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歪みの果てに君を呼ぶ  作者: ネネルネ
第1章 白鎌の少年
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46話_待機の夜

夕食の食堂は、いつも通り騒がしかった。


測定の話。

今日の演習の話。

誰が誰に勝ったとか、どの班が仕上がっているとか、そんな声があちこちで飛んでいる。


その中に、資料室の話はほとんど混じっていなかった。


知らされていないのだろう。


戦闘科資料室で古い記録棚が開いていたこと。

クラウゼン家の寄贈記録の一部が空白になっていたこと。

E指定に関わる封鎖方法と監視記録が消えていた可能性。


それを知っている生徒は、たぶん多くない。


知らない生徒たちは、普通に食べ、普通に笑い、普通に測定の予想をしている。


それが少しだけ羨ましかった。


カイルは俺の前で、いつも通り皿に肉を多めに取っている。


「リオン、食ってるか」


「食べてる」


「考えながら食ってる顔だぞ」


「食べてる」


「ならよし」


アーヴェルが静かにスープを飲みながら言った。


「食事中くらいは思考を切り替えろ」


「お前も考えてるだろ」


「考えている」


「切り替えてない」


「私は食べる手を止めていない」


「それでいいのか?」


「最低限は」


エルナが小さく息を吐いた。


「二人とも、あまり難しい話を食事中にしない方がいいです」


「はい」


俺とアーヴェルは同時に答えた。


カイルが笑う。


「最近、エルナが一番強いな」


「強くはありません」


「いや、強い」


エルナは少しだけ困った顔をした。


けれど、何も言い返さなかった。


食事の途中で、何度か周囲の話が耳に入った。


「第一基礎班、今日勝ってたな」


「あの連携、思ったより普通に厄介だった」


「リオン、白鎌なしでも動けるんだな」


「カイルの止め方変わったよな」


「アーヴェルが指揮してた」


「エルナって未来視使ってなかったらしいぞ」


俺だけではなく、班全体の話になっている。


それは悪くなかった。


カイルも聞こえたらしく、少しだけ誇らしそうにしている。


「班で噂されるの、悪くないな」


「調子に乗るな」


アーヴェルがすぐに言う。


「乗ってない。ちょっと嬉しいだけ」


「ならいい」


「いいんだ」


アーヴェルは少しだけ視線を逸らした。


「……悪いことではない」


カイルがにやっとする。


「素直じゃん」


「食え」


「はい」


食事を終えると、俺たちは寮棟の共有室へ向かった。


グレン教官からの指示通り、夕食後は共有室で待機。

不要な外出は禁止。


廊下には監理局職員が立っている。


最近、その姿にも慣れてきてしまった。


慣れていいものではない気もする。


共有室には、低い机と古いソファがある。

壁には簡単な掲示板。

棚には生徒が置いていった本や盤上遊戯の道具がいくつか並んでいた。


カイルは入るなりソファに座った。


「待機って言われると、何すればいいか分からないな」


「訓練記録を書けばいい」


アーヴェルが即答する。


「そういう真面目な答えを求めてない」


「では、何を求めている」


「何もしなくていい理由」


「ない」


「厳しい」


エルナは机の上に手帳を置いた。


「測定の班連携について、今日の反省をまとめましょう」


「エルナまで」


「待機中にできることです」


「はい」


カイルは観念したように姿勢を直した。


俺も机の前に座る。


アーヴェルはいつものように立ったまま書こうとして、エルナに椅子を勧められた。


「座った方が書きやすいです」


「……そうだな」


少し迷ってから座った。


それだけで、カイルが少し笑いそうになる。


「何だ」


アーヴェルが睨む。


「いや、座ったなって」


「座るだろう」


「立ったまま反省文書きそうだったから」


「書けなくはない」


「書けるんだ……」


共有室の空気は、少しだけ落ち着いていた。


外では何かが動いている。

資料室では大人たちが調べている。

灰衣はどこかで次の準備をしているかもしれない。


それでも、今ここには四人がいる。


机を囲んで、今日の訓練の反省を書く。


日常と異常の間に、細い板を渡しているような時間だった。


