17話_序列掲示板
反省文というものは、思っていたより難しかった。
机の上には、白紙の紙が一枚。
その上に、俺はすでに三行を書いている。
『許可なく大鎌を顕現しました。』
『理由は、エルナに攻撃が届くと思ったからです。』
『次からは気をつけます。』
そこで手が止まった。
反省はしている。
許可なく顕現したことが危険だったのは分かる。
白い大鎌は、ただの武器ではない。
構えるだけで術式を震わせる。振れば、空間に黒い傷を残す。
あれを何も考えずに使えば、味方を守るどころか、味方の足場ごと壊しかねない。
それは分かっている。
だが、あの時に戻ったとしても、俺は同じことをすると思う。
エルナが傷つく未来があった。
木剣では届かなかった。
防護陣も間に合わなかった。
なら、大鎌を呼ぶしかなかった。
「……反省文に書くことか、これ」
俺は紙を見下ろした。
正直に書きすぎると、反省していないように見える気がする。
かといって、嘘を書くつもりもない。
しばらく考えて、四行目を書いた。
『ただし、同じ状況なら、たぶん同じ判断をします。』
書いてから、これは怒られると思った。
消そうか迷っていると、窓が小さく鳴った。
伝令鳥ではない。
小石だった。
窓を開けると、下の庭にカイルがいた。
「朝飯行こうぜ!」
「朝からうるさい」
「反省文、終わったか?」
「終わってない」
「だろうな!」
嬉しそうに言うな。
俺は紙を折り、机の端に置いた。
どうせこのまま考えていても、まともな文章にはならない。
飯を食えば少しは変わるかもしれない。
親父も、飯を食えと言っていた。
食堂へ向かうと、昨日よりも明らかに視線が多かった。
白い大鎌の噂は、すでに学院内をかなり回っている。
それに昨日の件が加わった。
訓練用傀儡の暴走。
エルナ・シルヴェリアを助けた。
許可なく特殊武装を顕現した。
黒い月のようなものが見えた。
噂は、たぶん実際より派手になっている。
「聞いたか? 白い鎌で傀儡を一撃で斬ったらしいぞ」
「違う。空間ごと裂いたって」
「いや、黒い三日月が出たらしい」
「しかもシルヴェリアを庇ったんだろ」
「姓なしなのに?」
最後の一言だけは、聞かなかったことにした。
カイルは隣で楽しそうに笑っている。
「有名人だな」
「嬉しくない」
「でも悪い噂ばっかじゃないぞ。助けたって話も広まってる」
「規則違反も広まってる」
「そこはまあ、格好いい規則違反ということで」
「そんなものはない」
「あるだろ。物語なら人気出るやつだ」
「これは物語じゃない」
「いや、分かんねえぞ。俺たちが死んだあと、誰かが書くかも」
「縁起でもない」
そんな話をしながら席へ向かうと、エルナがすでに座っていた。
彼女の前には、スープと小さなパン。
相変わらず食べる量が少ない。
「おはようございます」
「おはよう」
カイルが大きく手を振る。
「おはよう、エルナ。顔色は?」
「大丈夫です」
「本当か?」
「はい」
エルナはそう答えたが、俺には少しだけ疲れているように見えた。
昨日、傀儡に狙われた。
未来視で自分が傷つく光景を見た。
怪我がないからといって、何も残らないわけではない。
「昨日のこと、思い出すか」
俺が聞くと、エルナは少しだけ目を伏せた。
「はい」
「悪い」
「なぜリオンが謝るのですか」
「巻き込んだ気がした」
「違います」
返答は早かった。
「巻き込まれたのは、あなたも同じです」
俺は答えられなかった。
エルナは続ける。
「それに、私は助けられました。だから、その話は終わりです」
「そうか」
「はい」
静かな声だった。
けれど、終わりと言い切るには、まだ少し早い気もした。
食事を終えたあと、俺たちは第一実技棟へ向かった。
今日は通常授業ではなく、昨日の件を受けた個別確認が入っている。
グレン教官から、第一基礎班は午前の一部を訓練場で待機するよう言われていた。
第一実技棟の前には、大きな掲示板がある。
入学初日にも班分けが貼り出されていた場所だ。
今日はそこに、新しい紙が貼られていた。
