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歪みの果てに君を呼ぶ  作者: ネネルネ
第1章 白鎌の少年
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2話_門の向こう側

境界監理局の馬車は、王都の中央通りを静かに進んでいた。


窓の外には、白い石で造られた街並みが続いている。

朝の光を受けた屋根は淡く輝き、通りの両脇には魔力灯がまだ薄く灯っていた。


王都エルシオン。


この国の中心であり、王城と王立学院を抱える街。

人も、物も、魔力も、すべてがここへ集まる。


俺は窓枠に肘を置き、流れていく景色を眺めていた。


馬車の向かいには、境界監理局の職員が一人座っている。

灰色の外套。無駄のない姿勢。こちらを見ているようで、実際には俺の動きすべてを記録しているような目だった。


「学院では、なるべく目立たないように」


職員は書類から視線を上げずに言った。


「それは命令ですか」


俺が聞き返すと、職員の指が一瞬だけ止まった。


「助言だ」


「なら、努力はします」


「……努力、か」


職員は小さく息を吐いた。


たぶん信用されていない。

俺も、そこまで信用されるような生き方はしていない。


馬車が大きく揺れ、石畳の音が変わった。


窓の外に、巨大な門が見えた。


王都の中にありながら、そこだけ別の街のようだった。

高い外壁。いくつもの尖塔。広大な庭園。訓練場らしき円形の施設。空へ伸びる研究棟。


エルシオン王立学院。


学問を修める場所。

魔法を学ぶ場所。

剣を鍛える場所。

そして、力ある者を国が見極める場所。


親父は、檻だと言った。

けれど門の前に集まる新入生たちの顔は、そんなものには見えなかった。


彼らは皆、どこか誇らしげだった。


立派な馬車から降りる者。

家紋入りの外套を羽織った者。

従者に荷物を持たせる者。

騎士家の子息らしく腰に剣を佩いた者。


どの顔にも、自分がここへ来る理由を知っている者の自信があった。


馬車が止まる。


「到着だ」


職員が扉を開けた。


俺は外へ降りた。


黒基調の制服。細身のジャケット。白いシャツ。緩く締めた細いタイ。

その上から羽織った黒いロングコートの裾が、朝風に少し揺れた。


制服は支給品だ。

だが、このコートだけは親父が出発前に投げて寄越した。


「寒そうな顔をしてるからな」


それだけ言っていた。


別に寒くはなかった。

けれど、今も着ている。


門をくぐると、周囲のざわめきが少しだけ大きくなった。


受付の列には、新入生が順に並んでいる。

机の向こうでは、学院の職員が名簿を確認し、身分証と入学証を照合していた。


「次。名前を」


「レオンハルト・ヴァン・グレイシア」


「確認しました。戦闘科、第一実技棟へ」


「セリナ・エル・フォルテ」


「魔法科、中央講堂へ」


「アーヴェル・ロア・クラウゼン」


「指揮科、東棟へ」


次々と、長い名前が呼ばれていく。


家名。爵位。領地。血筋。

名前の後ろに、多くのものを背負った者たち。


やがて、俺の番が来た。


受付の女性が顔を上げる。


「名前を」


「リオン」


羽ペンの先が止まった。


「……姓は?」


「ない」


その瞬間、近くにいた数人の視線がこちらへ向いた。


受付の女性は一瞬だけ困ったような顔をしたが、すぐに名簿へ目を落とした。

何かを見つけたのか、表情が少し硬くなる。


「リオン……境界監理局推薦枠。戦闘科、第一実技棟です」


「分かりました」


入学証を受け取って、列を離れる。


背後で、誰かが小さく笑った。


「姓もない者が王立学院か」


聞こえないほど小さな声ではなかった。


振り返ると、金髪の少年がこちらを見ていた。

整った制服。胸元の銀の留め具。手袋。腰に下げた細剣。

どこかの名家の子息だろう。


彼の隣には、同じような雰囲気の生徒が二人いる。


「よほど特別な推薦でもあったのかな」


金髪の少年は、笑みを崩さずに言った。


俺は少し考えた。


「たぶん」


「たぶん?」


「俺も詳しくは聞いていない」


少年の眉がわずかに動いた。


周囲の空気が、少しだけ尖る。


彼は一歩近づき、俺の肩へ手を伸ばした。