「今日の一戦目はよかった」


アーヴェルが紙に書きながら言う。


「カイルが中央を止め、リオンが右の通路を塞ぎ、私が槍役を止めた。エルナは火弾と足止めの両方に対応できていた」


「言葉にするとちゃんとしてるな」


カイルが感心したように言う。


「実際にちゃんとしていた」


「じゃあ俺もちゃんとしてた?」


「一戦目は」


「二戦目は?」


「追いすぎた」


「ですよね」


カイルは素直に頷いた。


「俺、相手が速いと追いたくなるんだよな」


「それで陣形が崩れます」


エルナが言う。


「はい」


「でも、止める力は強いです。追うより、相手が来る場所に立ってくれる方が助かります」


カイルは少しだけ照れたように頭をかいた。


「そう言われると、頑張る」


アーヴェルが続ける。


「リオンは、三戦目で干渉を使いかけた」


「うん」


「止まれたのは良かった。ただし、止まった後の代替行動が遅い」


「代替行動」


「使えないなら何をするか。そこまで決めておくべきだ」


確かに。


偏軌(スキュー)を使わない。

それは決めていた。


だが、使わないと決めた瞬間、少し空白ができた。


その空白を、普通の動きで埋める必要がある。


「次は、干渉を使いそうになったら、まず長柄を置く」


俺は言った。


「相手の攻撃を直接ずらすんじゃなくて、通路を塞ぐ」


「それがいい」


アーヴェルが頷く。


「白鎌でも同じことができるはずだ。斬らずに置く。通さない」


白鎌を置く。


刃を振るのではなく、道を塞ぐ。


それは少ししっくりきた。


「エルナはどうだった?」


カイルが聞く。


エルナは手帳を見る。


「未来視を使わない時間が長いと、少し不安になります」


「見た方が安心?」


「はい。でも、見れば疲れますし、見たものに引っ張られることもあります」


リオンと同じです、と言いかけたように見えた。


だが、彼女は言葉を変えた。


「なので、私は見る条件を決めたいです」


「条件?」


「誰かが死角を取られた時。防護が間に合わない時。あるいは、アーヴェルの指示が途切れた時」


アーヴェルが頷く。


「私が指示できない状況は必ずある。そこを補えるなら助かる」


「はい」


「俺は?」


カイルが聞く。


「カイルは、危ない時ほど声が大きくなるので分かりやすいです」


「褒めてる?」


「はい」


「本当に?」


「はい」


カイルは少し嬉しそうだった。


「リオンは声が小さくなる時があります」


エルナが言う。


「そうか」


「はい。何かを見すぎている時、声が短くなります」


「……気をつける」


「こちらも、そういう時は戻れと言います」


戻れ。


その合図が、少しずつ班の中に根づいていく。


俺が追いすぎた時。

触れそうになった時。

一人で先へ行きそうになった時。


戻れ。


その言葉で、一度止まる。


「もし」


カイルが急に言った。


「俺らが遠くにいたら、どうなるんだろうな」


「遠く?」


俺が聞く。


「いや、今は一緒にいるだろ。でも測定とか事件とかで、別々の場所にいる時もあるかもしれないじゃん」


「ありえる」


「その時、リオンって俺らの危険とか分かるのかなって」


俺は少し黙った。


遠くの仲間。


今の俺には、見えない。


視界の外。

距離のある場所。

遮蔽物の向こう。


意志線や殺意線の端が一瞬見えることはある。

だが、それは近い場所か、こちらへ向かうものに限られる。


「今は無理だと思う」


俺は言った。


「でも、名前が錨になるなら」


エルナが静かに言った。


「いつか、呼び合うことで分かるようになる可能性はあります」


「名前で?」


カイルが聞く。


「はい。灰衣が名前を使って干渉するなら、逆に私たちも名前を錨として繋がれるかもしれません」


アーヴェルが少し考える。


「危険だな」


「はい。だから今すぐ試すことではありません」


エルナは俺を見る。


「リオンが遠くへ伸ばそうとすれば、逆に向こうからも辿られるかもしれません」


それは分かる。


線は便利だ。

だが、線は道でもある。


こちらが辿れば、向こうも辿れる。


「今はやらない」


俺は言った。


「でも、覚えておく」


カイルが笑った。


「いつか、遠くからでも助けてくれたらありがたいな」


「その時は、先に危なくならないようにしてくれ」


