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歪みの果てに君を呼ぶ  作者: ネネルネ
第1章 白鎌の少年
39/88

39話_使われた木槍

午後の通常授業は、思っていたより普通に進んだ。


魔法基礎理論。

一般史。

戦闘科の座学。


戦闘演習はなし。


それだけで、少し変な感じがした。


昨日までが濃すぎたせいで、黒板に向かって講師の説明を聞く時間が、どこか遠いもののように思える。


けれど、眠くはならなかった。


眠れるほど、まだ気は抜けていない。


灰衣のこと。

旧礼拝室のこと。

片翼の欠け目。


それらは一時的に沈静化しただけだ。


消えたわけではない。


それでも、窓の外では普通に生徒が歩いている。

廊下では誰かが笑っている。

食堂の献立を気にしている声もある。


学院は動いている。


異常があっても、日常は止まらない。


止めてはいけないのだと思う。


午後最後の授業が終わると、第一基礎班は小訓練室へ向かう予定だった。


今日の最後は、軽い合図訓練。


十二刻。

高さ。

距離。

対象分類。


昨日から始めた、見えない線を班で共有するための訓練だ。


カイルは廊下で大きく伸びをした。


「いやー、座学って逆に疲れるな」


「お前は座っているだけで疲れるのか」


アーヴェルが言う。


「じっとしてるのが疲れるんだよ」


「落ち着きがないだけだ」


「言い方」


エルナは教本を胸に抱えながら、小さく笑っていた。


彼女の顔色は朝より良い。


護符は制服の内側に入れているらしい。


俺も同じように、親父の手紙と護符を内ポケットに入れている。


それだけで、少し落ち着く。


廊下を進むと、途中で数人の生徒がこちらを見る。


もう慣れた、とは言えない。


だが、朝よりはましだった。


「リオン、また見られてるぞ」


カイルが小声で言う。


「言うな」


「いや、さっきの魔法科の子たち、完全に見てた」


「言うな」


「白鎌の美少年、午後も健在」


「黙れ」


エルナが少しだけ視線を逸らした。


笑いを堪えているのかもしれない。


アーヴェルは淡々と言う。


「噂はしばらく続くだろう。諦めろ」


「諦めたくない」


「無理だな」


「即答するな」


そう言いながら角を曲がった時だった。


廊下の先に、大柄な生徒が立っていた。


戦闘科の制服。

短く刈った髪。

木槍を背負っている。


バルドだった。


以前、授業前に俺へ絡んできた二年の上級生。


その時は、大鎌なしで木槍を捌いた。


最後に膝をつかせた。


そのあと、バルドの木槍からは魔導傀儡と似た術式痕が見つかった。


つまり、利用されていた可能性が高い。


バルドはこちらを見ると、少しだけ顔をしかめた。


以前のような挑発的な顔ではない。


気まずそうな顔だった。


カイルが俺の前に半歩出る。


「何か用ですか、バルド先輩」


声は軽い。


だが、警戒している。


アーヴェルも黙って細剣の柄へ指を近づけた。


エルナは俺の隣に立つ。


バルドはそれを見て、さらに居心地悪そうにした。


「……今日は、喧嘩を売りに来たわけじゃねえ」


「なら何です」


アーヴェルが聞く。


バルドは少し黙ったあと、俺を見た。


「謝りに来た」


廊下の空気が、少し止まった。


カイルが目を丸くする。


「謝りに?」


「悪かった」


バルドは短く言った。


「この前のことだ。授業前に絡んで、木槍を向けた。あれは俺が悪い」


俺は少し返答に迷った。


怒っていない、と言えば嘘になる。


面倒だったし、危なかった。

ただ、あの時から今までで、もっと面倒で危ないことが起きすぎた。


正直、バルドの件だけを強く覚えている余裕がなかった。


「分かりました」


俺が言うと、バルドは顔をしかめた。


「それだけか」


「はい」


「いや、もっと何かあるだろ」


「何か」


「怒るとか、文句言うとか」


「今は別に」


カイルが横から小声で言う。


「リオン、そこはもうちょっと受け取り方あるだろ」


「受け取り方」


「謝罪されたら、まあ……分かった、とか、次はやめてください、とか」


「次はやめてください」


「そのまま言うな」


バルドが少しだけ噴き出しかけ、慌てて表情を戻した。


「……変なやつだな、お前」


「よく言われます」


「それで済ませるのかよ」


以前なら、そこに苛立ちが混じっていただろう。


でも今のバルドの声には、少し違うものがあった。


気まずさ。

戸惑い。

そして、焦り。


エルナが静かに聞いた。


「何か、他にも用があるのではありませんか」


バルドは彼女を見た。


少し迷ってから、背負っていた木槍を下ろす。


「これだ」


カイルがすぐ警戒する。


「木槍?」


「訓練用の新しいやつだ。前のは学院に押収された」


バルドは木槍を床へ置いた。


「昨日から、握ると変な感じがする」


「変な感じ」


俺は木槍を見る。


一見、普通の訓練用木槍だ。


よく磨かれていて、穂先は丸めてある。


魔力反応も薄い。


だが、柄の中央。


バルドの手が触れるあたりに、細い灰色の線があった。


強くはない。


灰糸でも、灰札でもない。


もっと薄い。


擦り傷のような()()


