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歪みの果てに君を呼ぶ  作者: ネネルネ
第1章 白鎌の少年
3/95

3話_該当項目なし

『該当項目なし』


その一行は、しばらく消えなかった。


測定場に集められた新入生たちは、誰も声を出さない。

さっきまで誰かの結果が表示されるたびに上がっていた歓声も、感嘆も、今はない。


ただ、視線だけがあった。


好奇。

警戒。

困惑。

そして、少しの恐れ。


俺は測定器の前に立ったまま、自分の右手を見下ろしていた。


手のひらに、まだ冷たさが残っている。

測定盤に触れていた時の冷たさではない。


もっと奥にある、別の冷たさ。


あの柄を握った時に似ていた。


「全員、その場を動くな」


教官の声が響いた。


測定場の奥から、白衣を着た職員が数人駆け寄ってくる。

彼らは測定器を囲み、魔法陣の状態を確認し始めた。


「魔力循環が乱れています」


「術式核に損傷は?」


「損傷ではありません。歪……いえ、波長が噛み合っていません」


途中で言葉を飲み込んだ職員を、教官が横目で睨んだ。


それだけで、彼は黙った。


測定器の青い光はすでに戻っている。

だが、俺には分かった。


さっきまでそこにあった線が、少しだけ曲がっている。


柱を囲む魔法陣。

その内側を流れる魔力の線。

普通なら均等に巡るはずの光が、俺の手を置いた箇所からわずかに逸れていた。


見える。


いや、見えてしまう。


細い線が、空中にいくつも浮かんでいた。


魔力の流れ。

術式の継ぎ目。

測定器を支える構造の中心。

床に刻まれた補助陣の弱い箇所。


そのすべてが、白く細い糸のように見えた。


頭の奥が少し痛む。


俺は目を伏せた。


見すぎるな。


親父に何度も言われたことだ。


見えるもの全部を見るな。

人は、見えたものすべてを背負えるようにはできていない。


「リオン」


教官が俺の名を呼んだ。


「はい」


「体調に異常は?」


「少し、頭が痛いくらいです」


「測定器に何かしたか」


周囲の視線が、さらに集まった。


俺は首を横に振った。


「何も」


嘘ではない。


何かをしようとはしていない。

ただ、触れただけだ。


それで何かが起きた。


それは俺にとって、珍しいことではなかった。


教官はしばらく俺を見ていた。

疑っているというより、測っている目だった。


測定器ではなく、自分の目で。


「……一度下がれ」


俺は頷いて、列の端へ戻った。


カイルが小声で言った。


「お前、ほんと何なんだよ」


「俺も知りたい」


「冗談で聞いたんだけどな」


「俺は本気で答えた」


カイルは一瞬黙って、それから小さく笑った。


「変な奴」


その言い方には、嫌悪も恐怖もなかった。


だから少しだけ、息がしやすかった。


一方で、少し離れた場所にいた金髪の少年は、明らかに不快そうな顔をしていた。

さっき受付で俺に声をかけてきた生徒だ。


彼は仲間の一人に何かを耳打ちされると、薄く笑った。


「装置にすら分類されないとはな」


聞こえるように言ったのだろう。


「よほど出来が悪いか、よほど不気味か。そのどちらかだ」


数人が小さく笑う。


俺は返事をしなかった。


言い返す理由がない。

実際、不気味なのは否定できない。


ただ、カイルが隣で眉をひそめた。


「初日から忙しいな、お前」


「誰に言ってる」


「どっちにも」


金髪の少年がこちらを見る。


空気がまた少し尖った。


その時、教官が手を叩いた。


「測定を中断する」


ざわめきが広がる。


「本日の能力測定は、装置点検後に再開する。それまで新入生は第一訓練場へ移動。基礎戦闘適性の確認を先に行う」


その言葉に、生徒たちの空気が変わった。


測定ではなく、戦闘。


多くの者にとって、こちらの方が分かりやすい。

強いか弱いか。

動けるか動けないか。

魔力の数値よりも、刃を交えた方が納得できる。


金髪の少年は、俺を見たまま笑った。


「ちょうどいい」


その視線が言っていた。


測れないなら、試せばいい。


俺は何も返さず、教官の後に続いた。


第一訓練場は、実技棟の奥にあった。


円形の広い空間。

床は白い石で造られており、ところどころに防護用の魔法陣が埋め込まれている。

壁際には訓練用の木剣、槍、短剣、杖、盾が並んでいた。


天井は高く、光が上から落ちてくる。


その中央に立つと、わずかに音が反響した。


「これより基礎戦闘適性を確認する」


教官が言った。


「武器は訓練用。魔法は低位術式まで。相手を行動不能にする必要はない。見るのは勝敗ではなく、判断、反応、魔力制御だ」


勝敗ではない。


そう言われても、納得しない者はいる。


特に、名家の子息たちは。


「まずは二人一組で軽く打ち合え。こちらで組を指定する」


教官は名簿を見下ろした。


そして、何人かの名前を読み上げていく。


俺は壁際の武器を見た。


木剣。

短槍。


右手に、ありもしない柄の感触がよぎった。


呼べば、来る。


そんな確信があった。


だが、今は必要ない。


親父の声が、頭の奥で響く。