『戦闘科一年 暫定実技評価』
カイルが真っ先に反応した。
「来た!」
「何が」
「序列だよ、序列。暫定だけどな」
俺は掲示板を見る。
名前が並んでいる。
一位、アーヴェル・ロア・クラウゼン。
二位、カイル・レグナート。
三位、エルナ・シルヴェリア。
四位、リオン。
俺は少し首を傾げた。
「俺が四位?」
「低いと思ったか?」
カイルがにやにやしながら聞く。
「いや、高いと思った」
「普通は逆なんだよなあ」
エルナが静かに説明する。
「リオンは測定不能項目が多すぎて、正式評価に反映しにくいのだと思います」
「規則違反もあるしな」
カイルが言う。
「でも、昨日のあれ込みで四位なら、かなり注目されるぞ」
確かに、周囲の生徒たちがざわついている。
「姓なしが四位?」
「アーヴェルより下なのは当然だろ」
「いや、でも昨日の傀儡を止めたんだろ?」
「特殊武装ありなら順位変わるんじゃないか?」
面倒なことになりそうだった。
そう思った時、聞き慣れた声がした。
「当然の評価だ」
アーヴェルだった。
今日も制服に乱れはない。
腰には細剣。
表情はいつも通り硬い。
「暫定とはいえ、私は一位。お前は四位。現時点ではそれが学院の判断だ」
「別に不満はない」
「……ないのか」
なぜ少し不満そうなんだ。
カイルが笑う。
「リオンは順位とか気にしないタイプだからな」
「向上心がないのか」
アーヴェルが眉を寄せる。
「数字で決められるのが苦手なだけだ」
「戦闘科にいる以上、評価からは逃げられない」
「逃げるつもりはない」
「なら、いずれ私と正式に戦え」
その言葉に、周囲の生徒が少し反応した。
カイルが楽しそうに口笛を吹く。
「お、再戦予約?」
「黙れ」
アーヴェルは俺を見たまま言う。
「午前のような不意打ちではない。規定を整え、互いの能力を申告した上でだ」
「俺は自分の能力を申告できない」
「なら、できるようになれ」
それは挑発ではなかった。
少なくとも、ただ見下しているわけではない。
アーヴェルは俺を理解できないまま負けたことを、納得していない。
だからもう一度、正面から確かめたいのだろう。
「考えておく」
俺がそう言うと、アーヴェルは少し不満そうだったが、それ以上は言わなかった。
その時だった。
「へえ。こいつが噂の白鎌か」
背後から声がした。
振り返る。
そこにいたのは、上級生らしき男子生徒だった。
制服の意匠が少し違う。
袖口に二年の紋章。
背は高く、肩幅もある。
その後ろには数人の生徒がいる。
取り巻き、という言葉が合いそうだった。
カイルの表情から笑みが消える。
「……二年のバルド先輩」
小声だった。
「知ってるのか」
「戦闘科二年。暫定序列九位。強いけど、面倒なタイプ」
なるほど。
面倒なタイプ。
バルドと呼ばれた上級生は、俺の前まで来て足を止めた。
「一年の初日から随分派手にやったらしいな。測定不能。白い大鎌。黒い月。しかもシルヴェリアのお姫様を救出、と来た」
彼の視線が、俺の肩から手元へ下りる。
「鎌はどこだよ」
「今はない」
「出せよ」
「許可がない」
「真面目か」
取り巻きが笑う。
アーヴェルが一歩前へ出ようとしたが、俺は手で制した。
別に庇われるほどではない。
バルドは口元を歪める。
「噂だけか? 白鎌ってのも、教官がいないと出せない飾りか?」
「そう思ってくれていい」
「つまんねえな」
彼はわざとらしくため息をついた。
そして、近くにあった訓練用の木槍を手に取る。
「じゃあ鎌なしでいい。ちょっと見せろよ、四位の実力」
「授業前だ」
「軽く当てるだけだ」
「断る」
その瞬間、木槍が動いた。
速い。
明確な攻撃ではない。
胸を小突く程度の動き。
だが、当たれば息が詰まるくらいの力はある。
周囲が息を呑む。
俺は動かなかった。
見えたからだ。
木槍の軌道。
バルドの肩の入り。
手首の角度。
槍先が通る線。
その線の端に、ほんの少し触れる。
偏軌。
木槍の先端が、俺の胸の直前で横へ流れた。
当たるはずだった一撃が、制服の布一枚をかすめて外れる。
