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歪みの果てに君を呼ぶ  作者: ネネルネ
第1章 白鎌の少年
43/89

43話_消えた記録

翌日の朝、学院は月例実技測定に向けてさらに騒がしくなっていた。


戦闘科の生徒たちは、朝食の席でも組み合わせの予想をしている。

上級生たちは余裕そうに見えるが、武器の手入れをする手はいつもより丁寧だった。

一年生は落ち着かない。


カイルは食堂でパンを二つ皿に乗せながら言った。


「測定まで四日か」


「昨日は五日だった」


アーヴェルが言う。


「一日減ったな」


「当たり前だろ」


「何でちょっと嫌そうなんだ」


「いや、楽しみではあるんだけどさ。こう、近づくと腹が減る」


「それは測定と関係あるのか」


「ある」


「ないだろう」


エルナはスープを受け取りながら、少しだけ笑った。


俺は黙って席に着く。


昨日の作戦会議で決めた基本形を、頭の中で思い返していた。


カイルが止める。

アーヴェルが指揮して刺す。

エルナが危険な未来を潰す。

俺が間合いを制限する。


線だけではない。


位置取り。

呼吸。

押し引き。

誰がどこに立つか。


そういうものを考えるのは、思っていたより難しい。

けれど、嫌ではなかった。


むしろ、少し落ち着く。


異常を追うより、戦い方を組み立てる方がずっと分かりやすい。


食事を終える頃、食堂の入口にエイムが現れた。


灰色の外套。

眼鏡。

記録板。


相変わらず、食堂の中でも浮いている。


カイルがパンを飲み込みながら言った。


「エイムさん、朝から記録ですか?」


「今日は伝言です」


「嫌な予感がするな」


「嫌な内容とは限りません」


「じゃあ良い内容ですか?」


「良い内容とも限りません」


「一番嫌な返しだ」


エイムは俺たちの席の横に立った。


「第一基礎班は、午前の二限終了後、図書塔の小閲覧室へ来るようにとのことです」


「図書塔?」


俺が聞く。


「はい。ミレイア講師とリュカ司書が呼んでいます。グレン教官も同席予定です」


アーヴェルの表情が少し硬くなる。


「創世廊の記録棚の件か」


「おそらく」


「おそらく、ということは詳細は知らされていない?」


「私は伝言係です」


カイルが目を細める。


「珍しいですね。エイムさんが知らないって」


「知らされていない情報もあります」


「記録したくならないんですか?」


「なります」


「正直」


エイムは記録板を閉じた。


「ただし、今回は先に現物を確認した方が早いとのことです」


現物。


その言葉で、食事の空気が少しだけ変わった。


灰衣の祈祷痕が消えた場所。

創世廊の封鎖区画外側。

記録棚付近。


そこに何があったのか。


消えたものは何か。


「分かりました」


俺が答えると、エイムは頷いた。


「午前の授業は通常通り受けてください。単独行動は禁止継続です」


「それ、もう挨拶みたいになってきたな」


カイルが言う。


「必要な確認です」


「ですよね」


エイムは去っていった。


その背中を見送りながら、カイルは少しだけ息を吐いた。


「測定準備だけしてりゃいいってわけにはいかないか」


「もともと、そういう状況ではない」


アーヴェルが言う。


「でも、今は大人側が追ってるんだろ」


「その大人側が呼んでいる」


「それはそう」


エルナは静かに言った。


「私たちが直接動くというより、確認してほしいものがあるのかもしれません」


「リオンの目か」


カイルが俺を見る。


「可能性がある」


「よし」


カイルが頷く。


最近、「たぶん禁止」が増えている。


午前の授業は、普通に進んだ。


普通に、と言っても、教室の外には監理局職員が立っている。

創世廊方面へ続く廊下は封鎖されたまま。

窓の外を巡回する教員の姿も見える。


それでも、授業は授業だった。


魔力制御の講義では、魔力を一点に集めすぎる危険性について説明された。

戦闘理論では、前衛と後衛の距離管理について扱った。

月例測定が近いからか、講師たちも実戦を意識した話が多い。


俺はノートを取った。


字は相変わらず少し曲がっている。


だが、前より丁寧に書こうとはしている。


隣のカイルは、今回は皿の絵ではなく、ちゃんと陣形らしきものを描いていた。


「それ、昨日の基本形か」


小声で聞く。


「そう。カイルが止める、アーヴェルが刺す、リオンが通せんぼ、エルナが怒る」


「最後が違う」


「危ない時は怒るだろ」


「……否定しにくい」


前の席のエルナが振り返った。


「聞こえています」


カイルはすぐに背筋を伸ばした。


「すみません」


「怒ってはいません」


「その言い方が少し怖い」


アーヴェルがため息をついた。


「授業中だ」


「はい」


普通の注意。


普通の小声。


少しだけ、昨日までの重さが遠ざかる。


だが、二限が終わると、その感覚はすぐに薄れた。


図書塔へ向かう道は、相変わらず静かだった。


塔の入口には、いつものように古い紙と木の匂いがする。

石造りの壁は冷たく、外の騒がしさがここだけ遠い。


リュカは入口ではなく、三階の小閲覧室にいた。


長い机の上には、いくつかの古い箱と、封印布に包まれた冊子が置かれている。


ミレイア講師もいた。

グレン教官も壁際に立っている。


「来たね」


リュカが眠そうな顔で言った。


「座って」


カイルが小声で言う。


「この部屋、絶対ただの閲覧室じゃないだろ」


「ただの閲覧室だよ」


リュカが答える。


「本を読むための部屋」


「危ない本も?」


「読む人次第」


「やっぱ怖い」


俺たちは席に着いた。


ミレイア講師は、封印布に包まれた冊子へ手を置く。


「昨日、創世廊の封鎖区画外側で、灰衣系祈祷痕の一部が不自然に消えていることが分かりました」


エルナが静かに頷く。


「エイムさんから聞きました」


「消えた場所は、壁画そのものではありません。保管備品の記録棚です」


「そこには何が保管されていたのですか」


アーヴェルが聞く。


ミレイア講師は封印布を解いた。


中から出てきたのは、古い目録だった。


表紙は擦り切れている。

文字は薄い。

だが、丁寧に補修されていた。


「学院創設初期の、創世廊および旧礼拝室関連備品目録です」


「旧礼拝室関連の備品?」


カイルが顔をしかめる。


「そんなもの、まだ残してるんですか」


「残すこと自体が封印になる場合もあります」


ミレイア講師は答えた。


「危険なものほど、捨てればいいとは限りません。記録し、場所を定め、名を与え、管理する。それも封じる方法の一つです」


名前を与える。


管理する。


それは、ここ最近ずっと聞いてきた言葉に近い。


「で、何が消えていたんですか」


カイルが聞く。


リュカが目録を開いた。


「この頁」


古い紙の上には、備品名が並んでいた。


礼拝台片。

黒石の燭台。

翼紋の扉金具。

破損した鐘。

灰衣礼拝布断片。


そこで文字が途切れている。


いや、違う。


途切れているのではない。


()()()()()()


