表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
歪みの果てに君を呼ぶ  作者: ネネルネ
第1章 白鎌の少年
36/89

36話_見えない者たち

「そういえば」


カイルが言った。


結界室の空気が少し落ち着いた頃だった。


ミレイア講師とリュカは、壁画の写しを持って一度部屋を出ている。

旧礼拝室の封鎖処置に向けて、大人たちが動き始めていた。


俺たちは結界室に残された。


残された、というより、ここで待機しながら反応を見る役だ。


外へは行かない。

でも、何かが起きれば、ここに届く。


そういう立ち位置だった。


カイルは大剣を壁に立てかけ、椅子の背にもたれながら俺を見る。


「俺ら、よくお前についていけてるよな」


「何が」


「線とか、灰色とか、黒とか銀とか、正直ほとんど見えてねえぞ」


俺は少し黙った。


言われてみれば、そうだった。


俺には見える。


魔力線。

術式線。

残滓線。

名称干渉線。

視線線。


そう名づけ始めたものが、少しずつ増えている。


だが、それは俺の目に見えているだけだ。


カイルには見えない。

アーヴェルにも、ほとんど見えない。

エルナには未来視の線や気配として一部が分かるが、俺と同じものを見ているわけではない。


グレン教官やユーディア先生、エイムも、それぞれの知識や術式で推測しているだけだ。


同じ景色を見ているわけではない。


「確かに」


俺は言った。


「よく動けるな」


カイルが笑った。


「そこ、お前が言うのかよ」


「見えてる前提で言ってたかもしれない」


「だいぶ言ってる」


アーヴェルが静かに言った。


「右、と言われれば右へ動ける。だが、灰色の線が床下を回り込んで、役割接続線が台座裏で分岐している、と言われても、我々には見えん」


「……悪い」


「責めてはいない」


アーヴェルは腕を組む。


「ただ、改善が必要だ」


エイムがすぐに記録板を開いた。


「その通りです。リオン君の視覚情報は非常に有用ですが、そのままでは共有できません。戦闘中に使うなら、短く、共通の形式で伝える必要があります」


「共通の形式」


カイルが首を傾げる。


エイムは台座を指した。


「結界室を中心に、方向を十二刻で指定しましょう」


「十二刻?」


「時計盤のように考えてください。正面を十二、右を三、背後を六、左を九」


エイムは台座の上に小さな円を投影した。


円の周囲に、一から十二までの数字が浮かぶ。


「さらに高さを三段階。床、胸、頭上。距離は近、中、遠。対象は、糸、札、影、視線、役割線など、仮称で構いません」


「つまり」


カイルは指で数えながら言う。


「三刻、胸、中、糸。みたいに言えばいいってことか」


「そうです」


「思ったより分かりやすいな」


アーヴェルも頷く。


「曖昧な指示よりは良い。特に、我々が見えないものへ対応する場合は」


ユーディア先生が続けた。


「もう一つ。リオン君は、見えた意味を全部説明しようとしないこと。戦闘中に必要なのは、何が、どこから、誰へ向かっているかです」


「意味は後でいい」


俺が言う。


「はい。意味は後で記録すればいいのです」


エイムが真面目に頷いた。


「やってみましょう」


グレン教官が言った。


「簡易訓練だ。エイム、仮想線を出せ」


「了解しました」


エイムの金属杖から、薄い術式が広がる。


俺には見える。


透明な線が、台座の周囲を走る。


だが、カイルたちにはほとんど見えていないようだった。


「リオン、指示」


グレン教官が言う。


俺は線を見る。


右前。

低い。

カイルの足元へ向かっている。


「三刻、床、近、糸。カイル」


カイルは一瞬だけ遅れて、柄尻で床を打った。


透明な線が弾ける。


「お、いけた」


「遅い」


アーヴェルが言う。


「初回だぞ」


「なら次で直せ」


次の線。


左上から、アーヴェルの肩へ。


「十刻、胸、中、針。アーヴェル」


アーヴェルは半歩ずれ、細剣の柄で空を払った。


線が逸れる。


「よし」


グレン教官が短く言う。


次。


背後から俺へ。


「六刻、胸、近、糸。カイル、引いて」


「了解!」


カイルが俺の肩を掴み、後ろではなく横へ引いた。


線が俺の前を通り過ぎる。


