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歪みの果てに君を呼ぶ  作者: ネネルネ
第1章 白鎌の少年
19/88

19話_振るのではなく

午後の授業は、通常実技ではなかった。


昨日の傀儡暴走。

今朝の上級生との接触。

そして、どちらにも残っていたという黒い術式痕。


それらの調査が終わるまで、第一基礎班の予定は大きく変えられるらしい。


俺たちが案内されたのは、第一実技棟の奥にある小さな訓練室だった。


広さはそれほどない。

だが、床と壁にはかなり密な防護陣が刻まれている。


魔力の線が幾重にも重なり、見ているだけで少し目が痛い。


「今日は、特殊武装の確認を行う」


グレン教官が言った。


その視線は、当然のように俺へ向いていた。


カイルが小声で言う。


「来たな、白鎌回」


「何だそれ」


「いや、何となく」


アーヴェルは腕を組み、壁際に立っている。

エルナはいつも通り静かだが、少しだけ緊張しているように見えた。


「リオン」


「はい」


「大鎌を顕現しろ」


俺は一瞬だけ黙った。


「許可は」


「今、出した」


「分かりました」


右手を開く。


呼ぶ、という感覚ではない。


探す、でもない。


そこにあるものへ、手を伸ばすだけ。


空間に黒い亀裂が走った。


細く、冷たい線。


俺はその奥へ手を入れる。


指先に、柄の感触が触れた。


冷たい。


だが、不快ではない。


むしろ、少しだけ呼吸が楽になる。


引き抜く。


白い大鎌が、静かに現れた。


骨のような白。

月光のような白。

刃元には黒い亀裂の紋様。


訓練室の防護陣が、かすかに震えた。


グレン教官がすぐに記録板へ何かを書き込む。


「顕現時、防護陣に微弱干渉。昨日よりは小さい」


「抑えています」


「自覚があるのか」


「少しだけ」


本当に少しだけだ。


見える線へ触れないようにする。


それだけで、大鎌の周囲に走る黒い細線が少し薄くなる。


グレン教官は頷いた。


「では、構えろ」


俺は大鎌を構えた。


長い柄。

大きな刃。


普通に考えれば、扱いにくい武器だ。


剣より重く、槍より癖が強く、斧より間合いが読みにくい。

少なくとも、戦闘科の基礎武器として選ばれるものではない。


けれど俺の手の中では、不思議と違和感がない。


重いのに、重くない。


大きいのに、邪魔にならない。


身体の外にあるはずなのに、腕の延長よりも近い。


「リオン」


グレン教官が言う。


「その大鎌の重さは分かるか」


「分かりません」


「重くないのか」


「重いです」


「だが、振れる」


「はい」


「なぜだと思う」


俺は大鎌を見た。


白い刃は、何も答えない。


「分かりません」


いつもの答えだった。


けれど、それだけでは足りない気がした。


俺は少しだけ言葉を探す。


「ただ、振っている感じではありません」


グレン教官の目が少し動く。


「続けろ」


「普通に振ろうとすると、たぶん無理です。柄が長すぎるし、刃も大きい。力で動かすものじゃない」


「では、どう動かしている」


「先に、線が見えます」


俺は大鎌の刃先を少しだけ動かした。


空気の中に、細い線が浮かぶ。


俺にだけ見える線。


大鎌が通るべき場所。

重心が落ちる場所。

反動が逃げる場所。

刃が一番自然に滑る場所。


「そこを通すと、勝手に動く」


カイルが首を傾げた。


「勝手に?」


「勝手に、というか……逆らわない」


言葉にすると曖昧だった。


アーヴェルが口を開く。


「つまり、お前は大鎌を筋力で振っているのではなく、軌道を先に作っているのか」


俺は少し考えて、頷いた。


「たぶん、それが近い」


「武器術ではないな」


アーヴェルが言った。


「反則に近い」


「反則なのか」


「褒めてはいない」


「分かってる」


カイルが笑う。


「いや、でもすげえな。剣士が剣を振る前に、剣が通る道を作ってるってことだろ」


グレン教官はカイルを見た。


「大雑把だが、理解としては近い」


「お、褒められた」


「大雑把だと言った」


「でも近いって」


カイルは嬉しそうだった。


グレン教官は俺へ向き直る。


「もう一つ確認する。リオン、その大鎌を一度床に置け」


俺は言われた通り、白い大鎌を床へ置いた。


床に触れた瞬間、防護陣が薄く震える。


大鎌は、そこにある。


けれど、手を離しても俺の中から完全に離れた気はしない。


右手の奥に、まだ柄の感触が残っている。


「カイル」


グレン教官が言った。


「持ってみろ」


「俺がですか?」


カイルの顔が一瞬で明るくなる。


「いいんですか?」


「許可する。ただし、振るな。持つだけだ」


「了解」


カイルは大剣使いだ。

力はある。


少なくとも、単純な筋力なら俺よりずっと上だろう。


彼は白い大鎌の柄を握った。


次の瞬間、顔をしかめる。


「……うわ」