灰衣礼拝布断片、の横。


保管数。

保管位置。

封印状態。


その欄だけが、白く抜けていた。


インクが薄れたのではない。

紙が削られたのでもない。


そこだけ、最初から何も書かれていなかったように空白になっている。


「これが、昨日までは残っていたのですか」


エルナが聞く。


「ええ」


ミレイア講師は頷いた。


「治癒棟でミリア・セインを救出した後、灰札と古い礼拝布の関係を確認するために、この目録を一度読みました。その時点では、保管数と位置が読めました」


「内容は?」


アーヴェルが問う。


「灰衣礼拝布断片、三枚。保管位置、創世廊外側記録棚二段目、封印箱乙。封印状態、未燃焼布片、一部祈祷痕あり」


「三枚」


俺は呟いた。


灯は三つ。


灰衣礼拝布断片も三枚。


偶然かもしれない。


だが、今は偶然に見えない。


カイルも同じことを思ったらしい。


「三って、嫌な数字ですね」


「同感です」


エルナが静かに言う。


グレン教官が俺を見る。


「リオン。見ろ。ただし、目録には触れるな」


「はい」


俺は目録を見る。


古い紙の線。

インクの跡。

補修の魔力。


その中に、白い空白がある。


何もないのではない。


何かが抜かれている。


紙の上から文字が消されたというより、記録からその部分だけを持ち去られたような空白。


「文字が消された感じじゃないです」


俺は言った。


「記録が抜かれています」


「記録が抜かれている?」


カイルが聞く。


「紙の上だけじゃなくて、保管されていた場所と繋がっていた線が切れてる」


リュカが少しだけ目を開いた。


「保管位置との接続がない?」


「はい。目録は本来、保管箱と繋がるような線があるはずです。でも、ここだけ切れてます」


ミレイア講師の表情が険しくなる。


「やはり、現物そのものが持ち去られた可能性がありますね」


「現物?」


「灰衣礼拝布断片です」


部屋の空気が冷えた。


灰札、灰糸、灰針。

それらは古い礼拝布の灰から作られている。


もし未燃焼の布片がまだ残っていて、それが持ち去られたのなら。


「灰を作れる?」


カイルが言った。


リュカが頷く。


「作れる。たぶん、今までの灰より濃い」


「濃いって嫌ですね」


「嫌だよ」


リュカはいつもの眠そうな顔で、はっきり言った。


「未燃焼布片は、灰よりずっと祈りを覚えてる。燃やせば札にも糸にも針にもなる。燃やさず使えば、もっと別のものにもなる」


「別のもの」


エルナの声が少し低くなる。


「たとえば、人に巻く。扉に貼る。名前に縫う」


リュカは淡々と言った。


「灯にも使えるかもしれない」


沈黙。


第三の灯。


その言葉は出なかったが、全員が思ったはずだ。


ミレイア講師が目録を閉じる。


「昨日消えた祈祷痕は、単なる証拠隠滅ではありません。記録棚に残っていた封印の繋がりを切り、保管箱の所在を隠すためだった可能性があります」


アーヴェルが言う。


「つまり、誰かが灰衣礼拝布の断片を持ち去った」


「可能性が高い」


「学院内の協力者が?」


グレン教官が答えた。


「内部の人間、あるいは内部に入れる何かだ」


「また曖昧ですね」


カイルが言う。


「断定できる段階ではない」


グレン教官の声は硬い。


「だが、警戒対象は増えた」


俺は目録の空白を見ていた。


白い空白。


そこに、ほんの少しだけ灰色が残っている。


しかし、今までの灰色とは違う。


線というより、布の繊維のように細かい。


「まだ、少し残ってます」


俺が言うと、全員がこちらを見る。


「灰色です。でも、糸じゃない。布の目みたいなものが」


リュカがすぐに箱から薄い透明板を取り出した。


「写せる?」


「分かりません」


「見るだけでいい」


俺は空白に残る灰色の繊維を見る。


それはどこかへ伸びている。


だが、細すぎる。


追おうとすると、すぐにほどける。


追うな。


俺は息を吐いた。


「場所までは分かりません。でも、方向は少し」


グレン教官が言う。