「それは無理かも」


「無理なのか」


「俺だし」


「自覚があるのはいいことだ」


アーヴェルが言う。


「でも、危険に飛び込む前提で話すな」


カイルは肩をすくめた。


「まあ、いつかの話だよ」


いつか。


その言葉は、少しだけ遠くに置かれた。


今はまだ届かない。


けれど、いつか。


仲間の名前を錨にして、遠くの危険を知る。

攻撃そのものに触れず、届く前に少しだけ外す。


そんなことができるようになるのかもしれない。


今はまだ、想像にすぎない。


けれど、胸の奥で白い大鎌がほんの少しだけ静かに揺れた。


まるで、否定はしていないように。


その時、共有室の扉が軽く叩かれた。


全員の動きが止まる。


扉の外にいたのは、監理局職員だった。


「グレン教官から伝言です」


カイルが小さく呟く。


「また嫌な予感」


職員は表情を変えずに言った。


「戦闘科資料室の確認が終わりました。第一基礎班は、このまま共有室で待機。外出禁止は継続。追加で、明日の午前授業は通常通り参加。午後の実技は予定変更です」


「予定変更?」


アーヴェルが聞く。


「明日午後、第一基礎班のみ、隔離演習場で特別確認を行います」


「特別確認」


俺は繰り返す。


職員は頷いた。


「詳細は明日、グレン教官から説明があります」


「資料室で何が分かったんですか」


アーヴェルの声が少し硬くなる。


職員は少しだけ間を置いた。


「私から伝えられる範囲では、空白になった記録は三つです」


三つ。


また、その数字。


「一つ目は、封鎖対象名」


職員が続ける。


「二つ目は、封鎖方法」


「三つ目は?」


俺が聞く。


職員の表情が、ほんの少しだけ曇った。


「封鎖を破った場合の、初動対応です」


初動対応。


つまり、開いた時に最初に何をすべきか。


それが消えている。


アーヴェルが低く言う。


「開いた後、最初の一手を奪われた」


職員は答えなかった。


だが、沈黙が答えだった。


「グレン教官からは、今夜は休むようにとのことです」


カイルが苦い顔をする。


「休めって言われてもな」


「命令です」


「はい」


職員は一礼して去った。


扉が閉まる。


共有室に沈黙が落ちる。


三つの空白。


封鎖対象名。

封鎖方法。

初動対応。


開くものの名前を消し、閉じ方を消し、開いた時の最初の対処を消す。


灰衣は、準備をしている。


それも、かなり丁寧に。


「第三の灯だけじゃないな」


カイルが言った。


「うん」


「何か、もっと大きい」


誰も否定しなかった。


エルナが手帳を閉じる。


「明日の特別確認は、きっとそれに関係します」


「隔離演習場か」


アーヴェルが言う。


「通常の実技ではないな」


「また灰色のやつ?」


カイルが嫌そうに言う。


「分からない」


俺は答えた。


でも、胸の奥の大鎌が静かに重くなっている。


灰衣だけではない。


記録から消された何か。


名前を消された封鎖対象。


閉じ方を奪われたもの。


開いた時の対処を消されたもの。


それは、たぶんまだ扉の向こうにいる。


旧礼拝室の奥。


あるいは、そこに繋がるもっと古い場所。


「今日は寝るべきですね」


エルナが言った。


「眠れるかな」


カイルが呟く。


「眠らないと、明日動けません」


「分かってる」


「飯は食べました。次は寝る番です」


その言い方に、少しだけ笑いそうになった。


親父と同じだ。


飯を食え。

寝ろ。


結局、そこに戻る。


俺たちは反省の紙を片づけた。


カイルは大剣を担ぎ、アーヴェルは手帳を閉じ、エルナは防護符を確認する。


共有室を出る前、俺は窓の外を見た。


夜の学院。


魔力灯の淡い光。

遠くの塔。

封鎖された創世廊へ続く暗い通路。


何も見えない。


だが、何もないわけではない。


遠くへ伸ばすな。


そう自分に言い聞かせる。


今はまだ、届かない。


届かせてはいけない。


俺は自分の名前を書いた護符に触れた。


リオン。


ここにいるための名前。


いつか遠くへ届くとしても、まずはここに立っていなければならない。


明日の特別確認。


それが何を確かめるものなのか。


答えは、まだ見えなかった。


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