その手が、触れる直前でわずかに横へ流れた。


少年の指は、俺の肩ではなく、空気を掴んだ。


「……?」


少年が目を細める。


俺は何もしていない顔で、その横を通り過ぎた。


正確には、何もしようとはしていない。

ただ、来ると思った手の線が見えて、そこから少しだけ外れた。


それだけだ。


「おい」


背後から声がかかる。


呼び止められたのかと思ったが、違った。


赤みのある髪の少年が、金髪の少年たちの前に割って入っていた。


「初日から絡むなよ。飯がまずくなるだろ」


「誰だ、お前は」


「カイル。姓はあるけど、長いから省略でいい」


赤髪の少年――カイルは、悪びれもなく笑った。


「それに、今のはお前が悪い。初対面で肩を掴みにいくな。犬でも嫌がる」


「貴様……」


「ほら、先生っぽい人が見てる」


金髪の少年が舌打ちする。


実際、少し離れた場所で学院の教官らしき男がこちらを見ていた。


騒ぎはそれ以上大きくならなかった。


カイルは俺の隣へ来ると、こちらを覗き込むように笑った。


「リオン、だっけ」


「そう」


「短くていいな。呼びやすい」


そう言われたのは初めてだった。


大抵の人間は、姓がないことに理由を探す。

哀れむか、疑うか、見下すか。


けれどカイルは、本当にただ呼びやすいと思っただけらしい。


「お前、戦闘科?」


「たぶん」


「またたぶんかよ」


カイルは笑った。


「俺も戦闘科。なら一緒だな」


一緒、という言葉に少しだけ違和感があった。


監理局では、俺は常に誰かに見られる側だった。

並ぶ相手がいる、という感覚はあまりない。


それでも、不快ではなかった。


第一実技棟へ向かうと、新入生たちは大きな円形の測定場に集められていた。


中央には、白銀の柱が立っている。

柱の周囲には複雑な魔法陣が刻まれ、淡い青色の光が脈打っていた。


能力測定器。


魔力量、魔力波長、属性適性、固有能力の有無。

それらを調べるための学院標準測定装置。


前に立った生徒が、測定盤へ手を置く。


魔法陣が明るくなり、空中に文字が浮かんだ。


『魔力量B。炎適性。身体強化補正あり』


周囲から感嘆の声が上がる。


次の生徒。


『魔力量A。氷適性。術式展開速度優秀』


またざわめきが起きる。


カイルは隣で腕を組みながら、楽しそうに見ていた。


「すげえな。ああいうの見ると、王立学院って感じする」


「そうだな」


「リオンは何が出ると思う?」


「分からない」


「お前、そればっかりだな」


カイルが笑う。


俺は測定器を見つめた。


正直に言えば、少し嫌だった。


ああいうものは、俺を正しく測らない。

正しく測らないくせに、測った結果だけを残す。


境界監理局でもそうだった。


魔力波長異常。

適性不明。

分類保留。

再測定。

観察継続。


俺はいつも、誰かの書類の中でだけ名前を増やしていった。


「次」


教官の声が響く。


「リオン」


空気が、わずかに静まった。


俺は前へ出た。


測定器の前に立つと、魔法陣の光が薄く揺れた気がした。


「手を置け」


言われた通り、測定盤へ右手を置く。


冷たい。


その冷たさは、少しだけ大鎌の柄に似ていた。


何も起きなかった。


数秒。


十数秒。


教官が眉をひそめる。


周囲がざわつき始める。


その時だった。


測定器の内側に、黒い線が走った。


ひび割れではない。


光の線でもない。


世界そのものに、細い傷が入ったように見えた。


魔法陣が歪む。


青い光が、一瞬だけ黒く染まった。


「手を離せ!」


教官の声が飛ぶ。


俺は手を離した。


測定器は音もなく沈黙した。


誰も喋らなかった。


やがて、空中に文字が浮かんだ。


それは、他の生徒たちのような評価ではなかった。


魔力量でもない。

適性でもない。

階級でもない。


ただ、一行。


『該当項目なし』


測定場の空気が凍った。


別室の観測窓の向こうで、誰かが低く呟いた。


「……やはり、普通の能力者ではない」


俺は表示された文字を見上げていた。


該当項目なし。


それが褒め言葉ではないことだけは、すぐに分かった。


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