「言え」


「創世廊じゃありません。治癒棟でもない。もっと乾いた場所です」


「乾いた場所?」


「紙の匂いがする。古い棚。たぶん、記録か本がある場所」


リュカの目が細くなる。


「図書塔?」


「近い。でも、こことは違う気がします」


ミレイア講師が考え込む。


「学院内で、古い記録を保管する場所は図書塔だけではありません。中央棟の記録室、王立文書室の写し庫、戦闘科の災害記録庫……」


アーヴェルが言った。


「クラウゼン家の寄贈記録棚もある」


「それはどこに?」


「戦闘科資料室です。古い災害対応記録の写しがある」


E指定の記録。


クラウゼン家。


旧災害。


その言葉が繋がる。


カイルが嫌そうな顔をした。


「測定前に、また資料室ですか」


「行くのは大人だ」


グレン教官がすぐに言った。


「お前たちは行かせない」


「でも、リオンが見えるなら」


「見えるから行く、を繰り返すな」


グレンの声が少し強くなる。


俺は頷いた。


「行きません」


即答した。


カイルが少し驚いた顔をする。


「早いな」


「学んだ」


「いいことだ」


グレン教官も頷いた。


「それでいい」


リュカは透明板を目録の上にかざした。


灰色の繊維の痕跡が、薄く板へ写る。


「これで少し追える」


「危険は?」


エルナが聞く。


「ある。でも、私が見る分にはリオンより安全」


「なぜですか」


「私は鍵穴を開けないから」


リュカはそう言った。


「リオンは、見つけると開けそうになる」


否定できなかった。


ミレイア講師は封印布で目録を包み直した。


「この件は、グレン教官、リュカ、私、監理局で追います。あなたたちは測定準備を続けてください」


「またそれか」


カイルが呟いた。


「不満ですか」


ミレイア講師が聞く。


「不満っていうか……気になるじゃないですか」


「気になることと、追うべきことは違います」


「分かってます」


カイルは少しだけ口を尖らせた。


でも、反論はしなかった。


エルナも静かに頷く。


「私たちは、測定準備を続けます」


アーヴェルも言う。


「ただし、戦闘科資料室に関わるなら、クラウゼン家の記録に関する情報は提供できます」


ミレイア講師は頷いた。


「必要になれば頼みます。今は不用意に接触しないでください」


「承知しました」


俺はもう一度、封印布に包まれた目録を見た。


空白。


三枚の礼拝布断片。


第三の灯。


全部が繋がっているかは、まだ分からない。


だが、何かが準備されている。


こちらが測定へ向かっている間に、向こうも何かを進めている。


部屋を出る前、リュカが俺に言った。


「リオン」


「はい」


「見えた方向、忘れないで。でも追わないで」


「分かりました」


「忘れないことと、追うことは別」


その言い方は、親父の言葉に少し似ていた。


振った理由だけは忘れるな。

でも、何でも振ればいいわけではない。


「はい」


俺たちは図書塔を出た。


外の廊下は、昼休み前のざわめきに満ちていた。


測定の話をする生徒。

昼食へ急ぐ生徒。

訓練場の予約を取りに走る生徒。


学院は動いている。


その下で、灰衣の礼拝布が消えている。


カイルが歩きながら言った。


「何かさ」


「何」


「敵も準備してるって感じ、嫌だな」


「うん」


「でも、こっちも準備してるんだよな」


アーヴェルが言う。


「そうだ。だから、止まる理由にはならない」


エルナも頷いた。


「測定準備を続けましょう」


俺は廊下の先を見た。


戦闘科資料室のある方向。


そこへ細い線は見えない。


今は。


見えないなら、追わない。


俺たちが行く場所は、午後の演習場だ。


月例測定まで四日。


灰衣は何かを隠し、何かを運び、何かを準備している。


こちらは、四人の戦い方を磨く。


どちらが先に形になるか。


それは、まだ分からない。


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