「重いのか」


俺が聞くと、カイルは首を横に振った。


「重い、っていうか、気持ち悪い」


「気持ち悪い?」


「持ってるのに、持ってない感じがする。手の中にあるのに、手の中に収まってない。あと、なんか世界が斜めになる」


カイルはすぐに柄から手を離した。


大鎌が床に落ちる前に、俺は手を伸ばす。


柄が自然に手の中へ戻った。


本当に、戻ってきた、という感覚だった。


アーヴェルが眉を寄せる。


「次は私が」


「やめておけ」


グレン教官が止めた。


「カイルは適性がない状態で触れただけだが、反発は小さかった。お前の場合、術式の整い方が逆に危険かもしれない」


アーヴェルは不満そうだったが、引き下がった。


エルナは大鎌をじっと見ている。


「触れたいか」


俺が聞くと、彼女は少しだけ首を横に振った。


「今は、やめておきます」


「怖い?」


「はい」


正直な答えだった。


「でも、いつか触れる必要がある気もします」


その言葉に、右手の奥が少しだけ冷えた。


大鎌が反応したのか。

俺が反応したのか。


分からない。


グレン教官は記録板に新しい項目を書き込んだ。


『特殊武装:所有者以外への適合不可』

『重量ではなく、存在位相の不一致による拒絶反応』

『使用者は武器軌道を視認、または形成している可能性』


難しい言葉が並ぶ。


だが、言いたいことは何となく分かった。


この大鎌は、俺だけが持てる。


少なくとも、今のところは。


そして俺は、大鎌を振っているのではない。


大鎌が通る道を作っている。


「リオン」


グレン教官が言った。


「一度だけ素振りをしろ。ただし、黒月(ノクス・ルナ)は残すな」


「残すなと言われても」


「残さない訓練だ」


また、触れない訓練。


俺は大鎌を構えた。


刃先がわずかに沈む。


線が見える。


大鎌が通りたがる線。

黒い傷を残しやすい線。

防護陣の弱い箇所。

空間の薄い場所。


そこを避ける。


刃を通す。

けれど、傷は残さない。


見るだけ。

選ぶ。

最後に、触れない。


俺はゆっくりと大鎌を振った。


白い刃が空気を裂く。


黒い線は、出なかった。


ただ、訓練室の空気が少しだけ傾いた。


大鎌の軌道が終わったあと、俺は息を吐く。


思っていたより疲れる。


黒い傷を残すより、残さない方がずっと難しい。


グレン教官は頷いた。


「今のを覚えろ。強く振ることより、残さず振ることを先に覚えろ」


「はい」


カイルが隣で感心したように言う。


「斬らない練習って、変だな」


「お前も止める訓練をしているだろう」


アーヴェルが言う。


「同じだ」


「いや、俺のはまだ分かるけどさ。リオンのは、なんか存在が物騒なんだよ」


否定できなかった。


白い大鎌を消す。


手の中から冷たさが抜けていく。


けれど、右手の奥にはまだ残っている。


完全に消えたことなど、たぶん一度もない。


訓練が終わったあと、グレン教官は俺だけを少し呼び止めた。


「今日分かったことを、親父さんにも共有しておく」


「親父に?」


「保護者だろう」


「そうですね」


保護者。


その言葉は少し不思議だった。


血は繋がっていない。

出自も知らない。

俺の中にあるものの正体も、たぶん全部は知らない。


それでも、親父は親父だ。


「怒りますかね」


「お前が大鎌を使ったことか」


「はい」


「怒るだろうな」


グレン教官は即答した。


「ただ、使った理由を聞けば、何も言わないかもしれない」


親父なら、たぶんそうだ。


振るなとは言わない。

振った理由を忘れるな。


俺は右手を見る。


昨日、俺は振った。


守るために。


それだけは、忘れないでいようと思った。


訓練室を出ると、廊下の向こうから小さなざわめきが聞こえた。


カイルが顔を上げる。


「何だ?」


掲示板の前に、生徒が集まっている。


朝の暫定序列とは別の紙が、新しく貼られていた。


『学院内通知』


その下に、短い文章。


『昨日発生した魔導傀儡の異常動作について、調査継続中。関係区域への無許可立ち入りを禁ずる』


そのさらに下。


小さく、だが確かに書かれていた。


『第二実技棟地下保管区、一時封鎖』


第二実技棟。


昨日、傀儡が暴走した場所。


俺はその文字を見た瞬間、足元に細い線が走るのを感じた。


地下。


()()()()だ。


図書塔の禁書庫。

第二実技棟の地下保管区。

黒い結び目。


繋がりかけている。


見ない方がいい。


そう思った。


だが、その線はもう、俺の視界の端に映っていた。


白い大鎌が、右手の奥で静かに震える。


今度は、呼ぶためではない。


警戒するように。


俺は掲示板から目を離した。


触れない。


()()、触れない。


けれど、地下から伸びるその線は、まるでこちらに気づいているみたいに、かすかに揺れていた。


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