だが、その線は木槍からではなく、バルドの手元へ繋がっている。


「灰色があります」


俺が言うと、バルドの顔が強張った。


「やっぱりか」


「先輩にも見えるんですか」


「見えねえ」


バルドは首を振る。


「でも、握ると変な言葉が頭に浮かぶ」


「言葉?」


「振れ、とかじゃない。もっと嫌な感じだ」


彼は苦い顔で言った。


()()()()を折れ、とか。()()を試せ、とか。そんな感じの」


アーヴェルの表情が硬くなる。


「正しき刃」


昨日、灰影が彼をそう呼んだ。


バルドはそのことを知らないはずだ。


カイルが低く言う。


「まだ残ってたのか」


エルナが一歩下がる。


「リオン、触らないでください」


「触らない」


俺は即答した。


自分でも早かったと思う。


バルドが少し驚いた顔をした。


「お前、ちゃんと止まるんだな」


「練習中です」


「練習中って何だ」


カイルが真面目な顔で言う。


「触らない練習です」


「何だそれ」


「必要なんです」


「そうか……」


バルドは納得していない顔だったが、今はそれどころではない。


アーヴェルが周囲を見る。


「ここではまずい。小訓練室へ移動するべきだ」


「グレン教官へ報告を」


エルナが言う。


「僕が呼ぶ」


近くにいた監理局職員が、すでに通信術式を起動していた。


最近、大人たちの反応が早い。


ありがたい。


数分後、俺たちは小訓練室へ移動した。


グレン教官とエイムもすぐに来た。


ユーディア先生はいない。


かわりに、訓練室の入口には監理局職員が二人立っている。


新しい人ではあるが、名前は聞かなかった。


今はそこまで増やさなくていい。


グレン教官は木槍を見て、すぐにバルドへ言った。


「いつからだ」


「昨日の夜です。寮で握った時に、違和感がありました」


「報告が遅い」


「……すみません」


「だが、来たのはいい判断だ」


バルドは少しだけ目を伏せた。


叱られると思っていたのかもしれない。


グレン教官は俺を見る。


「リオン。見えるものだけ言え。触れるな」


「はい」


「合図形式で報告しろ」


昨日決めた形式。


十二刻。

高さ。

距離。

対象。


俺は木槍から少し距離を取る。


木槍は訓練室の中央、十二刻の円の上に置かれている。


俺たちは円の外側に立つ。


バルドも少し離された。


「六刻、床、近、残滓線。木槍からバルド先輩の右手へ」


エイムが記録する。


「残滓線、対象者の右手へ接続」


「他には」


グレン教官が聞く。


「十二刻、胸、中、役割線。薄いです。アーヴェルの方へ向こうとしている」


アーヴェルの目が細くなる。


「私へ?」


「はい。正しき刃、という言葉に近い線です」


「なるほど。不愉快だ」


カイルが大剣を構える。


「俺は?」


「今は来てない」


「来てなくても警戒する」


「うん」


バルドが拳を握る。


「俺は、また利用されてんのか」


誰もすぐには答えなかった。


軽く言えることではない。


グレン教官が代わりに言う。


「利用されかけている。まだ確定していない。ここで処理する」


「……お願いします」


バルドは悔しそうに言った。


以前の彼なら、そんなふうに頭を下げなかったかもしれない。


少しだけ、印象が変わった。


エイムが木槍の周囲に観測術式を展開する。


「残滓は前回の木槍に付着していた術式痕と波形が似ています。ただし、今回は物体に付いたというより、使用者の認識に貼りついています」


「つまり?」


カイルが聞く。


「バルド先輩の『木槍を持つ自分』という認識に、灰衣側が役割を重ねようとしている可能性があります」


「また役割かよ」


カイルが嫌そうに言う。