「横に引いたのはなぜだ」


グレン教官が聞く。


カイルは即答した。


「後ろから来てるなら後ろに引くと絡むと思ったんで」


「いい判断だ」


カイルが少しだけ嬉しそうな顔をした。


「ほら、俺も考えてる」


「常に考えろ」


アーヴェルが言う。


「お前は本当一言多いな」


訓練は数分で終わった。


それだけでも、かなり疲れた。


見えるものを言葉にするのは、思ったより難しい。


見て、分類して、方向に変えて、誰に伝えるか選ぶ。


その間に、線は動く。


でも、伝われば皆が動ける。


見えていなくても。


それは大きい。


グレン教官が言った。


「リオン。お前の目は強い。だが、お前一人で動くためだけの目にするな」


「はい」


「見えない者を動かせるなら、その目は班の力になる」


班の力。


その言葉は、胸の奥に残った。


俺だけの異常ではなく、班の力。


そうなれるなら、少しだけ怖さが減る気がした。


その時、結界室の壁が低く震えた。


青白い光が、一瞬だけ暗くなる。


ユーディア先生が鐘へ手を伸ばす。


「旧礼拝室側で封鎖処置が始まりました」


エイムの記録板に、外部からの通信が入る。


「ミレイア講師より。片翼根元、副経路の封鎖開始。リュカ司書、封印針設置中。反響あり」


グレン教官が剣に手をかける。


「全員、配置につけ」


カイルが大剣を構える。

アーヴェルが細剣を抜く。

エルナが短い杖を握る。

俺は台座の前に立つ。


見えない戦場が始まった。


俺たちは旧礼拝室にはいない。


だが、線はここへ届く。


結界室の床下から、細い灰色が浮かぶ。


一本ではない。


複数。


「来ます」


俺は言った。


「報告形式で」


グレン教官の声。


俺は頷く。


見えるものを、言葉にする。


「十二刻、床、遠、灰糸。二本。台座へ」


「エイム」


「防護を重ねます」


エイムが金属杖を振る。


透明な防護線が台座前へ走る。


灰糸が弾かれる。


すぐに別方向。


「四刻、胸、中、視線。エルナへ」


「エルナ、遮断」


ユーディア先生の鐘が鳴る。


エルナは目を閉じず、杖を胸元へ構えた。


「三秒先、右へ曲がります」


「アーヴェル」


「承知」


アーヴェルが右へ出て、細剣で空を横へ流す。


見えていないはずの視線線が、剣筋に沿って逸れた。


「逸れました」


俺が言う。


アーヴェルは短く頷く。


次。


「六刻、床、近、役割線。俺とエルナの間」


カイルが動こうとする。


だが、俺がすぐ言った。


「待って。これは囮」


カイルが止まる。


灰色の線は、俺たちの間を通るふりをして、台座の下へ潜ろうとしていた。


「本命、十二刻、床、近、台座下」


「カイル」


「おう!」


カイルが大剣の柄尻で台座下の床を打つ。


灰色の線が跳ね上がる。


そこへユーディア先生の結界がかかる。


青白い炎。


消える。


「いい」


グレン教官が言った。


「続けろ」


旧礼拝室側からの反響は強くなっていく。


結界室の壁に、黒い片翼の影が何度も浮かんでは消えた。


そのたびに、灰色が絡む。


灰衣は封鎖を邪魔している。


旧礼拝室の奥から、こちらへ線を流し込んでくる。


大人たちは向こうで封じている。


俺たちはここで、漏れてくる線を捌く。


「九刻、頭上、中、灰針。カイルへ」


「了解!」


カイルが大剣を持ち上げる。


針が大剣の腹に弾かれる。


「二刻、胸、中、視線。俺へ」


「リオン、見るな」


エルナの声。


俺は目を細める。


見ない。


位置は分かる。


だが、視線そのものを見返さない。


「アーヴェル、二刻、胸」


「任せろ」


アーヴェルの細剣が、視線線の横を払う。


消えた。


見なくても対処できた。


俺が全部見なくても、仲間が動いた。


それだけで、頭の痛みが少し減る。


「リオン」


エルナが言う。


「呼吸が速いです」


「大丈夫」


「速いです」


「……整える」


俺は息を吐く。


見えたものを全部抱えない。


言葉にして渡す。


「十二刻、床、遠、灰糸。一本。ユーディア先生へ」


「受けます」


ユーディア先生が鐘を鳴らす。


だが、灰糸は途中で分裂した。


「分裂。三刻、床、近、カイル。九刻、胸、中、エルナ」


「カイル!」


