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歪みの果てに君を呼ぶ  作者: ネネルネ
第1章 白鎌の少年
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16話_黒い結び目

第二実技棟の空気は、演習場というより現場に近くなっていた。


倒れた魔導傀儡の周囲には、学院の職員が集まっている。

制御核を確認する者。

床の防護陣を調べる者。

記録板に何かを書き込む者。


俺たち第一基礎班は、壁際に並ばされていた。


カイルは腕を組み、珍しく黙っている。

エルナは少し青い顔をしたまま、けれど姿勢は崩していない。

アーヴェルはずっと倒れた傀儡を見ていた。


グレン教官は、傀儡の胸部から取り外された制御核を手にしている。


小さな黒い石のようなものだった。

本来なら青白く光るはずの核に、墨を落としたような濁りが残っている。


「リオン」


呼ばれて、俺は顔を上げた。


「お前には何が見えた」


「黒い結び目です」


「結び目?」


「制御核から伸びる魔力の線に、何かが絡んでいました。自然な流れではありません」


グレン教官の眉が少し動く。


「後から混ぜられたものに見えた、ということか」


「はい」


そう答えた瞬間、近くにいた学院職員の一人がこちらを見た。


疑う目だった。


「学生の証言だけで判断するのは危険です。そもそも、彼は許可なく特殊武装を顕現させています」


その言葉に、カイルが少しだけ顔を上げた。


「エルナが危なかったんですけど」


「発言を許可していない」


職員は冷たく言った。


カイルが口を開きかける。


その前に、アーヴェルが言った。


「私も見ました」


全員の視線が彼に向く。


「傀儡の動作は、明らかに訓練用の範囲を超えていました。目標も水晶柱からエルナ・シルヴェリアへ変更されていた。通常の不具合ではありません」


職員は少しだけ顔をしかめる。


「クラウゼン家の見解として?」


「戦闘科新入生、アーヴェル・ロア・クラウゼン個人の見解としてです」


その言い方は、丁寧だが強かった。


カイルが小さく口笛を吹きそうになって、途中でやめた。


エルナも静かに口を開いた。


「私も、未来を視ました。三秒先で、傀儡は水晶柱ではなく私の肩を貫いていました」


「未来視は証拠になりません」


職員が言う。


エルナは頷いた。


「はい。ですが、証言にはなります」


静かな声だった。


けれど、揺らがない。


グレン教官が職員を見た。


「記録には残す。判断は調査後だ」


「しかし、グレン教官」


「ここでの責任者は私だ」


それだけで、職員は黙った。


グレン教官は制御核を封印箱へ入れた。


箱の蓋が閉じると同時に、銀色の術式が浮かび、黒い濁りを覆い隠す。


見えなくなったはずなのに、俺にはまだ分かった。


あの黒い結び目は、完全には消えていない。


箱の内側で、静かに呼吸している。


そんな気配があった。


「今日の授業は中止だ」


グレン教官が言った。


「だが、リオンは残れ」


またか。


そう思ったが、今度は仕方ない。


カイルがこちらを見た。


「待ってるか?」


「先に行ってていい」


「昨日もそれ言って長かっただろ」


「今日はもっと長いと思う」


「じゃあ飯は確保しとく」


軽い言葉だった。


だが、少しだけありがたかった。


エルナは俺の方へ歩いてきた。


「本当に、ありがとうございました」


「もう聞いた」


「何度言っても足りないと思ったので」


そう言われると、返しに困る。


「怪我がなかったなら、それでいい」


エルナは俺を見た。


「あなたは、ためらいましたね」


俺は答えなかった。


あの一瞬。


許可なく顕現するかどうか、確かに迷った。


「それでも、来てくれました」


「間に合う方法が、それしかなかった」


「はい」


エルナは小さく頷いた。


「だから、私は覚えておきます」


何を、と聞こうとしたが、彼女はそれ以上言わなかった。


カイルとエルナが出ていき、アーヴェルも扉の前で一度止まった。


「リオン」


「何」


「私は、お前を認めたわけではない」


「そうか」


「だが、今日の判断は正しかった」


それだけ言って、彼は出ていった。


少し変な奴だと思う。


たぶん、向こうも同じことを思っている。


実技棟に残ったのは、俺とグレン教官だけになった。


「座れ」


近くの長椅子を示される。


俺が座ると、教官は正面に立ったまま言った。