「役割、便利すぎだろ」


「便利だから危険なのです」


エイムは淡々と答えた。


木槍の灰色が、わずかに濃くなった。


バルドが近くにいるからかもしれない。


灰色の線が、彼の右手を探すように揺れる。


「動きます」


俺が言った瞬間、木槍が床の上で跳ねた。


誰も触れていない。


なのに、柄が持ち上がる。


まるで見えない手が握ったように。


「下がれ」


グレン教官が言う。


木槍が回転し、穂先をこちらへ向けた。


狙いは俺ではない。


アーヴェルだ。


「アーヴェルへ来ます。十二刻、胸、中、槍。役割線付き」


「見えた」


アーヴェルが細剣を抜く。


木槍が飛ぶ。


普通の物理攻撃ではない。


槍の軌道に灰色の役割線が重なっている。


受ければ、アーヴェルの正しい剣筋へ絡む。


昨日の灰影と同じだ。


「受けるな。右へ流して」


俺が言うより早く、アーヴェルは半歩ずれていた。


細剣の峰で木槍の側面を払う。


正面から受けない。


軌道を外す。


木槍は壁へ向かって飛ぶ。


だが、壁に当たる直前で灰色の線が伸び、再び向きを変えた。


今度はバルドへ。


「六刻、胸、中、槍。バルド先輩へ戻ります」


バルドが反射的に手を伸ばしかけた。


「触るな!」


俺とグレン教官の声が重なった。


バルドの手が止まる。


木槍は彼の手元へ戻ろうとする。


カイルが間に入った。


大剣の腹で木槍を叩く。


「戻すな!」


乾いた音。


木槍が床へ落ちる。


だが、灰色の線はまだバルドの右手へ伸びている。


「カイル、柄を押さえて。アーヴェル、先端側。エルナ、バルド先輩の右手に防護」


「了解!」


「承知」


「はい」


三人が同時に動いた。


カイルが大剣の腹で木槍の柄を床へ押さえつける。

アーヴェルが穂先の側に細剣を置き、向きを封じる。

エルナがバルドの右手へ白い防護術式をかける。


バルドが驚く。


「俺に?」


「手を守ります」


エルナは短く言った。


「動かさないでください」


「分かった」


灰色の線が、白い防護に触れて弾かれる。


だが、完全には切れない。


木槍とバルドの間に、まだ細い接続がある。


「リオン」


グレン教官が言う。


「外せるか」


俺は見る。


木槍本体の灰色。

バルドの右手へ向かう残滓線。

アーヴェルへ向かっていた役割線の残り。

カイルの大剣が押さえている物理の軌道線。

エルナの防護線。


見えるものは多い。


でも、昨日ほど混乱しない。


分類する。


必要な線だけを見る。


外すべきは、木槍とバルドの間の残滓線。


役割を戻す線。


「外します。木槍じゃなくて、バルド先輩の手の手前」


「反動は」


エイムが聞く。


「少ないと思います。まだ完全に繋がっていない」


「了解」


グレン教官が頷く。


「許可する。大鎌は呼ぶな」


「呼びません」


俺は息を吐く。


バルドの右手へ伸びる灰色の線を見る。


それは、彼の手そのものに絡んでいるわけではない。


木槍を握った記憶。

俺に絡んだ時の感情。

負けた悔しさ。

利用された怒り。


そういうものの表面をなぞっている。


灰衣はそこへ役割を重ねようとしている。


白鎌を試す者。

正しき刃を折る者。

上級生として下級生を測る者。


勝手に意味を与える。


まただ。


「バルド先輩」


俺は言った。


「何だ」


「これは先輩の槍じゃないです」


バルドの顔が歪む。


「ああ」


「先輩が振る理由でもない」


「……ああ」


「なら、外します」


「頼む」


その声は、以前の彼からは想像しにくいくらい素直だった。


俺は灰色の線を見る。


木槍から右手へ。


繋がる前。


その手前。


偏軌(スキュー)