振った理由だけは、忘れるな。


ここで振る理由は、まだない。


「リオン」


教官が言った。


「お前は、アーヴェルと組め」


金髪の少年が一歩前へ出た。


アーヴェル・ロア・クラウゼン。


受付で聞いた名だ。

確か、指揮科ではなく戦闘科へ変更されたと誰かが話していた。


彼は壁から訓練用の細剣を取ると、ゆっくりこちらへ向き直った。


「よろしく、リオン」


声だけは丁寧だった。


「よろしく」


俺は木剣を一本取った。


軽い。


軽すぎる。


手の中にあるのに、どこか遠い。


やはり、違う。


俺の手に馴染むのは、これではない。


訓練場の中央で向かい合う。


周囲の生徒たちが、自然と距離を取った。


カイルが壁際で腕を組み、こちらを見ている。

さっきまで笑っていた顔から、少しだけ緩さが消えていた。


教官が右手を上げる。


「始め」


その声と同時に、アーヴェルが踏み込んだ。


速い。


訓練用の細剣が、真っ直ぐ俺の胸元へ伸びる。


見えた。


剣の軌道が、白い線として空中に浮かぶ。


踏み込みの重心。

肩の動き。

手首の角度。

剣先が通るはずの道。


その線を、ほんの少しだけ()()()


細剣が、俺の制服の前をかすめて外れた。


アーヴェルの目がわずかに見開かれる。


俺は木剣を上げた。


反撃するなら、今だった。


だが、まだ打たない。


アーヴェルはすぐに体勢を立て直し、二撃目を放つ。


今度は横薙ぎ。


俺は半歩だけ後ろへ下がった。


刃は届かない。


いや、届くはずだった。


アーヴェル自身も、そう思ったはずだ。


だからこそ、彼の表情が変わる。


距離が狂った。


一歩分ではない。

指一本分にも満たないズレ。


けれど、戦いではそれで足りる。


三撃目。


今度はフェイントを混ぜてきた。


上から来るように見せて、下から突き上げる。


悪くない。


けれど、線が見える。


俺は木剣の腹で、突きの軌道をそっと押した。


力で弾いたわけではない。

剣が進もうとしていた線を、少しだけ外へ逃がしただけだ。


アーヴェルの細剣が床を掠める。


乾いた音がした。


訓練場が静まり返る。


俺はその時になって、気づいた。


また、()()()()()()


視界の端に、細い線が増えていた。


床の防護陣。

観客の立つ位置。

教官の手元。

アーヴェルの呼吸。


頭痛が強くなる。


「……何をした」


アーヴェルが低く言った。


「避けた」


「そんなわけがない」


彼の声から、丁寧さが消えていた。


アーヴェルは細剣を握り直す。


次は、少し強く来る。


そう分かった。


教官が止めるかと思ったが、止めなかった。

見ている。


俺が何をするのか。


アーヴェルの足元に、魔力が流れた。


身体強化。


踏み込みが一段速くなる。


剣先が、さっきより鋭く伸びる。


俺は息を吐いた。


木剣では、受けきれない。


右手の奥で、冷たい柄が呼吸をした気がした。


黒い亀裂。


白い刃。


欠けた翼の輪郭。


呼べば、来る。


けれど俺は、まだ手を伸ばさなかった。


代わりに、目を開く。


線を見る。


剣の線。

足の線。

力の線。

そして、外せる線。


アーヴェルの剣が迫る。


俺は木剣を振った。


刃と刃が触れる直前、相手の軌道がわずかに逸れる。


細剣は俺の肩を外し、空を切った。


同時に、俺の木剣の先端がアーヴェルの喉元で止まる。


誰も動かなかった。


アーヴェルの喉元に、木剣が触れる寸前で静止している。


俺は静かに言った。


「続ける?」


アーヴェルの瞳に、怒りが浮かんだ。


けれど、その奥に別の色もあった。


恐れではない。


理解できないものを前にした時の、拒絶に近い色。


教官の声が落ちた。


「そこまで」


俺は木剣を下ろした。


その瞬間、視界の線がほどけるように消えていく。


頭痛だけが残った。


壁際で、カイルが小さく口笛を吹いた。


「……短くて呼びやすいだけじゃなかったな」


俺は返事をしなかった。


ただ、自分の右手を見ていた。


木剣を握っているはずの手。

けれどその奥にはまだ、冷たい白い柄の感触が残っている。


今日は、呼ばなかった。


呼ばずに済んだ。


それなのに、訓練場の全員が俺を見ていた。


まるで、何かを見てしまったように。


教官は名簿に何かを書き込んだ。


その文字は俺には見えなかった。


けれど、別室の観測窓の向こうで、灰色の外套を着た監理局の職員が、静かに息を吐いたのだけは見えた。


「第一段階で、すでに軌道干渉」


その声は、こちらには届かない。


「……報告を上げろ。局長案件だ」


俺は知らない。


この日の測定記録が、学院の通常記録から外されたことも。


戦闘適性の欄に、誰かが赤いインクで一言だけ書き足したことも。


――観察継続。


俺はただ、痛む頭を押さえながら思っていた。


学院初日から、面倒なことになった。


たぶん親父なら、こう言う。


だから言っただろう、と。


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