ける線がある。

刃を振る時、そこへ通せばいいと分かる線がある。


それを能力と呼ぶなら、俺はずっと能力を使っていることになる。


アーヴェルの表情が歪んだ。


「馬鹿にしているのか」


「してない」


「そこまで」


教官の声が落ちた。


先ほどから訓練を見ていた男が、名簿を閉じてこちらへ歩いてくる。

短く刈った黒髪。傷のある頬。戦闘科の教官らしい、無駄のない足運び。


「私はグレン。今日からお前たち新入生の基礎実技を担当する」


グレン教官は全員を見回した。


「先に言っておく。今の確認で許可したのは、武器術、身体強化、低位術式までだ。固有能力の発動は禁止。申告なしで使えば減点、悪質なら処分対象になる」


ざわめきが起こる。


何人かの視線がアーヴェルへ向いた。


グレン教官は続ける。


「アーヴェルは規則を破っていない。身体強化の範囲内だ。だが、リオン」


「はい」


「お前の今の動きは、通常の武器術では説明がつかない」


また視線が集まる。


俺は何も答えなかった。


説明できるなら、とっくにしている。


グレン教官は少しだけ目を細めた。


「後で個別確認を行う。それまでは無闇に使うな」


「何を、ですか」


「それも含めて確認する」


そう言われてしまうと、返す言葉がなかった。


アーヴェルは唇を噛んだ。


「次は、固有能力込みでお願いします」


「今日はしない」


「ですが」


「命令だ」


グレン教官の声は静かだった。


けれど、それだけでアーヴェルは黙った。


俺は木剣を壁際へ戻した。


手から離れた瞬間、少しだけ楽になった。

軽すぎる武器は、逆に扱いにくい。


壁際でカイルが待っていた。


「お前さ」


「何」


「本当に何なんだよ」


「さっきも聞かれた」


「何回でも聞きたくなるんだよ。普通、ああいうのは一回くらい当たるだろ」


「当たらなかった」


「見れば分かる」


カイルは頭をかいた。


「でもまあ、嫌いじゃない」


「何が」


「分からないところ」


変なことを言う。


けれど、その言葉には妙な軽さがあった。

踏み込みすぎない。けれど、逃げもしない。


監理局の人間とは違う距離感だった。


午前の確認が終わると、新入生たちは短い休憩を挟んで、再び訓練場へ集められた。


今度は武器適性の確認だった。


壁際には学院が用意した訓練用の武器が並んでいる。


剣、槍、斧、短剣、弓、杖、盾。

鎖付きの武器や、魔法触媒もある。


だが、やはり()()はなかった。


当然だと思う。


あんなものを好んで使う人間は、あまりいない。


「各自、最も扱いに慣れた武器を選べ」


グレン教官が言った。


「武器が特殊な者は申告しろ。学院支給の訓練具で代用できる場合はこちらで用意する」


生徒たちがそれぞれ武器を取りに行く。


アーヴェルは当然のように細剣を取った。

カイルは大剣を持ち上げ、軽く肩に担いだ。


似合っている。


力任せというより、持っているだけで楽しそうに見える。


俺はしばらく壁際を見ていた。


「リオン」


グレン教官が呼ぶ。


「お前の武器は?」


「ここにはありません」


「種類は」


少し迷ってから答えた。


「大鎌です」


周囲が小さくざわめいた。


誰かが笑った。


「大鎌?」


「農具かよ」


「戦場で使う武器じゃないだろ」


カイルだけは笑わなかった。

ただ、少し意外そうな顔をしている。


グレン教官も表情を変えなかった。


「登録記録には、特殊鎌とある」


「記録があるんですか」


()()()()()から提出されている」


そう言われて、胸の奥が少し重くなった。


俺の知らない俺の記録。

監理局には、そういうものがいくつもある。


「顕現できるか」


グレン教官が言った。


訓練場の空気が、一段低くなる。


その言葉を知っている。


この人は、少なくともただの教官ではない。