灰色の線が、ふっと横へ逸れた。


木槍が震える。


バルドの右手が一瞬だけ跳ねた。


エルナの防護術式が、すぐに白く光る。


「反動、軽微」


エイムが記録する。


「接続、外れます」


灰色の線が行き場を失い、木槍の柄へ戻ろうとする。


「カイル、押さえたまま」


「おう!」


「アーヴェル、穂先の線、左へ流して」


「任せろ」


アーヴェルの細剣が動く。


木槍の先端に残った役割線が外れる。


灰色が一か所へ集まった。


木槍の中央。


そこに、小さな灰札のような形が浮かぶ。


「札になります」


俺は言った。


「回収」


グレン教官が剣を抜く。


だが、斬らない。


剣先で灰札の周囲を囲むように動かし、形を固定する。


エイムが金属杖を向ける。


透明な観測術式が重なる。


「封印可能です」


「やれ」


エイムの杖が光る。


灰札は小さな結晶のような封印片に包まれた。


木槍から灰色が消える。


訓練室の空気が少し軽くなった。


カイルが大剣を下ろす。


「終わった?」


エイムが確認する。


「木槍への残滓反応、消失。バルド先輩の右手への接続もありません」


エルナがバルドの手を見て、頷いた。


「防護術式にも異常はありません」


バルドは自分の右手を見ていた。


何度か握って、開く。


「……軽い」


そう呟いた。


「ずっと、握ってないのに握らされてるみたいだった」


それは、少し分かる気がした。


持っていないのに、持たされている。


選んでいないのに、役割を押しつけられる。


「もう大丈夫だと思います」


俺が言うと、バルドは顔を上げた。


「ああ」


少し黙る。


それから、深く頭を下げた。


「助かった」


廊下での謝罪より、今度の方が自然に聞こえた。


俺は少し困った。


「別に」


カイルがすぐ横から言う。


「リオン、そこは『どういたしまして』とかだ」


「どういたしまして」


「だからそのまま言うなって」


バルドは今度こそ少し笑った。


本当に少しだけ。


「変なやつだな」


「二回目です」


「なら三回目もそのうち言う」


カイルがにやっとする。


「バルド先輩、意外と話せる人だったんですね」


「お前は一言多いな」


「よく言われます」


「だろうな」


アーヴェルが木槍を見ていた。


「今の灰札は、前回と同じ系統か」


エイムは封印片を記録板へ近づける。


「似ています。ただし、今回のものは強制力が弱い。むしろ残った感情や行動傾向を利用し、再接続を試みたものです」


「つまり、灰衣は利用した相手をそのまま捨てるわけではない」


アーヴェルの声は硬い。


「再利用する可能性があります」


エイムは頷いた。


「はい」


バルドの拳が強く握られた。


「ふざけやがって」


その怒りは、自分に向けたものではなかった。


灰衣へ向いている。


「俺は、あいつらに何をされた」


誰もすぐには答えられない。


エイムが少し慎重に言う。


「現時点では、あなたの感情と木槍を通した行動傾向を利用された可能性が高いです。完全な精神支配ではありません」


「じゃあ、俺がリオンに絡んだのは俺の意思か」


その問いは重かった。


俺はバルドを見る。


あの時、彼は確かに俺を試そうとしていた。


白鎌の噂を聞いて。

四位という評価に納得できず。

上級生として、序列を気にして。


そこには彼自身の意思があったのだと思う。


だが、それを灰衣が押した。


歪ませた。


利用した。


グレン教官が答えた。


「お前の意思はあった。だが、背中を押したものがいる可能性もある」


バルドは唇を噛む。


「最悪だな」


「そうだ」


グレン教官は否定しなかった。


「だから次からは、違和感があれば報告しろ。自分一人で処理しようとするな」


「……はい」


バルドは今度は素直に頷いた。


少しだけ、彼が小さく見えた。


強気で、荒っぽくて、上級生として下級生へ絡んできた人。


でも、利用された側でもある。


人は一つの役割だけではない。


そんな当たり前のことを、また思い出す。


カイルが言った。


「先輩、飯食いました?」


全員が彼を見る。


バルドも目を瞬かせた。


「何で今それだ」


「いや、こういう時は飯かなって」