「分かってる!」


カイルが床を打つ。


九刻の線はエルナへ向かう。


アーヴェルが動く。


だが、少し遠い。


「間に合わない」


エルナが小さく言った。


三秒先を見たのだろう。


俺は反射的に手を伸ばしかけた。


触れるな。


違う。


今は、言う。


「エルナ、左足を半歩後ろ。杖を下げて」


エルナは迷わず従った。


灰糸が彼女の杖先をかすめる。


だが、絡まない。


「外れました」


エルナが言う。


「よし」


カイルが息を吐く。


「見えてないと怖いな、これ」


「見えていても怖い」


俺が言うと、カイルが少し笑った。


「じゃあ同じだな」


同じではない。


でも、少しだけ近い気がした。


結界室の壁が、さらに強く震えた。


エイムの記録板が赤く光る。


「ミレイア講師より追加通信。封印針、片翼根元へ到達。灰衣側が反発。旧礼拝室内より音声反響」


「内容は」


グレン教官が聞く。


エイムは少しだけ顔をしかめた。


「『灯を返せ。器を返せ。名を返せ』」


カイルが低く言った。


「返すも何も、お前らのじゃねえよ」


その言葉に、胸の奥が少し熱くなった。


エルナも静かに言う。


「私は、誰かの灯ではありません」


俺も言った。


「俺は、器じゃない」


すると、結界室の床に浮かんでいた灰色の線が一瞬だけ鈍った。


名前の拒絶が効いている。


だが、次の瞬間、灰色が一気に増えた。


十本以上。


「多い」


俺は思わず呟いた。


頭の奥が痛む。


線が重なる。


方向。

高さ。

対象。

分類。


追いつかない。


「全部言うな」


グレン教官が低く言った。


「危険な順に三本だけ言え」


三本。


全部ではなく、三本。


俺は線を見る。


一番危険なもの。


エルナの名前へ絡む線。

俺の手紙へ向かう線。

台座下の結界核へ潜る線。


「九刻、胸、中、名称線。エルナへ」


「ユーディア」


「遮断します」


鐘が鳴る。


「六刻、胸、近、灰糸。俺の手紙へ。カイル」


「任せろ!」


カイルが俺の背後へ回り、灰糸を大剣の腹で弾く。


「十二刻、床、近、結界核。アーヴェル」


「見えんが、行く」


アーヴェルが前へ踏み込む。


「位置は」


「台座の前、右から二本目の術式溝」


「そこか」


細剣の柄で術式溝の横を打つ。


灰色の線が弾かれる。


三本は止まった。


だが、残りが来る。


全ては止めきれない。


「残り、散ります」


俺が言った瞬間、エルナが一歩前へ出た。


「三秒先、床の線は全部消えます」


「どうやって」


カイルが聞く。


「グレン教官が斬ります」


グレン教官はすでに動いていた。


剣が抜かれる。


速さではない。


線が形を持つ前に、そこへ剣が置かれる。


床を走っていた灰色の線が、まとめて断たれた。


俺には見えた。


グレン教官は線そのものを見ていない。


だが、俺たちの動き、灰の反応、結界の揺れ、空気の重み。


見えていない情報から、線が来る場所を読んでいる。


同じ世界は見えていない。


でも、違う方法でそこへ届いている。


強い。


やっぱり、大人は強い。


エイムが叫ぶ。


「封鎖処置、最終段階です!」


結界室の壁に、片翼の影が大きく浮かぶ。


黒い。


その縁に灰色が絡みつき、何かがこちらを覗こうとする。


視線線。


太い。


今までで一番太い。


全員へ向かっている。


「全方位、頭上、視線。見ないで!」


俺は叫んだ。


全員がすぐに反応した。


カイルは目を細め、視線を床へ落とす。

アーヴェルは剣を構えたまま、相手を見ずに気配で立つ。

エルナは短い杖を胸に当て、目を閉じないが焦点を外す。

ユーディア先生が鐘を三つ同時に鳴らす。

エイムが記録板を伏せる。

グレン教官が剣を天井へ向ける。


俺も見ない。


見える。


見ようとすれば、あの視線の先に誰がいるか分かるかもしれない。


灰衣の観測者。

旧礼拝室の奥。

片翼の欠け目。


でも、見ない。


必要なのは、見ることじゃない。


守ることだ。


俺は目を伏せたまま言った。


「十二刻、頭上、遠。視線の根。グレン教官、真上じゃなくて少し右」


「分かった」


グレン教官の剣が走る。


空を斬ったように見えた。


