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歪みの果てに君を呼ぶ  作者: ネネルネ
第1章 白鎌の少年
15/93

15話_許可なき顕現

翌日の午後、第一基礎班は第二実技棟に集められた。


第二実技棟は、第一訓練場よりも少し狭い。

床には正方形の区画がいくつも刻まれており、それぞれに防護陣と制御陣が重なっている。


壁際には、鉄と木を組み合わせた人形のようなものが並んでいた。


魔導傀儡。


魔力で動く訓練用の人形だ。

低位魔物を模した動きを再現し、生徒の反応や連携を見るために使われるらしい。


「今日の課題は、低位魔物への初動対応だ」


グレン教官が言った。


「相手は訓練用魔導傀儡。危険度はD相当。だが、Dだからといって油断するな。実戦で死ぬ者の多くは、強い敵ではなく、弱い敵を侮った時に死ぬ」


カイルが小声で言う。


「先生、毎回ちょっと怖いこと言うよな」


「間違ってはいない」


「まあな」


アーヴェルはすでに細剣を腰に下げ、表情を引き締めていた。

エルナは後方で短い杖を握っている。


俺は木剣を持っていた。


白い大鎌は使えない。


許可制。

グレン教官にそう言われている。


俺自身も、今はその方がいいと思っていた。


あれは、持つだけで周囲の術式に触れる。

触れるつもりがなくても、線を傷つける。


「第一基礎班。前へ」


俺たちは指定された区画に入った。


相手は四体の魔導傀儡。

狼型が二体。小型の人型が二体。


実戦なら、群れの初動を想定した配置だろう。


「制限時間は三分。目的は殲滅ではなく、護衛対象の保護と退路確保」


床の中央に、小さな水晶柱が浮かび上がる。


護衛対象の代わりらしい。


「壊された時点で失敗。始め」


その瞬間、狼型の傀儡が動いた。


速い。


本物の魔物ではない。

だが、訓練用にしては動きが鋭い。


「右二体、前に出る」


エルナの声。


三秒先を視たのだろう。


アーヴェルが即座に右へ踏み込み、一体目の進路を塞ぐ。

カイルは大剣を横に構え、もう一体を受け止める。


俺は水晶柱の近くに残った。


役割としては、抜けてきた敵の処理。


悪くない配置だった。


「リオン、左後ろ」


エルナの声が飛ぶ。


俺は振り返るより早く、線を見た。


人型の傀儡が、低い姿勢で回り込んでいる。

短剣を持つような腕。

狙いは水晶柱。


木剣を振る。


傀儡の腕の軌道を、ほんの少し外へ逃がす。


偏軌(スキュー)


名前を意識した瞬間、奇妙な感覚があった。


今まではただ、外していた。

けれど今は、外す場所を選んだ。


傀儡の短剣が水晶柱をかすめる前に逸れ、床を打つ。


俺は木剣の柄で傀儡の頭部を叩いた。


動きが止まる。


「お、今のいいな」


カイルが言った。


「前を見ろ」


「見てるって」


カイルは笑いながらも、狼型の突進を大剣で受け流していた。


アーヴェルの動きも悪くない。


午前の頃とは違う。

彼は俺を見ず、自分の役割に集中している。


それだけで、班としての形が少し良くなっていた。


一分が過ぎる頃には、魔導傀儡二体が停止していた。


残り二体。


このままなら問題なく終わる。


そう思った瞬間、()()()()()()()()()()()()()()


俺はそれを見た。


他の誰より早く。


魔力の線が、制御陣の中心で折れた。

綺麗に巡るはずの流れが、内側へ絡まり、人型傀儡の胸部へ流れ込んでいく。


「止まれ」


俺は言った。


だが、遅かった。


停止寸前だった人型傀儡が、突然跳ね上がった。


動きが変わる。


()()()()()()()()()()


防護陣を無視して、水晶柱ではなく、後方のエルナへ向かった。


「エルナ!」


カイルが叫ぶ。


エルナは未来を視たのだろう。

すでに後ろへ下がろうとしていた。


だが、遅い。


三秒先が見えても、身体が追いつかない距離がある。


アーヴェルが細剣を投げるように伸ばしたが、間に合わない。


俺の視界に、線が増える。


傀儡の腕。

エルナの退路。

防護陣の遅れ。

制御陣の破断。

止められる線。

止められない線。


木剣では届かない。


間に合わない。


右手の奥が冷えた。


呼べば来る。


グレン教官の声が頭を過ぎる。


顕現は許可制。


無闇に使うな。


俺は一瞬だけ迷った。


そして、その迷いを捨てた。


許可はない。


でも、()()()()()


右手を伸ばす。


空間が軋んだ。


黒い亀裂が走る。


訓練場の空気が、一瞬で凍った。


俺は亀裂の奥に手を入れ、冷たい柄を掴んだ。


引き抜く。


白い大鎌が、音もなく現れた。


大きすぎる刃。

骨のような白。

その刃元に走る黒い亀裂。


持った瞬間、身体の重心が整う。


世界の線が、少しだけはっきりした。


「リオン!」


グレン教官の声が飛ぶ。


止める声ではない。


警告の声だった。


分かっている。


俺は大鎌を振った。


大きく振り回したわけではない。

ただ、傀儡とエルナの間にある線へ刃を通した。


刃は傀儡に届いていない。


だが、白い刃が通った空間に、黒い細い弧が残った。


三日月にはまだ遠い。


ただの傷のような、細い黒線。


傀儡の腕が、その線に触れた瞬間、軌道が折れた。


腕はエルナではなく、床へ向かって落ちる。


防護陣が遅れて発動し、衝撃を受け止めた。


俺は踏み込む。


大鎌の柄で傀儡の胸部を叩き、制御核の線へ触れる。


壊すのではない。


流れを()()