「どういう理屈だ」


「うちの班では大体そうです」


「どんな班だよ」


エルナが小さく笑う。


アーヴェルはため息をついたが、否定はしなかった。


グレン教官も何も言わない。


つまり、半分くらい認めている。


バルドは少しだけ肩の力を抜いた。


「食ってねえ」


「じゃあ食った方がいいです」


「お前に言われると腹立つな」


「よく言われます」


「本当によく言われてそうだな」


少しだけ空気が軽くなった。


グレン教官は封印片をエイムへ渡しながら言う。


「バルド。今日は訓練禁止。治癒棟で簡易検査を受けろ」


「分かりました」


「第一基礎班は、予定通り合図訓練を行う」


カイルの顔が固まる。


「今の、もう訓練みたいなものじゃないですか」


「今のは実地対応だ」


「じゃあ訓練いらなくないですか」


「いる」


「ですよね」


バルドが少し笑った。


「大変だな、一年」


「先輩も検査ですよ」


カイルが返す。


「うるせえ」


そのやり取りは、思ったより普通だった。


敵でも味方でもない。


でも、少なくとも今は、同じものに利用された側と、それを外した側。


少しだけ距離が変わった。


バルドは木槍を拾い上げようとして、手を止めた。


「持っていいのか」


グレン教官が確認する。


「リオン」


俺は木槍を見る。


灰色の線はない。


ただの木槍だ。


「大丈夫です。普通の木槍に見えます」


「なら持て」


バルドは木槍を持った。


今度は、変な反応はない。


彼は短く息を吐く。


「軽い」


そう言って、訓練室を出ていった。


監理局職員が付き添う。


扉が閉まると、カイルが呟いた。


「なんか、色々あるな」


「あるな」


俺は答えた。


アーヴェルが静かに言う。


「灰衣は、人の弱さや未練を利用する。怒り、誇り、悔しさ、役割。今後も同じ手を使うだろう」


「嫌な相手です」


エルナが言った。


「はい」


俺も頷く。


嫌な相手だ。


ただ攻撃してくるだけではない。


人の中にあるものへ、名前をつけて、役割にして、引っ張る。


バルドの悔しさも。

エルナの未来視も。

俺の姓なしも。

カイルの引き戻す手も。

アーヴェルの正しさも。


全部、利用しようとする。


グレン教官が俺たちを見た。


「今の対応は悪くなかった」


「本当ですか」


カイルが聞く。


「本当だ。リオンは報告形式を使えた。カイルとアーヴェルは見えない線へ対応した。エルナは対象者の防護を優先した」


短く、的確に言われる。


少しだけ、胸の奥が温かくなる。


「ただし」


やはり続く。


「実戦中に会話が多い。減らせ」


カイルが小さく手を上げた。


「それ、主に俺ですか」


「自覚があるなら直せ」


「はい」


アーヴェルが小さく笑った。


「笑うなよ」


「すまない。少しだけ面白かった」


「お前、最近ほんと変わってきたな」


「お前ほどではない」


エルナがまた笑う。


俺も少しだけ笑った。


笑える。


灰色の残滓を外したあとに。


それは、悪くないことだと思った。


グレン教官が床の十二刻の円を指す。


「では、合図訓練を始める」


カイルが天井を見上げた。


「やっぱやるんだ……」


「当然だ」


俺は床の円を見る。


十二刻。

高さ。

距離。

対象分類。


さっき、実際に使えた。


なら、もっと使えるようにするべきだ。


見えない仲間へ、見えるものを渡すために。


そして、利用された人を、次はもっと早く助けるために。


俺は内ポケットの手紙に触れた。


リオンへ。


その文字は、今日も消えていない。


「始めよう」


俺が言うと、カイルが少し驚いた顔をした。


「リオンがやる気だ」


「必要だから」


「いいね」


アーヴェルも頷く。


「同感だ」


エルナは短い杖を握り直した。


「私も合わせます」


グレン教官が一つ頷く。


訓練室の空気が引き締まる。


日常の端に、灰はまだ残っている。


でも、それを見つけた時、今度は少しだけ早く動ける。


それが今日の、小さな前進だった。


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