だが、見えていない者には何もない場所を斬ったように見えただろう。


俺には見えた。


太い視線線の根が、剣で断たれる。


結界室の壁に映った片翼の影が、大きく揺れた。


ユーディア先生の鐘が響く。


エイムの記録板が光る。


通信術式の向こうから、ミレイア講師の声が届いた。


「封鎖、完了しました」


その言葉と同時に、結界室の灰色が一気に薄れた。


床下の線も、壁の影も、視線線も。


全部が遠ざかっていく。


青白い光が戻る。


静かな呼吸のような明滅。


誰もすぐには動かなかった。


カイルが、ゆっくり息を吐いた。


「終わった?」


エイムが記録板を確認する。


「少なくとも、副経路からの干渉は遮断されました」


「つまり、ちょっと勝った?」


「はい」


エイムは珍しく、少しだけ笑った。


「かなり大きく、防ぎました」


カイルが俺を見る。


「リオン、聞いたか。かなり大きく防いだって」


「うん」


「倒れるなよ」


「今は座る」


「成長したな」


俺は素直に椅子へ座った。


頭は痛い。


だが、限界ではない。


全部を見ようとしなかったからだ。


危険な三本だけ。

方向を言う。

仲間に渡す。

見ない判断をする。


それができた。


エルナが隣に座る。


「さっき、助かりました」


「こっちも」


「見えていなくても、動けるんですね」


「うん」


俺はカイルとアーヴェルを見る。


カイルは大剣を肩にかけて笑っている。

アーヴェルは何事もなかったように剣を収めているが、額には少し汗がある。


二人には線は見えていない。


でも、動いた。


俺の言葉を信じて。


それは、思っていたよりすごいことだ。


グレン教官が言った。


「リオン」


「はい」


「今の指示は良かった。全部を説明しようとしなかった。危険度を選べた」


「はい」


「カイル、アーヴェル、エルナもよく反応した」


カイルがにっと笑う。


「見えなくても、言われりゃ動けます」


アーヴェルが静かに言う。


「見えない以上、信じるしかない。だが、信じるに値するだけの情報をリオンが出した」


エルナも頷いた。


「同じものは見えません。でも、同じ場所には立てます」


その言葉が、一番しっくりきた。


同じ世界は見えていない。


でも、同じ場所には立てる。


俺は一人で見ているわけではない。


見たものを渡せば、皆が動く。


それが班なのだと思った。


エイムが記録板に最後の項目を追加する。


『指示形式:十二刻・高さ・距離・対象分類』

『効果:見えない対象への班連携成功』

『備考:リオン君の負荷軽減を確認』


カイルが覗き込む。


「備考、ちょっとかっこよく書いてくださいよ」


「記録は正確性が第一です」


「じゃあ、カイル・レグナート大活躍、とか」


「正確性に疑義があります」


「そこはあるだろ!」


アーヴェルが小さく笑った。


本当に小さく。


でも、笑った。


結界室の空気が少しだけ軽くなる。


副経路の封鎖は完了した。


旧礼拝室そのものが消えたわけではない。

灰衣の観測者も、まだどこかにいる。


けれど、こちらは一つ守った。


大人たちが現場で封じ、俺たちはここで支えた。


見えない者たちが、見える者についてきたのではない。


それぞれが、自分の見えるものを使って、同じ戦場に立った。


俺は内ポケットの手紙に触れる。


リオンへ。


その文字の感触を確かめる。


そして、顔を上げた。


「次からも、この合図でいこう」


カイルが頷く。


「おう。十二刻な」


アーヴェルも言う。


「改善点はあるが、実用に耐える」


エルナは静かに微笑んだ。


「私も、三秒先を合わせます」


グレン教官が最後に言った。


「なら、明日から正式に訓練に組み込む」


カイルの顔が固まる。


「明日から?」


「当然だ」


「今日けっこう頑張ったんですけど」


「だから明日からだ」


「休みは?」


「飯は出る」


「それは大事です」


結局、カイルはそれで少し納得したらしい。


俺は小さく息を吐いた。


疲れている。


でも、悪くない。


見える世界は、まだ一人分だ。


けれど、戦う時は一人ではない。


そのことを、今日は少し信じられた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