バルドの目が変わった。
「……今、何した」
「外れただけです」
「嘘つけ」
今度は木槍が横から来た。
さっきより速い。
俺は半歩だけ下がる。
槍先は届かない。
距離を見誤ったわけではない。
バルドは届く距離で振っている。
けれど、彼の認識している間合いと、実際の間合いを少しだけずらした。
間隙。
そう呼ぶには、まだ曖昧な動き。
だが、確かにそれに近い。
バルドの木槍が空を切る。
取り巻きたちの笑いが止まった。
カイルが小さく呟く。
「うわ、えげつな」
「何が」
俺が聞くと、カイルは少し笑った。
「相手からしたら気持ち悪いぞ、それ」
バルドの顔が赤くなる。
「舐めてんのか」
「舐めてません」
「なら避けるだけじゃなく、打ってこいよ」
「嫌です」
「は?」
「授業前なので」
カイルが噴き出した。
エルナも少しだけ目を伏せる。
たぶん笑いを堪えている。
アーヴェルは真顔だったが、口元が少しだけ引きつっていた。
バルドだけが笑っていなかった。
彼の足元に、身体強化の術式が浮かぶ。
「おい」
カイルの声が低くなる。
「先輩、それはやりすぎです」
「黙ってろ一年」
バルドが踏み込む。
今度は完全に攻撃だった。
木槍が喉元へ向かって伸びる。
防げる。
外せる。
だが、外した先にカイルがいる。
右へ流せばエルナの方へ。
下へ落とせば床に術式が走る。
上へ逃がせば周囲の誰かに当たる。
選べ。
見るだけ。
選ぶ。
最後に、触れる。
俺は木槍そのものではなく、バルドの踏み込みの線に触れた。
彼の足の重心を、ほんの少しだけ外す。
反軌。
言葉は頭の中に浮かんだだけだった。
バルドの身体が前へ流れる。
槍先は俺の横を抜け、彼自身の体勢が崩れた。
俺は木剣を抜かなかった。
ただ、片手で彼の手首を押さえ、もう片方の手で肩を軽く押す。
それだけで、バルドは膝をついた。
訓練場の前が静まり返る。
バルドの顔が、怒りと困惑で歪んだ。
「てめえ……!」
「そこまでだ」
低い声が響いた。
グレン教官だった。
いつから見ていたのか分からない。
彼は掲示板の横に立ち、こちらを見ていた。
「バルド。授業前の私闘、身体強化の無許可使用。一週間の実技補助と反省文だ」
「グレン教官、これは」
「言い訳は報告書に書け」
バルドは歯を食いしばった。
だが、教官の前ではそれ以上逆らえないらしい。
彼は俺を睨みつけると、取り巻きと共に去っていった。
周囲の生徒たちがざわめき始める。
「今の見たか?」
「二年のバルドを膝つかせたぞ」
「鎌なしで?」
「四位って何だよ」
俺は小さく息を吐いた。
また面倒な噂が増えた。
グレン教官が俺を見る。
「リオン」
「はい」
「お前も反省文追加だ」
「なぜですか」
「上級生相手に問題を起こした」
「攻撃された側です」
「分かっている。だから短くていい」
「……題は」
グレン教官は少し考えた。
「『授業前の接触について』」
カイルが横で肩を震わせていた。
「笑うな」
「無理」
エルナが静かに言う。
「リオン」
「何」
「今のは、少しすごかったです」
「少し?」
「はい。少し」
その言い方が、なぜか少しだけ面白かった。
アーヴェルは俺を見ていた。
さっきよりもずっと真剣な目で。
「お前はやはり、四位ではない」
「順位は学院が決めた」
「なら、学院の目が節穴だ」
カイルが笑う。
「お前がそれ言うんだ」
アーヴェルは何も返さなかった。
俺は掲示板をもう一度見る。
四位、リオン。
その文字の横に、まだ何もない。
姓も、家名も、属性も、武器も、正式な能力名もない。
ただのリオン。
それでいいと思っていた。
けれど、周囲はもう放っておいてくれないらしい。
白い大鎌を使わなくても。
黒月を振らなくても。
俺の中にあるものは、少しずつ外へ漏れ始めている。
そして、それを見た誰かが近づいてくる。
好奇心で。
敵意で。
恐れで。
あるいは、別の何かで。
俺は右手を握った。
今日は大鎌を呼ばなかった。
それでも、胸の奥で白い刃が静かに息をしている。
まるで、次を待つように。