「ここで、ですか」


「防護陣は起動している。暴発した場合は私が止める」


暴発。


その言い方が、妙に正しい気がした。


俺は右手を見た。


何もない。


けれど、そこにはある。


いつもそうだ。


必要だと思えば、手が届く。

名前も知らない。

どこから来るのかも知らない。

ただ、俺が手を伸ばせば、そこに在る。


深く息を吸った。


見える。


床に刻まれた防護陣。

生徒たちの視線。

教官の重心。

空気の流れ。


その奥に、一本だけ違う線がある。


この世界のものではないような、けれど俺の中に続いている線。


俺はそれを掴むように、右手を伸ばした。


空間が軋んだ。


黒い亀裂が、何もない場所に走る。


ざわめきが止まった。


亀裂の奥から、冷たい感触が指先に触れる。


柄だ。


俺はそれを握った。


瞬間、胸の奥で何かが噛み合った。


足りなかった重さが戻る。

ずれていた呼吸が整う。

身体の外側に、失くしていた輪郭が戻ってくる。


引き抜く。


黒い亀裂が裂け、そこから白い大鎌が現れた。


白い。


骨のように。

月光のように。

雪よりも冷たく、金属よりも静かな白。


長い柄には、細い黒い亀裂のような紋様が走っている。

大きく弧を描く刃は、翼の先端のように欠けた形をしていた。


訓練場に、音がなかった。


誰も笑わなかった。


大鎌を握ったまま、俺は少しだけ息を吐いた。


やはり、これだ。


木剣とは違う。

重いのに、重くない。

長いのに、遠くない。


これは持っているものではない。


戻ってきたものだ。


グレン教官は、しばらく白い大鎌を見ていた。


その目に、わずかな緊張が浮かぶ。


「……それを、いつから使える」


「覚えていません」


「誰に教わった」


「誰にも」


「名前は」


俺は首を横に振った。


「知りません」


その瞬間だった。


大鎌の刃元に走る黒い紋様が、かすかに脈打った。


ほんの一瞬。


けれど俺には分かった。


何かが、こちらを見ている。


遠い場所から。

深い場所から。


黒い衣擦れのような音が、耳の奥で鳴った気がした。


――まだ。


声ではなかった。


言葉でもなかった。


それでも、そう聞こえた。


まだ。


俺は大鎌を握る手に力を込めた。


「リオン」


グレン教官の声で、意識が戻る。


「今日は振るだけでいい。術式干渉は使うな」


「使うなと言われても」


「使うな」


少しだけ、親父に似た言い方だった。


俺は頷いた。


白い大鎌を構える。


黒いロングコートの裾が揺れる。


周囲の生徒たちは、まだ言葉を失っていた。


その中で、カイルだけが小さく笑った。


「なるほどな」


何がなるほどなのか、俺には分からなかった。


カイルは大剣を肩に担いだまま、楽しそうに言う。


「そりゃ、木剣じゃ物足りないわけだ」


その言葉を聞いて、少しだけ肩の力が抜けた。


だが次の瞬間、訓練場の防護陣が薄く震えた。


俺がまだ振ってもいないのに。


白い大鎌の刃先が、空間のどこかをかすめたように、黒い細線を残していた。


グレン教官の目が鋭くなる。


「全員、三歩下がれ」


声が低く響く。


俺は刃先を見た。


黒い線はすぐに消えた。


けれど、確かに残っていた。


俺が何かをしたわけではない。


ただ、構えただけだ。


それだけで、世界がほんの少し傷ついた。


訓練場の奥、観測窓の向こうで、灰色の外套の職員が顔色を変えた。


俺はその反応を見て、ようやく理解する。


これは、学院に持ち込んでいい武器ではなかったのかもしれない。


けれど、もう遅い。


白い大鎌は、俺の手の中にある。


そして不思議なことに、今朝からずっと胸に残っていた違和感は、少しだけ薄れていた。


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