「まず、規則違反についてだ」


「はい」


「許可なき特殊武装の顕現。術式干渉の発生。訓練場防護陣への影響。どれも軽くはない」


「分かっています」


「だが、緊急回避としての判断は認める。エルナ・シルヴェリアに負傷はなし。護衛対象への被害もなし。結果だけ見れば、最善に近い」


「なら、罰は?」


「ある」


即答だった。


「反省文と個別訓練の追加だ」


「反省文」


「嫌そうな顔をするな」


「反省はします。文章が苦手なだけです」


「知っている」


なぜ知っているのか。


聞くのはやめた。


グレン教官は封印箱を見た。


「次に、傀儡の異常についてだ。あれは単なる不具合ではない可能性が高い」


「誰かがやったと?」


「断定はしない。だが、制御陣に外部から干渉された痕跡がある」


外部から。


その言葉に、図書塔の地下から伸びていた黒い線を思い出した。


()()()と似ていました」


思わず言っていた。


グレン教官の目が鋭くなる。


「何が」


「線です。昨日、図書塔で地下から伸びる黒い線を見ました。今日の傀儡の中にあった結び目は、それに少し似ていました」


「……誰に話した」


「今、初めて」


グレン教官は深く息を吐いた。


怒っているというより、面倒な報告が増えた顔だった。


「リオン。そういうことは早く言え」


「見るなと言われたので」


「見たなら言え」


「難しいですね」


「難しくない」


教官は頭を押さえた。


少しだけ親父に似ている。


「この件は、私からミレイアと図書塔へ確認を取る。お前は勝手に調べるな」


「分かりました」


「本当にか」


「今は」


「今は、を付けるな」


最近、何度も言われている気がする。


俺は黙って頷いた。


グレン教官は記録板を取り出した。


「最後に、今日お前が使ったものについて確認する。傀儡の腕を逸らした時、黒い弧が見えた」


「俺にも見えました」


「自覚は?」


「大鎌を振った跡に、線が残った気がしました」


「斬撃ではないのか」


「たぶん、違います」


「では何だ」


俺は少し考えた。


白い大鎌が通った場所。

そこに残った黒い細い弧。

傀儡の腕が触れた瞬間、軌道が折れた。


斬ったのではない。


壊したのでもない。


「傷、みたいなものだと思います」


「空間の?」


「分かりません。でも、そこに触れると、線が外れる」


グレン教官は記録板に何かを書き込んだ。


「仮称を付けるなら、黒線斬撃か」


「斬撃ではないと思います」


「では?」


大鎌の刃が描いた黒い弧。


月には遠い。

けれど、月の欠片のようだった。


「……()()()


口にしてから、自分でも少し違和感があった。


だが、完全に違うわけでもない。


グレン教官は俺を見た。


「黒月」


記録板に文字が浮かぶ。


黒月(ノクス・ルナ)


その名が表示された瞬間、右手の奥で白い大鎌が微かに震えた。


まるで、名前を聞いたように。


俺は手を握った。


「今のは?」


グレン教官が聞く。


「大鎌が、少し反応しました」


「……そうか」


教官は記録板を閉じた。


「今日のところは以上だ。反省文は明日の朝まで。題は『許可なき顕現について』」


「題まで決まってるんですか」


「迷わなくて済むだろう」


「内容で迷います」


「そこは反省しろ」


反論できなかった。


実技棟を出ると、夕方の光が廊下に差していた。


窓の外では、学院の生徒たちが何事もなかったように歩いている。


俺は右手を見る。


白い大鎌はない。


けれど、そこには確かに残っていた。


黒月(ノクス・ルナ)


名前をつけられた黒い傷。


守るために振ったはずの一撃。


それが、また俺の知らない俺を一つ増やした。


廊下の先で、カイルが手を振っていた。


「飯、残してあるぞ」


「本当に待ってたのか」


「言っただろ」


その隣に、エルナもいた。


少し離れたところには、アーヴェルも壁にもたれている。


「お前も?」


俺が聞くと、アーヴェルは視線を逸らした。


「班員の事情確認だ」


「素直じゃないな」


カイルが言う。


「黙れ」


俺は少しだけ息を吐いた。


面倒なことになった。


それは確かだ。


けれど、廊下の先に三人がいる光景を見て、少しだけ思った。


悪くない。


本当に少しだけ。


そう思った瞬間、胸の奥に残っていた冷たさが、わずかに薄れた。


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