偏軌(スキュー)


今度は、はっきり意識した。


傀儡の胸部から黒い濁りが抜ける。


魔力の流れが外へ逃げ、制御陣が停止した。


人型傀儡は、糸を切られたように床へ崩れた。


静寂。


誰も動かなかった。


エルナは壁際に座り込んでいる。

怪我はない。


それだけを確認して、俺は息を吐いた。


白い大鎌の刃先には、まだ黒い線が残っていた。


細い。

薄い。

すぐに消える。


だが、確かにあった。


「……今の」


カイルが呟いた。


「斬ったのか?」


「違う」


俺は自分でも驚くほど静かに答えた。


「外した」


何を。


そう聞かれたら、まだ説明できなかった。


敵の攻撃か。

制御陣の流れか。

それとも、エルナが傷つくはずだった未来か。


どれも違う気がした。


全部、少しずつ合っている気もした。


グレン教官が歩いてくる。


その足音は重かった。


「リオン」


「はい」


「許可なく顕現したな」


「はい」


「理由は」


「間に合わなかったので」


教官はエルナを見る。


エルナはまだ少し顔色が悪いまま、こちらを見ていた。


「助けられました」


その声は小さかったが、はっきりしていた。


グレン教官はしばらく黙る。


そして、低く言った。


「判断としては正しい」


少しだけ、周囲の空気が緩む。


だが、次の言葉で戻った。


「だが、規則違反だ」


「はい」


「後で報告書を書く」


「分かりました」


「お前もだ」


「俺もですか」


「当然だ」


報告書。


また名前が増える。


だが、今回は仕方ない。


俺は大鎌を消そうとした。


その時、刃元の黒い亀裂が一瞬だけ脈打った。


耳の奥で、衣擦れの音がした。


――そう。


それは初めて聞く言葉だった。


まだ、ではない。


そう。


まるで、今の選択を認めるような響き。


俺は思わず大鎌を見た。


白い刃は何も答えない。


ただ、手の中にある。


戻ってきたもののように。


やがて大鎌は静かに薄れ、空気に溶けた。


カイルが近づいてくる。


「リオン」


「何」


「お前、やっぱりすげえな」


「規則違反だけどな」


「助けたんだから、そこはいいだろ」


「学院はそう見ないかもしれない」


アーヴェルが言った。


彼は倒れた傀儡を見下ろしていた。


表情は硬い。


「だが、今の判断は間違っていない」


俺は少し意外で、彼を見た。


アーヴェルは目を逸らす。


「私は事実を言っただけだ」


「そうか」


エルナがゆっくり立ち上がる。


俺は近づこうとして、少し迷った。


すると彼女の方から歩いてきた。


「ありがとうございました」


「怪我は」


「ありません」


「ならよかった」


エルナは俺の右手を見た。


そこにはもう、大鎌はない。


「さっき、未来が見えました」


「俺の?」


「いいえ」


彼女は首を横に振る。


「私が傷つく未来です。でも、その途中で黒い線が入って、()()()()()()()()


未来が折れる。


その言葉に、胸の奥が静かに鳴った。


「あなたが折ったのだと思います」


「俺は、外しただけだ」


「それでも」


エルナは静かに言った。


「助かりました」


俺は返事に少し困った。


礼を言われることには慣れていない。


いや、感謝されるようなことをした覚えが少ない。


カイルが横から言う。


「こういう時は、どういたしましてって言うんだぞ」


「知ってる」


「じゃあ言えよ」


俺は少しだけ息を吐いた。


「どういたしまして」


エルナがほんの少しだけ笑った。


本当に少しだけ。


だが、それを見た瞬間、右手の奥に残っていた冷たさが薄れた気がした。


グレン教官が倒れた傀儡の胸部を確認していた。


制御核の周囲には、黒い濁りがわずかに残っている。


教官の表情が険しくなる。


「これは……訓練用の不具合ではないな」


その言葉に、場の空気がまた変わった。


俺は倒れた傀儡を見る。


制御核から伸びる魔力の線。


そこに、俺の知らない黒い結び目があった。


最初からあったものではない。


誰かが、後から混ぜたもの。


そんなふうに見えた。


「全員、今日の演習は中止だ」


グレン教官が言った。


「この件は学院側で調査する。勝手に触れるな。勝手に調べるな。特にリオン」


「はい」


名指しされた。


仕方ない。


だが、倒れた傀儡の黒い結び目は、まだ俺の視界に残っていた。


それは禁書庫から伸びていた線に、少しだけ似ていた。


見ない方がいい。


そう思った。


だが、もう見えてしまっている。


俺は右手を握った。


今日、初めて白い大鎌を守るために使った。


そのはずなのに。


胸の奥では、別の何かが静かに動き始めていた。


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